幹事クリタのコーカイ日誌2000

 
 3月2日 ● 伝統という名の非合理。

 アメリカの6才の男児が女児を銃で撃った事件は衝撃的でした。どうして6才の子どもが銃を持ち出せたのか、一体どういう管理をしているのか、ということもありますが、なにより6才でも人を殺すことができる銃の持つ力と怖さを、改めて見せつけられたことがショックです。

 かつてアメリカ留学中に誤って射殺された服部剛丈くんは僕の高校の後輩にあたります。あの時も銃の規制についての論議が盛り上がりましたが、結局はアメリカの保守派が「銃文化はアメリカの伝統だ」みたいなことを言って結局野放しのままでした。それが最近よく起こる高校生の銃乱射事件につながっているのだと思いますが、とうとう高校生どころか6才の子どもの射殺事件です。これでもまだアメリカは銃文化という伝統を守ろうとするのでしょうか。銃さえなければ、子どもが子どもを殺すというような悲劇は起きなかったというのに。我々日本人から見ると、なんと愚かしい伝統だろう、と思えます。

 果たして一緒にして良いのかどうかとは思いますが、愚かしい伝統と言えば、相撲協会は今回も女性を土俵に上げることを阻止しました。太田府知事があっさりと土俵を割ったのにはがっかりしましたが、女性蔑視という声を相撲協会があっさりと寄り切ってしまったのにも驚きました。

 いま大相撲は大ピンチです。土俵上はマンネリ、外では板井の八百長発言。人気はずっと下降線を描き続け回復の見込みはありません。内憂外患とはまさにこのことです。それなのに多くの女性ファンを敵に回してもまだ守ろうとする伝統にどんな意味があるというのでしょうか。

 理屈は明らかに女性側にあり相撲協会にはありません。女性が土俵に上がって相撲を取ろうというわけではないのです(僕はやりたければ女性が相撲を取ってもいいと思っていますが)。所詮はセレモニー。大したことではありません。大したことじゃないからこそ、余計な敵をこれ以上作る必要はないと思うのです。愚かしい伝統に固執して、さらに墜ちていくことはありません。府知事を土俵に上げて女性ファンを増やすことはあれど、失うものなど何もないのですから。文句を言う一部の頑固な年寄りファンなど、どうせ相撲からは死ぬまで離れられないんだし、そもそもこの先そう長くは生きちゃいないんですから。

 伝統を守るというモチベーションのほとんどは合理的判断ではなく、感傷にすぎません。かつて日本柔道界がカラー柔道着を伝統の名の元に拒否し続けましたが、あの時も理屈は日本にはありませんでした。ただ柔道着は白と昔から決まっている、というだけのことです。

 長年にわたって守られてきた伝統というものは確かにひとつの文化です。しかし、その伝統を守るために人を犠牲にしたり不快にさせるのは愚かです。我々は伝統の奴隷になってはいけません。伝統はあくまでも人にために存在するものだということを、改めて心にとどめておきたいと思います。

 
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