THE NEWBORN TOUCH (CONTEMPORARY)

PHINEAS NEWBORN JR. (1964/4/1)

THE NEWBORN TOUCH


【パーソネル】

PHINEAS NEWBORN JR. (p) LEROY VINNEGAR (b) FRANK BUTLER (ds)
【収録曲】

(01-03) A WALKIN' THING / DOUBLE PLAY / THE SERMON
(04-06) DIANE / THE BLESSING / GROOVEYARD
(07-08) BLUE DANIEL / HARD TO FIND
(09-10) PAZMUERTE / BE DEEDLE DEE DO
(11-12) GOOD LIL' MAN / BE DEEDLE DEE DO (alt take)

【解説】 (2008年11月02日更新)

 秋が来れば思い出す、遥かな飛騨〜、遠い空〜♪ …ということで、今日は “飛騨の思い出” について書いてみたいと思います。 いや、当初はそういう予定では無かったんですが、前回、オチに困って苦しまぎれに“ヒダの匠の技” というのをを出した都合上、そういうことになってしまいました。 ま、他に適当なネタも無いのでちょうどよかったんですが、僕は今年の秋、飛騨高山に行ってきました。ほんの数年前まで飛騨高山と呼ばれるエリアには多くの市町村があったんですが、平成の大合併によって概ね2つの市に統合されました。飛騨市高山市。分かりやすいですね。いや、かえって分かりにくいですか。ときかくまあ、周辺の小さな町村が寄り集まって、面積だけは無駄に馬鹿でかい新しい市が誕生することになったんですが、高山市なんか東京都とほとんど同じくらいの面積があるらしいですからね。人口は10万人もいないんですけど。 このエリアで唯一、飛騨にも高山にも与(くみ)しなかったのは合掌造り集落で知られる白川村だけなんですが、恐らく世界遺産だけで食っていけると踏んだのでしょう。世界遺産と太田胃散とではどっちが食っていけるかというのは、わりと難しい問題なんですが、胃が凭れて食えなかった揚げ物なんかでも、太田胃散を飲んですっきりすれば食えるようになったりしますからね。一方の世界遺産はというと、例えば合掌造り集落なんてのは正直なところさほど面白いものでもなくて、話の種に1回見ておけば、それでいっかぁ。…という気分になったりします。将来的にずっと食っていけるのか、ちょっぴり不安なところではあります。

 そこへいくと新・高山市は安泰でありますな。旧市街地の古い町並みだけでも十分に食っていけるのに、奥飛騨温泉郷と呼ばれる地域まで自分たちのものになりましたからね。たとえ観光客が来なくなったとしても、みたらし団子とか飛騨牛の串焼きを食っていれば飢え死にすることもないし、将来は安泰でありましょう。 とまあそんな高山市を僕はこの秋に訪れた次第でありますが、何をしにいったのかというと、クマを見に行きました。その話は ここ に書いておいたので、まだ読んでない人は参考にして下さい。クマ、とってもよかったです。あとはえーと、 “新穂高の湯” という露天風呂にも行きました。今から10年ほど前、初めてこの温泉に浸かった時のレポが ここ にあるんですが、偶然、女子高生と一緒になったりして非常に印象がよかったので、以来、何度かリピートしております。今回も非常に楽しみにしていたわけなんですが、ただひとつ、ちょっと気になる噂も耳に入っておりました。ここ数年、湯の温度がかなり低くなってしまったらしいんですよね。どれくらい低くなったのかというと、34℃くらいだったりとか。あかんやん!体温以下やん! ま、世の中にぜんぜん温かくない温泉というのはいくらでもあって、例えば浜名湖にある舘山寺温泉なんか、温度が23.8℃しかない源泉もあったりしますからね。下手に熱すぎて水で薄めるより、沸かしたほうが温泉の成分が煮詰まって濃くなって、いい♪…という考え方もあるし、23.8℃では温泉でなくて冷泉やん!…という意見は当然出されるだろうし、でもまあ、34℃あれば “めっちゃぬるい温泉” と認めてもいいような気がするし、ただ数年前に入った時にはちょうどいい湯加減だったんですけどね。ここ数年の間に、いったい何が起こったのでしょうね?

