幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 3月10日 ● 恩師が退職する。

 今月限りで僕の小学校5〜6年の担任だったY先生が退職します。僕にとって「恩師」と言えばこのY先生のこと、というほど影響を受けた人でした。

 いつも人に言うと驚かれるのですが、僕は小学校4年生までは真面目で引っ込み思案で人見知りの激しいシャイな生徒でした。授業中、答がわかっていても手を挙げることもできず、もちろん人前で話したりするのは大の苦手。通知表には毎回「もっと積極性を」「リーダーシップが取れるようになって欲しい」などと書かれていましたが、自分ではとてもとても、と思ってますます人の陰に隠れるような生徒でした。

 ところが5年生になって、それまでずっと女性だった担任が、当時30才そこそこで「おふざけ盛り」のY先生になりました。Y先生はとにかくユーモア好きで、いつも授業中に生徒を笑わせることに熱中していました(そう僕には思えるほど脱線だらけの授業だったのです)。当時流行っていた「ピンポンパン体操」を授業中に踊ったり、「タイガーマスク」を熱唱したり、札幌オリンピックの話題になったり。

 僕は学校の授業がこんなことで良いのか、と最初は唖然としていましたが、多分Y先生と僕の波長が合ったのでしょう。それまで授業中下を向いて黙っていた僕が、積極的に挙手をするどころか、先生に負けじと一緒にふざけるようになってしまったのです。特に先生の授業に間髪を入れずに茶々を入れるのが得意技で、これだけはクラスの誰にも負けないと言う自負を持っていました。

 気がつけば僕は人前で話すことに臆するような人間ではなくなっていて、それどころか「ふざけている」「出たがり」という評判さえ立つほどになっていました。当然、男友達は増えましたが、その代わり女子からの人気は一気に下降線を辿りました。シャイでジェントルな優等生が、いきなりバカばかりやっているお笑い系に走ってしまったのですから仕方ありません。今ほどお笑いに人気のなかった時代ですからね。

 ともあれ11才にして180度人格の方向転換を図った僕は、その後「仕切りたがり」という特性も身に付け、今では幹事役を生業としています(←仕事なのか?)。当然、恩師が退職ともなれば、記念パーティのひとつも開かなくてはなりません。と言うことで、Y先生を囲む6年3組のクラス会を開くので、これを読んでいる同級生諸君はそのつもりでいるように。多分時期はゴールデンウィークです。よろしこ。

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