“木曽三川” というのがあります。木曽川、長良川、揖斐川。この3つの川を総称してこのように呼ぶわけなんですが、中では、どの川がいちばん偉いと思いますか?…という問題について今日は考えてみたいと思うんですが、全国的な知名度でいくと、やはり長良川ということになりますかね? ま、純粋に地理的な見地で言うと、
河川名 | 延 長 | 流域面積 |
木曽川 | 227 km | 9,100 km2 |
長良川 | 166 km | 1,985 km2 |
揖斐川 | 121 km | 1,840 km2 |
最近ではさすがにそういうことも少なくなりましたが、一昔前のワープロの辞書というのはかなりお粗末でありまして、目的の漢字に一発で変換されないことが多々ありました。 “いびがわ” は “揖斐川” 、 “きそがわ” は “木曽川” とちゃんと変換されるのに、“ながらがわ” だけは駄目だったんですよね。“長柄が輪” などと変換されてしまいました。僕は今まで10数年間ワープロで文章を書いていて、 “長柄が輪” などという言葉を使う必要性を感じたのは、ただの一度もないんですが、その他にも “お化け屋敷” と書くつもりが “叔母家屋敷” になったり、 “鳥羽水族館” が “飛ばす遺族間” になっちゃったりとか。 長良川ってけっこう有名な河川だと思っていたのに、叔母家とか飛ばす遺族とかよりも下のレベルやったんや。…と、ちょっぴり寂しい思いをしたものでありますが、実はこれにはちゃんとしたワケがあって、昔のワープロの辞書でも、地名のデータだけはけっこう充実していたんですよね。地名といっても川の名前はさっぱりなんですが、揖斐川町と木曽川町という地名は存在しても、長良川町というのは無かったというのが、正しく漢字変換されなかった理由なのではないかと僕は踏んでいるわけなんですけど。 とまあそんなことで、今日は地味な揖斐川にスポットを当ててみようと思うんですが、題して、 『揖斐への旅 (ワビ・サビ編) 』 。タイトルに “足袋” を盛り込む余地は無かったんですが、つい先日、仕事の関係で揖斐川町に行く機会があったので、ちょっとその話を書いてみようと思うんですけど。
それにしても “揖斐川町” というのは、ちょっと難しい漢字ですよね。いや、字そのものは決して画数が多いということはないんですが、 “揖” とか “斐” って、普段の生活でまったく使う必要のない漢字だったりするので、いざとなるとまったく思い出せなかったりするんですよね。僕も咄嗟には書けません。うちの会社では外出時、ホワイトボードに行き先を記入するというシステムが取られているんですが、“揖斐川町” と正しく書ける自信はまったくなく、かといって “いび川町” とかでごまかすというのも僕のプライドが許さないので、カンニングペーパーを用意して、それを見ながらこっそりと行き先を書いて出発した次第でありますが、いや、仕事そのものは大したことなかったです。 発電機のゴムホースが破裂して、水が漏れているというので現場を見に行くことにしたんですが、えっ?ホースって、これか? こんなん、ミスタートンカチにでも売ってるような、めっちゃ普通のホースやん! 差し込みの部分がガバガバになって抜けてしまったということなんですが、そんなん、先の部分をカッターで切って差し込み直せばすむ話やん! しかも、そのホースが接続されているのは、普段はバルブを閉めたままになっている排水の部分なので、そんなん、ぜんぜん急を要する話とちゃうやん! ま、そのバルブの部分がちょっとアホになっていて、我慢しようとしても、どうしてもチビっと尿漏れしてしまうんぢゃ。…というご老人のように、ちょびちょびと水漏れが生じてはいたんですが、たったこれだけのことで、わざわざ揖斐川町まで呼びつけたんかいっ! こうなったらもう、周囲を観光してやるぅ!…というので、軽く付近をドライブしてみることにしたんですが、いや、来る途中に “揖斐峡” という案内看板が出ていて、ちょっと気になっていたんですよね。 地図を見ると仕事場から車で10分くらいの距離のようで、息抜きにはちょうど手頃でありますな。 とまあそんなことで、行ってみました。こんなところでした。
