SWEET AND SOULFUL SOUNDS (RIVERSIDE)

BOBBY TIMMONS (1962/6/18,19)

SWEET AND SOULFUL SOUNDS


【パーソネル】

BOBBY TIMMONS (p) SAM JONES (b) <#1,2,4-6,8> ROY McCURDY (ds) <#1,2,4-6,8>
【収録曲】

(01-03) THE SWEETEST SOUNDS / TURN LEFT / GOD BLESS THE CHILD
(04-06) YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO / ANOTHER LIVE ONE / ALONE TOGHETHER
(07-08) SPRING CAN REALLY HANG YOU UP THE MOST / WHY WAS I BORN?

【解説】 (2008年12月21日更新)

 今日は “” について考えてみたいと思います。 ふと思いついただけの話で、特に深い理由があっての事ではないんですが、もうすぐクリスマスですな。 クリスマスと “麩のすまし” は、ちょっとだけ似ているような気がします。 そこで “麩のすまし” というキーワードでサイト検索してみたところ、どうもこれといった成果が得られなかったんですが、もしかして、みんなのところでは麩を “すまし” にして食べていなかったりするとか? そもそも “すまし” という言葉自体、他の家では通用しないのではないかと、ふと自信を喪失したりもしたんですが、 “すまし” というのはアレです。味噌の入ってない味噌汁みたいなものです。味噌汁と違って澄んだ色をした汁なので、さば家ではもっぱら “すまし” と呼ばれているんですが、世間では “すまし汁” とフルネームで呼ぶのが普通なんですかね? あるいは “吸い物” という呼び方もあるようなんですが、僕はこのネーミングにはちょっと疑問を持っております。恐らく、吸って飲む物だから “吸い物” なんでしょうが、そんなこと言うなら、味噌汁だって、コーンポタージュだって、理研のわかめスープだって、基本的には吸って飲む物だったりしますよね。スープをズズっと吸って飲むというのはマナー違反ではないか?…という人もいるかも知れませんが、欧米人に何と言われようと、スープを吸って飲むという点だけは譲れません。このまま一生、ズズっと音を立てながら死んでいくことになるのではないかと思われます。

 話の流れから “麩” について考える前に、まず “吸い物問題” をクリアにしなければならなくなりましたが、どうして世の中にたくさんある “吸って飲む食べ物” のうち、いわゆる “すまし汁” だけが “吸い物” と呼ばれるようになったのか? この問題は非常に底が深いように見えて、話は意外と簡単なような気もします。 恐らく、世の中に “吸い物” という言葉が生まれた頃、世の中に吸って飲む食べ物は “すまし汁” くらいしか無かったんでしょう。味噌もポタージュも、発明されたのはずっと後だったのではないのでしょうか。 考えてみれば “すまし汁” なんてのは海水に昆布とかワカメなんかを放り込んで火にかけてやれば、それで出来ちゃうわけですもんね。 三ケ日人や牛川人あたりでも思い付きそうな、非常に原始的な料理であると言えそうです。

 とまあそんなことで、吸い物問題は解決。 わざわざ問題としてとりあげる程のこともない些細な話でありましたが、名前の由来はともかくとして、調べてみると “吸い物” というのはああ見えて、意外と奥の深いヤツであることが判明しました。 たとえば吸い物の中に浮かんでいる、具。 あれを正式には何と呼ぶか知ってますか? 僕は知りませんでした。 具、やろ?…とか思っていました。 が、それは間違っておりました。 具でなければ、貝なのか?…というと、それも違ってます。吸い物の具としてハマグリを入れたりすることもあるんですが、あの投入された貝は具ではなく “椀種 (わんだね) ” と呼ぶんだそうです。アレが椀種だったとは、スティービー・ワンダーだって知らなかったのではないかと思うんですが、椀種としては豆腐、ゆば、麩、はんぺん、魚介類などが使われるそうです。…って、あ、やっぱり、麩、入ってるやん! どうやら吸い物に麩を入れるという行為そのものは問題でなく、 “麩のすまし” と略称で呼んでいたのがちょっとまずかったようです。 さば家が世間から大きく外れた暮らしをしていたというワケではなかったんですな。ちょっと安心しました。

