COOKING THE BLUES (VERVE)

BUDDY DeFRANCO (1955/8/26)

COOKING THE BLUES


【パーソネル】

BUDDY DeFRANCO (cl) TAL FARLOW (g) SONNY CLARK (p,org)
GENE WRIGHT (b) BOBBY WHITE (ds)

【収録曲】

(01-03) I CAN'T GET STARTED / COOKING THE BLUES / STARDUST
(04-06) HOW ABOUT YOU / LITTLE GIRL BLUE / INDIAN SUMMER

【解説】 (2008年06月08日更新)

 う。 これから奴らの季節がやってきます。 今朝 (06月02月) ラジオのニュースを聞いていたら、愛媛県かどこかの川で、いよいよ奴らが活動を開始したという話をやっていたんですが、岐阜の長良川ではすでに動き始めているんですけどね、う。 ちなみに僕はうがさほど好きではなく、どちらかというと、すましにするならふのほうがいいよな? あ、でも、かみたいに人に危害を与えることはないので、かよりもうのほうがマシかな? けど、すみたいに飲んで健康になるということもないので、僕の心のランキングでは、す、ふ、う、か、という順番かな?…とか思っていたんですが、とまあそんなことで、今日のテーマは “一文字だけで生きている奴ら” です。50音順に検証していこうと思うんですが、あ、い、ときて、最初はやはり、“う” ということになりますか。

 う。漢字で書くと、。 岐阜市には “” という漢字一字だけの地名があって、さすが岐阜やな!…と感心したものなんですが、よく見たら字が違ってました。 “” ではなくて、 “うずら” 。 “ずら” が余分やん!…と思わずにはいられませんが、 “サークルK岐阜うずら店” とか “カラオケボックスまねきねこ・岐阜うずら店” とか、そんな店があったりして、平仮名で書いてある分にはちょっと心が和みます。可愛いですよね、うずら。 うずらを見るとウズウズしちゃうという人も少なくなくて、Wikipedia には、人に慣れた個体は後ろからヒョコヒョコ着いてくる様が愛らしく人気がある。…などと書かれております。僕は実際にナマのうずらを見たことはないんですが、想像しただけでも何だかウズウズしちゃいますよね。筆者のうずらに対する深い愛情が感じられます。 と思ったら、そのすぐ後には、焼いて料理する、もしくは骨ごと叩いてミンチにし、だんご状に丸めて調理される。…という記載もあって、その場面を想像しただけで涙が出てきちゃうんですが、僕のかわいいウズラたんを、焼くなー!骨ごと叩いてミンチにして、だんご状に丸めるなー! ま、僕も先日、東京豚バザールという店で、ミンチにされたルイ・ヴィ・豚をダンゴ状に丸めて、煮えたぎるコラーゲン鍋の中に投入したりしたので、あまり他人のことを言えた義理ではないんですが、せめてウズラたんの場合、食べるのは卵くらいにしておきたいですよねー。 ちなみにあのウズラの卵の模様はメスが生む際に自力でデザインするものらしく、出産の直前にメスを脅かしてやると、ビビって模様を付け忘れて、真っ白なウズラの卵が生まれてくることもあるそうですが、そういう可愛そうなことをしなくても、酢に10分ほど漬けておけば綺麗に模様が消えちゃうそうなんですけどね。真っ白なウズラの卵を作ってみたところで何がどうなるというものでもないんですが、「ほらほらー、真っ白なウズラのたまごー♪」「ああん、可愛いのぉ〜♪」 と、ギャルの歓心を買う手段として、限定1回ではありますが、使えるかも知れません。