うーん、まあまあ? 後から調べてみたら、西平ダムの建設によって、ちょっとしたダム湖のようなものが出来たところ。…といった観光スポットのようなんですが、途中、前からクルマが来たらどうするねん!?…と言いたくなるような細い道を胃が痛くなる思いをして走らされたわりには、わりと普通ではないですかね? もう少し先の紅葉シーズンであれば、それなりに気分も高揚したかも知れませんが、決して心の底から納得がいくだけのモノが得られたようには思えません。こうなったら、もっと上流のほうまで行ってやるぅ! 揖斐川の上流では現在、“徳山ダム” の工事が進められておりまして、それが完成した暁には浜名湖の2倍の貯水量を誇る巨大なダム湖が出来るそうですが、仕事中にサボって見学に行くには、ちょっと遠すぎますかね? 地図を見ると揖斐峡の少し先のところに “久瀬ダム” というのがあるみたいなので、今回はそこで我慢することにしますかね? 途中、久瀬トンネルを越えたところに “恋のつり橋” というのがあって、ちょっと気になったんですが、とりあえず今は先に進むとして、で、いよいよ目的地の久瀬ダムに到着♪ クルマを運転しつつ、ちらっと横目で見ただけなんですが、決して心の底から納得がいくだけのモノが得られたようには思えなかったので、更に先に進むことにして、が、この調子だとどこまで行っても限がないので、とりあえず温泉施設なんかもある “星のふる里ふじはし” という道の駅を散策して、そこで引き返すことにしました。 何かウマそうなものでもないかと期待したんですが、 しいたけ(小) とか、 しいたけ(中) とか、 しいたけ(大) とか、そんなものしかなくて、いや、 “わたしはだーれみそだーれ” という名前の味噌ダレとかもあったんですが、何となく気分が荒んでいたので何も買わずに店を出ることにして、いやあ、まったくといっていいほど何の収穫もない実に無駄なドライブでありましたなぁ。。。 こうなったらもう、帰りに “恋のつり橋” に寄ってやるぅ!
つり橋そのものも国道からよく見えるんですが、ちょっと目立たない感じの看板も設置されております。 もしこれが無かったら、ただのつり橋ぢゃん。…とか思って、そのまま通り過ぎてしまうところでした。危ないところです。 で、国道脇に車を止めて川のほうに歩いていくと、何やら大きな案内板のようなものが立っておりました。 このつり橋がいつ、どのようにして “恋” になったのか。その由来が書かれているに違いないと思って、そっちのほうに近付いてみると…
歌詞が書いてありました。 「久瀬夢ろまん」。 どうやらデュエット曲のようです。
(男) いいね (女) いいわよ (男女) どこまでも
2人の会話は今ひとつ盛り上がってないような気がしないでもないんですが、なさけ揖斐川、ふたりで架ける、恋の吊橋、ゆらゆらゆらり♪ ここに “恋のつり橋” が登場するわけでありますな。 この歌にちなんで “恋のつり橋” が架けられたのか、それとも、ここに “恋のつり橋” が架かっていたからこういう歌詞が作られたのか、さばぴょんにはまったく見当が付かないので、ここは、くまぴょんに聞いてみることにしましょう。 ここ にその経緯が書かれております。なるほどぉ! とにかく “恋のつり橋” なんだねっ♪…ということがよく分かったんですが、好きな女の子と一緒に渡ると橋がゆらゆらと揺れて、 「ああん、恐いのぉ。。。」 と腕にしがみつかれてたりして、より一層、ラブラブ度が高まるんだよね♪…という効果は期待出来るかも知れませんね。 ユラユラだけで心許ない場合には、蜂だとか巨大な昆虫だとか、そういうギャルが恐がりそうなものを併用するとより効果的ではないかと思うんですが、ただ、僕は駄目ですね。僕は高いところが大の苦手なので、 「ああん、恐いのぉ。。。」 とギャルにしがみつかれる前に、自分のほうがヘナヘナとへたり込んで、恐ろしさのあまり、ちょっぴり尿漏れしたりもして、ラブラブ度は谷底に転落しちゃうに違いありません。蜂だとか巨大な昆虫の類も大の苦手だったりするので、もしギャルが蜂に刺されたりしても成すすべが無く、「と、とりあえず刺されたところを消毒せんと!」…と、局部を露出してオシッコを引っ掛けようとしたりして、ああん、もう、サバ君って、最低っ!!