 で、汁に椀種を入れさえすれば、それで吸い物になるのかというと、話はそう簡単ではありません。 “つま” と “吸い口” 。 あとこの二つの要素が必要となります。 “つま” というのは椀種を引き立て、鮮やかな色彩を添えるものである。汁を濁さず、口当たりのよいものを選ぶ。 ( Wikipedia より引用 ) とのことなんですが、あ、リンク先を見てはいけません。 そんなことをすれば、今日のこの原稿がまるっきりの盗用であることがバレてしまうんですが、そうですか。 “つま” というのは汁を濁さないことが大切なんですな。 確かに吸い物に多度豆を入れたりしたら、きな粉が溶け出してめっちゃ汁が濁っちゃいそうですもんね。 それではたとえ、吸い物としての矜持を保てたとしても、とても “すまし汁” とは言えなくなります。ミツバ、ナメコ、ジュンサイ、小松菜。 ま、そういったところが無難でしょう。 で、最後は “吸い口” なんですが、いくら吸い口だからといって、吸い物に こんなの を入れてはいけません。 それは日立掃除機の吸い口やがな!…と、ツッコミを入れるにはいいんですが、吸い物に入れて美味しいものではありません。というか、食えません。汁さえ濁らなければ何でも入れていいという物でもないんですな。これでまた吸い物について、ひとつ賢くなりました。

 ちなみに、さば家で供される “麩のすまし” には、吸い口もつまも入っておりません。麩のみ。オンリー麩。 ま、水前寺のりとか別に好きでもないし、食ったこともないので、別に入ってなくてもぜんぜん大丈夫なんですが、問題はその唯一の具である麩に、まったく魅力が感じられないところにあります。地味ですもんね、麩。 すましの底に沈んでいる麩はフニャフニャしているだけで、まったく歯応えというものが感じられないし、味はと言えばただ汁の味がするだけで、麩そのものには何の味もありません。 麩、いらんのとちゃう?…と思わずにはいられませんが、食材としてあまりにも華が無さ過ぎるような気がします。 ま、麩の中にも “花麩” などという、ちょっぴり華のあるタイプもあったりするんですが、食べてみるとただ麩が花のような形をしているだけで、結局のところは麩の味しかしないんですよね。麩は日本料理の歴史における負の遺産としか思えないんですが、そんな麩に対して否定的な僕も、ちょっとだけ好きなタイプの麩があります。 “麩菓子” というのがそれです。生麩を使った高級な和菓子の麩菓子ではなく、焼き麩に黒砂糖をコーティングした駄菓子のほうの麩菓子。あれはちょっと好きだったりします。パリっとフニャの中間のような食感が悪くありません。特に両端の部分がカリカリしていて甘みも濃くて、美味ちい♪めっちゃ美味しい♪ それに比べて中間の部分はほとんど味がなくて、今ひとつ。 どの家庭でも子供がよく “麩菓子のふーちゃん” の真ん中部分を食い残すので、仕方なく吸い物の具に流用したりしているようですが、全体が両端である麩菓子というのがあったらいいんですけどね。 が、それだと食べているうちにクドくなってくるような気もするし、あの真ん中の味の薄い部分が、実は麩菓子の真髄だったりするのかも知れません。

