幹事クリタのコーカイ日誌2002

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7月20日 ● 絶対評価の通知表。

 中一の息子が絶対評価に変わって最初の通知表を貰ってきました。それはもう悲惨な結果で、さすがに最初見た時は驚いたのですが、良く考えると定期試験の順位と比べても悪すぎます。なるほど、これが今回学校側が考えている絶対評価なのだな、と思いました。

 従来の相対評価なら、通知表をつけるのは簡単なはずです。試験の成績で順番に5から1まで比率通りに割り振っていけばいいのですから。ところが、今回からの絶対評価では、先生の主観で各教科の評価が決まっています。一見いわゆる「習熟度」がどのレベルかで成績をつけているようですが、その基準がいかにも曖昧なので、かなり先生によってばらつきが出るだろうことは容易に想像できます。

 そもそも各教科の「評価の観点」(A/B/Cの3段階評価)に絶対評価に馴染まない項目が多すぎます。「国語への関心・意欲・態度」なんてものを、どう絶対評価するのでしょう?国語に限らず全ての教科でこの「○○への関心・意欲・態度」という観点が存在しているのですが、これほど主観的かつ相対的なものもありません。積極的に授業に臨む子がいれば、相対的に消極的に映る生徒がいるはずです。誰かが前に出れば他は引くしかないからです。心の中でいくらメラメラと熱く燃え上がっていても、外にそれが表現されていなければ「意欲的ではない」と評価されてしまいます。

 また音楽や美術に「鑑賞の能力」という観点がありますが、全員の生徒について、きちんと教員が「鑑賞の能力」を把握できているとはとても思えません。目立って悪い生徒には「C」、覚えのめでたい生徒に「A」、残りの印象の薄い生徒は全部「B」となるはずです。うちの息子は多分大人しくて目立たない生徒だと思いますが、理科、音楽、技術家庭の3教科については、各4項目オールBです。そんな子いたっけか、わかんないからBでいいや、と取られても仕方ない評価の付け方です。

 絶対評価というのは、きちんとした基準があって、それだけクリアできればOK、というものではないのでしょうか?自動車運転免許と同じように、授業でマスターしなければならない項目を明示して、それができているかどうかを公正に評価するものでしょう。日本全国どこでも同じ基準で運用されて、誰が見たって同じ評価になるものが「絶対評価」だと思うのですが、どうやら学校はそう考えていないようです。

 企業における「成果主義」同様、いくら理念が優れていても、運用ができなければかえって弊害ばかりが目立つようになってしまいます。「成果主義」も「絶対評価」も、まず納得性の高い評価基準があり、それに基づいて評価者がきちんと正しい評価ができなければなりません。ま、普通に考えれば無理でしょうね。人間は完璧ではないのですから。


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