…という事態が懸念されるところなんですが、幸い、この “恋のつり橋” はそれほど恐くなかったりするので、失態や変態性を曝け出すことなく、なんとか対岸まで歩いて行けそうな気がします。
欄干が低いので、簡単に転落しそうなんですが、床板の部分にはまったく隙間がないので、高所恐怖症の僕でもさほど恐怖を覚えることはありません。で、歩くと微妙に揺れたりするんですが、2人で歩調を合わせて歩くと、もうちょっと、ゆらゆらゆらり♪…なんでしょうかね? ちなみに、看板には 「安全の為、5人以上の通行は御遠慮下さい」 などと書かれていたんですけど。 で、無事に橋を渡り終えると、そこには…
“恋の鐘” がありましたー♪ これを2人で鳴らすと、ラブラブ度がますます高まることになるんでしょうな。僕は一人だったので鳴らしませんでしたけど。 で、その横には “ハート型の絵馬をお供えして祈願する場所” みたいなのがありました。 どれどれ、みんな、どんなお願いをしているのかなー?
恋、関係ないやん!…と思わずにはいられませんが、いや、窪田○人クンの場合、沖縄で素敵なギャルと出会って、もう一度、あの彼女に逢いたいな♪…という、そんな恋心が秘められているのかも知れませんけどね。 いずれにせよこの窪田クン、“窪田” などという難しい漢字を書けるだけでもエライよな!…という気がするんですが、もし僕が窪田クンだったとしたら、プライドを捨てて “くぼ田” とか書いてしまったに違いありません。 で、一方の裕也クンはというと、テストで100点を取りたいとかそういうことではなく、平均点というところが何とも謙虚でいいですよねー。 せめて人並みの人生を送りたい。 そういう、ささやかな願望を抱いているようなんですが、ただ、そんなことを “恋の鐘” にお願いしても、たぶん駄目だとは思いますけど。 かように、正しい扱い方が周知されていないような気もする “恋のつり橋” なんですが、無論、きちんと恋に関する正しいお願いをしている感心な少年というのもおります。
カズヤくん、4Pかいっ! ま、筆跡がどれも同じなので、カズヤくんがアイコちゃん、リカちゃん、アイちゃんと4人で手をつないで、人数制限ぎりぎりで “恋のつり橋” を渡ったというわけではなく、単なる個人的な願望ではないかと思うんですが、アイコちゃんが本命で、リカちゃんが対抗、で、アイちゃんが大穴なんすかね? いずれにせよ、けしからんっ! 一人にせえよ、カズヤ!…と、呼び捨てにしたい気分でいっぱいなんですが、無論、1対1で永遠の愛を誓い合う、こんな正しいペヤング達だっています。
あっちゃんからこんなことを言われて、めっちゃ羨ましいぞ、みーくん! が、よく見るとこの絵馬には疑問点が3つほどありますよね。 (その1) どうして日にちが2日分書いてあるんですかね? 2006.6.3 と 2006.8.18 …って、この2ヶ月半の時間差はいったい何を意味するんでしょうか? で、(その2) の疑問として、あっちゃんと、みーくん、どうして違った種類のマジックで書いてるんや?…というのもちょっと気になるんですが、ま、みーくんの場合、ハートの下のほうしかスペースがなくて、ちょっと書きにくいから細いマジックを使ったという推理は成り立つんですが、一方、上に書かれた2つの数字はいずれも “あっちゃんマジック” で書かれてますよね? 僕は最初、この2人は別々に来て、あっちゃんの2ヵ月半後にみーくんが来て、下の部分を付け足したのではないか?…と思ったりもしたんですが、となると 2006.8.18 という数字を “みーくんマジック” で書かなかった理由がよく分かりません。筆跡を見ても、どちらも、あっちゃんっぽいですしねー。 で、(その3) の疑問点は “MAVELY”って何!?…ということなんですけど。こんな単語、ありましたっけ??? “ラブリー” と “マブリー” を間違えて覚えてた? もしくは “マブくてラブリー” という意味の造語? もしかして、ナウなヤングの間ではよく使われていたりするのか?…と思って調べてみたら、人の名前で “MAVELY” とかありそうな感じではあったんですが、それにしても、どうして絵馬の最後に “MAVELY”? 気になって気になって、夜も寝られへんやん!…といいつつ、朝まで爆睡して今、目が覚めたところなんですが、爆睡していたので若山牧水の夢とかも見ませんでしたな。ま、浅い眠りでも浅井クンの夢とかはあまり見なかったりするんですけど。 僕の場合、何かツラい事とか嫌なこと、もしくは早く片付けなければならないのに面倒でずっと放置している仕事などがある場合、とりあえずは寝ることにして、明日の朝起きたら、きっと何とかなっているだろう。…と、物事を楽観的に捉えるようにしているんですが、それで何とかなった事というのは、今までただの一度も無かったりするんですけど。 で、この “MAVELY問題” も、朝起きたらきっと解決しているよね?…と思っていたにも関わらず、朝起きてもずっと謎のままだったりして、いったい僕はどうしたらいいんでしょうか?