 というのが僕が麩に対して持っている大まかなイメージなんですが、世の中にはもうひとつ “角麩” と呼ばれるタイプの麩もあります。東京には “ちくわぶ” というのがあるらしく、ちくわ好きの僕としてはちょっと気になっているんですが、桑名では見掛けた事がありません。 いや、熱心に探せばどこかに売られているのかも知れませんが、そこまでして食べたいとも思わないので、熱心に探したことがありません。僕はちくわが好きなんですが、だったら普通に普通のちくわを買って食べれば、それで済むわけですからね。 聞いたところによると、何でも“ちくわぶ”に “ちくわ” や “麩” を期待しては駄目なんだそうで、 “うどん” や “すいとん” のようなものだと思っておけば、それなりにアレなんだそうですけど。 となると、角麩でも十分にその代役が務まるようにも思えます。 ちくわ好きの僕としては、形がちくわでは無く、ただの角ばった形であるところがちょっと残念ではあるんですが、食感は似たようなものではないかと推測されます。味もおそらく似たようなもの、というか、味がないところも共通しているのではないかと思うんですが、全国各地で普通に食われているものだと思っていた角麩って、実は名古屋近辺だけで食われているものだったんですな。ちっとも知りませんでした。 さば家では “すき焼き” の翌日は必ず、残った汁で角麩を煮て食うというのが定番になんですが、名古屋近辺以外の地域では、すき焼きの残り汁でいったい何を煮ているんですかね?サバ?もしくはコンニャク? いや、さば家ではサバの味噌煮を作った残りの味噌でコンニャクを煮たりするんですが、何だかコンニャクがサバ臭くなってしまって、“角麩のすき焼き残り汁煮” とは比べ物にならないほど、ソソられるものがないおかずだったりするんですけど。

 とまあそんなことで、角麩は少なくとも “さばコンニャク” よりはマシだと言えそうなんですが、個人的には煮物にはモチモチしたタイプの麩のほうが適しているように思います。焼き麩のほうは、そのまま食えばそれなりにパリっとした食感があるので、下手に煮込んだり汁物に入れたりするのではなく、そのまま食べる道を選んだほうが賢明なのではないかと。黒砂糖がイケるなら、絶対にチョコレートだって大丈夫な筈で、事実、チョコ味の麩菓子というのも存在します。ミスマッチなようでいて、意外と洋菓子系には使えるかも知れませんね。一口大の焼き麩に生クリームとフルーツを乗せてみるとか。麩で作ったケーキ、名付けて、麩ケーキ♪ 不景気な今年のクリスマスにはぴったりかも知れません。 麩は安くて低カロリーで高たんぱく。 ま、味も淡白だったりするんですが、食べると頭がよくなるとも言われております。ああ見えて意外と立派な奴だったんですな、麩。 今まで馬鹿にしてゴメンな、麩。 これからはもっとたくさん食べるからな、麩。…って、どうもこの“麩”という言葉の響きが何とも腑抜けに思えてならないんですが、実力は抜群。 この冬は麩を食って、不況の苦境を何とか乗り切ろうではありませんかー。

 ということで、今日はボビー・ティモンズです。めっちゃファンキーやんけー。 …と言うので、大阪のヤンキーにもわりと人気の高いピアニストなんですが、今日はそんな彼の 『スウィート・アンド・ソウルフル・サウンズ』 というアルバムを紹介したいと思います。スウィート&ソウルフル。いいですな。少なくとも、 “すいとん&僧売るお古” よりはいいよな?…という気がするんですが、この不況でお布施が減って生活に困って、お古の木魚とかを売って、そのお金で “すいとん” を作って食べているんですかね?僧侶もタイヘンですなぁ。景気のいいころは角麩を煮たのとかを食べてたのにぃ。…って、それならさほど大きな違いはないような気もするんですか、僧侶ですからね。それくらいの清貧に甘んじて貰うのは当然かも知れません。 それはそうと、この 『甘くて魂に溢れた音』 なんですが、ジャケットを見るとちょっと心配になってしまいます。一抹の不安というか、石松鍋の不安というか、石松鍋にのっかっている桜エビの掻き揚げが個人的にはどうもあまり好きになれないんですよね。 「今日の昼は鍋焼きうどんやでー。」 と言われると、一瞬、ちょっと嬉しかったりするんですが、もしかして桜エビの掻き揚げのヤツとちゃうやろか?…と、石松鍋の不安がよぎった子供時代をふと思い出してしまいましたが、何なんですかね、この、虹をバックに由紀さおりが斜めに傾いているジャケットは? とても分別のある不惑の男をターゲットにした作品のようには思えないんですが、もしかしてあのティモンズが、お気楽イージー・リスニング路線に寝返っちゃったとか? ま、寝返りというのも適度にしておかないと床づれの原因になるので、必ずしも悪いとは言えないんですが、日和ったティモンズなどあまり聴きたくはないし、でも “ひよどり越え” というのはなかなかイイらしいし、期待と不安が交錯する中、では1曲目から聴いてみることにしましょうか。

