THIS TIME THE DRUM’S ON ME (BETHLEHEM)

STAN LEVEY (1955/9/27,28)

THIS TIME THE DRUM'S ON ME


【パーソネル】

CONTE CANDOLI (tp) FRANK ROSOLONO (tb) DEXTER GORDON (ts)
LOU LEVY (p) LEROY VINNEGAR (b) STAN LEVEY (ds)

【収録曲】

DIGGIN' FOR DIZ / RUBY MY DEAR / TUNE UP / LA CHALOUPEE
DAY IN DAY OUT / STANLEY THE STEAMER / THIS TIME THE DRUM'S ON ME

【解説】

 原稿に穴をあけてしまいました。いけません。穴があく…というのは大変よくないことでありまして、例えば“穴のあいた靴下”というのは、大変みっともないですよね。みっともない…と言えば、“みっともない野球部の話”というのがありまして、どういうものなのかというと、この野球部はとってもビンボーで、用具すらまともに揃えることが出来なかったと。バットもない、ボールもない、ミットもない。みっともない野球部の話。ばんざーい!…って、自分で書いてて、思わず嫌悪感に陥ってしまうほど低レベルなネタでありましたが、僕は子供の頃、よく靴下に穴をあけておりました。どうしてこんなに靴下に穴があいちゃうんだろう?…とコドモ心に考えてみたことがあったんですが、アレは恐らく、僕がほとんど足の爪を切らなかったところに原因があったんじゃないんですかね?…と、オトナになった今ではその理由を冷静に分析することが出来るんですが、コドモの頃にはそれが出来ませんでした。おかあさんがジャスコで安い靴下を買ってくるからいけないんだぁ。…などと思っておりました。ま、それも靴下に穴があく要因の20パーセントくらいは占めていたんじゃないかと思うんですが、でも僕が足の爪さえきちんと切っていさえすれば、そうそう容易に靴下に穴があくようなことはなかったと思うんですよね。その証拠にパンツのほうはと言うと、やはり、おかあさんがジャスコで安いパンツを買ってきて僕に履かせていたにも関わらず、そう簡単に穴があくようなことはありませんでした。ゴムが伸びきって膝上までズリ落ちたり、尿漏れで前のところが黄ばんだり、履きすぎてヨレヨレになったりしたことはあるんですが、決してぽっかりと穴があくようなことはありませんでした。それはアレではないか?君の中心部が、パンツに穴があく程のパワーを持ち合わせていなかったという事なのではないか?…などと問い詰められると、黙って項垂れるしかない次第でありますが、でもまあ、コドモの頃の話だしぃ。いや、オトナになった今でも、パンツに穴があくんじゃないか?…と心配になるような事態は、まったくといっていいほど無いのが実情なんですけどね。

 ま、靴下の穴くらいのことなら、多少の体面を別にすればさほど深刻な事態を引き起こすこともないんですが、ゴム製品に穴があいた。…となると、これは大きな問題です。僕はそれで一度、痛い目にあっていますからね。読者にとっても、決して、「関係ないね。」…の一言では済まされない問題だと思われるので、少し詳しく話しておこうと思うんですが、アレは伊吹おろしの吹き荒れる寒い冬のことでありました。にもかかわらず、僕は屋外で“ワーク”に励んでいた次第でありますが、そのうち、何だか先っちょのほうがジンジンと痛くなってきたんですよね。で、ちょっぴり心配になって、ゴム製品を外して、しげしげと観察してみたところ、おおっ! 何と、その部分が思いっきり腫れているではありませんか! いやあ、焦りましたな。で、更によく見ると、何だか先っちょのほうがぐっしょりと濡れたような感じになっておりまして、どうやらゴム長靴に穴があいて雨水が浸透し、靴下がぐちょぐちょになったところを寒い北風に晒されて、足の小指がしもやけになちゃったようでありまして。しもやけなんぞに罹患するのは、小学生以来?…といった感じなんですが、いやあ、ジンジンして、痛かったっす。ゴム製品の漏れには充分に注意しなければなりませんね。とまあそんなことで、今日は“ストレスで穴があく”ということについて考えてみたいと思うんですが、そういうことが実際に起こるというのは、よく耳にする話だと思います。例えば、“チクワ”なんかもそうですよね。チクワというのは昨年、某・消費者金融のコマーシャルで大ブレイクしたわけなんですが、あ、それはチクワではなくて、チワワですか。で、チクワのほうはと言うと、大ブレイクとまではいかないまでも、このところ静かなブームと言ってもいいような状況に置かれているようでありまして、ただ、チクワと言ってもただのチクワではないんですけどね。チクワチーズを組み合わせたチーズ入りチクワ。俗に“チーチク”と呼ばれている商品の売り上げがけっこう増えているんだそうでありまして。確かにアレ、美味しいんですよね。うちの会社の某マンポン技師もアレが好きでありまして、よくローソンで買ってきて食べております。食べながらいつも、「“チーチク”だか“ビーチク”だか知らんけど。」…と、毎回必ず同じ事を言うのは厳に謹んで欲しいと思いますが、その話はこのコーナーの “STOCKHOLM SOJOURN” のところにも出ておりましたので、あまり人のことを言えた義理ではないんですけどね。