あっちゃん、こんなみーくんで、エエんか? ずーっとそばにいたら、一生 “MAVELY” で頭を悩ます事になるでー! そんな人生、幸せかー? この際、みーくんはヤメて、さばクンに乗り換えるというのは、どやろ? …というのをひとつ提案させて貰ったところで、今日のところはおしまい。最後に一言。 マブくてラブリーなあっちゃんに、乾杯♪
ということで、今日はビクター・フェルドマンです。いいですよね、フェルドマン。 フェルドマンにお金を預けておけば、どんどん利子が増えるどマン。…という気がして、とってもリッチな感じがしたりするんですが、ま、ひとつ間違えると、どんどん元金が減るどマン。…ということにも成りかねないんですけど。ハイリスク、ハイリターンでありますなぁ。 とまあそんなことはどうでもよくて、ビクター・フェルドマンはですね、イギリス出身のピアニスト、ヴァイブ奏者、パーカッショニストであるヴィクター・フェルドマンは、1956年頃ロサンゼルスに移住します。ジャズの常識にとらわれない柔軟な発想が彼の持ち味で、一曲の中でピアノとヴァイブを途中で切り替えるようなユニークなプレイには、後のキース・エマーソンを思わせるものがあります。…と、 ここ に書かれているような経歴、及びスタイルの持ち主でありまして、いや、こんなロック系のサイトに名前が出てくるとはちょっと意外でしたな。 あ、 こっちのほう がもうちょっとだけ詳しかったりするんですが、そうそう。 『ジ・アライバル・オブ・ビクター・フェルドマン』 というのが洒落たジャケットも相俟って、日本ではわりと有名だったりしますよね。 ただ、3人もの全身像のジャケ絵を書くというのはあまりにも面倒なので、このコーナーでは唯一、 こんなアルバム が紹介されたことがあるだけなんですが、そうですか。当時の僕、おちょぼ稲荷の近くでナマズの蒲焼を食べてたんですな。 文中に登場する “同行おっさんのもう1人は私の会社のエライ人” というのは長縄所長代理のことなんですが、結局、このオッサンは1円も出すことなく、そのまま去っていってしまったので、僕が1万2000円も負担する破目になっちゃったんですよね。会社に接待費の領収書を回す手続きがよく分からず、面倒なので自腹を切ることにしたんですが、そうまでして食べるだけの価値がある食べ物では無かったような気がしますな、ナマズの蒲焼。天麩羅にしてドンブリ飯の上に乗せて食べたほうがいいような気がします。
とまあそんなことで、今日は 『ラテンズヴィル!』 という1枚を紹介したいと思うんですが、時に “英国紳士” などと称されることもあるフェルドマンとラテンの組み合わせというのは、ちょっと意外な感じでありますな。もっともヴァイブのいう楽器はラテン系のジャズで用いられることも多いので、さほど意外でもないよな?…という気がしないでもないんですが、それはそうと、このアルバムのジャケットは何とも妖しげだったりしますよね。 情熱的なラテン系ダンス♪…と見えなくもないんですが、 「ぐへへへへ、ネーチャン、ええやろ?」 「ああん、やめて下さいっ!このケダモノぉ〜!」 といった、2人組の不良少年による婦女暴行シーンのように見えなくもありません。 ねーちゃん、タンクトップを脱がされかかって、かなりピンチの様相なんですが、この後、バチーンとビンタをくらわせそうな勢いでもあるんですけど。 何でもいいけどこの “Wikipedia” にある写真、 これ はどうみてもタンクトップというより、ただのランニングシャツでは無いですかね? で、この作品はパーソネルがかなりゴチャついていて、ページ上部の記載は恐らくちょっと間違えているような気がするんですが、あ、そうそう。前回からこの 【パーソネル】 と 【収録曲】 の記述方法をちょっとだけ変えてみました。以前は 【パーソネル】 のところがイタリック体だったんですが、ただ見難いだけやん!…という気がしないでもないので、太字に変更してみました。 で、今回から 【収録曲】 のところに曲順を明記することにしたんですが、1曲ずつ数字を書いたらゴチャゴチャして分かりにくくなってしまったので、左端にまとめて書いておくことにしました。で、CDオマケ曲は赤字で記載することにしたんですが、このアルバムにはその赤字を含めて全部で17曲も入っていたりするので、悠長にそんな説明をしている場合ではありませんな。先を急ぐことにしましょう。