 地震が起こる前触れではないかという説を唱える人もいるようですが、現地を訪れてみて、その謎が判明しました。すぐ近くに新しいトンネルが出来ているんですよねー。これはもう、山に穴なんか掘っちゃったから、温泉の熱がそこから逃げちゃったに違いありません。科学的な根拠はまったく無いんですが、何となくそんな気がします。地震が起こる前触れとか言ってる人よりは説得力があるような気もします。地震が起こる前触れならマグマの活動が活発になって、湯の温度が熱くなるような気がしますもんね、いや、何となく。クマ牧場のヒグマはとっても元気だったんですが、マグマが暴れ出す気配は今のところあまり感じられないので、ここしばらく地震の心配は無いような気もするんですが、理由はともあれ、温泉の温度が体温以下ではちっとも温まらないに違いないので、何とかせえ!…と思わずにはいられません。実際、湯温の低下によって冬季は営業休止を余儀なくされているようなので、地元の人も何とかしなければならんと頭を悩ませているようですが、今年の6月の時点では このような試み もなされたようですな。熱い湯を注ぎいれましたかぁ。それはいいアイデアですな。 が、熱い湯を注ぎいれる以上にぬるい湯が沸いてきて、結局は36℃までしか上がらなかったようですが、あれから3ヶ月。 僕が訪れたのは9月の下旬だったんですが、果たして、ぬるい湯を外に捨てる工事はうまくいったんでしょうか? で、若いギャルとかもちゃんと浸かりに来ているのでしょうか? 期待と不安の入り混じる思いで露天風呂に通ずる階段を下りていったんですが、そこには、おおっ♪普通に人が浸かっておりますな。先客は6名ほど、そのうちの約1名が水着ギャル♪…と呼ぶにはやや無理が感じられなくもない年頃のオバチャンでありました。試しに湯に手を突っ込んでみると、お? 意外と大丈夫? 体温よりは気持ち温かく感じられるので、ま、38℃といったところでしょうか? 先客のうち、わりと若い兄ちゃんたちは本を読みながら湯に浸かっていたりして、かなり長期戦の構えのようなんですが、も、もしかして、一度入ってしまうと寒くて二度と出られなくなっちゃうとか? 僕が兆着したのは夕方の4時を過ぎていて、かなり周囲も薄暗くなっていたんですが、このまま日が暮れたら凍死という事態も考えられます。いやあ、こんなことならもっと投資ジャーナルに投資しておくんでしたなぁ。 ま、投資してめっちゃ儲かったところで凍死しちゃうわけだから、あまり意味はないんですけど。

 一応、海水パンツの用意はしていたんですが、さほどその必要性が求められるシチュエーションとも思えないので、とりあえずタオルで前を隠して、恐る恐る湯に浸かってみました。 いや、意外と大丈夫でした。ぬるい湯を外に捨てる作戦はどうやら、ある程度は効果があったようなんですが、端っこのほうにはジャバジャバと湯が流れ出ているパイプのようなものがあって、なるほど、これが外部から導入した “めっちゃ熱い源泉” なんですな。これでもう税金を源泉徴収されても、アメリカの原潜が来ても、大丈夫♪…といった感じなんですが、この源泉パイプに近いところに移動すれば、もっと高い温度が期待出来るかも知れませんな。 その付近には水着のオバチャンが陣取っていたので、ちょっと気がひけたんですが、恐る恐る近寄ってみると、ぬるっ!めっちゃ、ぬるっ! どうやら熱い湯が注ぎ込まれる以上に、ぬるい湯が沸いている地帯だったりするようなんですが、そうこうしている間に2人ほどの新客がやって来ました。 ここにくる人は決まって、とりあえず湯に手を突っ込んで温度を確かめることになるんですが、湯温が下がっているという噂はかなり広まっているようですね。2人のうち、1人のオッサンは帰っていって、もう1人のオッサンはパンツを脱ぎ始めて、どうやら人によって評価が分かれる微妙な温度であるようなんですが、確かに場所によっては体温以下に感じられることもありますからね。 で、風呂からあがると、寒いっ!めっちゃ寒いっ! 10月の紅葉シーズンにはライトアップもされるようですが、命を賭けてまで浸かってみたいとはちょっと思えませんな、こりゃ。 更衣室に戻って慌ててパンツを穿いて、とまあそんなことで、今回の僕の “奥飛騨慕情” は以上です。湯冷めして風邪をひくかと思ったら、服を着た後はポカポカと温かくなってきたのがちょっと意外でありました。

