BENNIE GREEN (TIME)

BENNIE GREEN (1960/9/27)

BENNIE GREEN


【パーソネル】

BENNIE GREEN (tb) JIMMY FORREST (ts) SONNY CLARK (p)
GEORGE TUCKER (b) ALFRED DREARES (ds) JOE GORGAS (conga,bongo)

【収録曲】

SOMETIMES I'M HAPPY / COOL STRUTTIN' / SOLITUDE
SONNY'S CRIB / BLUE MINOR / AND THAT I AM SO IN LOVE

【解説】 (2007年04月30日更新)

 今日は “かいせき料理” について考えてみたいと思います。 この原稿が更新される頃はゴールデンウィークの真っ裸だと思いますが、あ、間違えました。 ゴールデンウィークの真っ只中だと思いますが、…と書こうとして、ちょっとタイプミスしてしまいましたが、連休を利用して温泉地などに出掛けて、真っ裸になるという機会も多いのではないかと思います。 僕なんかは旅行に行っても素泊まりのビジネスホテルに泊まることが多く、晩飯はスーパーの惣菜売り場で “ちくわの磯辺揚げ” なんかを買って済ませることが多いんですが、ちょっと高級な温泉旅館なんかに泊まったりすると、お夕食は “かいせき料理” ということが多かったりしますよね。 “かいせき料理” というのはご年配のご婦人だとか、やや年齢層が高めのおばちゃんとかにはわりと喜ばれるんですが、お子様とか若いニーチャンの間では概ね不評でありまして、何かよく分からんものがちょこちょこと出てきて、ちっとも腹の足しにならんやんっ!…というのが、今ひとつ評判がよろしくない要因ではないかと思うんですけど。 確かに “かいせき料理” というのは何だかよく分からないものが少しずつ出てきて、ちっとも腹の足しにならなかったりしますからね。 よく分からない。量が少ない。物足らない。 以上の3点が、僕の “かいせき料理” に関して持ち合わせている知識のすべてだったりするんですが、こうしてみると僕たちは “かいせき料理” に関して、あまりにも物事を知らなさ過ぎますよね。無知であると言ってもいいと思います。 “かいせき料理” と言うくらいだから、貝と赤飯が出てくるんやろ?…などと思っているオッサンもいたりして、無知もここまで来ると論外であると言わざるを得ません。もってのほかです。 このオッサンは国語だとか日本料理だとか一般常識だとか、いろんな分野について今一度、イチから勉強しなおす必要があると思うんですが、もしかしたらこのオッサンは、 “かいせき料理” って、わざわざ平仮名で書いてあるから間違えるんやんっ!…と、自らの無知を棚に上げて、逆ギレ的に反論してくるかも知れません。 知らないなら知らないで、「そっかぁ。おじさんバカだから、ちっとも知らなかったなぁ。」…などと明るく言って、頭でも掻いていればそれなりに可愛げもあるんですが、無知なオッサンというのは概して、何にも知らない癖に妙にプライドだけは高かったりするんですよね。 野球のキャッチャーがオトコの股間を守る為にレガースを着用するのと同様、無知なオッサンはオトコの沽券を守るために妙な理屈で武装したりするんですが、僕がわざわざ “かいせき料理” と平仮名で書いたのは無論、それなりの理由があります。 漢字が分からなかったから。…というのがその主な理由なんですが、コドモの頃から漢字の書き取りテストがめっちゃ苦手でしたからね、僕って。