 まずはリチャード・ロジャースの歌物ナンバーで、 「ザ・スウィーテスト・サウンズ」 。 「めっちゃ甘い音」 ですか。 麩菓子というのはかなり甘い両端の部分を、あまり味のない真ん中部分が中和してくれるところに禅味があることが判明したんですが、今の時代、めっちゃ甘いというのはどうなんですかね? …と、かなり不安に駆られてしまうですが、大丈夫です。 元々はかなり甘ったるいバラードだったりするのかも知れませんが、ティモンズの手によって、見事にスインギーでソウルフルなサウンドに生まれ変わっております。 ベースがサム・ジョーンズなのはいいとして、タイコが ROY McCURDY というのは、どうなん? 読めんし。…とか思っていたんですが、心配はゴム用、いや、御無用。 この人のブラッシュ・ワークがですね、実に冴えているんですよね。これだけ巧みにブラシを操れるなら、塗装の下処理のケレン要員として、この不況下でも十分に食っていけそうなんですが、ペンキ塗りは ペンテック に任せておけば、安心♪ ここのキャラクターのペンギンは、何だか遊び半分に仕事をやってくれそうでちょっと不安なんですが、養生用の垂直ネットにも18年前の若き田中クンの写真が張ってあったりして、ちょっと笑えます。 …って、話があまりにもローカルでありましたが、いかにもティモンズらしい真っ黒なピアノのイントロに続いて登場するテーマは、意外とインテリ風。そこはかとなく漂う哀愁感が日本人には、たまりません。 かなり速めのテンポで一気呵成に駆け抜けるアドリブ・パートの出来も素晴らしく、いや、これはいいですな。 ところどころ、この人らしいお得意のフレーズが出てくることになるんですが、ブロック・コードを使わずホーン・ライクなプレイに徹しているところなど、保温屋としても十分にメシを食っていけそうです。 終盤、サム・ジョーンズのベース・ランニングをフィーチャーしたパートが出てくるところもカッコよく、でもって、テーマに戻って、おしまい。 いや、出だし快調です。

 続いてはティモンズのオリジナルで、 「ターン・レフト」 。  「左折」 ですか。君は右折と左折とでは、どっちのほうが好きかな?僕はですね、どちらも嫌いです。右折する時は前から来る直進車と正面衝突しそうになるのが嫌だし、左折の際は歩行者とか自転車を後輪で巻き込みそうになるのが嫌です。出来ることなら右にも左にも曲がらずに、ただひたすら真っ直ぐに我が道を行きたいところなんですが、そうするとなかなか目的地に到着出来ないのがネックでありますな。 で、曲のほうはというと、これがまた、いかにもティモンズらしいファンキー・チューンに仕上がっておりまして、1曲目よりややゆったりとしたテンポの為、スイング感はやや希薄なんですが、その分、アーシーさは2倍増。 ソロの終盤にはお得意のブロック・コードもたっぷりと楽しめて、ベタと言えばこの上なくベタで、もうベタベタ。…という嫌いが無いでもないんですが、この人は基本的にコレでいいんだと思います。 1曲目よりもはっきりした形でサム・ジョーンズのベース・ソロを聴くことが出来るんですが、これもこれで、ま、いいのではなかろうかと。 とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 で、続いてはピアノの無伴奏ソロによる 「ゴット・ブレス・ザ・チャイルド」 。 個人的にソロ・ピアノというのはあまり好きではなく、どちらかと言うと嫌いなんですが、ここでのティモンズのプレイはバド・パウエルのそれを色濃く反映したものとなっておりまして、めっちゃパウエルやん♪…という事実だけで1分20秒くらいは楽しく耳を 傾けることが出来ます。 が、それを過ぎると次第に飽きてきて、そのうちに耳があまり傾かなくなってくるんですが、誰にでも一時 (いっとき) の気の迷いというのはありますからね。全8曲のうち、ほんの1曲のことなので、ここはひとつ、大目に見てあげようではありませんか。

