幹事クリタのコーカイ日誌2000

 
 3月23日 ● 国歌がイヤなのか「君が代」がイヤなのか。

 卒業シーズンということで、あちらこちらの学校で君が代斉唱問題が起こっているようです。うちの娘の幼稚園の卒園式でも今年から君が代を全員起立して歌いました。幼稚園児が声を合わせて君が代を歌う姿は、なかなかおぞましいものがあります。僕だけではなく、参列した親の多くがそう感じているのは見て取れました。歌っている親が3割、しかめっ面している親が4割、残りの3割は無表情という感じでしたからね。

 君が代を歌わないことに対して「愛国心」どうのこうのと言われます。君たちは日本が好きじゃないのか、と単刀直入に言う人もいます。こんなに国歌を愛していない国民は日本人くらいだ、と慨嘆する声も聞こえてきます。しかし問題は「国歌」にあるのではなく「君が代」にあるということを、こういう意見を言う人たちはちゃんと考えて言っているのでしょうか。

 君が代を強制的に歌わされることに抵抗感を持つ人の多くは、日本が嫌いなわけではないし、多分国歌を歌うことが嫌いなわけでもないと思います。嫌いなのは君が代の、特に歌詞が嫌いなのです(まあ曲も古臭いとは思いますが)。僕は天皇制廃止論者ですが、例えそうでなくても、どうして主権在民を唱える憲法を持つ国が、天皇家崇拝ソングを国歌としなければならないのか、という疑問は多くの人が持つことでしょう。天皇の世が永久に続くことを国民みんなで願うなんて、それでは日本は民主国家ではなく君主国家ではないか、ということが根本的な君が代拒否の理由なのです。

 君が代を残したければ、それは天皇家の歌として天皇誕生日にでも歌えば良いわけで、国歌はきちんと日本や日本国民を称える歌にすれば良いはずです。そこを敢えて曖昧にしたままで国歌問題を論じるから、余計に議論がすっきりしないのだと思います。

 国という組織がある以上、国歌もあって良いでしょう。ただしその国歌は国情に合ったものでなければ無意味です。でなければ、誰も好んで歌いたがらないからです。そして、歌いたくない歌を強制的に歌わせるのは基本的な人権を無視した話です。国歌を歌わせたかったら、まず国民みんなが喜んで歌いたくなるような愛される国歌を作ることです。歌なんて自発的に歌ってこそ本来の意味も力もあるのだと思いますが。

 
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