幹事クリタのコーカイ日誌2002

 
 4月21日 ● ルールと温度差。

 さまざまな社会集団には、それぞれに適した規範があります、なんて難しい言い方をすると、まるで社会学の講義みたいなのですが、そんな偉そうなことを言いたい訳ではなく、単にグループがあれば、そのグループなりのルールが生まれる、ということです。それが会社であろうと、趣味のテニスサークルであろうと、飲み仲間であろうと。

 ただ、そのルール(明文化されていない暗黙の了解まで含めて)を、どこまできちんと守ろうと思うかは、個々の構成メンバーに委ねられてしまいます。トップがいくら「ルールを守れ!」と命令したところで、守りたくない場合は適当に手を抜くのは、校則を守らない学生が世の中にたくさんいることからしてもわかります。罰則を厳しくしたところで、見つからないように工夫を凝らすだけです。ルールを守らせるのは決して力ではないのです。

 では、どうすれば構成メンバーはルールを守ろうとするのか。それはそのルールの妥当性が高く、メンバーが十分に納得していること、そしてルールを破ることはグループも自分自身も危うくすることを理解していることが大切です。いくらトップが命令したところで、グループもしくはトップに対する忠誠心の高いメンバー以外は、「そんなこと言われても知らないもんね」と無視します。

そう考えると、そのグループに対するメンバー個々の温度差があることがルールを破られる原因になると言うことになります。トップとその周辺の人は、グループへの愛着心が強いだけに、かなり厳しいルールでも守ることができます。しかし、周縁部分にいるようなメンバーにしてみれば、それほど思い入れもないわけですから、いい加減にできるならいいけど、あまり厳しくされるなら知らん顔、となりがちです。

 そして、余りにもその温度差が激しくなると、腹を立てたトップは周縁部分のメンバーを切り捨てにかかったりします。小沢一郎がどんどん自分の党を小さくしていってしまうのは、多分理想が高すぎるのでしょう。俺の気持ちをわからない奴は仲間じゃない、と。数の論理よりも自分の論理を優先してしまうという点で、小沢は政治家としてはある意味ピュア過ぎるのかも知れません。

 最近、僕の入っているメーリングリストでちょっとしたトラブルがありました。僕自身はメーリングリスト内では中心ではなく、かと言って隅っこにいる完全な傍観メンバーというほどでもないのですが、世話人の人が腹を立てているその心情自体は、僕にはとても良く理解できました。ボランティアでやっている自分の心労をわかろうともしない連中のために、なぜ自分がこんなに苦しまなければならないのか、と。僕自身、自分のサークル運営で時折そういう悩みにぶつかるからです。

 もっとも、最近はあまりそう苦労しているとは思わなくなりました。これは僕が達観できるようになったからか、メンバーが僕に気を遣ってくれているからか、それとも本当にサークル内の温度差が小さくなってきて、みんなが愛着を持ってくれるようになったからか。どれもありそうな気がしますが、とりあえず今は良い感じです。もっとも、レギュラーメンバーが事情で去っていったり、新しいメンバーが加わったりするこの季節、いつまでも「良い感じ」が続く保証はありません。ルールをどう浸透させてグループの維持を図っていくか、またいろいろ悩むことになりそうです。

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