THE LATINIZATION OF BUNKY GREEN (CADET)

BUNKY GREEN (1966/11)

THE LATINIZATION OF BUNKY GREEN


【パーソネル】

BUNKEY GREEN (as) LARRY BOYLE (tb) BOB OJEDA (valbe tb)
ARTHER HOYLE (tp) ANTONIO CASTRO (p) TONY LAROSA (el-b)
WILLIE NEGRON (congas) VITIN SANTIAGO (oijdo) MANUEL RAMOS (timbales)
THE DELLS (vocals)

【収録曲】

LET ME GO / FEELING GOOD / HOW'S YOUR MAMBO? / A TING-A-LING
SONG FOR MY PARENTS / GUAJIRA CON CHA-CHA-CHA / FAST'N'FOXY / DO IT LIKE YOU FEEL IT

【解説】

 5月の連休が明けてからこのところ、ぐずついた天気が続いております。今、これを書いているのは平成18年の5月23日なんですが、もうかれこれ2週間以上も曇りや雨の日が続いております。その間、すかっと晴れたのは1日か2日だけだったような気がするんですが、こういうのを世間では “梅雨のはしり” と言うんですかね? 駅前のスーパーでヤマキの麺つゆ買って来い!…みたいな。 いや、それは “はしり” ではなく、 “つゆのパシリ” のような気がするんですが、6月ともなるとジメジメした蒸し暑い日が続きますからね。さっぱりした冷麦や素麺を食べたくなる気持ちはよく分かります。 で、6月はぐずついた天気が続いて買い物に出るのも億劫になるので、誰かをパシらせたくなる気持ちもよく分かります。 で、いくらさっぱりしていると言っても冷麺と素麺ばかりでは飽きるので、たまにはスパゲティなんかが食べたくなるわけでありますが、そういう場合はですね、駅前のスーパーでバジリコ買って来い!…でありますな。 かくして6月という時期は “つゆのパシリ” と “バジリコのパシリ” が増えるわけでありますが、今年は雨の季節が例年より1ヶ月も早くやって来たみたいな感じなんですよね。五月なのに五月晴れの日が少なくて、五月みどりは一体何をやっているのだ?…と思わずにはいられませんが、ちなみに菊池桃子と五月みどりって、嫁と姑の関係だったんですね。ちっとも知りませんでした。菊池桃子の桃子という名前が本名だというのも知らなかったし、五月みどりの本名が面高フサ子だというのも初耳だったし、世の中、まだまだ知らないことばかりでありますなぁ。 ま、いずれにせよ菊池桃子と五月みどりなら “桃レンジャー” と “みどレンジャー” として活躍出来るよね?…という気がするんですが、いや、きっとそんな活躍はしないと思うんですけど。

 で、例年なら、五月はずっと五月晴れの日ばかりなのかと言うと、そういうわけでもなく、ちゃんと雨の降ることだってあります。その証拠に、日本には “五月雨(さみだれ)” という言葉があるんですが、ただし、ここで言う五月というのはあくまでも旧暦の話でありまして、新暦では六月に当たるんだそうです。 つまり “五月雨” というのは今で言う “梅雨” と同じ現象になるわけですが、その理屈でいくと “五月晴れ” というのは梅雨の晴れ間のことになるんですかね? だとすれば、たとえ新暦の五月に五月晴れの日が少なかったとしても、その事で一概に五月みどりを責めることは出来ないと思うんですが、ま、責めているのは僕ひとりだけのような気もするんですけど。 ま、いずれにせよ、5月のこの時期にジトジトと雨が降ることを “梅雨のはしり” 、もしくは “卯の花くたし” と呼ぶんだそうで、ちなみに卯の花というのはアレですよね。

  卯の花の匂う垣根に、ホトトギスはやも来鳴きて、忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ〜♪
  五月雨のそそぐ山田に、早乙女が裳裾(もすそ)濡らして、玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ〜♪
  橘(たちばな)の薫るのきばの 窓近く蛍飛びかい おこたり諌(いさ)むる、夏は来ぬ〜♪
  楝(おうち)ちる、川べの宿の 門(かど)遠く、水鶏(くいな)声して 夕月すずしき、夏は来ぬ〜♪