 話がそれました。今日は“ストレスで穴があく”ということについて考えてみたいと思うんですが、そういうことが実際に起こるというのは、よく耳にする話だと思います。例えば、“チクワ”なんかもそうですよね。…という話をしようと思っていたんですが、あのチクワというのは元来、やや太目の魚肉ソーセージみたいな形状をしていたんだそうでありまして。すなわち、昔のチクワには穴がなかった。…ということらしいんですが、つまり輪切りにすると明治ドロップみたいな形になるのではなく、明治カルミンみたいな形になったというわけです。あ、ここでいう明治ドロップというのは缶に入ったタイプのものではなく、30円くらいで売られていたリーズナブルなタイプのほうなんですが、例えとして今ひとつ分かりにくいというのなら、輪切りにするとコルゲンコーワトローチみたいな形になるのではなく、龍角散トローチみたいな形になる。…と言い換えておきましょう。で、本来なら穴がなかった筈のチクワにどうして穴があいちゃったのかというと、これはもう、ストレスが原因であるに違いありません。チクワの身に一体どのようなストレスがあったのか、魚肉練り製品になったことのない僕には推し量ることが出来ないんですが、一説によると、 「わずか一夜にして穴があいてしまった。」 (智久和太郎著・「竹輪太閤記」より抜粋。)…ということなので、これはもう、相当のストレスであったに違いありません。しかしそれにしても、智久和太郎(ちくわ・たろう)などという人物が本当にいるのか?…と、自分で書いておきながらとっても疑問でありましたので、試しに“智久和”で検索をかけてみたところ、意外にもたくさんのサイトがヒットしました。中国系のものが多かったんですが、中には「山下裸上半身~性感!!山下智久和江角真紀子兩人包著毛巾」…などという文字も。ワクワクして「山下裸上半身~性感!!」のところをクリックしてみたんですが、山下智久の裸上半身かいっ! …とまあそんなことで、ストレスのあまりカラダに穴があいてしまったチクワでありますが、災い転じて福となす…とでも申しましょうか、わし、天津飯に麻婆茄子…とでも申しましょうか、いや、無理がある上に、大変つまらないことを書いてしまいましたが、“”と“てん”と“なす”のところしか合ってませんもんね。で、これも既に何度か書いたことのある話なので至極恐縮ではありますが、チクワというのはカラダの真ん中に穴があくという“痛み”と引き換えに、“チクワの穴にキュウリを詰めたもの”と、 “チクワの穴にチーズを詰めたもの”という2つの偉業をなし得たわけでありまして、これはもう、カマボコには到底真似する事の出来ない、魚肉練り製品業界のエポックメイキングな出来事であると評価することが出来るでありましょう。いや、カマボコのほうにも昔から“チーカマ”というのがあったりするんですけど。

