幹事クリタのコーカイ日誌2000

 
 3月18日 ● お母さんの一番泣く日。

 父親が泣くのは娘を嫁に出す時と相場が決まっていますが、母親がこぞって泣くのが幼稚園の卒園式。自分の分身のように思って育ててきた子どもが、初めて「巣立ち」の儀式を行う時だからです。特に初めての子ですと、これまでの苦労が大きかった分だけ感動も大きいようで、こみ上げてくる涙を止めることができないとか。もっとも父親の方は、ビデオを回しながら内心ではこれでようやく金のかからない公立小学校に行ってくれるとホッとしていたりするのですが(お受験して私立へ行かせる親御さんは大変だなぁ)。

 うちの娘もようやく卒園式を迎えました。体が大きいばかりに、ついついもう学校に行っているような錯覚をしてしまうほどなのですが、中身はやっぱり幼稚園。手もかかるし困らせてもくれます。娘は上の息子と4才違いで同じ幼稚園に通ったので、合計6年も妻はこの幼稚園に子どもを送り出し続けてきたわけで、やはりそれなりに感慨があったようです。

 それに卒園式って、妙に泣かせるようなことばかりするんですよね。そもそもいろいろな場面で使われる歌の歌詞が「忘れないよ」とか「いつまでも」とかなんとかクサイ言葉のオンパレードな上、卒園証書も園長先生から受け取ったら、それを舞台下で待っている母親に「ありがとう」と言って渡すとか、そんなイベントが事細かに組み込まれているんです。涙腺の脆い母親なんて一発で泣き出してしまいます。

 僕はと言えば、卒園式が終わったら仕事に戻るつもりだったので、感慨に耽っている余裕はありません。写真を撮ったら後は「早く終わらないかなぁ」といらいらしながら式典とそれに続く父母による「感謝の会」を見ていました。

 で、あんまり暇なものですから、ついつい平日なのに来ている父親の職業を推理したり、よその子どもの顔と親の顔を見比べて、どちらに似ているか配合具合を観察したりしていました。まあ周りがあまりにも感激して涙ぐんでいるために、かえってこちらの気持ちが引けてしまったということもあるんですけどね。「感動の名画」と前宣伝の高い映画だと、最初から構えてしまって妙に泣けないのと同じです。

 とは言え、やはり娘が幼稚園を終えるということに感慨がないわけでもありません。3年前は野山を駆け回る幼児教室に1年間放り込んでいたために、野生児のように育っていた娘が、それなりに社会性を持ち得たのは幼稚園の教育のお陰だと思っています。自然の中で遊ぶ、というと、郷愁を誘うせいか親には妙に受けが良いのですが、やはり教育というのはある一定の枠の中に人をはめていく作業だと思いますから、僕は幼稚園で最低限の「調教」をして貰わないと小学校で困ると思っていました。父親はどうしても息子に比べて娘には甘くなってしまうので、そういう意味では幼稚園教育の有り難さを改めて痛感しました。

 
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