 ところで、 “かいせき料理” にはいくつかの種類があるというのを君は知っていたかな? 僕は知っていました。 知っていたからこそ、敢えて “かいせき料理” と平仮名で表記したんですが、同じ “かいせき料理” という呼び方でも、その中身によって使われる漢字が違ってくるわけなんですよね。 まず最初が “貝赤料理” と呼ばれるものなんですが、これは貝と赤飯が出てくる料理のことですよね。 “赤貝料理” ではないので、これに用いられる貝類は赤貝に限らず、バカ貝でもまったく問題はないんですが、やっぱりちゃんとそういう料理もあるんやん!…などと、さっきのオッサンは勝ち誇ったような態度を取ってはいけません。 そんなん、ネタに決まってるやんっ!…という事に気付かないようでは、到底 “無知” からの脱却は期待出来ないわけでありまして、“かいせき料理” といえば “会席料理” 、もしくは “懐石料理” 。 この2つが代表的なところであると言っていいでしょう。 漢字の書き取りがめっちゃ苦手だった僕もパソコンさえ使えばたちどころに漢字混じりの文章をモノにすることが出来て、とっても便利だったりするんですが、ちなみに “かいせき” という読みの候補としては上記の2つ以外に “解析” “階席” “怪石” というのがあったりします。 “解析料理” というのはアレですな。 スープは鶏ガラベースの醤油味。魚系のダシを適度に効かせた東京西部系。麺はやや細めで、弱く縮れたもの。スープの絡みが今ひとつだが、スープ自体がかなり濃い味付けなので、それほど気にはならない。チャーシューは鹿児島産黒豚の皮付き三枚肉を特製のタレに漬け込み、凧糸にはゲイラカイト付属の“JBSO 凧糸 ボビン巻 スティック型 80m” を178cmの長さに切って使うというこだわりようで…などと素材や製法に関してこと細かく、どうでもいいような解析を加えて楽しむという料理でありまして、個人的にはそういうのってただ疲れるだけで楽しくもなんともないので、出来れば遠慮させて頂きたいところでありますなぁ。 で、 “階席料理” というのはアレです。社員旅行とかでドライブインのようなところに連れて行かれて、 「塩サバ物産御一行様、どうぞ2階席にお上がりくださーい。」 …といった形態で提供される料理でありますな。質的にはあまり高級なものは期待出来ないと思っておいたほうがいいでしょう。 で、 “怪石料理” に至っては、どんなものなのかまったく見当が付かないんですが、何だか食べたら腎臓結石とか尿道結石になっちゃいそうで、あまり積極的に食べたい料理ではないような気がします。

 となるとやはり、 “かいせき料理” は “懐石” か “会席” に限ると言えそうなんですが、漢字の書き取りテストに出題されたら正しく書ける自信がない“懐石料理”というのは本来、お茶の席で出されるものなんだそうですね。 “懐石” というのは読んで字の如く “懐を温めるための石” のことなんですが、それに関しては このサイト に詳しく書かれておりますので、ここでは割愛することにして。 で、懐石料理というのは “体を温める程度の軽い食事” の事なんだそうで、なるほど、通りで何とも量が少なくて、物足らなかったりするわけなんですな。 あまり食い過ぎて腹いっぱいになると肝心のお茶の味が分からなくなるので、お茶の席での食事は控えめに。…という方針のようなんですが、一方、漢字の書き取りテストに出題されても何とかなりそうな “会席料理” のほうはですね、酒を飲んで、ぱーっとやる時の料理なんだそうです。会席とはもともと連歌や俳諧の席のこと。 江戸時代にこういった会席が料理茶屋で行われるようになり、酒席向きの料理が工夫されるようになった。 ( Wikipedia より無断で勝手に転載。 ) …というのが事の発端のようでありまして、となると、懐石よりも会席のほうが豪華ということになりましょうか? ま、最近ではこの2つが混同されて、ワケが分からなくなっているというのが実情なんですが、ぱーっと豪華な “会席料理” を謳っておきながら、体を温めるくらいのシケたものしか出てこなかったり。その癖、お値段のほうは無法としか思えないほどクソ高かったりして、懐のほうはすっかり寒くなってしまったり。 礼儀作法にこだわり、素材や調理法にも心を配って、料理を出す順番もきちんと決められている懐石料理に対して、会席料理のほうは、ま、細かいことはかめへんやん。…というので、硬くて噛めへん鮑とかを出されても、あまり文句は言えないところなんですが、最近では日本料理に限らず、格式ばったコース料理のことを “会席料理” もしくは “懐石料理” と称する傾向にあるようです。