 …という歌で知られていますよね。 いや、 “卯の花” は冒頭にいきなり登場していたので、わざわざフルコーラス歌う必要もなかったんですが、何でもいいけど今ひとつ意味がよく分からない、クソ難しい歌詞でありますなぁ。 だいたい 「夏は来ぬ」 という曲名からして、夏が来るのか、来たのか、来ないのか、来る気があるのか、はっきりしろ!…と思わずにはいられませんよね。 ちなみに僕が子供の頃、この歌のレコードが家にあったような気がするんですが、うちのおかんがママさんコーラスにハマっていて、この歌とか 「夏の思い出」 とかをよく歌ってましたからね。 でまた、僕が子供の頃に “カネボウ絹石鹸” という名前の石鹸があって、しのびねもらす、夏は来ぬ♪…という部分で、塩サバ2号が必ず 「カネボウ絹石鹸♪」 と付け加えるのが通例だったんですが、いや、当時から限りなくつまらないキャラでしたからねぇ。 とまあそんなことで、卯の花です。卵の花ではなくて、卯の花。 卯の花というと僕はどうしても “オカラ” を連想してしまうんですが、その昔、岡田という名前の町会議員候補と、牛にオカラを与えて育てている町会議員候補がいて、オカラ君のほうが最下位で当選して、岡田クンはわずか1票差で次点に泣いたことがありましたな。 投票用紙に 「オカラ」 と書かれたものが1票あって、大揉めに揉めることになるんですが、ま、詳しいことは ここ を見て貰うとして。 僕はこれを見て、谷口まさと、断トツじゃん!…とか、西川のりお、当選したかぁ。…とか、谷口直吉はどうして落選なのか?…とか、いろいろな感想を持ってしまったんですが、よく見たら2人の谷口クンの票は小数点3桁までカウントされているんですな。これはおそらく “谷口” とだけ書かれた投票用紙が何票かあったので、それを直吉クンとまさとクンとで分配したんだと思いますが、公平に半分ずつにするのではなくて、だいたい七三分けになっていますよね。恐らく統計的な手法に “谷口の公式” みたいなのがあって、それに当て嵌めた結果、まさとが 0.707で、直吉が 0.292やな。…ということになったんだと思いますが、ま、この2人はトップ当選と最下位落選という間柄でありますので、疑惑の谷口票が1000票くらいない限りは、分配比率がちょっぴり適当だったとしても選挙結果の大勢にはまったく影響がないんですけど。

 問題は、わずか1票差で当落の明暗が分かれることになった岸本眞一郎クンと岡田和彦クンなんですが、 “オカラ” だけでなく “岡田一” と書かれた投票用紙も1票あったりして、更に混乱に拍車が掛かることになります。 “オカラ” も “岡田一” も岡田和彦や!…ということになれば、立場が逆転しちゃうわけですもんね。もしそんなことになったら今度は岸本クンが黙ってしないに違いなく、選挙管理委員会としては、とりあえず “オカラ” は有効、 “岡田一” は無効ということにして、2人の票がまったく同じになっちゃったね。仕方がないからここは公平に “くじ引き” で当落を決めることにしようね。…という方向に持っていこうとした模様ですが、ま、くじ引きということなら、もし落選しちゃったとしても、運が悪かったね。…の一言で、穏便に事態を収拾することが出来ますからね。いかにもお役人らしい賢明で無難な判断だったと思います。 が、岸本クンはそれでは納得しませんでした。その言い分というのがですね、 “オカラ” と書かれたものを “オカダ” と判断するのはちょっと無理があるのではないか? もしそれが有効だというのなら、 “おかず” (←食事の際の副食物) でも、 “オカピ” (←キリン科の哺乳類) でも、“おかずにオカラを食べるオカピ” (←食事の際の副食物として豆腐を作る際に生成される豆乳を搾り取った残りかすを摂取するキリン科の哺乳類) でも、何でもアリということになるではないか!…という方向性であれば、選挙管理委員会としても、そう言われてみればそうかも知れないね。…と、納得したと思うんですよね。 が、岸本クンの持って行き方は違っていました。 町民は私が牛にオカラを与えていることを知っている。だから “オカラ” というのは私のことである。…という、まったく新しい視点の “オカラ=岸本クンのニックネーム説” を主張することになるんですが、いや、何と言う牽強付会でありましょうか。とても町会議員候補の発言とは思えないワヤな理屈でありますが、ま、岸本クンとしては “岡田一問題” もあることなので “オカラ” が無効になるだけでは心許なくて、2票の上積みを目指す作戦に出たのかも知れませんけどね。いずれにせよ、これほどまで往生際の悪い姿を町民に曝してしまった以上、次の選挙では2人とも何の問題もなく、確実に落選するのではないかと思われます。

