幹事クリタのコーカイ日誌2002

[ 前日翌日最新今月 ]


 
6月20日 ● これは単なるブームか。

 日本がトルコに敗れ、韓国がイタリアに感動的な勝利を収めた翌日。いたるところでサッカーの話題を聞きました。もともとスポーツ好きで、いつもそういう話題をしている僕の周りだけではなく、電車の中でも喫茶店でもランチの時でも、隣のテーブルも向こうのテーブルもサッカーの話をしているのです。もちろんテレビもラジオも新聞も雑誌もサッカー一色です。

 有史以来、日本でこれほどまでサッカーが見られ語られたのは間違いなく初めてでしょう。鈴木宗男の逮捕も村田英雄の死もタイガーウッズの快挙もエルサレムのテロも、全てはサッカーの陰に隠れてしまいました。

 問題は、これほど人々の間に一気に浸透したサッカーが、一過性のブームで終わるか、それともきちんと根付いていくかということです。どちらも可能性としては考えられます。前者はF1が典型的な例です。あの頃、鈴鹿の日本GPのチケットを求めて走り回る若者がイヤになるほどいました。名古屋近辺のホテルはどこも満室になり、鈴鹿近辺は大渋滞。アイルトン・セナの人気は今のベッカムの如く、中島悟への崇拝は今の中田英寿のそれに近いものがありました。

 しかし、時は流れて21世紀。相変わらずF1は世界を周り、日本にもやって来ているのですが、コアなファン以外は話題にもしなくなりました。一般にはトヨタやホンダがF1に参戦していることすら知らない人がほとんどでしょう。いわんや、モーターレース全般に人気があった当時はそれなりに注目されていた鈴鹿8耐、ルマン24時間、パリダカなどは、今やスポーツニュースのほんの片隅に追いやられています。

 逆にブームになってからそのまま根付いたものもあります。その一番がオリンピック。日本人はオリンピックが大好きとよく言われますが、猫も杓子もオリンピックと言えば無条件に反応するようになったのは実は1964年の東京五輪以降の話です。未だにスポーツ番組の最高視聴率記録が東京五輪の女子バレーボール決勝であり、ある年齢以上の世代を語る時に五輪以前と以降で区切ったりしますが、東京五輪はまさに日本人のDNAにオリンピックマークを刻み込んだ歴史に残る大事件でした。

 大松博文、アベベ、円谷幸吉、遠藤幸雄、チャスラフスカ、三宅義信、ヘーシンク。彼らの名前は、今で言えばトルシエ、ロナウド、三都主、小野伸二、デルピエロ、稲本潤一、アンジョンファンと言った名前と同じような知名度を誇っていました。彼らの活躍がオリンピック大好き日本人の原点になったのです。もちろん、それ以前のオリンピックもそれなりに注目は集めていましたが、それはちょうど前回のW杯フランス大会やその前のアメリカ大会のようなもの。日本中の老若男女を巻き込んだのは、やはり日本で開催してからなのです。

 オリンピックと同様にサッカーW杯も4年ごとに巡ってきます。もしかしたら、オリンピックと同じようにW杯も今回で日本人のDNAに刷り込まれたかも知れません。ただ願わくば、それが単なるW杯人気、日本代表人気で終わるのではなく、サッカー全体を愛するきっかけになれば良いなと思います。このエネルギーが単なるブーム、ただのお祭り騒ぎで終わってしまっては、余りにももったいないです。


とりあえず、読むたびに(1日1回)

を押してください。 日記才人という人気ランキングに投票されます。
初めての方は、初回のみ投票者登録画面に飛びます。
結構更新の励みにしていますので、押していってくださると嬉しいです。


この日記をマイ日記才人に登録する