 かように成り立ちの違う “懐石” と “会席” なんですが、基本的なところでは共通している部分もあったりします。 “一汁三菜” を基本とする。…というのがその共通部分なんですが、ご飯の他には汁物が一品とおかずが三品。 おかずの三品は主菜一品と副菜二品からなり、例えばメインが金目鯛の煮付だったりしたら、副菜として白菜とザーサイが付く…みたいな。 日常的な食事であればこれで十分なんですが、これがもし温泉旅館での料理ということになると “一汁三菜” ではちょっと物足りない…というか、かなり不満の声があがることになろうかと思います。 汁物がお汁粉で、おかずはえーと、ワラビの煮たの、ゼンマイのおひたし、ウドの酢味噌あえって、三菜が全部、山菜やんっ!…というのでは、三歳児だって文句を言うに違いありません。 “三汁十五菜”とまでは言わないまでも、ま、汁物のほうは三杯も飲んだらそれだけで腹がだばだばになっちゃうので “一汁” で十分なんですが、せめておかずは “七菜” くらいは確保しておきたいところです。七品あれば奈良市に住んでるナガシマ君からもあまり文句は出ないと思うんですが、ところで僕は懐石料理もしくは会席料理を食べるたびに、いつも不思議に思うことがあるんですよね。それは何かというと、懐石料理もしくは会席料理のお品書きに書いてある “先付” とか “八寸” って、何や?…ということなんですが、ま、 “先付” のほうは何となく分からないでもないんですけど。僕が思うに “さきづけ” だから、先に漬物が出てくるんじゃないか?…という気がするわけなんですが、あ、でも先付と漬物では “つけ” の字が違うから、漬物ではないのかも知れませんが、とにかくメインとなる料理に先んじて出される、ちょっとした食い物のことなんやろな。…というのは何となく分かります。 で、調べてみたところ、先付というのはどうやら “お通し” と同じ意味のようでありまして、ああ、便秘解消?…って、それは “お通し(おとおし)” ではなくて “お通じ(おつうじ)” でありますな。 “お通し” というのはアレです。居酒屋とかに行くと、頼んでもいないのにまず最初に出てくる、ちょっとした食い物のことですよね。 頼んでもいないのに出てくるからサービスなのかと思っていたら、ちゃんとゼニを取られたりして、押し売りに近いような商売だったりするんですが、懐石料理もしくは会席料理の先付というのはちゃんとお品書きにも明記されておりますので、無論、ゼニを取られることになります。 それはそうと、いちいち懐石料理もしくは会席料理…という書き方をするのは面倒なので、これからは懐石料理もしくは会席料理のことを総括して “かいせき料理” という表記をしようと思うんですが、で、続いては “八寸” でありますか。

 “八寸” というのが一体どういうものなのか、その真相は深い闇の中に隠されていると言っていいと思うんですが、一寸先でも闇だと言われているのに、八寸というのは実にその8倍に相当するわけですからね。 見えなさ具合という点で言うと、一寸先が超薄消しハイパーデジタルモザイクだとすると、八寸先というのは “前貼り” に匹敵すると言っていいかも知れず、物理的に隠蔽されてしまっている以上、いくら目を細めてやっても見えないという事になってしまうわけでありまして。 かように手ごわい “八寸” でありますが、調べてみたらその語源というのは極めて簡潔明瞭でありまして、八寸四方という大きさのお盆を使って出すから “八寸” 。 ただそれだけのことでありました。 ちなみに八寸というのはどれくらいの大きさなのかと言うと、一寸法師の身長が約3センチであったと言われておりますので、それを8倍して、約24センチ。 となると、それなりの大きさのお盆ということになりますよね。 “かいせき料理” にそんな四角い盆、出てきたっけ?…というのがちょっと疑問なんですが、とにかくまあ一般的な傾向としては、先付・八寸ときて、向付・焼き物・煮物・揚げ物…と続くか、あるいは八寸と向付の順番が逆になるか、もしくは八寸が省略されるか、そのいずれかということに落ち着くようです。 四角いお盆が出てきた記憶がないということは、僕の数少ない “かいせき料理経験” では、そのすべてが “八寸省略バージョン” ということだったのかも知れませんが、ちなみに “向付” というのはお膳の向こうのほうに置くからこの名前があるんだそうで、なるほど、 “向こう脛の毛” を省略して “むこうづけ” になったというワケでは無いんですな。 で、この向付というのは概ね、お刺身やお造りの類だと思っていれば間違いはないようで、そしてその後、塩ジャケの焼いたの、サバを煮たの、桜海老を揚げたの…といったメインの料理が登場することになります。 いずれにせよ、あまり大した “かいせき料理” ではなさそうで、幹事、ケチったな!…と思わずにはいられないんですが、でも大丈夫。 お品書きを見ると、何でもこの後に “強肴” というのが出るんだそうで、いや、何だかこれは凄く期待出来そうですよねー。 何せ “強いサカナ” ですからねー。 これはもう、ウナギとか、スッポンとか、赤蝮ドリンクだとか、そっち方面の食材を惜しげもなくつぎ込んだパワフルな料理が出てくるに違いありません。