 で、最終的にどのような判断が下されたのかはよく分からんのですが、とにかくまあ、卯の花というと僕はどうしても “オカラ” を連想してしまう。…という話でしたよね。 卯の花の匂う垣根♪…というと、オカラの匂いが漂ってくる庶民的な日本家屋の様子が頭に浮かんでくるんですが、どうしてオカラのことを “卯の花” と呼ぶのかというと、恐らく見た目が似ているからではないかと思われます。オカラに似ているようでは、大して綺麗な花でもないような気はするんですが、どうやら綺麗かどうかはそれほど問題ではなくて、オカラは白い。卯の花の白い。よって、オカラは卯の花である!…という、ほとんど岸本眞一郎クン並みの発想によるネーミングみたいなんですけどね。どうして、そんな無理なこじつけをしてまでオカラを卯の花と言い換えるのかというと、オカラのカラは “空(から)” に通じて縁起が悪いから。…ということのようですが、スルメではなくて、アタリメと言い換えるのと同じ理屈ですよね。 “する” → “当たる” の法則を応用するのであれば、 “空” を “満” と言い換えて、 “お空おから) ” → “お満おまん) ” とするのが正しいような気もするんですが、その呼び方はやはり関東地方ではちょっと抵抗があったのでしょうか? 関西なら別に問題は無いような気もするんですが、その地方では “おまん” とも “卯の花” とも呼ばずに、 “雪花菜 (きらず) ” と言ったりするようです。 僕はほんのり醤油色に染まった調理済みのオカラしか見たことがないんですが、出汁で煮る前は雪のように白いんですかね? ま、根が豆乳だけに当然そうなのかも知れませんね。それにしても “雪花菜” とは、オカラにしておくのが勿体ないような綺麗な言葉ですよね。で、この字を書いてどうして “きらず” と読むのかと言うと、オカラは包丁で切らずに食べられるから、 “きらず” …って、最後は結局、岸本眞一郎の論理になっちゃうんですけど。

 で、出汁で煮たり、ハンバーグにしたり、牛に与えたりしないほうの、お花のほうの “卯の花” なんですが、これは “ウツギの花” の別名なんだそうですね。ウツギというのは漢字では “空木” と書いて、茎が中空になっているのでこの名前があるんだそうです。 となると、オカラはただ単に色が白いから卯の花というわけではなく、 オカラ → お空 → 空木 → 卯の花 という経緯を辿ったものであると考えたほうがよさそうですね。 で、ウツギの花というのは これ を見ると、オカラの別名にしておくのが勿体ないほどラブリーでキュートなんですが、この綺麗な卯の花も長雨が続けばやがて水にふやけて腐ってしまいます。 かくして “梅雨のはしり” のことを “卯の花くたし” と呼ぶようになったわけでありますな。