 とまあ、ウズラの話はどうでもよくて、。 “ずら” が付いてないほうの、。 鵜というのはですね、貴重なトリですよね。絶滅危惧種としてレッドデータブックにも登録されて、長良川とかで大切に保護されております。 そんな珍しいトリを僕は長浜あたりの琵琶湖で目撃したことがあるんですが、水面に漂っている多数のカモたちに混ざって、ん?あそこにいるトリは、も、もしかして、ウ!? カモがせいぜい、首の先っちょだけを水の中に突っ込んでエサを探しているのに対して、そのトリは違ってました。ザバっと水の中に身を沈めると、そのまま30秒くらいは潜ってますかね? あれ?どこいった?…と思っていると、思わぬところからザバっと浮上してきたりするんですよね。 その生き様は、まさしく、鵜。 が、人間に飼われているはずの鵜がこんなところにいるというのも、ちょっと不自然ですよね。 毎日毎日、僕らは飲み込んだ、エサを取られて、いやになっちゃうよ。ある朝、僕は鵜匠のおじさんと、けんかして、琵琶湖に逃げ込んだのさ♪ そんなストーリーが頭に浮かんで来たんですが、あとから調べてみたら鵜なんてのはどこにでも棲息している、別に珍しくも何ともない普通のトリだったみたいなんですけど。東京上野の不忍野にも、たくさんいました。 ちなみに鵜というのはペリカン目ウ科というのに属しているんだそうで、なるほど、ペリカンの仲間でありましたか。サカナを鵜呑みにしちゃうのも、ペリカンなら何となく納得です。 鵜には海にいるウミウと、川にいるカワウとの2種類がいるんだそうで、鵜飼に使われるのはウミウのほうなんだそうですね。 川でやるのに、なんでウミウやねん?…というのがちょっと疑問なんですが、ウミウのほうが右から読んでも左から読んでもウミウだから、語呂がよくていいし、カワウのほうは後ろに “ソ” を付けるとカワウソになって、違う生き物になっちゃうから、駄目。…とか、そういった理由があるのではないかと思われます。

 で、このカワウのほうがですね、最近はちょっと増え過ぎて、いろいろと問題を引き起こしているようなんですが、とにかくこいつらは潜水がうまい上、めっちゃサカナを食うらしいんですよね。 「食べる前に飲む」 というのは大正漢方胃腸薬なんですが、鵜の人生訓というか鵜生訓は、食べる前に食う! いや、それはちょっと論理的におかしいのではないか?…という気がしないでもないんですが、何せ相手は鵜ですからね。人間の論理などお構いなしに、とにかくサカナを食って食って食いまくるんだそうでありまして。 でもそれは、食べてもまだ食うとか、そういうことであって、食べる前に食うというのは、やはりちょっと違うのではないかという気もするんですが、とにかくサカナを横取りされる漁師としては、どうも面白くありません。 ま、人間のほうにも、せっかく鵜が獲った アユを横取りしているという負い目があるので、あまり強いことは言えないんですが、特に鵜飼の場合は、まさに鵜がサカナを飲み込もうとしているその瞬間にロープで首を絞めて吐き出させるわけですからね。鵜の無念はいかばかりかと思うと胸の詰まる思いでありますが、鵜は恐らく 「ウッ。」 と声を詰まらせて、涙目になっちゃうに違いありません。 でもアレは鵜匠が勝手にやってることだし、それにあっちはウミウで、こっちはカワウだしぃ。…という漁師の言い分も分からないではなくて、鵜1羽で1日に500gくらいサカナを食うらしいですからね。鵜100羽で1日に50kg。 100g138円の豚バラ肉に換算すると 69,000円。1年で 25,185,000円。膨大な被害です。ま、別に鵜が豚バラ肉を食うわけではないので、この換算はまったく何の意味もなかったりするんですが、カワウに憤慨しているのは漁師だけではありません。カワウの糞害というのも問題になっていて、何でも鵜のウンコ、略して鵜ンコにはリン酸が多量に含まれているだそうでありまして。 リン酸は植物にとっては栄養となるもので、栄養になるんだったら、別にエエような気もするんですが、富栄養化状態になって木が枯れちゃうんだそうです。 最近では、増え過ぎたカワウを駆除しようという動きも広がっているようですが、かと言って、焼いたり、骨ごと叩いてミンチにしたりするのもちょっと可哀想な話だし、食べて美味しいという話もあまり聞きませんしね。  鵜にはサカナではなくウニを食べて貰うとか、いや、僕はウニがあまり好きではないからいいとしても、ウニ好きの人にとっては迷惑な話なので、鵜にウニを食べさせるのはヤメにして、鵜には人間が食ってもまずいような雑魚ばかりを食べて貰うとか、鵜ンコのほうは有機肥料として活用するとか、そういう、人と鵜とが一緒に仲良く暮らせる世の中になるといいな♪…と思うんですが、ということで、続いては、か。