 …と思ってワクワクしていると、 “もずくの酢の物” とかが出てきて愕然とすることになるんですが、酒をもう一杯強いるためのちょっとした肴といった位置付けらしいんですよね、 “強肴 (しいざかな) ” って。 思いっきり期待外れで、もう、酒でも飲まなやってられんっ!…というので、ますます酒が進んで何よりだと思いますが、ここまでくればもうコースは終わったも同然。 後は、ご飯と漬物と “止め椀” と呼ばれる味噌汁が出て、最後に “水菓子” として水羊羹なんかが出されて、おしまい。 以上、先付・向付・焼き物・煮物・揚げ物・強肴・止め椀・水菓子で “一汁七菜” ということになりますかね?  ただこれだと、水羊羹まで “おかず” に入れるというのは、どうかね?…などとネチネチと文句を言い出すおじさんが必ず出てきて、いちいち関わり合いになるのも面倒な話なので、そういう時にこそ役に立つのが、最初のほうに出てきた “八寸” ということになるわけです。 おっさんのワガママのために、約24センチのお盆を料理で埋めなければならないというのは何とも腑に落ちない話ですが、でも大丈夫。 八寸には海のものと山のものを合わせて出すという決まりがあるんだそうで、となれば24センチのお盆の片隅に海苔の佃煮を盛った直径5センチ小皿を乗せて、その反対側にはやはり直径5センチの小皿を乗せて、そこに山芋の短冊切りでも盛り付けておきますかね? すると必ず、何やこの真ん中の空間は!?…と、先ほどのおっさんが文句を言ってくると思うんですが、そういう場合は慌てず騒がず、鷹揚な態度でニッコリと微笑んで、「こちらの山芋が関東山地、こちらの海苔が東京湾、その間に広がりますのが広大な関東平野でございまーす。」

 “一汁三菜” を基本としてそこから品数を増やしていく場合、 “菜” のほうは三菜・五菜・七菜…と、必ず奇数にする必要があるんですが、一方の “汁” のほうにはそういう決まりはなくて “二汁” というのもアリなんだそうです。 二汁のうちの一汁は “止め椀” としてご飯と一緒に出せばいいんですが、ではもう一汁はどういうタイミングで出てくるのかというと、先付に続いて、いきなりという事になるようです。 この先に出てくる汁物のことを “先汁” と言ったりするようなんですが、果たしてそんな名前で呼んだりして、本当に大丈夫なんすかね??? が、日本料理界のエライ人が、先に出てくる汁は “先汁” っ!…と決めてしまった以上、我々はその取り決めに従うしかないですからねー。 会社の宴会の席で “先付” に続いて汁物が出された場合、いくらそれが美味であったとしても、 「ああん、先汁、とっても美味しいのぉ♪」 などと大きな声で言わないよう、世間のOLさんはくれぐれも注意して欲しいところでありますが、そんなことでまあ、今日のお話はおしまい。