  谷川に 卯の花腐し ほとばしる  <高浜虚子>

  卯の花を 食って腹くだし 腐ってるやん!  <さば>

 これからの時期、ちょっぴり匂うオカラには気を付けたいところでありますなぁ。。。

 ということで、今日はバンキー・グリーンです。 こんな地味で聞いたこともないようなアルト奏者、当然、このコーナーでは初登場であろうな。…と思っていたんですが、 こんなところ に前例がありました。いやあ、書いた本人ですら気付きませんでしたなぁ。 前回の 『マイ・ベイビー』 というアルバムは “バンキー・グリーン&ウイントン・ケリー” と書いてあったうちの “” 以降のに惹かれて買ったものでありまして、リーダーのほうはまったく眼中に無かったですからね。 そんな彼が左手にパイナップルを持ってこのコーナーに戻って来ることになったんですが、今回はですね、ラテン系です。 その名も 『ザ・ラテナイゼーション・オブ・バンキー・グリーン』 というアルバムを紹介したいと思うんですが、この作品にはとても立派な邦題が付けられております。  『バンキー・グリーンのラテン化計画』 というのがそれなんですが、いや、実に素晴らしい計画だと思いますね。少なくとも 「ヤンキー歯科医院のイカ天化計画」 よりはいいと思うんですが、ヤンキーの歯医者さんをイカの天麩羅にしてみたところで、何がどうということもないですからね。僕はこのアルバムを名古屋のCD屋さんで見つけて、あまりにも趣味の悪い日本語タイトルとジャケットに惹かれて、思わず買ってしまったわけなんですが、けっこう好きですからねー、パイナップル。僕の心の中ではマスクメロンと並ぶ高級フルーツだよね。…というイメージがあって、子供の頃には缶詰か、輪切りの形のパインアイス (←無果汁)か、あるいは酢豚の中に入っているやつしか食べたことがなかったんですが、大人になって、子供の頃に高級フルーツだと思っていた自分が恥ずかしくなるほどの安値で売られていることを知って、ちょっと愕然としてしまいました。あれだけ見た目が立派で図体もデカいというのに、1個198円とかで売ってますからね。もし財布の中に198円あったとしたら、パイナップルを1個買うか、うまい棒を19本買うか悩むところでありますが、パイナップルの1個食いは舌が荒れるし、うまい棒の19本食いは胸が焼けるしで、どっちもどっちですからねぇ。とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 まずはえーと、 「レット・ミー・ゴー」 という曲でありますか。いかにもラテンっぽいピアノにトロンボーンが絡むイントロに続いて、ブラス・アンサンブルでテーマが演奏されるんですが、小節の区切りには 「オーっ!」 とか 「ソーっ!」 などの元気のいい掛け声も飛び出して、もうラテン系バリバリでありますな。ちなみに、声を出しているおっさん達はザ・デルスという、R&Bの世界では有名なコーラス・グループなんだそうですね。つまりこのアルバムは単なるラテン化を計画したものではなくて、ジャズとラテンとリズムとブルースの融合を目指したものであると言えるかも知れません。僕個人としては、ブルマとズロースを融合して、下着にも体操着にもなる衣服を作って欲しかったところですが、服飾デザイナーではないバンキー・グリーンにそこまで求めるのはちょっと無理かも知れませんね。 で、テーマのアンサンブルが終わって、いよいよアルトのソロになるのかと思ったら、続いてはザ・デルスの面々によるコーラス・パートでありますか。僕が 「夏は来ぬ」 をフル・コーラス歌ったのと同じくらい、きっちり1番の歌詞を最後まで歌い上げて、そしてようやくバンキー君のソロになるんですが、この部分はわりとしっかりした正統派ラテン・ジャズの仕上がりでありますな。もっと泥臭いプレイをするのかと思ったら、以外とフリーキーなフレーズを連発しておりまして、モーダルで新主流派的な雰囲気がないわけでもなかったりして、ちょっと意外でありました。後半にコーラスが被ってくるところはちょっと余分な気もするんですが、能天気な歌声とハードなアルトとの対比が堆肥的に芸の肥やしとなっておりまして、で、続いて聴かれるアーサー・ホイルのトランペット・ソロはジャズとして傾聴に値する出来だと思うんですけどね。ということで、最後はコーラスによるテーマに戻って、おしまい。 ま、御陽気で明るくて楽しくて悪くはないと思うんですが、おじさんの歌があまりにもしつこいので、3回くらい聴くと飽きちゃうような気がしないでもありません。

