幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 3月24日 ● 天才は言語化できない。

 ジャイアンツの長嶋監督の言葉は、よく「長嶋語」としてネタになって笑われます。「バッティングのコツですか?来た球を打つんじゃなくて、ボールの中の芯を狙って打てばいいんです」と言ったとか「ピューと来たらパーン、だ」とコーチしていたとか、とにかく感覚的で全然理論的ではない、だから長嶋は天才だけど頭が悪いから監督としてはダメなんだ、というような理屈になってしまうようです。

 しかし、長嶋擁護論もあります。長嶋には長嶋なりの理論があって、ただそれが天才ゆえに凡人の言葉に置き換えることができないから「長嶋語」になってしまうんだ、と。天才の感覚を一番近い言語に直すと「ビューをバーン」みたいになってしまうということです。

 このあたり、どう突き詰めたところで天才ならぬ身には結局理解できないような気がします。例えばイチローと長嶋がバッティングについて真剣に語り合ったら、お互いに理解しあえるのでしょうか?イチローはマスコミに対し冷淡だと伝えられています。特に技術論なんて所詮記者にはわかってもらえない、と諦めているらしく、それらしい皮肉を時々言っているのを読むことがあります。そういう意味では、何とか言葉にして凡人にも説明しようとする長嶋の方が、はるかに親切だしマスコミを大切にしているのでしょう。

 僕のそばにも似たような人間がいます。T西という会社の後輩で、こいつはテニスでは学生時代にかなりの成績を残した男なのですが、僕たちにテニスの技術を説明する時に、どうしても「長嶋語」に近くなってしまうのです。「ボレーはですね、こうボールが飛んできたところにラケットを出して、そのままバーンと当てれば飛んでいってくれるから簡単なんですよ」とか言われても、その通りできたら苦労はありません。

 昨晩も一緒にテニスをした時に、「クリタさん、サーブのスピードを上げるにはですね、こう上にラケットが来た時にこれくらい(15〜20cmくらいのようです)グッと前にラケットを押すんですよ、そうするとヘッドスピードが上がるから速いサーブが打てます」と言われたのですが、サービスを打つときに、そんな器用なことできません。T西にとっては感覚的に簡単にできることなのでしょう。彼の中ではボールを打つときの感覚がもしかしたらセンチ単位で感じ取れるのかも知れません。でも僕たち凡人には、そこまで鋭いセンサーはないのですから、どうしようもありません。

 長嶋のバッティングの感覚、また古くは「ボールが止まって見えた」川上哲治の感覚など、天才の感覚というのは、やはり凡人に言語化して伝えることは極めて困難な作業なのでしょうね。言い換えれば天才は凡人を教えられない、凡人をコーチするには努力して成果を上げた凡人が一番である、ということです。逆に凡人が天才を教えるのも無駄な努力を強いることになりそうです。まあ天才は教えられなくてもできるから天才なんですけどね。

とりあえず、読むたびに(1日1回)


を押してください。 日記才人という人気ランキングに投票されます。
初めての方は、初回のみ投票者登録画面に飛びます。
結構更新の励みにしていますので、押していってくださると嬉しいです。


この日記をマイ日記才人に登録する

前日翌日最新今月