 ということで今日はベニー・グリーンなんですが、この人には2つの顔があります。まずひとつはトロンボーンを吹くベニー・グリーン、そしてもうひとつはピアノを弾くベニー・グリーンなんですが、前者が黒人のおっさんなのに対して、後者は白人のおっさんだったりします。 とても同じ人物とは思えないんですが、無論、この2人はまったく別人でありまして、ただCDショップに行くと、この2人が激しく混同されているというのが実情だったりします。 飄々としているようで、その実、ちょっと偏屈な性格らしいトロンボーンのベニー・グリーンのアルバムをチェックしていると、いきなりピアニストのほうのベニー・グリーンのスケベ顔が目に飛び込んできたりして、ちなみに僕はピアノのほうのベニー・グリーンは一度も聴いたことがなくて、そういうことで今日はトロンボーンのほうのベニー・グリーンの紹介ということになるんですけどね。 ピアニストのつもりで検索してこのページに辿り着いた人は、ご愁傷様としか言いようがないんですが、ま、来たついでや、ちょっと覗いてけや、ねーちゃん。 あ、ピアニストのつもりで検索してこのページに辿り着いたおっさんは直ちに帰っていただいて結構なんですが、とまあそんなことで今日はタイム盤の 『ベニー・グリーン』 という1枚を紹介したいと思います。 あまりにもひねりのない、そのまんまのアルバム・タイトルゆえ、日本ではもっぱら 『ベニー・グリーン・ウィズ・ソニー・クラーク』 という名前で知られているわけなんですが、この作品にはソニー・クラークがピアニストとして参加しているだけでなく、 「クール・ストラッティン」 「ブルー・マイナー」 「ソニーズ・クリブ」 という、日本人にはめっちゃお馴染みの彼のオリジナル曲が取り上げられているので、日本人にとってはめっちゃ気になる1枚だったりしますよね。 トロンボーンとテナーの2管によってマイナー調のメロディーが演奏されるとなると、これはもうカーティス・フラーの 『ブルース・エット』 に匹敵する仕上がりであることが期待されるんですが、ということで、では1曲目から聴いてみることにしましょうかー。

 まず最初は歌モノの 「サムタイムズ・アイム・ハッピー」 でありますか。 「時には楽しく」 という邦題があったりもしますが、ハッピーを楽しいと訳すのは、あながち間違いではないですよね。 確かに楽しいと幸せだし、幸せだと楽しかったりしますからね。 その一方、他人の幸せほど不愉快なものはなくて、他人の不幸は蜜の味だねっ♪…というのも確かな事実であるわけですが、この歌の主人公の場合、 「時には楽しく」 でありますか。 ということは、概ね楽しくないんやな。…ということが推測出来て、さほど不愉快ではありません。 いつも不幸のどん底にいる人が、靴底を高くしたらちょっぴり背が高くなって、嬉しいな♪…といった、ささやかな幸せを感じることさえも否定してしまうほど、僕の度量は小さくありませんからね。 この歌もわりと大らかな気持ちで聞けるというものでありますが、演奏が始まった瞬間、カーティス・フラーの 『ブルース・エット』 に匹敵する仕上がりだったりするのかも?…などと思っていた僕の期待は、瞬時にして崩れ去りました。 まず、ベニー・グリーンというキャラが純粋なハード・バッパーというより、どちらかというとソウル系の資質の持ち主であるというのが1点、テナーに同じようなタイプのジミー・フォレストを持って来たというのが1点、そして最大の問題点はジョー・ゴーガスなどという得体の知れないコンガ兼ボンゴ奏者を参加させてしまったことでありまして、いや、ゴーガス君がどうのこうのというより、コンガとボンゴを入れた時点で失敗が決定付けたれたようなものなんですけど。 このような布陣にしてしまったお陰で、「時には楽しく」 どころか、最初から最後まで、ほのぼのとした能天気ムードに支配されることになってしまいましたが、ま、この人たちはこういう人なんやな。…と、最初の時点で達観してしまえば、それなりに楽しめる演奏ではあるんですけどね。

