幹事クリタのコーカイ日誌2000

 
 5月5日 ● 会社に背を向け、子どもと向き合おう。

 先日の関西テニスMLチームとの交流戦に、我々のサークルから参加していた会社の先輩Mさんが、高校2年生の息子さんを連れてきました。まだ体つきは線が細くひ弱い感じでしたが、さすがに中学から4年以上テニスをしているだけに、キレイなフォームから筋の良いボールを打ちます。あれで筋力がついてきたら、我々オジサンプレーヤーではとても太刀打ちできないことでしょう。

 Mさんは東京に単身赴任しています。「中学からやっているのに全然うまくならん」なんて文句を言っていましたが、親子でストロークを打っている様子は満更でもなさそうで、いろいろ技術論・戦術論なども二人で話し合っているようでした。端から見ていても、私立の進学校に進み、さらに自分の好きなテニスを選んでくれた息子のことを、口とは裏腹に結構嬉しく思っていることがよく伝わってきました。

 5000万円恐喝事件、豊川の主婦殺人事件、九州の高速バス乗っ取り事件。最近の10代の起こす事件は、大人の理解をすっかり超えています。自分たちが若い頃は、なんてしたり顔で言っても何の役にも立たないし、年寄りがしばしば言い出す「軍隊に放り込んで性根を叩き直せ」的な精神論も解決にはなりません。少年法を改正しろ、という論議も果たして本当に罰を厳しくすることに実効があるのかどうか、性急な結論を出すべきではないと思います。

 先ほど挙げた3つの事件も、10代の犯罪という風にくくってしまわずに、個々に見れば全く違う背景を持つ事件であることがわかります。ただ、ひとつ共通しているのは、どうやら全ての事件で親の、特に父親の存在感が薄いらしいということです。もちろんこれも少ない報道からの憶測に過ぎませんから、今後の調査が進むのを待つしかないのですが、父親と子どものコミュニケーション不足が、事件の奥に重要な鍵としてあるのではないかと僕は直感しています。

 と言うのも、最近の中高生(大学生まで含めてもいいのですが)の社会性の希薄さ、見通しの甘さ、客観視できない幼さ、それらは全て父親が子どもに教えるべきことを教えていないからではないかと思えるからです。もちろんその責任は父親だけにあるのではなく、学校や社会全体も「勉強さえしていればいい」という単眼的な物の見方を押しつけているような気もしますが、それでも子どもに対する一番の責任は親にあることに変わりありません。父親は子どもを教育する義務があるのです。

 ところが未だに日本の会社というのは不思議なところで、妻や子どもとディスコミュニケーションであることを自慢するような風潮があります。休日出勤を拒否して妻子と過ごす、また平日でも残業などせず、また「ノミニケーション」などというものも拒否して、さっさと家に帰って家族と過ごすようなサラリーマンは、上司の覚えが悪く出世できないことは誰もが知っています。もちろん最近の20代・30代の社員には、仕事よりも家庭という人も増えましたが、40代以上の仕事観・家庭観は相変わらずですし、また今さら変えられない、手遅れだと思っている人が大半だと思われます。

 しかし、冒頭のMさんのように、単身赴任しながらも何とか子どもと共通の話題を持って関わろうと努力している人もいます。もちろん、それで全てが解決するわけではないでしょう。また、じゃあ父親がいない家庭の子どもはみんな事件を起こすのか、などと短絡的に絡まれても困ります。それに子ども本人の資質が最後はモノを言うこともわかってはいますが、それでもお父さんが会社に逃げ込んで、教育の責任全てを奥さんに預けてしまえば済んだ(と言うか、済んだ気になっていた)時代は終わったのです。それに、例え家庭を放り出して出世しても、子どもが犯罪を起こせばどうせ全ては水の泡です。だったらみんなちゃんと家に帰った方がいいと思いますけどね。

 僕も偉そうに言えるほど子どもと遊んではいませんが、会社から早く帰ることだけは実践しています、って、それじゃあただ出世できないだけかな。


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