 か。漢字で書くと、。 こいつとは絶対、一緒に仲良くは暮らせないな。…と思わずにはいられませんが、飛んでるだけで羽音がウザいし、刺されれば痒いし、場合によってはビョーキだって媒介されちゃうしー。  僕はバイ貝というのがあまり好きではなく、この世の中に別にいなくても困らない貝やな。…とか思っているんですが、バイ貝はビョーキを媒介しないだけ、まだマシですよね。 蚊なんてのは、この世の中に別にいなくても困らないどころか、いてくれないほうがよっぽど幸せだと思うんですが、もしこの世の中の生きとし生けるものすべてを神様が創造したとするならば、ずいぶんと余計なものを造ってくれたものですな。暇だったんですかね?神様。 で、か、の次は、き。 漢字で書くと、。 こうしてみると、一文字だけで生きている奴らって、結構いるものだという事が分かって来たんですが、最初の鵜でかなり時間を取られてしまったので、先に進みます。 す。漢字で書くと、。 酸っぱいです。酸っぱいんですが、美味しいです。特に都こんぶの表面についている白い粉状の酢は、酢史上でも至上の酢ではないかと思うんですが、牛乳に酢を入れて飲むとヨーグルト風味♪…という飲み物は最悪だったりするんですけど。僕は小さい頃、牛乳嫌いでヨーグルトは大好きなコドモだったので、これはいいことを聞いたと思ってさっそく試してみたんですが、こんなん、ぜんぜんヨーグルトちゃうやん!ただの酢を入れた牛乳やん!…といった結果に終わってしまって、以来、僕は他人の言うことを信用しないコドモになってしまいました。牛乳と酢。相性がよさそうに見えて、駄目でしたな。蛋白質、固まるしー。 固まるといえば、というのも固まります。もし血が固まらなければ鼻血が出た時点で出血多量で死んでしまって大変なんですが、鼻の穴に鼻紙を詰めておけば、そのうちに血が固まって出血は止まります。うまく出来てますよね。血が止まらなくなっちゃう血友病という病気はホントに怖いの思うんですが、で、次。。三重県の県庁所在地です。ついこの前まで人口が16万人くらいしかいなくて、桑名とそんなに変わらんやん!…と馬鹿にしていたんですが、いつのまにやら28万人を超えておりました。桑名は合併しても14万人までしか増えなかったので、ダブルスコアになっちゃいましたな。 津なんか何にもあらへんやん!…と、四日市や鈴鹿あたりの住民から馬鹿にされておりますが、そんなことはありません。井村屋があります。 井村屋なんかただの “あずきバー” やん!…と、桑名あたりのアイスまんじゅう好きの住民から馬鹿にされておりますが、アンナミラーズも井村屋系列だったりしますからね。馬鹿になりません。