 とまあそういうことで、僕はチクワというのがけっこう好きなんですが、チクワという素材はけっこう色々な料理に使われていますよね。チクワがメインになったものとしては “ちくわの磯部揚げ” と “ちくわの輪切りとキャベツを炒めてソースをかけたもの” くらいしか思い当たりませんが、脇役としてはけっこう色々なところに出没しております。例えば、“お好み焼き”なんかにも入っていますよね。食っていてもそうとは気付かないくらい、微妙にチクワ…といった程度の役割しか果たしていないんですが、それでもチクワの入ってないお好み焼きというのは、コーンやひじきの混じっていない検便くらい、何だか物足りないものを感じてしまいます。…って、例えがあまりにも不適切でありましたが、あとはえーと…、“うどん”にも入ってますね。チクワ天として入っているわけではなく、生のチクワが輪切りになって入っていたりするんですが、いや、もしかしたらそんなウドンを食わされていたのは、僕のウチが貧乏だったからなのかも知れませんけど。よく考えたら、普通はカマボコですもんね。が、世の中には、生のチクワが輪切りになって入っていたりするのが名物となっているところもあったりして、それはどこなのかというと、長野道の姥捨SAにある食堂なんですけどね。ここのメニューにある“六文銭うどん”というのがソレなんですが、真田一族の家紋である“六文銭”にちなんで、チクワの輪切りが6個入ったりしております。一文銭のほうは穴が四角、チクワのほうは穴が丸。…という違いこそあれ、土地柄を考慮したなかなか優れたアイデアだと思いますね。いや、食べていて何だかとっても貧乏臭いのが難点だったりするんですけど。天ぷらにせえよ!…とか思ってしまいますもんね。ま、チクワの入ったウドンというのは何だかとっても懐かしくて、去年、山の奥に捨ててしまったおふくろのことが懐かしく思い出されて、それはそれでなかなか捨て難い味わいであるような気もするんですが、同じ長野県内の高速道路関係の麺類メニューでは、僕は辰野PAの“蛍そば”のほうを高く評価しております。辰野のあたりは蛍が名物らしいので、それを蕎麦にもトッピングしてみましたぁ。…というのがコンセプトらしいんですが、さすがに蛍がそのまま蕎麦の上にのっかっているわけではありません。んなものを提供したら、「蕎麦にゴキブリ入っとるやんけ!」…と、関西方面から来たガラの悪いおっさんに難癖をつけられるのが関の山ですもんね。でもまあ、天麩羅にしちゃえば、何がなんだかわからないよね?…ということで、販売に踏み切ったそうでありますが、実はその正体は単なる茄子の天麩羅だったりして、ま、確かに茄子というのは見た目、巨大な蛍…と言えないこともないんですけどね。で、茄子とチクワで思い出したんですが、麻婆茄子に入っているチクワというのは絶品でありますな。いや、もしかしたら麻婆茄子にチクワなんどを入れて食っているのはウチだけなのかも知れませんが、アレは中華料理史上、燦然と輝く最高の名脇役であると思います。というか、茄子なんかもうどうでもよくて、麻婆ちくわにしちゃったほうがいいんじゃないか?…と思ってしまうほどなんですが、イカのゲソ揚げなんかもけっこう美味しいですよね。