 ということで、2曲目です。 「フィーリング・グッド」 はリズム・アンド・ブルースのグッドなフィーリングが濃厚に感じられるナンバーでありまして、バンキー君はここで電気サックスなる楽器を吹いている模様です。ややソプラノっぽいトーンで、電気風呂ほどにも電気を感じさせないサウンドではあるんですが、電気風呂というのはシャレにならないほど電気を体感出来ますからね。電気釜の電源が、そのまま風呂の湯に漏電しとるだけとちゃうか?…と思ってしまうほどビリビリするんですが、あれは恐らく人体には有害であるものと思われます。しなびた爺ちゃんが電気風呂に浸かっているのを見ると、そのまま昇天してしまうのではないかと気が気でならないんですが、ま、電圧にして3〜5V程度らしいので、命に別状は無さそうなんですけどね。せいぜい、湯船の中でちょっぴり尿漏れしちゃう程度の被害であるものと推測されます。 一方、電気サックスというのがどういう楽器なのか詳しくは知りませんが、電気仕掛けでピカピカ光るとか、ブルブル震えるとか、ビリビリ痺れるとか、そういった仕組みのサックスなのではなかろうかと。 で、演奏のほうはというと、1曲目と同様、ラテンのリズム + R&Bなボーカル + ジャズ的なアドリブ…という構図でありまして、歌によるテーマ部に続いてはトランペットとトロンボーンと電気サックスのソロが楽しめるようになっております。ただ、ボントロ・ソロの全域とサックス・ソロの中盤で、ふぃーりん・ぐぅーっど、ふぃーりん・ぐぅーっど、ふぃーりん・ぐぅーっど、ふぃーりん・ぐぅーっど♪…と、かなりしつこく単一コーラスが反復されることになるので、聴いているほうとしては次第に苛立ってきちゃうんですが、ま、バンキー・グリーンのプレイ自体は、どこかふっ切れたような開き直りが感じられて、悪くはないと思うんですけどね。グリーンの電気サックス・ソロはブロードウェイ曲 「フィーリン・グッド」 のコーラスの繰り返しで絶頂に至っている。…と、原文ライナーにマーク・リトル君が書いているとおりでありまして、でもって、後テーマに戻って、おしまい。

 3曲目は 「ハウズ・ユア・マンボ?」 という曲です。 「君のマンボは、どんな具合だい?」 …と、いきなり変なおじさんに聞かれたりしたら、関東のギャルはちょっとドキっとしちゃうと思いますが、いや、別にマンボだから、心にやましい物などひとつもないとは思うんですけど。 で、曲のほうはというとですね、マンボですな、こりゃ。 軽快なピアノのイントロに続いて、ブラスとサックスのアンサンブルで明るく楽しくマンボなテーマが演奏されますが、バンキー・グリーンは恐らくまた電気サックスを吹いているものと思われます。今回、敢えてコーラスを外したのは大正解でありまして、またぞろ “ザ・デルス” が出るっすかぁ。…ということになっていたら、かなりのマンネリ感が漂うことになっていたと思います。 で、テーマに続いてトロンボーンとトランペットのソロがあって、おそらく前者はボブ・オジェダ、後者はアーサー・ホイルではないかと思うんですが、ピアノのアントニオ・カストロも加えて、脇を固めるこの3人の存在はかなり大きなものがあると思いますね。脇を固める人達の腋臭 (わきが) が臭かったりすると、かなりつらいものがあるんですが、ちなみに僕は子供の頃、腋臭と腋毛の区別が付きませんでした。 “わきが” というのは “わきげ” の “げ” が、何かの拍子で間違って “が”になっちゃったんだろう。…くらいにしか理解してなかったんですが、腋に毛が生えるのが腋毛で、腋が臭くなるのが腋臭だったんですね。大人になってようやく、その違いが分かるようになりました。腋毛ボーボー、腋毛ボーボー、ぼくの腋毛はオトナの印♪…ということで、 tb → tp に続いて、ソロ3番手はバンキー君の、おそらく電気サックス・ソロでありますか。全体的にやや上ずり気味ながら、わりとオーソドックスなフレージングとなっておりまして、ケレン味のない 素直な吹きっぷりは素直に称賛に値すると思います。ドラえもんのひみつ道具の “スナオン” を飲んだのではないかと思われるほど、根が素直な性格ですからね、僕って。 ちなみに “スナオン” というのは “ギシンアンキ” という薬を飲んで、すっかり性格が疑り深くなってしまったのび太を元に戻す為に使われた薬なんですが、これを飲むと性格が素直になるんだそうです。 で、アントニオ・カストロの短いながらもラテン哀愁的で良好なピアノのソロがあって、テーマに戻って、おしまい。コーラス抜きのナンバーだったので、僕としてはいちばん素直に楽しめた1曲なのでありました。