 ということで、4曲目です。 「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」 。 スタンダードにはタイトルが無駄に長いものが少なくないんですが、ジャズ俳句 (曲名編) を作る際、大いに困って、 “物を言う土瓶” とか、何かそういうワケのかわらんものを無理やり詠み込んだ覚えがあります。 えーと、どこにありましたかね? あ、 これ ですかぁ。 何だか凄く酷い句だったような記憶があったんですが、意外とまともでしたね。 で、ヘレン・メリルの名唱で知られるこの歌を、ティモンズがどのように料理しているのかと思ったら、実にいい感じのおかずに仕上がっておりますな。コンニャクのサバ味噌煮とは雲泥の差があります。鉄棒と雲梯 (うんてい) くらいの差はあります。同じように棒状の鉄で作られたものなんですが、片や前回りや逆上がりをする器具で、もう一方は懸垂したり、ぶら下がって前に進んだりするものですからね。ぜんぜん違います。 ま、僕は運動が大の苦手だったので、どちらも嫌いだったという点では一致しているんですけど。 テンポ設定、ロイ・マクなんとかのブラッシュ・ワーク、更にはベース・ランニングを聞かせるパートがあるところなど、1曲目と似たような雰囲気だったりするんですが、凄くいい出来なので、細かい話は麩に免じて、不問に付したいと思います。

 で、次。ティモンズのオリジナルで、 「アナザー・リブ・ワン」 。 今度は何だか2曲目と似たような雰囲気でありますな。スタンダードをスインギーに→オリジナルをファンキーに→スタンダードを無伴奏ソロで地味に渋く。以下、それの繰り返し。 どうやらそういう方針でアルバムが更生されているようなんですが、ま、それならそれで、ぜんぜん問題は無いんですけど。 となると、次の 「アローン・トゥゲザー」 が僕にとっては退屈な無伴奏ソロということになるんですが、曲からして確かに怪しいですよね。後ろにトゥゲザーが付いているとはいえ、アローンですからね。ジャイアンツのクルーンは一人相撲を取りがちなピッチャーだったりするんですが、アローンというのも危ないです。ひとりよがりな自己陶酔型のバラードになっている恐れが強いんですが、聴いてみたら違ってました。ちゃんとベースとドラムスが入っておりました。 ま、バラードであるには違いないんですが、リズムが入っていると、それだけで少しは許せる気分になります。中国人の許 (きょ) さんだって、それでも許さん!…などと言ったりはしないでしょう。 で、演奏はゆったりとしたペースで始まったので、てっきりスウィート系のバラードだと思ったんですが、アドリブ・パートに入ると倍テンポになって、俄然、いい感じになってきます。黒さがグンと加速する感じぃ? 変にブロック・コードに走ること無く、無駄にベースのソロをフィーチャーするでも無く、終盤は再びテンポを落としてムーディに、そして、最後の締めはパウエルのように典雅に気高く。完璧です。