 そもそもどうして湯冷めするのかというと、湯だから冷めちゃうんですよね。夏場にプールに入ると後でカラダが火照ってくるのとは逆の作用です。湯でカラダが茹でられると血管が拡張して、体熱の放散が盛んになるから冷えるんだそうですが、なるほど、血管が拡張したからと言って、格調の高い人になれるというものでもないんですな。血管が拡張すると血管の表面積が増えて、熱が逃げやすくなるんですかね?あるいは血の流れが増えて、熱放出の効率がよくなるとか。 いずれにしろ、風呂から出る前に足先とかに冷たい水をかけてやると、血管が縮んで湯冷めしにくくなるんだそうです。 そういう面倒なことをしなくても、最初からぬるい湯に浸かっておけば大丈夫なワケですな。下手に若いギャルがいるとコーフンして血圧が上がって血管が拡張しちゃいそうなので、その意味でもよかったのかも知れません。 無論、湯冷めの原因は血管からの放熱だけでなく、カラダの表面に付いた水滴が蒸発する際の気化熱も関係してくるわけなんですが、温泉だと塩分なんかの成分がカラダの表面に薄い膜を作って、熱を逃げにくくするという作用もあるそうです。新穂高の湯は無色透明・無味乾燥で、さほど成分が濃いようにも思えないんですが、それなりにオバチャンのエキスとかが溶け込んでいるのかも知れませんな。 ところで、温泉の湯冷めの関係についてネットで調べていたところ、こんな見出しが目に飛び込んで来ました。

 フリオンのお湯で入浴すると、遠赤外線効果でポカポカ、湯冷めしにくく...

 そっかぁ。やっぱり海パンを穿くのではなく、フリチンで正解やったんや♪ …とか思っていたら、あ、よく見たらフリチンではなくて、 “フリオン” でありましたか。どうやらマイナスイオンの出るシャワーヘッド “JSKフリオン” というのが湯冷め防止には効果的らしいんですが、そうですよね。風呂上がりにずっとフリチンのままでブラブラしていると、思いきり放熱しちゃいそうですもんね。 “新穂高の湯” では慌ててパンツを穿いて正解でしたが、ぬるくても、意外とあたたか、新穂高。…といったところでしょうか? でもまあやっぱり、湯冷めしてもいいので、もうちょっと湯の温度が高くて、若いギャルが多くて、しばらくフリチンでブラブラ出来たほうがよかったような気もするんですが、とまあそんなことで、今日のお話はおしまい。

 ということで、今日はフィニアス・ニューボーン・ジュニアです。日本では知名度こそ高いものの、あまり積極的には聴かれていない人。…といったイメージがあるんですが、代表作というとリーダー作ではなくて、ロイ・ヘインズの 『ウイ・スリー』 が取り上げられたりしますもんね。今ひとつメジャーになりきれない要因はいくつかあると思うんですが、まず、活動拠点が西海岸中心だったというのが一点。ブルーノート、リバーサイド、プレスティッジの3大レーベルにリーダー作が無いというのは日本ではちょっと辛いです。 いや、もしかしたらあるのかも知りませんが、僕が知らない時点でアウトです。このコーナーでもロイ・ヘン盤を別にすれば、過去に1回しか取り上げられていませんからね。 あと、ピアノのスタイルが何か違う。…というのも理由のひとつに上げられると思うんですが、両手をフルに使うダイナミックな奏法は、パウエル派、命!…の日本では、あまりポピュラーにはなれません。 とまあそんなフィニアス君の 『ザ・ニューボーン・タッチ』 というアルバムを紹介してみようと思うんですが、 『ザ・生まれ変わったおさわり』 ですかね? どんなオサワリなのか非常に気になるところなんですが、CD屋で何げなくフィニアスのコーナーを眺めていたら真っ赤なジャケットが目に飛び込んできて、思わず購入してしまいました。リロイ・ヴィネガーフランク・バトラーという面子も悪くないし、ジャズマンのオリジナルばかりを集めた選曲も興味深いし、とまあそんなことで、では聴いてみることにしましょうか。

 まず最初はベニー・カーターの 「ア・ウォーキン・シングス」 。聴いたことのない曲ですな。あるいはウォーキング・ベースの名手と呼ばれたリロイ・ヴィネガーに因んで選んだのかも知れませんが、いかにもフィニアスらしいゴージャスなイントロに続いて登場するテーマは、いかにもウォーキンな雰囲気に満ち溢れていて、秀逸です。もう、魚金(うおきん)のオッサンも真っ青って感じ? グルーヴ感のあるファンキーな仕上がりで、日本人としては大満足です。とかく評価の別れる両手の指をフルに使った演奏スタイルもさほど厭味ではなく、ま、別にいんじゃないでしょうか。アドリブ・パートの合間にも随所にテーマ・メロディを散りばめた分かりやすい作りとなっておりまして、そこのところがちょっぴりクドく思えたりもするんですが、いやあ、意外とよかったです。