 で、4曲目は 「ア・ティング・ア・リング」 という曲なんですが、ここで再び “ザ・デルス” が大フィーチャーされることになります。ミディアム・スローのチャカポコとしたラテンのリズムに乗ったベタなメロディの曲なんですが、楽器チームとコーラス・チームとの絡み具合が絶妙でありまして、アーシーでワイルドでリズムでブルースなグリーンのアルト・ソロのバックでも、あ・てぃんぐ・あ・りんぐ、あ・てぃんぐ・あ・りんぐ、あ・てぃんぐ・あ・りんぐ、あ・てぃんぐ・あ・りんぐ♪…と、しつこく繰り返しているところはちょっとウザいんですが、ま、全体としては許容の範囲内でありましょう。この曲に見られるようにアルト・プレイヤーは時折わざとキーを外すことがある。無調 − それは “我々が日常で耳にしている車のクラクションや電車の警笛や叫び声などのエモーショナルな音を出すため” なのだという。…と原文ライナーにはありますが、無調はスペイン語の“ムーチョ” に通じるものがありますからね。もっと無調を=無調ムーチョ。 それはとっても大切なことだと思います。…って、いや、かなり岸本眞一郎クン的なこじつけではあるんですけど。 で、5曲目の 「ソング・フォー・マイ・ペアレンツ」 は、曲の冒頭から、ぶーがるー、ぶーがるー♪ というコーラスが大変にやかましい、コテコテのR&B風のナンバーです。ファーザーでもドーターでもなく、ペアレンツに捧げられた曲のようですが、あ、1曲目と3曲目と5曲目と7曲目と8曲目の作曲者としてクレジットされているイーディス・グリーンというのは誰のことかと思ったら、どうやらバンキーの奥さんのようですね。…ということが原文ライナーのこの曲の解説のところで明らかになったんですが、いや、そう言えば原田和典クンの書いた日本語ライナーにもちゃんとそのように書かれておりました。何だかウケ狙いの、いやらしい筆致のライナーノートだったので適当に読み飛ばしていたんですが、本人だけが面白がっている文章を読まされるのは、苦痛以外の何物でもないですからね。…と、自分のことを棚に上げて好き勝手なことを書いていますが、演奏のほうはというと、ぶーがるー、ぶーがるー♪ がちょっぴり耳障りではあるものの、日本の歌謡曲にも通じるキュートなメロディを持っていて、味のあるトロンボーン・ソロ、余裕のあるアルト・ソロともども、それなりに楽しめる出来に仕上がっているのでありました。