 あとはえーと、とか、とか、とか、とか、とか、とか、 “は行” が意外に頑張ってることが判明したんですが、それ以降は不作ですな。 いや、とか、とか、とか、とか、とか、 “ま行” も健闘していますか。 ま、藻について語ってみたところで、藻というのはよく繁茂しますよね。…とか、それくらいしか書くことがないので先に進みますが、濁点の部にまで50音を進めると、後はとか、とか、そんなものですか。 痔は苦しいです。 今日のネタもどうやって落ちを付けようか、かなり苦しいことになって来たんですが、そもそもこの “一文字ネタ” というのは、以前にも ここ でやっているんですよね。読み返してみたら全体的にやや下品ではあるものの、概ねなかなか健闘しているのではないかと思えるんですが、 「」(←最近では“Z市”) というところはちょっと説明が必要ですな。当時あったんですよね、 “津市をZ市に変えよう運動” というのが。 津の人にとっての自慢のタネは井村屋があるということ以外、 “天むす” や “いちご大福” の発祥地が実は津であるというのと、日本一、いや、もしかしたら世界一かも知れない “” という短い地名。概ねこの3つくらいだったりするんですが、このうち世界一短いかもしれない地名というのがちょっと怪しくなって来たんですよね。確かに日本では漢字でも “津” 、平仮名でも “つ” と、これより短い地名は考えられないんですが、ローマ字では “tu” と、2文字になってしまうと。しかもヘボン式だと “tsu” の3文字ですからね。いくら津の人がヘボン式なんてヘボい方式は認められん!…と強弁したところで、世界のどこかに “Y市” とかそういう地名があったらアウトです。そこで “” と書いて “” と読ませよう!…という無茶なことを言い出す奴らが出てきたんですが、いや、その読み方にはちょっと無理があるんじゃないかという気もするんですが、一応、彼らにもそれなりの裏づけはありました。マツダの車には “MAZDA” って書いてあるやん! なるほど、読めないこともないんですな。

 結局、この運動はまったく盛り上がらないうちに誰にも相手にされなくなって、津市民は全国の人から良識を疑われずに済んだわけなんですが、ただ、まだ油断はなりません。 どうしてもローマ字でも1文字にしたいと企むZ党の残党が、そのうちにまた何か言い出すかも知れません。津の人は自分のところの地名が一文字で言いにくいので、通常は 「つぅ」 と、伸ばし気味に発音しているんですが、いっそのことそのままずーっと伸ばし続けて、 「」 にしちゃうというのはどうですかね?…とか何とか。 いつの間にか三重県の県庁所在地が “鵜市” になったりしてないか注意しなければなりませんが、いや、さすがに鵜という名前は岐阜市が許さないかも知れませんけど。 長良川に掛かる新しい橋に“鵜飼い大橋”という名前を付けたりしてますからね。長良橋が渋滞している時は鵜飼大橋に迂回したりするんですが、その他、岐阜には鵜という字のつく店が少なくありません。 “純喫茶・鵜” とかー。 鮎昆布巻きの老舗で 鵜舞屋 というのもあって、鵜舞屋の昆布巻きは、うまいや♪…と地元でも評判なんですが、あ、 ここ に出てくる忘年会のお土産の昆布巻きも、もしかしたらこの店のものだったのかも知れませんね。鮎の昆布巻きが今ひとつ好きでない僕は、ヘンなものよこしやがって!…と、うちの所長に対して憤りを覚えたりもしたんですが、その後、この時のお土産には昆布巻きのほかに牛肉のしぐれ煮もあったというのが判明して、いや、それならまったく問題はないんですけど。 所長、文句を言ったりして、ゴメンなっ♪…と謝っておいて、ということで、今日のお話はおしまい。

