幹事クリタのコーカイ日誌2002

 
 4月23日 ● 団塊ジュニアと新人類。

 「団塊の世代」と名付けたのは堺屋太一だということですが、その団塊世代もすでに50代半ば。マーケット的にはずっと主役を演じてきた彼らですが、世の中の消費動向を左右する、流行を発信する若者層からはかなりかけ離れた世代になっています。

 代わって注目を集めているのが「団塊ジュニア」です。団塊の世代に続く第二のボリュームゾーンだけに、彼らに受ければヒットする、という構造が信じられてきました。ただ、この「団塊ジュニア」、どうも僕には的が絞りにくい感じがします。団塊世代は、割とわかりやすいイメージ形成ができているのですが、団塊ジュニアのイメージというのがバラバラな感じで、これも価値観の多様化のせいかと思っていました。

 ところが昨日の「電通報」(広告業界紙です)に三浦展が『真性団塊ジュニアとニセ団塊ジュニアを峻別せよ』という一文を寄せていて、これを読んでなるほどと思いました。彼の論を簡単に言うと、これまで「団塊ジュニア」と思われていた第二次ベビーブーマー(1971年生〜1974年生)は、ボリュームとしては大きいが、実は父親は団塊世代よりも上である割合が高く、メンタリティ的には彼らに先行する新人類世代と共通するというのです。

 で、本当の意味での「団塊ジュニア」とは、父母ともに団塊世代か、父が団塊で母がポスト団塊という1975年〜1980年生まれであるそうです。この「真性団塊ジュニア」は、父母ともに戦後生まれであり、彼らは親からの抑圧をあまり感じず、社会の規範や常識に従うよりも自分らしさを重視した価値観を形成している、ということです。コギャル、茶髪、ルーズソックス、たまごっち、プリクラ、携帯電話、ガングロなど1990年代後半の流行風俗を担ってきたのは全てこの「真性団塊ジュニア」です。ニセ団塊ジュニアは人口こそ多いものの、新しい固有の価値を生み出す力はない、と三浦は断じています。

 世代論というのは、わかりやすい反面、ともすれば個を見ずに一律に括ってしまうので危険でもあるのですが、少なくとも、三浦のこの論は僕にはかなり新鮮でした。会社でもテニスサークルでも、自分の身の回りにいる20代は、確かに今の27歳くらいを境にして、その上と下とでは、かなり感覚が違うなと感じていました。話が通じるか通じないか、ということです。

 僕はその原因を、自分との年の差がひと回りくらいまではわかり合えるけれど、それ以上の年の差になると理解しがたいのだと思っていました。しかし、三浦の論を借りれば、問題は年齢差ではありませんでした。共通一次テスト一期生、新人類世代のはしりである僕と、その尻尾に位置する27歳だからこそ、シンパシィを感じ合えたのです。27歳未満と話が通じないのも、単に僕がオジサンだからではなく、彼らとはメンタリティが違うのだから仕方ないわけで、って、ま、そう言う風に思っておいた方が、オジサンとしては傷つかなくて済む、というだけですけどね。

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