幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 8月3日 ● メールで失礼。

 長年テニスサークルに在籍していたカップルの間に女の子が生まれました。もう2年ほどサークルからは身を引いているのですが、「生まれました」というメールが来たので早速お祝いの返事を出しておきました。なにはともあれ新しい命の誕生というのはめでたいことです。

 ところで、吉報を知らせるメールに「直接ご連絡するのが筋ですが、メールで失礼します」という一節がありました。この場合の「直接ご連絡」というのは、もちろん家までやってきて、という意味ではなく、電話を意味しているものと思われますから、要は電話よりもメールの方が失礼だ、という認識があるわけです。

 しかし、電話というのもこれまで十分に「失礼」なメディアでした。「本来なら書状にしてご依頼すべきことを電話で失礼いたします」的な言葉があるように、本当に丁寧なのは電話ではなく手紙なのです。大切なことを電話で済ませてはいけないというのが社会の常識です。

 さらに言えば、手紙というのも、直接会うべきところを省略する「失礼」なメディアなのです。「年賀の挨拶に伺うべき所を年賀状で代えさせていただきます」というような、大変に手抜きで失礼なものなのです。

 つまり失礼度で言うとメール>電話>手紙>会う、という順位になります。これはメディアの新しさの順番でもありますが、それよりも失礼度を決めているのは送り手の「面倒」さだと思います。より簡便なメディアを使うことは相手に対して失礼であり、手間暇かければ有難味が増して「丁寧」になるという認識が日本の文化の中に根付いているからに違いありません。

 しかし、それはあくまでも送り手側の「面倒」であり、この考え方には受け手側の「面倒」は考えられていません。知人夫婦に子どもが生まれた、というニュースを教えてくれるメディアとして、果たして一番面倒がないのは手紙です。自分は一銭もかからないし、手間も郵便受から取ってくるだけ。次ぎに簡便なのはメールでしょう。アクセスして読まなければなりませんが、それさえ厭わなければ手紙と手間は大差ありません。タイムラグが少ない分だけ、メールの方が良いかも知れません。

 電話は時と場合によっては、かなり受け手にとって面倒なことがあります。深夜や早朝にかけられても困りますし、またなにかやっている昼間だと、いろいろ自分のしていることを中断させらりたりします。手紙やメールのように、自分の好きな時に読む、という手段が取れないところが電話の「面倒」です。そして、それをもっともっと「面倒」にしたのが、もちろん会いに来ることです。

 そうやって考えると、本当に相手にとって失礼なのは忙しい時に会いに来たり電話をかけにきたりすることで、手紙やメールはずっと受け手にとっては失礼ではないのかも知れません。多分今の10代には「メールだから失礼」なんて発想自体がないと思います。

 失礼かどうかを決めるのは、本当はメディアではなく、その使い方や文脈だと思います。個々のメディアにはそれぞれメリット・デメリットがあるのですから、それを理解した上で使いこなせば良いのではないかと思いますがね。

 

とりあえず、読むたびに(1日1回)


を押してください。 日記才人という人気ランキングに投票されます。
初めての方は、初回のみ投票者登録画面に飛びます。
結構更新の励みにしていますので、押していってくださると嬉しいです。


この日記をマイ日記才人に登録する

前日翌日最新今月