幹事クリタのコーカイ日誌2000

 
 3月19日 ● 失われた「名大関」若乃花。

 「お兄ちゃん」と呼ばれて相撲界の人気を盛り上げてきた横綱若乃花が引退しました。すでに昨年秋場所、負け越した時に引退を決意していたように見受けられただけに、周囲の勧告でここまで退き際を引き延ばされて見ていても気の毒でしたが、これでようやく本人もホッとできたことでしょう。

 そもそも大型化の一途を辿る相撲界において、若乃花があの体で綱を張るのは相当にしんどいことだと思います。天性の運動神経と相撲勘をもってしても、なかなか体力差をカバーできるものではありません。それでいながら5回の優勝を数えることができたのは、ひとえに弟・貴乃花を守ろうという気力でしょう。それが兄弟の不仲と本人の故障続きでプッツリと気持ちが切れてしまった以上、もはや若乃花が横綱の体面を保つような相撲を取り続けることは不可能でした。横綱在位わずか11場所という短命に終わってしまいましたが、ある意味横綱に昇進した時点でそれは彼に定められた運命のような気もします。

 父・貴ノ花は大関在位50場所を保った名大関でした。父を尊敬する兄弟にしてみれば、弟が横綱になって父を超えてしまった以上、兄は父と同じ大関に昇進したことで十分にもう責任を果たしたと感じていたことでしょう。後は父と同じように「名大関」と呼ばれる存在であれば満足できたのではないかと推察されます。そして実際、大関時代の若乃花は「名大関」というに十分な相撲を見せていました。

 それがなぜか2場所連続優勝して横綱に昇進してしまいました。相撲人気が落ちてきていただけに、若乃花の横綱昇進を期待する声が高かった、そんな時代が、若乃花を上へと押し上げてしまったのかも知れません。当時の若乃花の戸惑いは「横綱と呼ばれるよるもお兄ちゃんと呼ばれたい」というコメントによくあらわれています。屈託なく頂点を目指した貴乃花と違って、決して若乃花は強く横綱を望んでいたとは思えませんでした。

 もちろん、仮に若乃花が大関のまま相撲を取り続け、そしてもう数年先に引退をしたとしたら、その時にはきっと「短命でも良いから若乃花の土俵入りを見てみたかった」という声が必ずや上がったと思います。人がいつかは必ず死ぬように、引退しない力士もいません。早い遅いの違いはあれ、どうせ引退するのなら、横綱として土俵生活を終えることができたのは幸せなのかも知れません。ファンとしては「名大関」を一人失ってしまったことに感傷が残りますが。

 
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