 何故、ここにいきなり“ゲソ揚げ”が登場したのかというと、僕はこのところ、仕事上で多大なるストレスに晒されているからなんですが、順を追って説明しましょう。事の発端はというと、前々回くらいに“アスファルトねた”のところで取り上げた某・揚水機場の地盤沈下修復工事の件なんですが、アレの役場の担当者に完膚なまでに嫌われてしまいました。いや、アスファルトの舗装復旧に関して施工方法に手抜きがあったのがバレて、叱られた。…とかそういうことではなくて、いや、さすがはアスファルトですな。舗装の渡辺組の人が書いていたように、液体だか、固体だか、わけの分からない材料を使っているだけあって、融通むげのところがあって、何となく、周りとなじんで、そうひどいことにはなりません。…ということで、何のお咎めもなく検査をすり抜けることが出来ました。ありがとうございます。が、問題は追加工事として発注された“水路の敷コンクリート”のほうでありまして、たかだか30万ちょっとのチンケな工事であるにも関わらず、工事費内訳表を出せだの、施工体制台帳を出せだの、担当役人が色々と細かいことを言うんですよね。で、僕は役所に提出する書類関係については極めて無知でありましたので、その作成方法を聞きに行ったんですが、「あまり他では出したことがないもので。」…という僕の発言が何だか相手の逆鱗に触れちゃったようでありまして。で、あまりにもゴチャゴチャ言われるものだから、「県の規定では“施工体制台帳”は下請けに3000万円以上の仕事を出す場合に提出することになっているんだども・・・」と反論してみたところ、それで相手は完全に気分を害しちゃった模様でありまして。それ以降、その担当者はまったく取り合ってくれなくなっちゃいました。「そんなに県がどうのこうの言うのなら、俺のところに持ってくるな。県に持ってけぇ!」…とか言って、もう、大人気ないんだから、まったくぅ。 で、そのうち、施工の終わった敷コンクリート工事の段階確認をしてないから、コンクリートを割って見させろ!…てなことを言い出しました。どうやら、県の仕様では“段階確認書”というのを提出することになっているので、それを知って反撃してきたようなんですよね。そういうのを、“人の揚げ足を取る”って言うんですよね。いままでそんなこと言ったことないのに、急に勝ち誇ったように言うな!…とか思ってしまいました。ま、確かに僕も、今まで人生において“揚げ足を取る”ということは何度かあったんですけどね。例えばバイキングで大皿に“ゲソ揚げ”が出されたりした時、僕は揚げ足を取って小皿に盛り付けたりしたものであります。…という話をしたかったのが、ここでいきなり“ゲソ揚げ”が登場した所以なんですが、しっかし、もう既に固まっちゃったコンクリートを割れ!…というのは、これまた何ともご無体な話ですよね。舗装の渡辺組の人も、掘り返しでずたずたになったコンクリート舗装くらい始末の悪いものはありません。だいたい、掘り返すのも大変で、あとは必ず、欠陥になってすぐ壊れます。コンクリート舗装の設計の前提がくずれてしまうのですから仕方がありません。…と書いてるくらいだしぃ。

 とまあ、ずいぶんと後味の悪い思いをした水路の敷コンクリート工事でありましたが、いや、作業自体は見ていてなかなか楽しいものだったんですけどね。水路を土嚢で堰き止めて、底に溜まった泥を重機で掘り出すんですが、追い詰められたウナギやらナマズやらがうじゃうじゃ出てきて、まさに“鰻鯰(うななまず)状態”でしたもんね。もう、土建屋のヒゲの兄ちゃん、大喜びぃ♪ で、採取されたウナギやらナマズやらはとりえあずバケツの中に入れておいたんですが、作業自体がけっこう手間取ってしまって、終わったことには周囲はすでに真っ暗でありまして。もう、後片付けをするのに気を取られて、もはや、誰もがバケツの中のウナギとナマズのことなど、すっかり忘れておりました。で、翌朝、はっと思い出して、あわてて現場に駆けつけてみると、バケツの水の表面には薄っすらと氷が張って、哀れ、せっかくの天然ウナギは、すっかり冷凍物になっていたのでありました。おしまい。