 次。ラス・フリチンマンの 「ダブル・プレイ」 。 あ、フリチンマンではなくて、ラス・フリーマンでしたか。 「ダブル・プレイ」 というとどうしても、頭の中に このジャケット が浮かんできてしまうんですが、とってもアメリカンな健康エロのイメージとは裏腹に、何ともヨーロピアンでメロウなムードの作品でありました。 フィニアスのプレイは特にアドリブ・パートの中盤以降、いかにもこの人らしいテクニックのひけらかしが見られたりして、ちょっぴり鼻につくところが無いでもないんですが、概ね良好だと思います。黙っていても普通にうまくピアノが弾けちゃうんだから、しょうがないよね。…とでも思っていれば、何とか我慢の出来る範囲には収まっております。最後のテーマの再現部のところなど、ラス・フリーマンとアンドレ・プレビンが2人がかりでやってたことを、右手と左手とで、いとも簡単にやってるようにも思えるんですが、器用な人ですよね。紀陽銀行に勤めても銀行マンの仕事を器用にこなせる気がするんですが、とまあそんなことで、次。

 ハンプトン・ホーズのオリジナル・ブルース、 「ザ・サーモン」 。タイトルは 「ザ・鮭」 ではなくて 「ザ・説教」 なんだと思いますが、鮭のサーモンとは綴りが違いますからね。 と同様に、ホーズとフィニアスとでは、随分とスタイルが違うんやな。…というのが実感出来る演奏に仕上がっているんですが、シンプルにスイングするホーズと違って、この人の場合はちょっと理屈っぽいところがありますよね。そこのところが日本人には今ひとつウケないんだと思うんですが、日本は島国でどことも陸続きにはなっていないので、理屈好きの人とは相入れないものがあるんでしょう。 ということで、次。アート・ペッパーの 「ダイアン」 。 いや、これはいいですな。ダンアンというのはペッパーの何番目かの奥さんの名前ではないかと思うんですが、確か麻薬中毒になった旦那の愛をつなぎ止めるために自らもヤク中になって、何度か自殺を試みたあげく、最後は癌で死んじゃうんですよね。いいですな。めっちゃ日本人好みのストーリーですよね。そんな薄幸なダイアンちゃんに捧げられたこのナンバーは哀しいまでに美しいメロディを持ったバラードに仕上がっておりまして、フィニアスの澄んだタッチのピアノが涙を誘います。名前は “大安” なのに人生は “仏滅” だったダイアンに、合掌。。。

 5曲目、 「ザ・ブレシング」 。ここでオーネット・コールマンのナンバーを持ってきましたか。コンテンポラリー盤だけに、レーベルゆかりのミュージシャンの作品を取り上げることになったんでしょうが、ま、この人の場合、バイオリンの腕前はかなり問題があったりするんですが、作曲の才能はそこそこだったりしますからね。あのジョン・ルイスも褒めたというのだから大丈夫なのかも知れませんが、この 「ザ・祝福」 というのはアレです。いかにもオーネットらしい変な曲です。…という展開を期待してたら、意外とマトモだったのでちょっと拍子抜けしましたが、フランク・バトラーもバタバタと賑やかで、ま、いいのではないでしょうか。 ということで、6曲目。 「グルーヴヤード」 はカール・パーキンスのオリジナルです。ウエス・モンゴメリーだかモンゴメリー・ブラザースだかも取り上げていたグルーヴでヤードな佳曲でありまして、僕はこの手の曲が大好きっ♪…だったりします。ニューボーンのプレイもテクニックに走り過ぎることなく、ピクニック気分で、ルンルン♪

