幹事クリタのコーカイ日誌2000

 
 4月21日 ● 大衆文化の成熟か停滞か。

 小学5年生の息子が最近ちばあきおの『キャプテン』を熱心に読んでいます。友達から借りたらしいのですが、かなりはまっているようで「いつまでマンガ読んでるの!」と妻にしょっちゅう叱られています。

 『キャプテン』は1970年代の傑作野球マンガです。僕が小学生の時に連載が始まったのですから、もう四半世紀以上前の作品なのですが、それが未だに現役小学生の心を捉えるのですから、いかに色褪せない優れた作品であるかがわかろうというものです。

 僕たちが小学生の時代から四半世紀前のマンガと言うと1940年代。手塚治虫のごく初期の作品を除けば、『のらくろ』とか『フクちゃん』とか『冒険ダン吉』と言ったいかにも戦前戦中の臭いがする作品群になってしまいます。1950年代後半になってようやく横山光輝『鉄人28号』や寺田ヒロオ『スポーツマン金太郎』あたりが登場するわけですが、彼らにしたってすでに1970年代には相当古臭いマンガ家でした。あの巨匠・手塚治虫すら、自分自身の古さを強く意識して作風を変えていた時代だったのです。

 では1970年代、小学生から中学生だった僕たちが当時読んでいたのはどんな作品かと言うと、ちばてつや『おれは鉄兵』とか小山ゆう『がんばれ元気』、水島新司『ドカベン』、永井豪『デビルマン』、山上たつひこ『がきデカ』、竹宮恵子『風と木の詩』、大和和紀『はいからさんが通る』、美内すずえ『ガラスの仮面』、池田理代子『ベルサイユのばら』など。他にも数え挙げればキリがありませんが、今でも十分にその面白さが通用するような(中には未だに連載が続いている作品もあります)作品が数多く登場しています。

 そうやって考えると、1940年代から1970年代への進化と、1970年代から2000年代の今への進化とを比べたら、マンガの世界はすっかり成熟した感がします。この四半世紀、マンガは細かい差別化を図ってきただけで、基本的な構造自体は1970年代に完成されてしまったと言えるのかも知れません。

 同じことはポピュラーソングにも言えます。1940年代のヒット曲、例えば『湯の町エレジー』とか『人生の並木道』とか『青い山脈』とかは、1970年代にはすでに懐メロとしてしか価値がない歌でした。いや、1960年代の『黒い花びら』とか『有楽町で逢いましょう』『高校三年生』『いつでも夢を』だって、僕たちには十分過ぎるほど古臭く感じました。たかだか当時から10年前の歌なのにです。

 今、10年前の歌はどうでしょうか?例えば『浪漫飛行』、『真夏の果実』、『世界で一番熱い夏』。もうB'Zもドリカムも森高千里も小室哲哉もデビューしているのが10年前です。全く古臭くはありません。20年前、『守ってあげたい』『赤いスィートピー』『クリスマスイヴ』。まだまだ現役バリバリです。サザンやユーミンがデビューしたのはもう四半世紀前。マンガ同様、こちらもこの25年ほど、ほとんど風景が変わっていないのです。

 僕たちの世代と親の世代の間には、明らかに文化的断絶がありました。フォーク・ロック世代と古賀メロディでは相容れることは不可能でした。しかし、僕たちと今の子どもの世代では、文化的連続性がかなり保たれています。同じような音楽を聴き、同じ作家のマンガを読み、同じようにテレビの前でゲームに興じる。大衆文化は成熟しているのか、停滞しているのか、その線引きは難しいところですが、このまま2000年代も、何となくこういう状況が続いていくのはないかと思います。良いことか悪いことかはわかりませんが、少なくとも親子間でのコミニュケーションは楽ですけどね。

 
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