 テンポはミディアム、トロンボーンとテナーのユニゾンによる短いイントロに続いて、コン・コン・コン・コン、コン・コン・カ・カ・カ・カッ♪…と、コンガもしくはボンゴが叩かれて、2管と控えめなピアノとの絡みによってテーマが演奏されております。 ABAB形式の“Bの部”をトロンボーンもしくはテナーの単独演奏にするなど、アレンジにもそれなりに工夫が凝らされておりまして、でもってソロ先発はグリーンでありますかぁ。 この人の演奏は、やや中間派的な香りのするノスタルジックなソウル系。…といった感じなんですが、ま、トロンボーンという楽器の持つ性格からすると、こういうのもアリかな?…という気がしないでもありません。 アントニオ猪木とモハメド・アリの世紀の対戦で見せたアントニオ猪木の “寝転び作戦” は、そんなのアリか?…と、モハメド・アリならずとも思わずにはいられませんでしたが、そもそもプロレスとボクシングを同じ土俵にあげること事態が間違っていたような気もするんですが、同じ土俵に上げるのなら、やっぱり勝負は相撲やろ?…みたいな。 それにしても土俵を降りてリングに上がった曙太郎は、何だかめちゃめちゃ弱いですなぁ。。。 ということで、続いてはジミー・フォレストのソロでありますか。 この人はどちらかというと、ちょっと下品なテナーマンといったイメージがあるんですが、ここでの吹きっぷりはさほど下品ではなく、かと言って上品なわけでもなくて、ま、中の下品といったところでしょうか? トーンこそやや卑下てはおりますが、フレージングそのものは意外と素直で、ワイルドな吹きっぷりはなかなか悪くありません。 で、続いて本作の最大の注目点であるソニー・クラークのピアノ・ソロが登場するわけなんですが、これがなんとも控えめな弾きっぷりで、ちょっと物足らない感が無きにしもあらずなんですが、シングルトーンの玉を転がすようなタッチはフンコロガシを彷彿させて、秀逸です。 で、トロンボーンとテナーのユニゾンによるセカンド・テーマみたいなパートがあって、本テーマに戻って、おしまい。 ま、ベニー・グリーンという人の持ち味に共感出来るだけの寛容性のある人なら、十分に楽しめる出来なのではないかと思います。

 続いてはお待たせ! クラークの人気曲 「クール・ストラッティン」 でありますが、ジャッキー・マクリーンとアート・ファーマーが参加したオリジナルに慣れ親しんでいる身にとって、正直、このベニー・グリーンのバージョンはちょっぴりムサく感じてしまいます。 アルトとトランペットという都会的でアーバンな楽器編成に対して、こちらはアーシーなボントロ&テナーですからね。 前者が洗練された京懐石だとすると、こちらのほうは蒋介石の台湾ラーメンと言った感じで、でもまあ、いかにもクラークらしいブルージーなムードを前曲よりも色濃く感じることが出来るので、これはこれで悪くないのではなかろうかと。 ま、ずば抜けていいというわけでもないんですけどね。 2管のユニゾンによるテーマに続いて、グリーン、フォレスト、クラークの順でソロが繰り広げられるんですが、ま、前者2人に関しては概ね前曲と似たような感じで、続くクラークのソロは自作のマイナー・チューンだけに、より持ち味が発揮されていると言っていいのではないでしょうか。 ということでテーマに戻って、おしまい。 いや、かなり期待が大きかったわりには解説のほうが妙にあっさりしておりましたが、ま、世の中、大抵そういうものだったりしますからねー。 で、続く3曲目はエリントン・ナンバーの 「ソリチュード」 なんですが、ちなみに僕はヒゲというのがあまり好きではなくて、むさ苦しく伸ばしているヤツを見ると、思わず 「剃れちゅうの!」 と言いたくなってしまいます。 逆にスネ毛を綺麗に剃っているヤツを見ると、「剃るなちゅうの!」 と言いたくなってしまうんですが、とまあそんなことで、 「ソリチュード」。 原曲はバラードではないかと思うんですが、ここでのグリーンはミディアム・テンポで料理しておりますな。 いいですよねぇ、中庸。 僕はステーキを食べる時はもっぱらミディアムなんですが、そういえば以前、某・道の駅のレストランで “牛ヒレ石焼御膳” を頼んだおっさんが焼き具合を尋ねられて、しばらく悩んだあげく、 「柔らかく。」 などと答えておりましたが、ま、気持ちは分からんでもないんですけどね。 ところで、会席料理についていろいろ調べていて、 “ヘレステーキ” という表記が意外と少なくないことに気付いたんですが、日本料理の世界では “ヒレ” ではなくて “ヘレ” と呼ぶのが通なんですかね?…と思って調べてみたら、どうやら関西では “ヘレ” と呼ぶのが普通なんだそうですが、そんなことでまあ、 「ソリチュード」 。

