幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 6月18日 ● 息子の宿題。

 うちのすぐ近くに「聖徳寺」という大きな寺があります。ショッピングセンターが潰れた跡地に、7年ほど前にドドーン、という感じで立った大きな寺で、その金ピカさと立派さ、雰囲気から怪しい新興宗教かと思っていました。

 ところが先日、6年生の息子が社会科の学習で、学区内のいろいろな施設を取材してレポートするという宿題があり、その聖徳寺に話を聞きに行ったのです。うちの愚息は文系にはカケラも素質がない奴なので、話を聞いてきても全然文章にまとめることができません。仕方なくこんがらがっている息子の話をまとめるために手伝ってやりました。

 聖徳寺は新興宗教などではなく、れっきとした真宗大谷派だったのですが、まずその説明で息子は引っかかります。仏教について基本的な理解がないのに、聞いてきたキーワードである「真宗大谷派」「阿弥陀如来」「東本願寺」「親鸞上人」「報恩講」などを手際よくまとめることなどできるわけもありません。繰り返し噛んで含めるように、仏教にはいろいろ宗派があって、その中の浄土真宗を開いたのが親鸞で、それがまた多くの派に分かれて、などと説明しても、元々ピヨピヨの息子の頭の上には「?」がいくつも飛び交っているのが目に見えるようです。

 多分いい大人だって真宗大谷派の成り立ちを簡潔に説明できないかも知れないのに、そこで引っかかっていたら先に進めないので、無理矢理そこは終わらせて聖徳寺の由来をまとめさせます。なんでも我が家の近くに引っ越してくる前は、名古屋有数の繁華街である「錦三」にあったそうで、元々は江戸時代、名古屋城防備のために移されたそうなのです。城下町にはそういう寺が結構ありますが、聖徳寺も由緒ある名刹だったわけです。

 錦三から7年前に移ってきたのは、あまりにも周辺環境が悪化したためだそうで、確かにあのあたりの土地を売り払ったのなら、今の立派な建物も納得がいきます。名古屋の前は岐阜にあったということで、創建は1200年頃ということですから、鎌倉時代初期です。親鸞(1173-1262)とほぼ同時代。どっちが先なのでしょう。最初から浄土真宗だったのかどうか、息子はもちろん取材していないのでわかりませんが、とにかく相当古いです。

 そしてこの寺には、僕のような「信長の野望」マニアの心をくすぐるエピソードがありました。戦国時代、斉藤道三と織田信長が会談した寺がこの聖徳寺なのです。道三の娘、濃姫が尾張のうつけ者と言われていた信長に嫁入りする前、この時初めて「婿殿」に会った道三が「わしの息子たちはいずれ信長の軍門に下るであろう」と予言したと言われる有名なエピソードの舞台。まさか「信長の野望」をプレイしながら、その歴史の舞台をこんな近くに見ていたとは。思わず「うーむ、寺に歴史ありだな」などと、つまらないことを感じてしまいました。

 と言うことで、以上、息子の宿題を手伝いながら自分が勉強してしまいました。新しいことを覚えるのは気持ち良いものです。もっとも、最後まで当の息子は「なんだかよくわかんない」という感じでボンヤリしていましたけどね。多分1週間もしたら、すっかり聖徳寺のことなんて霞がかかってしまって何にも覚えていないんだろうな、と思うと情けなくなります。  

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