幹事クリタのコーカイ日誌2003

[ 前日翌日最新今月 ]


 
10月23日 ● 母親になること。

 また虐待されて命を失ってしまった幼児がいました。僕は世の中で何が一番悲しいかと言えば、親に殺されてしまう子どもほど悲しいものはないと思っています。親は命をかけて子どもを守るべき存在です。子孫を残すのは種としての本能であり、自分の命を失っても子どもを守るのは当然のことのはずなのに、この母親は男欲しさに、自分の子どもが虐待され殺されるのを放置していました。

 そして殺されてからも「捕まったら会えなくなるから」と言って、男を庇っていたのです。自分の子どもを殺した男など、自らの手で殺したって文句は言われないはずなのに、それを自分の欲求のために庇うとはなんたる言い草でしょう。殺された幼児にしてみたら、何という母親かと死んだことよりも寂しく悲しい思いをしているのではないでしょうか。彼は暴行を受けても「転んだ」と言って母親と、その愛人の高校生を庇っていたのに。母が好きだから。抱きしめて欲しいから。

 父親はしばしば「父親になる」ことを要求されます。自分の腹を痛めて産む母親に比べて、わが子に対する実感が得られない父親は、子どもと接しながら「父親になっていく」ものです。しかし、母親は子を宿した瞬間から母親です。母親になっていく必要などなく。

 ところが、最近は子どもを産んでも母親になることができない女が増えているようです。彼女たちはどこか生物としての本能が壊れているのかも知れません。確かに子どもは、特に乳児・幼児の時期は、手のかかるものです。「この子さえいなければ、私はどれほど自由なことか(彼女たちの言う甘えた「自由」についての論議はおいといて)」と、誰もが育児ノイローゼになりながら子育てに忙殺されます。でも殺しません。殺せません。

 その一線は高い壁です。深い川です。ところが、そこを軽々と越えてしまう母親がいるのです。そして「わたしも越えてしまいそうだ」と悩んでいる母親がその何十倍、何百倍もいるのです。

 父親が子育てに参加しないからいけないのだと言われます。でも、昔はもっと父親は母親に任せっきりでした。今の父親の方が昔よりはずっと子育てに参加しています。祖父母と同居していない核家族だからいけないのだとも言われます。でも、今は子どもが少なく、祖父母は孫可愛さに昔よりはるかにべったりしています。母親の実家に子どもを気軽に預けられるという意味では、昔よりも今の方が楽なはずです。姑に見張られながらの子育ての方が苦労が多いと思います。

 ちょっと前に「すぐに切れる若者たち」が話題になりました。もしかしたら、その若者たちが子どもを作って親になっているのかも。そして子どもに対して簡単に切れているのかも。わかりません。ただ、母親になることができない、どこかが壊れた女は、子どもを産んだりしないように。頼むよ、ほんと。


とりあえず、読むたびに(1日1回)

を押してください。 日記才人という人気ランキングに投票されます。
初めての方は、初回のみ投票者登録画面に飛びます。
結構更新の励みにしていますので、押していってくださると嬉しいです。