幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 11月28日 ● 体力の衰え。

 よく「体力がある」と言う表現をします。「あの人は学生時代にラグビーをやっていたから今でも体力はあるんだよ」とか、「徹夜でも体力だけには自信があるから大丈夫です」とか「最近すっかり体力の衰えを感じてね」とか。でも、こういう時の“体力”って、実は微妙に意味が違うような気がします。

 例えばフルマラソンを走ることができるとか、3kmの遠泳ができるとか、3000m級の山に登ることができるという体力は、運動能力、それも主に「持久力」を指していると思います。僕が平日の夜に休みなしで2時間フルにテニスをしている、というと「体力がありますねぇ」なんて感心されますが、これも持久力という意味での体力です。

 ところが、ハードワークに耐えて毎日夜遅くまで残業して休日も取らずに仕事をしている人の「体力」は、またちょっと意味が違います。僕は運動する時の体力はありますが、仕事では体力がありません。すぐに疲れてしまうので、なるべく効率的に仕事を終わらせようと工夫しているのですが、この意味で「体力がある人」は、とにかく時間をかけて仕事すれば良いと思っている節があります。「体力」と言うよりも「耐久力」に近い気がします。もしくはRPGで言う「HP」(ヒットポイント)かも。ま、単にやる気の問題だと言われると困るんですけどね。

 最後の「体力の衰え」と言う時の「体力」が、最も本来の意味に近い気がします。持久力だけではなく、筋力や瞬発力はもちろんのこと、故障した場合の回復力とか再生能力も「体力」のうちですし、もっと言えば、目とか歯とか耳とかの性能、骨の固さとか関節や腱の柔軟さなども含まれます。つまり人間の肉体をハードウェアとして考えた時、そのもののパワーを「体力」と呼んでいるわけです。

 で、40才になって自分自身の「体力」を振り返ると、最初の「持久力」は衰えるどころか最近ますますパワーアップしているような気がします。週に2〜3回のテニスが“体力増強”に役立っているのでしょう。また二番目の「耐久力」は、そもそも乏しいので問題になりません。問題は最後の意味の「体力」、すなわりパーツとしてのボディのパワーです。

 筋力は比較的維持されているのですが、瞬発力や回復力は年齢相応に少しずつ衰えてきているような気がするのです。もちろん視力の衰えとか関節や腱の痛み具合とか、何というか古くなってきた機械のように、そこかしこにガタがきているという印象が最近するのです。だから、あまり無理しちゃいかんな、と仕事も遊びも随分セーブするようになってきました。古いクルマをメンテしながら大切に乗り続けるように、カラダという乗り物も大事に手入れしないと、最後まで持たないかも知れませんからね。

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