幹事クリタのコーカイ日誌2000

 
 10月12日 ● ノーベル賞の有難味。

 白川英樹筑波大名誉教授がノーベル化学賞を受賞することが報道され、一躍時の人になりました。これまで世間的には全く無名と言っていい人が、これだけパッと有名になってしまうと、多分生活が激変して大変でしょう。報道によれば、筑波大を退官後はのんびり畑仕事しながら悠々自適、という生活だったようです。ご本人の性格はわかりませんが、あまり出たがりではなさそうな感じに見受けられるだけに、ストレスも相当なものになるんじゃないかと心配になってしまいます。

 それにしてもノーベル賞は相変わらず有難味が大きいようです。僕が物心ついた時には、日本のノーベル賞受賞者と言えば、湯川秀樹、朝永振一郎の京大学友コンビだけでした。とにかく世界で一番頭の良い人が貰える賞、というのが子ども時代のノーベル賞へのイメージでした。

 1968年、僕が7才の時に川端康成が文学賞を受賞、さすがに7才では川端作品を読んだことはありませんでしたから、きっとこの人も頭の良い偉い人に違いない、ということで納得していました。さらに1973年には江崎玲於奈が物理学賞を受賞。江崎ダイオードという言葉は、この時初めて知りましたが、とにかく難しそうな理論で受賞したのですから、12才の僕も「すげぇなぁ」と感心しているばかりでした。名前の奇妙なところもまた「さすがノーベル賞を貰う人は違う」なんて思ったものです。

 ノーベル賞に初めてケチがついた(?)のが、翌年1974年に佐藤栄作が平和賞を受賞した時です。沖縄返還を成し遂げたから、というのがその理由だったと思いますが、さすがに中学生の僕でも「なんで?」と感じました。それまでのノーベル賞のイメージからはほど遠いところに佐藤栄作という人はいましたからね。あの時、急に「ノーベル賞も大したことないな」なんて、僕だけじゃなく日本人全体が思った気がします。

 その後、福井謙一、利根川進と連続して自然科学系の受賞が続き、少しホッとしたところで大江健三郎です。これまたちょっと政治的なニュアンスを感じずにはいられません。その前に井上靖が毎年、今年こそノーベル賞なんて騒ぎになっていましたし、確かに大江健三郎は偉大な日本の作家なのでしょうが、彼が貰えるなら他にも、という気がしないではありません。

 同じノーベル賞と言っても、物理学、医学生理学、化学の自然科学系は素直に称賛を浴び、必要以上に神格化されます。経済学賞は日本人ではまだ出ていないのでわかりませんが、文学賞となると、もちろん称賛はされますが、どこか素直に認めていないようなところも一部にあります。平和賞はみんな胡散臭いと思っている場合が多々あります。例えそれがマザー・テレサであっても国境なき医師団であっても、全ての人が素直に認めているかどうかというと微妙です。

 この違いはどこから生まれるのかというと、もちろん政治的なニュアンスが強くなるほど胡散臭くなるということもあります。しかし、実はそれ以上に大きいのは「わかるかどうか」だと思います。とにかく最先端の自然科学は一般人には理解不能な世界です。今回のように「電気を通すプラスチックの発見開発をした」ということなら、全くの素人にもボンヤリと功績がわかるのですが、過去のノーベル賞の受賞理由は、いくら聞いたところで普通はちんぷんかんぷん。だからこそ、手放しで誉めるしかないということになります。

 その点、文学賞や平和賞はケチをつけやすい賞です。我々にもその功績がわかりやすいし、「だったらこっちはどうよ」という対案すら出せます。ノーベル賞の選択に疑問を持つことができるのは、それだけ文学賞、平和賞は裾野の広い世界を相手にしているからに他なりません。だったら、この2つはノーベル賞から外して、本来の自然科学系の賞にのみ絞ってはどうでしょうか。やっぱり佐藤栄作は未だにノーベル賞に馴染まない気がするもんですからね。

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