えーと、まず最初は 「サウス・オブ・ザ・ボーダー」 でありますか。 「国境の南」 という邦題で知られるラテン曲(?)なんですが、いいですよね、「国境の南」。 少なくとも 「仏教のイヤミ」 よりはいいよな?…という気がするんですが、そんなに信心深いキャラのようには見えませんからね、 「おそ松くん」 のイヤミ。 とまあそんなことで、ここで簡単にパーソネルを整理しておきたいと思うんですが、基本となるセッションはフェルドマンのヴァイブ以下、コンテ・カンドリのトランペット、フランク・ロソリーノのトロンボーン、ウォルター・ベントンのテナーと3本の管楽器が入って、ピアノがヴィンス・グアラルジ(?)で、ベースがスコット・ラファロ、ドラムスがスタン・リーヴィで、その他、ラテン系のパーカッションが3人ほど入るという構成になっております。いいですよね、コンテ・カンドリ。僕はカンドリ君が神取忍と同じくらい好きだったりするんですが、後はまあ、曲によって多少、参加者が入れ替わったり、減少したりといった変化があったりします。 で、1・3・7曲目ではスコット・ラファロの替わりにアル・マッキボンがベースを弾いてたりするわけなんですが、演奏のほうはアレですな。これってもしかして、キワモノ? ジャケットは婦女暴行だしぃ。…という懸念が持たれていたんですが、意外とマトモだったりするんですよね、これがまた。ヴァイブによるイントロに続いてとってもラテンなパーカッションが登場して、でもってホーンのアンサンブルがあって、フェルドマンがヴァイブでテーマを演奏して、そこに管楽器が絡んできて、でもって、ソロ先発はヴィンス・グアラルジ(?)とかいう人のピアノでありますか。 軽くて甘い感じのタッチ…とか言ってるうちにアンサンブルが出てきて、続いてロソリーノのトロンボーン、フェルドマン、ウォルター・ベントンのテナー、そして再びピアノと、短いソロが入れ替わり立ち代わり登場して、テーマに戻って、おしまい。何だかとっても慌しい演奏でありましたが、ま、ラテン・ジャズとしては正当派と言えるのではなかろうかと。
ということで2曲目です。 「シーズ・ア・ラテン・フロム・マンハッタン」 。彼女はマンハッタンから来たラテンなんですかぁ。そうですかぁ。 で、演奏のほうはと言うと、これはアレです。ラテンです。2・4・11曲目はちょっと参加メンバーが換わっていて、フェルドマン以下、アンディ・トーマスのピアノ、トニー・レイエス(?)のベース、それにプラスすることのティンバレス&コンガという、わりとシンプルな小編成になっていたりします。そのおかげで、より一層フェルドマンのヴァイブを堪能出来ることになるわけですが、適度にグルーヴィで、そこそこドルーピーで、悪くないですよね。 「トムとジェリー」 の真ん中のドルーピー、けっこう好きだったんですよね。玉川良一がなかなかいい味を出してました。 で、続くトーマスくんのピアノ・ソロもなかなかよかったりするんですが、ということで、次です。何せ全部で17曲も入っているので、いちいち真面目に解説していられないわけなんですが、3曲目は 「フライング・ダウン・トゥ・リオ」 。そうですかぁ。リオまで飛びますかぁ。岐阜の真正町というところに “真正リオワールド” というショッピングセンターがあって、かつて、発電機用のエンジンが壊れたというので飛んでいったことがあるんですが、ここでいうリオというのはリオワールドではなくて、リオデジャネイロのことなんでしょうな、多分。 いいですよね、リオ。 リオのカーニバルと大阪の “かに道楽” は日本人の憧れだったりするんですが、かに道楽同様、リオのギャルも “とれとれぴちぴち” だったりして、いいですよね。 