 とまあ、そんなことで今日はスタン・リーヴィです。いやあ、先週はすっかり原稿に穴をあけてしまいましたな。いやあ、ストレスが溜まって、そんな気分ぢゃないっ!…という精神状態でしたからね。結果的に出入り禁止になってしまった某町の現場のほか、もう1箇所の現場のほうもかなりのストレスを強いられる状況でありまして、こちらは前回、“生コンねた”を展開したほうの現場なんですが、狭い敷地内にたくさんの業者が入り乱れていて、あっちを掘らせろ、こっちを掘らせろ、アレをやらせろ、コレもやらせろ、この穴に俺のナニを入れさせろ…って、もう、何がなんだか。で、せっかく穴を掘って入れた電線管は掘り返されちゃうし、エフレックス(←電線管の一種)に穴はあけられちゃうしで、もう、ストレスで胃に穴があいちゃいそうです。もう、何もかも忘れて、自棄を起こしてやるぅ!…と思って、先週の日曜日は八方に行ってオリンピックの滑降コースを直滑降で滑り降りてきたんですが、いやあ、すっきりしました。天気もよかったしぃ。ま、ショートスキーだからさほどスピードは出ないんですが、それでも日常のモヤモヤをすべて忘れ去ることが出来ました。が、月曜日から再び現場に戻って、忘れていたモヤモヤがすべて元に戻ってしまいました。とりあえず明日はラクな他の現場に逃げます。混迷を極めているほうの現場は、ま、上司が何とかしてくれることでしょう。そのために上司というのはいるわけですもんね。寿司も奢ってくれないような上司なので、こんな時くらいは働いてくれないと困ります。とまあ、そんなことで、スタン・リーヴィなんですが、誰?…というのが僕の率直な感想です。知らんもん、そんな人。で、調べてみました。姓はリーヴィ、名はスタン。どうやら白人系のドラマーのようでありますな。で、原田和典クンの書いた日本語ライナーによると、どうやら40年代にガレスピー=パーカーの双頭バンドに在籍した経験もある相当なバッパーのようでありまして。いやあ、大したものですね。で、この 『ディス・タイム・ザ・ドラムス・オン・ミー』 というベツレヘム盤にはコンテ・カンドリフランク・ロソリーノといった、僕が不得手としている白人系のミュージシャンの名前が並んでおります。どうも今ひとつ好きになれんのですよね、コンテ・カンドリって。まだ、神取忍のほうがマシ?…と思ってしまうんですが、井上陽水のデビュー当時の芸名はアンドレ・カンドレですよね。デビュー曲は「カンドレ・マンドレ」ですかい? で、もう一人のフランク・ソロリーノだか、ロソリーノだかという人も、さほど好きではありません。というか、カンドリ同様、ほとんど聴いたことがないというのが実情なんですが、ちょっぴり場違いな感じでテナーにデクスター・ゴードンが名を連ねているのが本作のウリと言えるんじゃないですかね? ちなみに1952年から60年にかけてのデックスというのは極度の“らりらり状態”にありまして、この間の演奏は55年に吹き込まれた3枚のアルバムでしか聴けないという。『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』『デクスター・ブロウズ・ホット・アンド・クール』 という2枚のリーダー作と、スタン・リーヴィの本作がそれに当たるわけなんですが、その意味ではデクスター好きの人にとってディスコグラフィカルな意味合いでも貴重な作品であると言えるのではないでしょうか。とまあ、そんなことで1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 冒頭の「ディギン・フォー・ディズ」 は、G.ハンディの作品です。そっかぁ。G.ハンディの曲なのかぁ。…と、さも知っているように書いてしまいましたが、どういう人なのかはさっぱりわかりません。そういえばストレスたまりまくりの現場に来ている電気屋の親方は痔が悪いんだそうです。「だからあまりユンボに乗りたくないんやぁ。」…とボヤいておりましたが、いや、G.ハンディという名前で何となく思い出したんですけどね。確かに痔というハンディがあると、あまりユンボには乗りたくないでしょうね。で、この 「ディギン・フォー・ディズ」 という曲はリーヴィ自身もパーカーと吹き込んだことがあるそうなんですが、タイトルからして恐らくディジー・ガレスピーに所縁のものなのではなかろうかと。そういえば昔、出痔ィ・切れスピーなどというネタもありましたなぁ。で、曲自体は確かにバップ・ナンバーなんだけど、どことなくのどかな気配も湛えている感じでありまして、何となくタッド・ダメロンの作風を思わせるところがありますね。あ、ダメロンで思い出したんですが、中国では古来から、“立春には立つ”という言い伝えがあるんだそうでありまして。ダメロン気のある人にとって、たとえ年に1回のこととは言え、朗報であると言えるでしょう。いや、ナニが立つのかと言うと“卵が立つ”んだそうでありまして、まったく関係のない話だし、今年の立春はもう終わっちゃったしぃ。でもまあ、卵だって立つんだから、きっと大丈夫なんぢゃないですかね?とりあえず、来年の立春を心待ちにしてくださいね。で、演奏のほうはというと、まずはリーヴィの軽快なタイコで幕を開けます。とってもシンプルな叩きっぷりですよね。続いてフロント陣のユニゾンによってちょっぴりお間抜けなテーマ・メロディが演奏されて、続いてカンドリのソロ…と思ったら、すぐにデクスターのソロへとスイッチされます。出番が少ないですなぁ、カンドリ。おそらく、鳥インフルエンザの影響ではないか?…と思われますが、デックスのソロもさほど長いものではなくて、ロソリーノのこれまた短いソロがあって、アンサンブルのパートがあって、再びカンドリが登場してソロを取ります。あ、最初のアレでおしまいではなかったんですな、カンドリ。で、この人のプレイに関しては僕の期待度は17%程度だったんですが、こうして聴いて見ると、悪くないではありませんかぁ。トーンがやや甘い嫌いはありますが、フレージングはとってもスムージーです。もう、“スムー・G”という痔のクスリみたいに、自然なお通じって感じぃ? いや、そんなクスリがあったかどうか知りませんけど。で、続いてデクスターの2回目のソロがあって、なるほど、この曲は2段構えの構成になっていたんですな。いかにもウエスト・コーストらしい演出であると思います。で、デックスの吹きっぷりはクスリのリスクを感じさせない悠然としたものでありまして、この人特有のレイドバックした極度な“アト乗り”がいい味を出してますね。で、続いてロソっちのボントロ・ソロがあって、ま、この人も地味ながら健闘しているのではなかろうかと。で、(tp)→(ds)→(ts)→(ds)→(tb)→(tp)の4バースがあって、演奏は大いに盛り上がっております。で、その後、ルー・レヴィーという人の結構グルーヴィなピアノ・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。いや、白人主体の演奏の割にはハード・バピッシュな気配を感じさせる、なかなかの好演でありましたな。