 今日は3連休の中日で今ひとつヤル気がしなくて、曲解説があまりにも適当なんですが、7曲目はフランク・ロソリーノの 「ブルー・ダニエル」 でありますか。キティちゃんの彼氏であるダニエルくんは今ひとつ世間に浸透しませんが、やはり、俺のキティに手を出すな!…というので、世の中のおっさんキティラーの反感を買っているんですかね? おっさんの妨害なんかに負けないで、頑張れ、ダニエル!…と、応援したくなるようなキャラでもないし、このまま世間から忘れ去られて消えてゆくのもやむなしといったところでしょうか。 で、一方の 「ブルー・ダニエル」 はというと、これがなかなかキュートな仕上がりでありまして、イントロはラテンなリズムだったので、そういうタイプの曲なのかと思ったら、テーマ以降はわりとメルヘンチックな感じだったりしておりました。夢見るダニエルくん、略して “夢ダニ♪” …って、何だか食われると痒そうで、ちょっと嫌ですね。 ということで、次。 リロイ・ヴィネガーのオリジナル、 「ハード・トゥ・ファインド」 。 「見つけにくいです」 ですか。そうですか。ヴィネガーはいったい何を見つけようとしているんでしょうね?鰈の煮付け? そんなの、小料理屋に行けばすぐに見つかるような気もするんですが、アメリカではちょっと難しいのかも知れませんね。 で、この曲、ヴィネガーの何とかというリーダー作でも聴いたことがあるような記憶があるんですが、ほの暗い雰囲気の漂うファンキーなマイナー・チューンでありまして、僕の好きなタイプですな。こりゃ。 フィニアスのソロもなかなかの出来でありまして、どうせなら作曲者のウォーキング・ソロもフィーチャーして欲しかったところなのですが、そういう演出はなくて、ま、それはそれで別にいいとして、テーマに戻って、おしまい。

 で、次。 ジミー・ウッズの 「パズムエーテ」 。 正確には何と読むのか分からんような難しいタイトルなんですが、僕の持ってる日本盤のCDには 「平和と死」 とクレジットされているので、恐らくそういう内容の曲なんでしょう。桑名には “平和寿司” という名前の寿司屋があるんですが、 「平和と死」 とはかなり重いテーマですよね。あげ寿司とか食ってる場合ではないな。…とか思ってしまうんですが、出だしは静かで平和だった演奏も、途中からムードが一転してドラマティックな盛り上がりを見せることになります。ああ、都会の夜は、ドラマティ〜〜ック、レイン♪ by 稲垣潤一。 ということで、次。 バーニー・ケッセルの 「ビー・ディードル・ディー・ドゥ」 。直訳すると 「ディーがそうするディードルになってください」 ということになるんですが、これはもう、語呂のよさだけが勝負のタイトルですよね。語呂さえよければ別に意味なんかなくてもエエやん。…みたいな。 何となく西洋のニワトリの鳴き声、クック・ア・ドゥードル・ドゥというのに似ておりますが、猫の鳴き声はやっぱり日本風の 「にゃー」 というのがいちばん落ち着きますにゃー。 西洋ネコの 「ミューミュー」 ではどうも今ひとつ落ち着きませんみゅーみゅー。 …って、これでは日本語として正しいネコ言葉がしゃべれませんもんね。 とまあそれはそうと、で、曲のほうはと言うと、これがまたシンプルなリフ・ブルースだったりして、勿体ぶって凝ったタイトルを付けるな!…と思わずにはいられません。 ま、演奏そのものは厭味がなくて、概ね良好なんですけどね。フィニアスという人は、とりたててブルースが得意というイメージはなかったんですが、それなりにブルージーで、わりと健闘していると思います。これなら遣唐使の仕事も器用にこなせそうです、何より。

 とまあそんなことで、今日のところは以上なんですが、僕の持ってるCDにはオマケが2曲入っているので、簡単にそれにもオサワリしておきましょう。 まずはオマケ1曲目。 「グッド・リル・マン」 。 マーヴィン・ジェンキンスという人の作った作品のようですが、ゴージャスでハッピーな仕上がりでありますな。ややポップな雰囲気もあって、その軽さがボツになった所以ではないかと思うんですが、フィニアスのちょっと違った一面を垣間見ることが出来て、なにより。 で、オマケ2曲目は 「ビー・ディードル・ディー・ドゥ」 の別テイクなので個人的にはどうでもよくて、とまあそんなことで、今日のところは以上です。

【総合評価】

 演奏そのものより、曲のよさが印象に残る1枚でありましたが、 「ザ・生まれ変わったタッチ」 というだけの事はあって、かなり聴きやすいスタイルにイメチェンを図りましたかね? CDの解説にも、コンテンポラリーに吹き込んだ最初の2枚のアルバムによって、フィニアス・ニューボーン(1931〜1989)は、あまりにもテクニック一辺倒だと彼に反感を抱く人々の考えを変えさせた。…などと書かれているんですが、確かに普通に聴いて楽しい1枚に仕上がっております。 コアなファンからすると、軟化して俗化しちゃった駄作。…という事になるのかも知れませんが、音楽というのは音を楽しむのが本筋なので、これはこれで、よかったのではないでしょうか。…という気がしないでもない、そんな1枚なのでありました。


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