で、演奏のほうはというと、ちょっとゆったりしたテンポのラテンとなっておりまして、イントロの後、テナーとトランペットとトロンボーンの3管によってテーマが演奏され、そこにヴァイブとピアノがなかなかいい感じに絡んできたりして、ということで、次です。 いくら全部で17曲も入っているからと言って、あまりにも手抜き過ぎではないかという気がしないでもないんですが、4曲目は 「キューバン・ピート」 。これはアレですね。キューバのピートですよね。ピートというのは男の名前で、ペーターの愛称とのことなんですが、ペーターと言えばアルムの森の山羊飼いで、あまりラテンという印象が強くはなかったりするんですけど。 が、そこはさすが、ペーターはペーターでもキューバのペーターだったりするので、必要十分にラテンなキャラとなっておりまして、2曲目と同じシンプルなほうの編成だったりするんですが、ヴァイブとピアノ以外にトニー君のベースもちょっとだけ活躍していたりして、吸い付くようなとっても吸盤な世界を楽しめるようになっております。
で、続いては5曲目です。 「ザ・ジプシー」 。いいですよね、ジプシー。少なくとも痔の藤井クンよりはいいよな?…という気がするんですが、3管入りの基本編成からロソリーノとスタン・リーヴィが脱退した8人組によって演奏されております。そんなにもたくさんの人がいるのか?…といいたくなるような、静かな感じの仕上がりとなっておりまして、フェルドマンがいかにもジプシーらしい哀愁味を帯びたテーマを演奏しております。バックのチャカポコなリズムが幾分、気怠いムードを阻害してはいるんですが、ヴァイブとピアノの地味な絡み具合もなかなか良好で、結局、ホーンは一度も出てくることなく終わってしまうことになるんですが、こりゃ絶対、パーソネルの記載が間違っていますよね。ま、別にいいんですけど。 で、6曲目はおなじみのスタンダード、 「ポインシアナ」 でありますか。大阪のママは子供が道ばたでウンコのついた汚いパンツとかを拾ったりすると、 「そんなん、はよポイしやな!」 と、所有権の放棄を促す旨の発言をしたりしますが、ま、確かに尿漏れでちょっぴり黄ばんだパンティならともかくとして、ウンコのついたブリーフというのは即座にポイしたほうがいいとは思うんですけどね。 で、 「ポインシアナ」 というのはそんな話とはまったく関係がなく、熱帯性常緑小高木の花を歌った作品ではないかと思うんですが、さすがは熱帯性の常緑小高木だけあって、ラテンのリズムがよく似合う曲だったりしますよね。激しいリズムと派手派手な3管のハーモニーが印象的なイントロに比べ、ヴァイブ主体で演奏されるテーマ部はちょっと肩透かしを食ったような感じなんですが、ま、途中からホーンとの絡みもあったりして、それなりに持ち直してはいるんですけど。リーダーに気を遣い過ぎたのがちょっぴり裏目に出てしまっておりますが、以下、テナー、ピアノ、ヴァイブと続くソロは悪くないので、ま、いいんじゃないかという気がします。ということで、テーマに戻って、おしまい。
7曲目、 「レディ・オブ・スペイン」 。これはアレですな。スペインの淑女ですよね。ぱっと聴いた感じ、微妙にスペインではあるが、ぜんぜん淑女ではないよな。…という気がしないでもないんですが、でもまあ、地球のオトコに飽きたと公言して憚らないミーちゃんとケイちゃんが “ピンク・レディ” などと、桃色ながらも堂々と淑女を名乗っているくらいなので、別にいいとは思うんですけど。 で、演奏のほうはというと、3管のハモリを活かしたミディアム・テンポのラテン系でありまして、ソロ先発はフェルドマン、短いホーンのアンサンブルを挟んで、テナー、ピアノと続いて、テーマに戻って、おしまい。全体を通してボンゴだかコンガだかの目立つ1曲でもありました。 続く8曲目の 「スペイン」 はチック・コリアではなくて、作曲者にはカーン、ジョーンズという名前がクレジットされています。 