 ということで、今日はバディ・デフランコです。 デフランコ。ちょっと変った苗字ですよね。普通にフランコでエエやん。…という気もするんですが、 “DeFRANCO” のうちの “De” の部分は 「パンチDEデート」 と同じく、 「で」 という意味なのかも知れません。 “バディでフランコ” 。今ひとつ意味がわかりませんな。 “ナンデカでフラメンコ” とかならまだ分かるんですが、となるとレオナルド・ダ・ビンチの “ダ” と同じく、 「の」 という意味なのかも知れません。 “フランコ村のバディ” みたいな。 フランコ村。何となくブランコとブラコンとフリチン好きの人が多そうな村なんですが、そういうところにはあまり住みたいとは思いませんな。ブラコンはともかくとして、フリチンでブランコに乗られたりしたら、目障り以外の何物でもないですからね。 とまあ、そんなフランコ村からやって来たバディ君はブラコンの道には進まず、ジャズの世界で生きていくことを決意するんですが、そんな彼が選んだ楽器がクラリネットでありました。クラリネット。有名ですよね。 世間ではもっぱら「クラリネットをこわしちゃった」 の少年がこわしちゃった楽器として知られているんですが、どうしよう?どうしよう?…と思い悩んだあげく、オーパッケマラード、パッケマラード、パオパオパッパッパ♪ になってしまって、何とも悲劇的な歌ですよね。ところでこの “パッケマラード” というのがいったい何なのか、僕はコドモの頃からずっと疑問だったんですが、いい機会なのでちょっと調べてみますかね? パッケマラード。正確にはパッキャマラドと発音するようですが、オー、パッキャマラドというのは “Au pas camarade” というフランス語で、 「友よ、さあ行こう!」 という意味なんだそうです。なるほど、もともとフランスの童謡だったんですな。 というのはいいとして、クラリネットを壊しておいて、「友よ、さあ行こう!」 とか、そんな こと言ってる場合か?…と思わずにはいられませんが、で、このクラリネット、スイングジャズの時代には花形楽器でありました。 が、ビ・バップの誕生以降、一気に左門豊作楽器へと成り下がってしまうんですが、どうしてなんですかね?すぐに壊れちゃうからでしょうか? 確かにドとレとミとファとソとラとシの音が出なくなってしまったら、かなり演奏の幅が狭まってしまいますもんね。半音だけで勝負をしなければならなくなってしまいます。 あまりにもスイング・ジャズの楽器というイメージが強くなり過ぎて、そこからの脱却を目指すバッパーからは敬遠されたという側面もあろうかと思うんですが、敢えてその楽器でモダン・ジャズに挑戦するというデフランコの姿は、ま、それなりに評価してもいいのではなかろうかと。

 …といいつつ、僕は今までクラリネットを馬鹿にしておりまして、彼のアルバムは1枚も持ってなかったりしたんですが、ちょっと思うところがあって、買ってみることにしました。 『クッキング・ザ・ブルース』 というヴァーヴ盤です。 「ブルースを料理する」 。なかなかいいタイトルですよね。ブルース料理。何となく青っぽくて酸っぱい料理のような気がするんですが、ジャケットのセンスもヴァーヴ盤のわりには悪くありません。今回、先にジャケ絵を描いたところ、実物よりも幾分オバチャンっぽくなってしまって、モデルのオバチャンにはちょっと申し訳ないんですが、人参とクラリネットとおぼしき楽器を水にふやけて、今からピロシキでも作ろうとしているんですかね? いや、 “おぼしき” と書いた時点で頭に “ピロシキ” が浮かんできただけで、もしかしたら違う料理なのかも知れませんが、クラリネットとおぼしき…と書いたのは、この楽器が金色をしているからなんですけど。クラリネットというと黒というイメージがあったんですが、こういう金管楽器っぽいヤツもあるんですかね? 何事につけてもアバウトなヴァーブというレーベルだけに、もしかしたら全然違った楽器を水にふやかしているという可能性も無いとは言い切れないんですが、ま、別に 「クラリネット料理」 と謳っているわけではないので、他の楽器でも特に問題はないんですけど。 で、このデフランコくん、日本ではさほど人気が高くは無いと思われるんですが、知名度だけは意外と高くて、それは何故かというとモダン期にクラリネットを吹くという希少性のほか、彼のコンボソニー・クラークが在籍していた影響もあろうかと思うんですが、日本では人気ありますからね、クラーク。 「少年よ大志を抱け」 とか、いいこと言ってるしー。 いや、それはもしかしたら、違ったクラークの言葉だったかも知れないんですが、で、このアルバムにも、ちゃんとクラークは参加しております。他にギターのタル・ファーロウなんかも入っております。 僕の在学中、日進小学校では給食による食中毒事件があって、真偽のほどは定かではないんですが、その原因はタルタルソースであったと噂されておりました。僕は別に下痢になったり、ゲロを吐いたりといったこともなかったんですが、以来、タルタルソースが嫌いになってしまいました。 そんな幼児体験もあってか、僕はタル・ファーロウがあまり好きではなかったりするんですが、そんな僕もオトナになってタルタル嫌いは完全に払拭されたので、ま、いいかという気もするんですけど。 とまあそんなことで、では演奏に耳を傾けてみることにしましょうか。