 7曲目、 「スプリング・キャン・リアリー・ハング・ユー・アップ・ザ・モスト」 。無伴奏ソロをここで持って来ましたか。スタンダードにはタイトルが無駄に長いものが少なくないんですが、 日本語に訳すと、えーと、 「スプリングは本当にあなたと最もの電話を切ることができます」 と言うことになるんですかね? Excite翻訳 、まったく日本語としてなってないと言わずにはいられませんが、この訳語を中国語に再翻訳してみると、「能切彈簧真的與?最的電話」 となりました。一部、表示不可能な漢字があったようで “?” という記号が出ておりますが、中国語に再翻訳してみたところで、何がどうなるというものでもなかったですね。やるだけ無駄でした。 で、これ、僕の苦手なソロ・ピアノなんですが、前の曲からの流れが何だか凄く自然だったので、出だしの1分20秒くらいの間は、それなりに楽しく耳を傾けることが出来ました。いかんせん、僕の場合はその集中力が長く続かないんですが、黒砂糖を食べると集中力が高まるらしいので、やはりもっと “ふーちゃん” を食わねばなりませんかね? 麩には記憶力を高める効果があるようなので、相乗効果で成績アップ間違いなし♪ 個人的には太股がけっこう好きだったりするので、麩と桃を一緒に食べるというのもいいかも知れません。今年のクリスマスは “ふとももケーキ” 希望♪…ということで、ギャル系読者の皆さま、ひとつよろしくお願いします。

 ということで、最後の曲です。 「ホワイ・ワズ・アイ・ボーン?」  別に表示できない文字が使われているわけではないんですが、“” という記号が付いてます。アメリカのスタンダードには、たまに疑問文のタイトルがあったりしますよね。 「私はなぜ生まれましたか?」 って、さすがにこの程度のセンテンスなら翻訳サイトでもそれなりの日本語になっておりますな。 「どうして僕は生まれたの?」 のほうが、よりベターではあるんですが、子供からこんなことを面と向かって言われると、ちょっと戸惑ってしまいますよね。何と答えればいいんですかね? 「それはね、パパとママがエッチしたからだよ♪」 …とか。 いや、そういう即物的な話ではなくて、子供はもっと哲学的な意味を聞いているのかも知れませんけど。 ティモンズくんはその辺りの事情はよく心得ていて、哲学的なプレイに終始しているのかというと、別にそうでもなく、かと言ってエロに走ってるわけでもなくて、アップ・テンポで派手目に仕上げております。 曲そのものは意外とシンプルなんですが、歌物だけにそれなりに聞かせるメロディは持っておりまして、シンプルなだけにアドリブの素材としても最適。 素材というのは、それ自身は決して自己主張をしないことが大切でありまして、その点、麩というのは自分の立場をよくわかっていると思うんですが、そんな麩ライクな作品であると言えるかも知れません。 テーマに続いて繰り広げられる淀みのないピアノ・ソロが圧巻でありまして、続いてサム・ジョーンズのベース・ランニングが出てきて、で、再びティモンズが登場して、その後、ドラムのソロがフィーチャーされて、最後はピアノとタイコの絡みまであったりして、何ともまあ、てんこ盛りでありますな。 とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 ということで、今日は以上です。

【総合評価】

 見た目と違って、けっして甘い仕上がりではありませんでした。 というか、ティモンズのリーダー作の中でも、かなり媚びてない部類に入るんじゃないですかね?モノは見掛けによりませんな。 どちらかというとスタンダード重視の選曲なんですが、彼のファンキーな持ち味は十分に発揮されておりまして、2曲のソロ・ピアノが個人的にはちょっと余分だったんですが、諸手を挙げてお薦めしたいアルバムなのでありました。 ということで、“jazz giant vol.29” は、これで完結。きりがいいので、今年のこのコーナーはこれで終わりという事にしたいと思います。では皆さま、よいお年を♪


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