日本人に分かりやすい感じのミディアム・テンポの佳曲でありまして、データ上は管楽器の3人がすべて顔を揃えたセッションということになっているんですが、実際にはヴァイヴ+ピアノ・トリオ+打楽器チームによる演奏となっております。 ちょっとしたごく短いプチ小品といった感じで、ま、悪くはないと思いますね。 で、続いては 「キューバン・ラブ・ソング」 でありますか。キューバの愛の歌。 キューバのカストロ議長はカステラで女を口説くと言われておりますが、 「どや、福砂屋やで。」 みたいな。文明堂とか長崎堂と言わないところがなかなかのマニアだと思いますが、議長でない一般の市井の人たちはこういう歌でギャルを口説いたりしているんですな。さほどロマンチックな感じの曲でもなくて、これで果たして本当にギャルが靡くかどうかはサダカではないんですが、ぱぱぱっ♪…な3管をバックにフェルドマンがテーマ・メロディを演奏して、で、ソロ・パートはヴァイブ、テナー、ピアノの順になっておりますな。 とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。
10曲目の 「イン・ア・リトル・スパニッシュ・タウン」 は、小さなスパニッシュなタウンの中をテーマにした作品なんですが、さすがに同じようなムードの曲ばかりが10曲も続くと、ちょっと飽きてきちゃいますよね。 テーマをラテン1本に絞るのではなく、ラテンと古典落語みたいに世界を広げたほうがよかったような気もするんですが、とりあえずここではコンテ・カンドリのソロがちょっとだけ聴けるところがとりあえずのウリではなかろうかと。 11曲目、 「フィエスタ」 。 管抜きの縮小版編成で、ヴァイブのプレイをゆっくり楽しめるところがとりあえずのウリなのではなかろうかと。 アンディ・トーマスのピアノもなかなかいい感じだと思います。 12曲目、 「ウディン・ユー」 。 高松の家庭ではお母さんに 「今日のお昼、何ー?」 と質問すると、 「ウドンよぉ。」 …という答えが返ってくることが少なくないんですが、ディジー・ガレスピーのペンによる 「ウディン・ユー」 というのは、ウディ・ハーマンに捧げられた曲でしたっけ? タイトルは 「ウディとあなた」 といった意味ですよね。 「ウドとあなた」 ではありません。 『ウドちゃんの旅してゴメン!』 という名古屋ローカルなテレビ番組で、“恋のつり橋” を訪れたウドちゃんが 「久瀬夢ろまん」 を即興で歌ったそうなんですが、ウドンがわりと好きな僕はこの 「ウディン・ユー」 もわりと好きだったりするので、もしギャルに 「これ、何ていう曲?」 と聞かれたりしても、ちゃんと答えられる自信はあります。 で、この、ヴァイブと3管のコール&レスポンスで演奏されているフェルドマン版は、まあまあかな?…といった感じの仕上がりだったりするんですが、コンテ・カンドリ、フランク・ロソリーノ、フェルドマンと続くソロは、各自の持ち時間が短いながらもなかなか充実しておりまして、ジャズとして鑑賞に値する出来であると言っていいかも知れません。 ということで、セカンド・テーマみたいなアンサンブルのパートがあって、最後にファースト・テーマに戻って、以上でオリジナルなLPフォーマットによる演奏はおしまい♪
残る5曲はCDオマケなので簡単に流しておこうと思うんですが、演奏年月日はこちらのほうが3ヶ月ほど古いものだったりするんですよね。 フェルドマンがヴァイブではなく、ピアノに専念していたり、2つの楽器を交互に演奏してたりするのが特徴だったりするんですが、フランク・ロソリーノとウォルター・ベントンの2人はこっちのほうのセッションにも顔を出しておりますな。 で、ラテン系のパーカッションが不参加である事が大きな特徴だったりもするんですが、まずはえーと、オリジナル・セッションのほうでも演奏されていた 「ポインシアナ」 でありますか。ウンコのついたパンツの話は、もう書かなくてもいいですよね。 テナーとトロンボーンのユニゾンによる重厚な感じのイントロであるな。