幹事クリタのコーカイ日誌2004

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3月1日 ● フォローという名の蛇足。

 昨日の日記に随分反響がありました。メールも才人のメッセージもいつもより多くて、土日は大抵アクセスが減るんですが、こんなにも読んでいただいて感謝です。

 いろいろな方から意見を頂いたので、少しフォローさせていただきます。本当はこういうことを書くのは蛇足になるのでやめたいのですが、これが特に若い女性の方の疑問に対しての返事になれば良いなと思います。

 まず前提として、僕は一夫一婦制を欺瞞だと言っているわけではないですし、「オンリーワン・フォーエバー」の異性を求める心を否定しているわけでもありません。生涯ただ一人のパートナーを見つけることができれば、それにこしたことはないでしょう。

 ただ、それを絶対だとして、そこに縛られてしまうのは少し考え直したらとは思っています。人間誰しもふと他の異性に心を奪われることはないとは言えません。また「この人だ!」と“ビビビ”ときても、しばらくすると「あれ?」と思うこともあります。気持ちが移ろうのは平安の昔から人の世の常なのです。

 環境が変わることで心変わりすることもよくある話です。若い人なら学生の時と社会人になってからでは、異性に対する見方や感じ方も変わるでしょう。夫婦でも子どもが生まれたり、親と同居したりすることで、お互いの関係に変化が生じることがあります。

 環境が変わるというのは、精神的に成長するきっかけでもあります。人間が成長すれば、異性に対しての感じ方も変わるのが当然なのです。相手が一緒に成長してくれなければ、きっと物足りなく思うことでしょうし、自分が成長したことで、それまでわからなかった別の人の魅力がわかるようになることもあるでしょう。

 レベルが上がらないとわからないことがあるのは、どんな世界でも一緒です。それまでルックスだけで男を選んでいた女性が、人間の大きさ、心の優しさ、洞察力の深さなどで男性を選ぶようになれば、それはその女性のレベルが上がったのだと思います。生涯ただひとり、の難しさはそういうことにもあるのですから、あまり厳密に「オンリーワン・フォーエバー」思想を追求しない方が良いと思うのです。

 『世界にひとつだけの花』の歌詞は、レトリックとしては大変に優れているなぁと思いますが、決して真理を突いているわけでもありません。個性を盾にとって競争を否定し自分の世界に引きこもり、その殻の中でオンリーワンであろうと考えるのは、単なる独善的な思想に過ぎません。あの歌詞はそういう解釈もできるのです。

 コピーのレトリックとして言えば、「ナンバーワンよりオンリーワン」は至極当たり前です。「オンリーワン」である以上、当然それは「ナンバーワン」なのですから。「ナンバーワン」の中で他に競争相手がない状態が「オンリーワン」ですから、「オンリーワン」は「ナンバーワン」の中に含まれるのです。

 男女の間で言えば、まず「ナンバーワン」になってから「オンリーワン」になるのが普通ですし、一足飛びに「オンリーワン」になろうとすれば、当然それは誰も手を出さないような相手を選ぶしかないのです。「ナンバーワン」では我慢できない、「オンリーワン」になってから来なさいよ、と言っていたら、いつまでも相手は見つからないかも知れません。

 それに、本当に福山雅治の「ナンバーワン」になるのと、江頭2:50の「オンリーワン」になるのでも、江頭ですか?僕なら山田花子の「オンリーワン」よりも仲間由紀恵の「ナンバー“ツー”」の方がいいですけど。

 そうそう、もうひとつ。特に若い女性に多い思い込みですが、「オンリーワン」は相手にだけ求めるものではないですよ。自分自身も相手の男性から疑われたりするような異性の友人は絶たなければなりませんよ。相手にのみ「わたしだけを見てね」と強要しておいて、自分は「誘われたから」などと言って合コンなんかに行ってはいけない、ということも蛇足の蛇足として付け加えておきます。

 ま、僕はそんな蛸壺の中で恋愛するような息苦しい関係はゴメンですが、そうしたい人はすればいいと思いますけど。


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