幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 11月8日 ● 感情的にならない。

 昨日のMっちゃんの話ではないですが、例えば明日の天気で思い悩むというのは確かにあまり意味のあることではありません。なにせいくら思い悩んだところで自分でどうこうできる事柄ではないのですから無駄というものです。同様に、世の中には自分ではどうしようもないことがいくらでもあって、それをクヨクヨと悩んだり、イライラと怒ったりしても仕方ないわなぁ、と思います。

 もっとも、そう思えるようになってきたのは、やはり年齢を重ねてきたからであって、若い頃は意のままにならないことに怒ったり悩んだりしたものです。10代の頃の自分をいま振り返ると、どうしてあんなことで、あれほど落ち込んだり怒りに震えたりしたのかと思います。20代の頃は仕事で怒ることが今よりはるかに多かったのを覚えています。最近も心配事や腹の立つことはいくらでもありますが、だからと言っていちいち悩んでいたら身が持たないので、適当に自分の感情をコントロールするようになってきました。

 ただ、そうやってマイナスの感情に自制心が働く一方で、喜びや感動といったプラスの感情も、10代の頃に比べて抑制されている気がします。高校生の時、体育の授業でサッカーの試合をしていて、決勝ゴールを決めたことがありました。ドリブルで切れ込んでいってディフェンダーをかわし、キーパーと1対1になって、そのままゴール左隅にシュート。決まった瞬間に見上げた空が綺麗に青く晴れ渡っていたのを、今でもまざまざと思い出すことができます。20年以上経った今でもハッキリと覚えているほど印象的なシーンでした。

 でもたかが体育の授業です。インハイや選手権ではありません。でも、あの頃はそんなどうでも良いような事柄に大喜びしていました。全身で歓喜の感情を受け止めていました。ちょっとした出来事に喜び、感動し、いつまでも心で反芻していました。最近は、それもまたコントロールしています。歓喜も感動も心のリミッターが作動してしまい、どこかで喜んでいる自分を他人事のように見ている自分がいるような感じです。だから、映画や小説や音楽は、素直な10代の頃に触れたものが、結局自分にとっては生涯最高の作品なのです。

 ああ、こうして年を取っていくんだなぁ、と思います。寂しくもあり、嬉しくもありです。そして年を取ってもいつまでも感情的な人を見ると「子どもっぽいなぁ」と感じつつ、どこかで羨ましいとも思っています。若々しさと子どもっぽさは大人になればなるほど紙一重ですから、微妙なところでどちらかに転んでしまうのでしょうね。

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