幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 2月7日 ● 古地図の楽しみ。

 僕は結構年季の入った地図好きです。幼稚園の時に中学校で使う地図帳を貰って飽かずに眺めていたのがその基礎となり、小学校からずっと地図大好き少年。小学校2年ですでに日本の都道府県名と県庁所在地は諳んじていて、6年生では「地理博士」の異名をとり、高校3年の時には代々木ゼミナールの共通一次模試において、地理Aでぶっちぎりの全国1位獲得。これは勉強ができたということではなく単に地図マニアであった成果でした。いわばクイズで優勝したようなものです。

 もっともそんなマニアぶりもオトナになるにつれて日常のあれこれに紛れて しまい、最近ではすっかりただの地図好きオジサンに落ち着いていたのですが、先日来はまっていたゲーム「大航海時代4」から、また地図好きの血が騒ぎ 始めてしまいました。

 帝国書院が出している「地図で訪ねる歴史の舞台」という地図帳があります。これは学校で使う地図帳に、歴史上の事件などが重ねられていて、なかなか地理と歴史が好きな人間には面白い地図に仕上がっています。「日本」と「世界」の2冊あって、「大航海時代」もこの地図帳を片手にプレイするとまた趣が格別です。現代の地図帳には載っていない古い当時の交易港などが記されているので、なるほど、なんて地図で確認してうなずきながらプレイできます。

 昨日松坂屋の書店で見つけたのが古地図フェア。と言っても、もちろん高値がつくような本物の古地図ではなく大量印刷された複製ですが、江戸時代から昭和初期まで、いろいろな古地図が揃っていて、思わずひとつひとつ眺めてしまいました。で、どうしてもひとつ欲しくなって購入したのが「昭和八年 名古屋全図」(定価2625円)。まだほんの70年ほど前、一番現代に近い地図だけに、当時と今の都市の変化が地図を見ているだけで手に取るようにわかります。

 現在大きな公共施設になっている場所は、当時は大抵軍事関係の施設でした。昭和8年という時節柄もありますが、本当に軍が一等地に広大な敷地を占有していたことがわかります。現在旭丘高校のある場所が陸軍所轄地で、陸軍墓所に隣接していたのは母校のことながら知りませんでした。在校中も幽霊が出たという噂は聞きませんでしたけどね。そうそう、吹上公園が元は名古屋刑務所だったというのも初めて知りました。

 学校は名前を変えながらも意外とずっと同じ場所にあることも見て取れます。いま明和高校がある場所には愛知一中、名市大は八高、県大は熱田中、市工芸高の場所には第一師範学校がありました。それぞれ系譜をひく学校ではなくても、やはりその場所には学校を設置するというあたりが面白いです。

 池や川がどんどん埋め立てられてしまっていることも確認できました。杁中の旧日本福祉大、現杁中スカイタウンのところなんて、昔は隼人池より大きな池だったようです。そんなところに大きなマンションを建てて、地盤が緩いのではないかと心配になります。そうそう、今は「栄四丁目」とか「丸の内三丁目」などというつまらない地名になっているところも、昔は生活感ある町名がついていました。長者町、呉服町、茶屋町、魚町、八百屋町、桶屋町、針屋町、鍛冶屋町、鉄砲町、蒲焼町。下町らしくて楽しくなってきます。

 僕の父は昭和5年生まれ。この昭和8年の名古屋で実際に幼児として生活していたのです。今度実家に帰った時に、父にこの地図を見せてやろうと思っています。思わぬ昔話が聞けそうな気がします。

とりあえず、読むたびに(1日1回)


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