幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 4月19日 ● ペットボトルは大人の哺乳壜。

 Mっちゃんはよく我々の間で「Mっちゃんの法則」と呼ばれる穴だらけの仮説を提案します。それは大抵の場合、1回の事例を元に強引に一般化されて作られるわけで、例えば今回の自民党総裁選で橋本龍太郎が有利ということから「日本ではアメリカやドイツと違って2つの選択肢があると必ず悪い方を選ぶ」という法則を導き出していました。もちろん、そういうMっちゃんの頭の中に、アメリカやドイツの政治状況がきちんとインプットされているわけではなく、単にそうだろうという思い込みだけで言っているわけです。

 Mっちゃんの大好きな女性関係ではこの法則が頻出します。例えば「目の細い顔の丸い太めの女の子は口説けば落ちる」という法則があり、理由は「目の大きい女の子は、相手のことが良く見えているから騙されない」からだそうです。最初は冗談で言っているのかと思いましたが、Mっちゃんの場合は経験に裏打ちされた本気の話です。それは単に目の大きなスラッとした美人には相手されなかった、というだけだと思いますが、そうは考えないところがMっちゃんです。

 僕たちがいくら「それは違うんじゃない」と否定しても、毎日のように次々とこの手の仮説を提案するMっちゃんも大したものだと思いますが、先日の仮説はちょっと反論できない説得力がありました。それは「ペットボトルを持ち歩く男は気が小さくて神経質で幼児性が強い」というものです。Mっちゃん曰く「ペットボトルを持って触っていると妙に落ち着く。これは神経質な男にとっての大人の哺乳壜であり、ペットボトルに安心感と気持ちのよりどころを求めているのだ」ということです。

 いつもは「そんなバカな」とMっちゃんの仮説を否定する僕たちも、こればかりは「うーん、そうかも知れない」と納得してしまいました。以前から僕もどうしてペットボトルをいつも持ち歩き、そう喉が渇くわけでもないだろうに水やお茶を飲むんだろう、と不思議に思っていました。我々広告業界、とりわけクリエーティブの世界では、このペットボトル派が特に目立ちます。そういう人たちの顔触れを見ると、確かに神経質で常に身構えているようなタイプの人が多い気がします。

 Mっちゃんの言うように、ペットボトルの手触りで安らぐのか、それとも口当たりが哺乳壜のようでココロの拠り所になるのか、それとも日頃からプレッシャーがかかっているから喉が渇きやすいのか、多分これらの要因が複合的に絡み合って、彼らはペットボトルから離れられなくなっているのだと思いますが、いずれにしてもMっちゃんの久しぶりのヒットです。「なるほどね」と僕たちが納得したものだから、Mっちゃんはもの凄く得意気な顔をしました。まあ中日のティモンズよりも打率は低いですから、たまには威張らせてあげないとね。

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