 1曲目、「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」。 日本ではもっぱら 「言い出しかねて」 という邦題で知られているんですが、原タイトルにはどこにも 「言い」 に該当する単語がなかったりしますよね。 そんなことでイイダコが許してくれるのか?…というと、ぜんぜん関係のない話なので、恐らく許してくれるのではないかと思うんですが、これはアレです。とってもロマンチックなバラードです。 いや、ロマンチックなバラードとして演奏されることが多いので、恐らく歌詞もロマンチックなのだろうと勝手に思い込んでいたんですが、実際は こんなん だったんですな。何だかイメージ、丸つぶれ。 世の中、何事もイメージというのは大切でありまして、例えば小さくて可愛い茸というイメージのあるシメジがオオシメジの大きさになってしまうと、何だかちっともシメジらしくなくて、駄目ですよね。シメジのイメージ、丸つぶれ。 同様にこの 「言い出しかねて」 は、シャイで無口な17歳♪…という女子高生のイメージでなければならないところなんですが、これでは単なるウザいおっさんみたいで、いけません。 で、デフランコの演奏はどうかというと、幸い、しみじみとしたバラード系だったので、ヘンな歌詞を忘れることが出来たんですが、で、ここではソニー・クラークがオルガンを弾いているんですな。クラリネットとオルガンのコンビネーションは決してセンセーショナルとは言えないものの、その分、陝西省 (せんせいしょう) の住民のような朴訥さが感じられて、ま、たまにはこういうのもいいかも知れません。 イントロ無しで、いきなりテーマから始まり、デフランコが主旋律を2回ほどリピートして、その後をクラークが引き継ぐことになるんですが、この人がオルガンを弾くというのはちょっと珍しいですよね。本職でないだけに余計なテクに走ったりすることもなく、淡々としているところが悪くないと思うんですが、とか言ってるうちにクラリネットのソロになりました。基本に忠実な、一音一音を噛みしめるかのような吹きっぷりでありまして、さほどスリルは感じられないんですが、その分フリルがあって、ひらひらしていて、ちょっぴり可愛いです。いいですよね、フリフリ♪ 少なくともフリチンよりはいいよな?…という気がするんですが、でもってソロ2番手はタル・ファーロウです。個人的には、どうでもいいよな。…と思っている人なので、あまり気合を入れて聴く気にもなれんのですが、そつなく自分の仕事をこなしているようには思われます。けっこうドリーミーだったりもするんですが、その後、もう一度クラリネットの短いソロがあって、テーマに戻って、おしまい。 いきなりバラードというのはちょっと意表を突かれた感があるんですが、分かりやすくてよかったのではないでしょうか。

