幹事クリタのコーカイ日誌2003

[ 前日翌日最新今月 ]


 
10月24日 ● 続・母親になること。

 昨日の「母親になること」に、主に母である方たちからご意見をいただきました。基本的には僕に対する異論なのですが、どれも真摯なものなので、ひとつずつ意見交換をさせていただき、自分なりに更に考えを深めることができました。

 昨日の僕の意見は、(1)子どもを殺すな (2)それを時代のせいにするな (3)どうしても殺しそうなら子どもを産むな、ということでした。我ながらかなり乱暴な意見だと思いますが、それだけ僕としては今回の事件を起こした母親と高校生に対する怒りが強かったのです。ところが、その怒りが強かったせいで、文章が感情に流れ過ぎ、上記のような僕の意図がちゃんと伝わらなかったみたいなのです。

 いただいた反論は、(a)どの母親も追い詰められることがある (b)今と昔で育児が楽かどうか比較するのはナンセンス (c)そもそも女だからって最初から母性が備わっているとは限らない、というものでした。これもかなり大雑把にくくってしまっていますが、個々にはちゃんと説明させていただいたので、そのあたりは良しとしてください。

 まず、母親は誰でも育児中に煮詰まる、追い詰められる可能性がある、ということは、僕もそうだろうと思います。ただ、だからと言って「子どもを殺す」という選択をするのは特殊ではないかと思います。特に今回のように愛人と我が子を比べて男を取るような母親は。少なくとも僕はそれは特殊な事例であり、特殊ゆえに弾劾したのですが、一般的な女性でもそこまで追い詰められる可能性があるという指摘をいただきました。一般的であるから、僕のような意見はより母親を追い詰めるぞ、と。ちょっとそれについてはわからないなぁ、と思っています。本当に一般的なのかどうか判断するだけの材料が僕にはないからです。

 それから、今の方が昔より子育てが楽かどうか、という比較は意味がない、というのは全くその通りです。ただ僕はそういうつもりで書いたわけではなく、何か事件が起きるたびに時代のせいにするな、ということを言いたかったのです。夫が悪いとか、社会が悪いとか言う前に、まず子どもを殺した本人が悪いだろうと。今も昔も子育てが大変なのは変わりありません。でも「殺さない」でほとんどの人は頑張って育児をしているのです。今の方が子育てが楽なのに今の母親は甘えている、という風に読み取られたとしたら、それは僕の文章の拙さのせいです。素直に反省しました。

 最後に女だからと言って母性が最初から備わっているわけではない、という意見は一番考えさせられました。それは僕が、と言うよりは男が基本的に「マザコン」だから、母性をむやみと神聖化したがるのだろうという指摘は、まさに図星だと思いました。

 幼児を虐待する母親に対する男の怒りは、自分を拒絶する母親とだぶって映るからです。女性が母親の立場になって事件を眺めるのに対し、男性は幼児の立場から事件を見ているのです。僕が幼児虐待の事件を冷静に見られないのも、何となく理解できた気がしました。ご意見をいただいた皆さん、ありがとうございました。


とりあえず、読むたびに(1日1回)

を押してください。 日記才人という人気ランキングに投票されます。
初めての方は、初回のみ投票者登録画面に飛びます。
結構更新の励みにしていますので、押していってくださると嬉しいです。