 なかなかいい感じのピアノのイントロに続いて、ミディアム・テンポでテーマが演奏されるんですが、2管のユニゾンがサビの部分でトロンボーン1本に転じるという編曲も1曲目と同じパターンながらなかなか洒落ていて、で、グリーン、フォレスト、クラークと続くソロは、いずれもなかなか良好な涼子ちゃん。…といった感じでしょうか。 いや、良好だから良子ちゃんでもよかったんですが、亮子ちゃんというのは何となく谷亮子を思い出すので、出来れば避けたいところですよね。…などと、演奏を聴く前から適当なことを書いていたら、実際にはやや違った展開となっておりましたが、ソロの大半はグリーンによるもので、終盤はフォレストのソロがハモりのパートを挟む形で短めに出てきて、で、クラークのソロはなくて、テーマに戻って、おしまい。…というのが正解でありました。 ちなみに後テーマではサビの部分の独奏がクラークのピアノになっているところが細かい心遣いだったりするんですが、でもって4曲目はクラーク3大有名オリジナルの3番手と言える 「ソニーズ・クリブ」 でありますな。 日本盤CDの片仮名表記は 「ソニーズ・クリブ (←濁点) 」 で、オリジナルの英語表記のほうは 「SONNY'S CRIP」 となっているんですが、辞書を見ても “CRIP” という単語は出てこないので、恐らく 「SONNY'S CRIB」 の間違いではないかと思います。 “CRIP” という単語がないのはちょっと意外なんですが、紙を挟むのに使うクリップは “CLIP” という綴りですからね。 で、一方 “CRIB” というのは何かというと、幼児用寝台とか、まぐさおけとか、キリスト生誕劇とか、小屋とか小室とか、容器とか、盗用とか、盗みとか、とらの巻とか、カンニングペーパーとか。 となるとこの曲は 「ソニーのカンペ」 ではなくて、 「ソニーの小屋」 あたりが適当な解釈ではないかと思うんですが、一方の “SONNY” には “坊や” という意味があるので、 “坊やのまぐさおけ” というのもアリかも知れません。 ちなみに “まぐさおけ” というのは馬糞ではなくて、馬が食べる草を入れておく桶のことなんですが、赤ん坊を寝させておくのに流用したりもしますよね。 で、演奏のほうはと言うと、ブルーノート盤のオリジナル演奏が3管編成だっただけに、 「クール・ストラッテン」 に比べると、さほど違和感は感じられません。 3管からトランペットが抜けただけという形ですからね。 ただ、サビの部分が ts と tb の掛け合いみたいになっているところはちょっと違うかな?…という気もするんですが、ま、あまり深く考えなければ、さほど気にならない程度の些細な差異ではあるんですけど。

 で、アドリブ・パートはと言うと、ソロ先発にジミー・フォレストを持って来て目先を変えたのはよかったわね。…と、真咲よう子も評価しておりましたが、いや、何とも地味な演歌歌手の名前がいきなり登場しましたが、ジミーくんはなかなか派手なプレイを展開しておりまして、で、続くソニー・クラークのソロは相変わらず慎ましやかだったりするんですが、あ、そうそう。入っていることをすっかり忘れていたコンガもしくはボンゴがいつの間にやら復活しておりまして、どうやら曲によって出てきたり、出てこなかったりという方針のようなんですけどね。 で、ソロを最後をベニー・グリーンがビシっと締める…とはいかなくて、何となくのんべんだらりと吹いているうちに、いつの間にやらテーマに戻ることになるんですが、全体の出来としては、ま、そこそこといったところではないでしょうか。 で、続いてはお待たせ! クラークの人気曲 「ブルー・マイナー」 なんですが、僕は 「クー・スト」 もこっちのほうが好きだったりするので、これは大いに期待が持てるところでありますな。 …という僕の思いは演奏が始まると同時に、またしてもちょっぴり裏切られた感じになってしまいましたが、こりゃ、アレンジにやや問題があるんじゃないですかね? ピアノの呼びかけに対して2つのホーンが応答するというコール&レスポンスな手法が取り入れられているんですが、このアルバムの録音はどうもピアノの音が今ひとつピアニッシモで、メロディラインがあまりよく聞き取れません。 特に僕がいちばん好きなサビのところのメロディーがバックのホーンの音の影になって、ぜんぜん目立たないぢゃん!…といった状態になってしまっているのが何とも残念なところでありますが、トロンボーンとテナーの2人、邪魔やん!