…と思っていると、ここで急にテンポが速くなって、テナー主導によるテーマ部の演奏が始まるんですが、ストップ・タイムを多用したり、ロソリーノが絡んで来たりといったアレンジがなかなか凝っていて、テナー、トロンボーン、ヴァイブ、合奏パートを挟んでスコット・ラファロのベースと続くソロにも十分なスペースが取られていて、いや、ジャズとして聴くには断然、こっちのほうが素晴らしいですな。 これは残りの4曲にもかなり期待が持てるところなんですが、あ、そう言えば13曲目でフェルドマンは思いきりヴァイブを演奏しといて、ピアノしか弾いてないような書き方をしてある輸入版のパーソネルは大嘘でありましたな。ま、今さら訂正するのも面倒な話なので、上のところの記述はそのままにしておきますけど。
で、続く14曲目の 「パンチョ」 は、とってもパンチョな感じの曲ですね。…と思っていたらさほどでもなく、わりと普通のハード・バップだったりするんですが、オーソドックスなオフ・ビートの4ビートがラテンのリズムにすっかり飽き飽きした身には、かえって新鮮に聞こえたりします。 2管のユニゾンにニック・マーティンスのドラムスがきっちり合わせる感じでテーマが演奏された後、ソロ先発はロソリーノでありますな。 で、それに続くピアノのソロがなかなかいい感じだよね。…と思ったら、これが恐らくフェルドマンの演奏ということになるんだと思うんですが、成るほど。確かにピアノだけでも十分に食っていけるだけの実力の持ち主でありますな。小粋な感じがいかにも紳士然としていて、悪くないです。続いてベントンのテナーが登場するんですが、いいですよね、トン弁。僕は豚カツとか、豚の生姜焼きといったおかずの入ったトン弁がけっこう好きだったりするんですが、とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 で、15曲目はお馴染みのスタンダード、 「ザ・ブリーズ・アンド・アイ」 でありますか。 「そよ風と私」 という邦題でよく知られているんですが、個人的にはブリーズよりもブリーフのほうが好きだったりするので、あまり好きな曲ではなかったりします。 ちょっと変なメロディだったりしますからね。 ただ、アドリブの素材としてはなかなかいいかも知れなくて、ここでもソロの先陣をきるフェルドマンのヴァイブが、なかなか気合入りまくりだったりしますよね。彼がピアノとの兼任である関係で、ここではピアノレスの演奏になっているわけなんですが、おかげでちょっぴり前衛的な仕上がりになっていたりするところも悪くないと思います。ラファロのベースもさすがといった感じですよね。以下、ちょっぴり変態的なベントンのソロがあって、いい感じのロソリーノのソロがあって、vib→ds→vib→ds の4バースで大いに盛り上がって、最後にテーマに戻って、おしまい。 いや、曲はともかくとして、演奏のほうはなかなかいい出来なのでありました。
続く 「ブルース・ブロース」 は、ちょっぴりブルースで、幾分、ズロースっぽくもあったりする曲です。ヴァイブ、テナー、トロンボーンの順でソロ回しが行なわれた後、ドラムスやベースのソロをフィーチャーするパートもあったりして、テーマに戻って、おしまい。 で、最後に 「レディ・オブ・スペイン」 の、ちっともスペインではないワルツ・バージョンが演奏されたりして、ということで、今日のところは以上です。
【総合評価】 1曲目が始まった瞬間、やっぱりラテンっていいよね♪…という気がしたんですが、10曲目あたりですっかり飽きてしまいました。 こうもずっとラテンばかり続くと、さすがに体力的にもちょっとツライですなぁ。。。 で、一方、当初の期待度が0%に近かったCDオマケの5曲のほうはなかなか素晴らしい出来でありまして、ラテンのリズム、もしかして余計だったかも?…というのが結論と言えるかも知れません。 ま、最初のうちはなかなか楽しく聴けたので、6曲目の 「ポインシアナ」 が終わった時点で一気に13曲目まで飛ばして、ラテンでない 「ポインシアナ」 から先がB面だと考えるのもひとつの手かも知れません。