幹事クリタのコーカイ日誌2003

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5月11日 ● ゲームは人生の無駄遣い。

 最近はそれほどでもありませんが、20代から30代半ばまで、僕の一番の趣味はファミコンもしくはパソコンで遊ぶゲームでした。ドラクエやFF、信長の野望、ファミスタなどの大ヒットゲームはもちろん、結構マイナーなゲームでもいろいろと手を出して日夜遊んでいました。

 特に休日になると夜が明けるまでゲームして、昼過ぎまで寝ているという生活をしていて、そのせいで体調を崩して会社を休むこともよくありました。

 当時はゲームをしている時が一番至福の時間でした。特にシミュレーションゲームをしている時は、戦国大名になっていようが、市長になっていようが、七つの海を大航海をしていようが、高校野球の監督をしていようが、とにかくどっぷりと浸かり込んでいて、「こんなに手軽に別の人生が経験できるなんて、本当に素晴らしい!」と感じていました。

 ところが30代半ばから少しずつゲーム離れをしてきたのです。面白いゲームがなくなった、と感じたのがその原因ですが、それをさらに分析すると、ゲームを面白いと感じる感性がなくなったのと、ゲームにはまり込むだけの体力がなくなったのではないかと思います。要は年を取ったのです。

 で、その頃から今度はテニスにはまりました。もちろん、テニス自体は大学生の頃からずっと続けてはいたのですが、ゲームに飽きた頃からテニスにのめり込むようになったのです。ゲーム雑誌を買わなくなって、テニス雑誌を買い始めたのもこの頃からです。

 で、ゲームから距離を置いてゲームを見るようになると、どうもこれは時間の浪費、人生の無駄遣いだなぁ、なんて感じるようになったのがまた驚きでした。ゲームにはまっていた頃にそういうことを人から言われたら「ゲームの面白さがわからないなんて」と逆に可哀想に思った自分が、ゲームから距離を置いた途端にそう感じるなんて、変節であり裏切りでもあると思いました。

 映画や小説が大好きで、それにはまっていたってなぜか「時間の浪費」だとは思いませんが、実はあれも絵空事を楽しんでいるだけです。テニスなどのスポーツだってカラダに良いという側面はあるものの、逆に怪我の危険性もあるし、エネルギーを無駄に使っていると言えなくもありません。趣味なんて突き詰めれば全て人生の無駄遣いみたいなものです。だからこそ趣味は楽しいのでしょうし。

 なのにゲームだけそう思ってしまうのは、やはりそのバーチャル性にあるのでしょうか?もしくは歴史の浅さが文化として認められないからなのでしょうか?本当は、自らゲームの世界から離れたつもりで、実はついていけずに置いてきぼりにされている自分の僻みがそう思わせているだけなのかも知れません。だって「はまれるゲームないかな」なんて、未だに大須をウロウロしていますから。


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