 6曲目の 「グラヒーラ・コン・チャ・チャ・チャ」 はですね、チャ・チャ・チャです。ニッポン・チャ・チャ・チャ、加藤茶・チャ・チャ・チャ、ガチャガチャ・チャ・チャ・チャ。 桑名では20円を入れてガチャっとハンドルを回すとカプセルに入ったオモチャが出てくる機械のことをガチャポンではなくてガチャガチャと言っておりました。中に入っているのは相撲消しゴムとかで、そのうちの70%くらいは先代の若ノ花だったんですが、時々、マグネットの相撲消しゴムが当たったりしました。ゴムに磁石の成分が練り込まれていて冷蔵庫とかに引っ付くという優れ物の相撲消しゴムでありましたが、いや、鉛筆で書いた字を消すという、消しゴム本来の目的ではまったく使い物にならなかったんですけどね。ま、相撲消しゴムで字を消そうなどと考える子供はほとんどいなかったので、別に大きな問題ではないんですが、学校に普通の消しゴムを持って来るのを忘れた時など、仕方なしに、いちばんレアでない若ノ花を使って消した事はありましたな。 で、演奏のほうはというと、これはチャ・チャ・チャですよね。 何とも言えない絶妙のミディアム・テンポで、おーいりゃうすてっ、わーいーらこんちゃ・ちゃ・ちゃ♪ …とコーラスで歌われるテーマ部は、何だかとっても長閑でありまして、ラテン地方の農村風景を彷彿させるものがあります。 コーラスの合間には、おじさんが単独で切々とチャチャチャを歌い上げるパートがあって、その後、か細い声を絞り出すかのようなアルト・ソロがあって、何だか全体的に哀愁を感じさせる作風でありますな。ネギトロ好きのカストロ君のピアノのソロも絶妙で、ということで、テーマに戻って、おしまい。

 で、7曲目の 「ファスト・ン・フォクシー」 はアレです。コーラス抜きの純正お祭りラテン・ジャズでありまして、陽気なグリーンは沸騰するようなリズム・ストラクチュアに合わせ、フロント・ラインを元気よく大はしゃぎさせている。…と、原文ライナーにあるとおりの演奏が展開されております。陽気なグリーンのソロはとっても陽気でありまして、陰気さが感じられない爽快な吹きっぷりはとっても明るくていいと思います。まったく何の解説にもなっておりませんが、続いてはトロンボーンのソロでありますか。このアルバムには普通のトロンボーンを吹いているラリー・ボイルと、バルブ・トロンボーンを吹いているボブ・オジェダという2人のトロンボーン奏者が参加しているんですが、ここでのソロは何となくバルブ・トロンボーンのような気がするので、ボブ・オジェダ君のほうではないかと思います。ま、自信のほどは50%くらいなんですが、当てずっぽでもそれくらいの確率では何とかなりそうですからね。続いてスカトロ好きのカストロ君のちょっぴりユニークでシアヌーク (←カンボジアの政治家) なピアノ・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。 ということで、いよいよ最後の曲になりましたが、 「ドゥ・イット・ライク・ユー・フィール・イット」 でありますか。陽気なグリーン君はここで電気サックスを駆使しているわけですが、サックスであるにも関わらずオクターブ奏法が出来たりするところは、さすがは電気仕掛けでありますなぁ。電気の力を借りて、今日から君もローランド・カーク気分♪…とまではいかないまでも、ま、アーサー・ブライス気分くらいは味わえるという算段でありまして、独特の音色がいかにもキワモノっぽい雰囲気を醸し出していて、秀逸です。ザ・デルスの歌声がリズム&ブルースな気分を盛り上げ、トロンボーンと電気サックスの絡みがアーシーなムードを後押しして、トランペットとサックスのソロがジャジーな気分を演出して、でもって、テーマに戻って、おしまい。 ということで、今日は以上です。

【総合評価】

 一言でいうと、ラテン。二言だと、ラテンで古典。いや、あまり古典は関係ありませんか。ラテンでブラック。…と言い換えておきますが、たまにはこういう極め付けのキワモノというのも悪くないかも知れませんな。とりあえず、アミーゴな気分になれることだけは請け合いです。


INDEX
BACK NEXT