 続いてはアルバム・タイトル曲の 「クッキング・ザ・ブルース」 。 クッキン、クッキン、クーッキン ( せっせ せっせ ) あなたに届け、恋の味〜♪ ま、鯉こくとか鯉のあらいとか、そんな料理を作れば少なくとも鯉の味は届くと思うんですが、さほど味があるものではないんですけどね、鯉。 で、この曲はアレです。ブルースです。ただこれ、さほど濃い味のブルースではなく、鯉の味のようにわりと淡泊だったりするんですが、中ではソニー・クラークのプレイが、さすが!…といった感じでありますな。 クラリネットとベースのデュオで始まり、そこにドラムとピアノが入ってブルースなテーマが演奏されるんですが、作曲したのはベーシストのジーン・ライトのようですね。 で、ソロ先発はソニー・クラークです。 この人のオルガンも悪くないよな。…とか思っていたんですが、やはりこうして聴いてみるとピアノのほうが数段出来がよくて、中でもここでのプレイは彼のキャリアの中でも5本の指に入る…というのは、ちょっと言い過ぎかも知れませんが、5本指の靴下と同じくらいソソられるというのは間違いのないところでありまして、最近、流行ってますからね、5本指の靴下。僕が子供だった頃にも “タビックス” という名前の同等の商品があったんですが、何だか足袋くさい。…というので、当時は不評だったりしたんですけど。 とまあ、かように素晴らしいピアノ・ソロでありましたが、以下、ギター、ベース、クラリネットと続いて、で、このクラリネットのところではクラークがオルガンに転じるといった仕掛けもあったりして、でもって、テーマに戻って、おしまい。…という、いつものパターンなのかと思ったら、テーマに戻らず、いきなり終わってしまったんですが、そういうところを含めて、いやあ、いい出来でしたね。クラリネットでも立派にモダン・ジャズを演奏出来るという、その証しとも言える1曲でありました。

 次、 「スターダスト」 。 これはアレです。僕がまだジャズにド素人だった頃、というと、かれこれ20年ほど前ということになるんですが、ガイジン系としては恐らく初めて買ったに近いジャズのCDに入っていたヤツでありまして、いや、スタンダードばかりを集めたベスト盤だったんですけどね。今から思えばヴァーブの音源から取りあえず寄せ集めてみただけの、かなり出来の悪いコンピだったんですが、中ではこのデフランコの演奏あたりが素人にも分かりやすくて、聴きやすかったように記憶しております。バド・パウエルの 「二人でお茶を」 というのが最悪でした。こんなオッサンと二人でお茶を飲んだら、めっちゃ息が詰まるやろな。…と思わずにはいられませんでしたが、あるいはお茶菓子の饅頭とかも喉に詰まっちゃうかもしれません。 一方 、「スターダスト」 のほうはというと、これはアレです。演奏としては 「言い出しかねて」 と、ほぼニアリーイコールなんですが、1曲目が始まった瞬間、あ!あの時のアレに入ってたヤツや!…と勘違いしてしまったほどなんですが、ま、バラードにおける安定したプレイ…と、前向きに捉えることも出来ようかと思うんですけど。 デフランコはヴァースからきっちり演奏しておりまして、ま、この曲の場合はそれが定番とも言えるんですが、で、そのままテーマに入るのかと思ったら、明確なメロディが出てこないまま、いつの間にやらアドリブ・パートになってしまってる感じで、改めて聴き直してみると、けっこう凝った真似をしてくれちゃってるのかも知れませんね。デフランコ、あなどれません。 で、その後、ギターのちょっと長めのソロがあって、続いてクラリネットとタル・ファーロウとの軽い絡みがあって、最後もまたテーマらしいテーマが出てこないまま、おしまい。 ド素人時代の僕はもしかして、 「スターダスト」 を正確に把握出来ないまま大きくなってしまったのかも知れませんが、いや、意外と奥の深い作りの1曲でありました。