 …という僕の心からの叫びにも関わらず、この2人はアドリブ・パートに入っても大いにでしゃばっておりまして、でもまあ、このアルバムに勝手に “ウィズ・ソニー・クラーク” という文言を付けて有難がっているのは日本人なので、あまり彼が目立たないからと言って文句を言うのはちょっと筋違いなんですけどね。 この作品におけるクラークの位置はあくまでも “裏筋” に当たるわけなので、ここは気持ちを入れ替えてベニー・グリーンのプレイに集中したいところでありますが、ここでの彼の吹きっぷりは、ま、いつもの通りですな。 さほど気合が乗っているワケでもなく、血合いが多いワケでもなく、どちらかというと白身魚系の淡白な味わいなんですが、それでいてけっこう泥っぽいというか。 サカナで言うと、ナマズですかね? で、続くジミー・フォレストはソロの出だし部分でいきなり 「朝日のように爽やかに」 のメロディを吹いたりして、それが原曲とまったくマッチしていないところがお慰みだったりするんですが、その後は心を入れ替えて、それなりに味のあるプレイを展開していると思います。 最初のアレさえなければ73点くらいは付けてもいいんですが、最初のアレがあったから、ま、62点がいいところでしょうか? 心を入れ替えたのかと思ったら、性懲りもなく途中でまたどこかで聴いたようなメロディの引用に走ったりしているしー。 で、ソロの最後を飾るソニー・クラークは録音の問題もあってか、相変わらずちょっとパワー不足なんですが、ま、これはこれでいいとして、で、アルバムの最後を飾るのは 「アンド・ザット・アイ・アム・ソー・イン・ラヴ」 という曲でありますか。 「そしてその、私はとても惚れています。」 といった意味でしょうか? ちなみに僕は今、とっても惚れている相手がいたりするんですが、一体それは誰なのかというと、保冷車なんですけどね。 クルマなのに後ろが冷蔵庫になっているところが、めっちゃ可愛いやんっ♪…と、僕は保冷車を見るたびに惚れ惚れしてしまうんですが、 このサイト にある低床式折戸簡易保冷車とか、もうたまらんっ♪…とか、そんなヘンな趣向の人とはあまり友達にはなりたくないですよねー。 同じ特殊車両でもプリマハムの三重工場にある “ウインナーモービル” にはかなりソソられるものを感じてしまうんですけど。 津の営業所に勤務している頃、 「プリマの工場に “ソーセージの車” があるでぇ。」 という話を耳にして、ソーセージを運ぶ保冷車くらいどこにでもあるやろ。…とか思っていたんですが、実際に目の当たりにした “ソーセージの車” というのは このような とってもファンキーな乗り物でありました。

 とまあそんなことで、 「アンド・ザット・アイ・アム・ソー・イン・ラヴ」 なんですが、まるでスタンダード・ナンバーのようなタイトルが付いているこの曲はハロルド・オーズリーのいうテナー奏者のオリジナルなんだそうでして、実に惚れ惚れするようなキャッチーなメロディを持った曲でありますな。 ミディアム・ファストのスインギーな仕上がりとなっておりまして、テーマに続いて飛び出してくるジミー・フォレストのワイルドな吹きっぷりは極めて良好で、以下、グリーン、クラークと続くソロも各自の持ち味が遺憾なく発揮されていて、イカ好きの人にも大いに楽しめるのではなかろうかと。 とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 で、今日のところは以上です。

【総合評価】

 “ソニ・クラ3曲” にあまり過度な期待を抱いていると、ちょっとイメージが違って拍子抜けなんですが、その点さえ割り切ってしまえば、それなりに楽しめる1枚なのではなかろうかと。 ソニー・クラークのアルバムとしてみるとかなり不満が残るんですが、ベニー・グリーンのリーダー作としては、ま、78点ですかね?


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