 で、続いては 「ハウ・アバウト・ユー」 。 ソニー・クラークのブルージーなピアノのイントロで始まるミディアム・ファストの軽快なナンバーです。 いかにも歌モノっぽい雰囲気のテーマをデフランコが吹いて、でもってソロ先発はクラークでありますか。 相変わらず快調ですな。いつまでたっても引退しない先代の社長は相変わらず会長だし、バビル2世のしもべのロプロスは相変わらず怪鳥だし、甲斐町というのは山梨県にあるのかと思ったら大阪の堺だったりするんですが、調子がいいというのは、いいことだと思います。 で、続いてタル・ファーロウのギター・ソロが出てくるんですが、いや、なかなかテクがありますな、この人。テクニシャンにして、手暗がり。ああん、だからライトは左側にしたほうがいいって言ったのにぃ。…と、そんな演奏を聴かせてくれるんですが、でもってソロ3番手はデフランコです。めくるめくフレージングは、さすが、スカートめくりの達人といった感じなんですが、かく言う僕は先週、 『実写版まいっちんぐマチコ先生』 を見たりしておりました。マチコ先生はノーパンだったりすることも多く、教師としてちょっとどうかという気がしないでもないんですが、 「こまっちんぐ〜」 のミチコ先生とかも出てきて、非常にアホらしくてよかったです。 で、ここでのクラリネット・ソロは本アルバムでも屈指の出来ではないかという気がするんですが、とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 で、5曲目、 「リトル・ガール・ブルー」 。 小さな女の子がちょっとブルーになっちゃったんですな。お嬢ちゃん、どうしたの?おじさんのおうちで、一緒にお医者さんごっこでもしようか?…と、思わず声を掛けたくなってしまいますが、少女の心のケアをするのは医者として当然の義務ですからね。 …と、前回に引き続いて2週連続の登場なので、とりあえず同じネタをコピペしておいたんですが、いいですよね、リトル・ガール。僕がリトル・ガールが大好きです。いや、年齢がリトルとかそういうことに関わらず、どちらかというと小ぶりなギャルのほうが好きだったりします。いいですよね、小ぶり。 ただ、あまり小ぶりが過ぎるとブリではなく、ワラサやハマチになっちゃう恐れもあるんですが、で、演奏のほうはアレです。バラードです。今までのパターンだと、スロー・ナンバーの場合は伴奏がオルガンになるところなんですが、ここでのクラークはピアノを弾いております。 AABA形式の “Aの部” をデフランコが吹いて、 “Bの部” をタル・ファーロウがギターが担当することになるんですが、ここでクラークがオルガンにスイッチしております。 で、そのままクラリネットのソロへと流れていくんですが、結局のところ、いつもと同じパターンということになっちゃってますね。ま、別にいいんですけど。 で、テーマの再現部は最初の “Aの部” がオルガン、続く “A' の部” がクラリネットで、以下は省略する形で、おしまい。

 ラストです。 『インディアン・サマー』 。 「インドな夏」 といいうのは、どういう夏なんすかね? 毎日、カレーばかり食べるとか? 僕は学生時代、長島スパーランドのプールで監視員のアルバイトをしたことがあるんですが、プールから食堂までが遠くてゆっくり定食モノを食べる時間がなかったので、毎日カレーばかりを食べ続けたことがありました。ま、1週間に1度はカレーでなくてハヤシだったんですが、ああいうのを 「インディアン・サマー」 と言うんですかね? あるいは 「嘘つかない夏」 とか。 …と思って調べてみたら、 「小春日和」 の意味なんですね。サマーなのに小春。 ちなみに小春というのは陰暦の10月のことで、春でもなかったりするんですが、インディアン・サマーには “回春期” (万事が順調で若返ったと思われる晩年) といった意味もあるようです。いやあ、春ですなぁ。 で、演奏のほうは無伴奏ピアノによるバラード調の短いイントロに続いて、リズムが入ると同時にテンポが速くなって、クラリネットがテーマを演奏するという、そういうアレだったりするんですが、いかにも小春日和らしいほんわかとしたムードがいいですよね。 デフランコが軽快なソロを聴かせ、クラークがブルージーなピアノを披露し、続いてタル君も出てきて、とてもいい雰囲気のまま演奏が進められて、でもって、テーマに戻って、おしまい。 とまあそんなことで、今日は以上だす。

【総合評価】

 所詮はクラリネットだしぃ。…というので、意味もなく馬鹿にしてかかってたんですが、いや、思いのほかよかったです。クラリネットだからといって、意味もなく馬鹿にするというのは、よくないな。…という事を思い知らされた気がしますが、バランス的にややバラードが多過ぎる嫌いはあるものの、概ね良好です。 ピアノとオルガンを弾き分けるソニー・クラークの存在がこのセッションを締まったものにしておりまして、彼のファンにも大いにアピール出来る1枚であると言っていいでしょう。 デフランコ、もっと聴いてみよっと♪


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