 ということで、2曲目です。 「ルビー・マイ・ディア」 はご存知、セロニアス・モンクの曲ですよね。彼の作品の中では「ラウンド・ミッドナイト」と並んで、最もまともでプリティな曲であるわけですが、なかなか知的で重厚なアレンジが施されております。カンドリのトランペットが奏でる主旋律にトロンボーンとテナーが絡む形でテーマが演奏されて、でもってそのままカンドリのソロへと流れていきます。ブラウニーのバラード・プレイを思わせるハート・ウォーミングな吹きっぷりでありますな。で、ソロ2番手はルー・レヴィーのピアノですか。この人に関してはリーダーのスタン・リーヴィ以上に僕のアタマの中にはまったく何の情報も刻まれてないわけでありますが、ソニー・クラーク的な叙情的粘着性のあるタッチの持ち主でありまして、白人とは思えないような黒っぽさが感じられます。いや、本当に白人なのかどうかもサダカではないんですけど。で、カンドリの吹くテーマに戻って、おしまい。以上、全体的にカンドリをフィーチャーしたナンバーでありましたな。で、ここまで書いたところで床屋に行ってまいりました。髪の毛が伸びて、ちょっとうざくなって来ましたからね。ウナギとキュウリの酢の物…といった感じの“うざく”というのはけっこう美味しいんですが、髪の毛がうざくなるというのはよくありません。で、オマケとして森永のチョコボールを貰ってきました。いや、前回は床屋のおばさんに、「頭を洗うブラシを持ってって貰う人もおるんやけど、チョコボールとどっちがいい?」と聞かれて、30代半ばにもなって、チョコボールというのもなぁ。…と余計な見栄が働いて、思わず「じゃ、ブラシのほうを。」と言ってしまったんですよね。後で思いっきり後悔しました。で、今回は「ブラシは前に貰ったで。」…という台詞を用意して店に向かった次第でありますが、おばさんは何も言わずにチョコボールを渡してくれました。いつの間にか“バナナ味”なんてのが出たんですな。30代半ばにもなって“バナナ味”というのもどうか。普通、キャラメル入りやろ!?…という気もしたんですが、選択の余地がなかったので仕方がありません。ま、縁日ではチョコバナナという商品もあるくらいだから、チョコとバナナというのは相性がいいんだよね?…と、自分を納得させるより他ありませんが、食べてみたら何だか、とっても安っぽい感じでありました。ああん。。。

 ということで、3曲目です。自称、マイルスのオリジナル。…ということになっておりますが、世間ではエディ・ビンソンが作ったんぢゃないか?…などと噂されているらしい 「チューン・アップ」 という曲であります。調子のいい曲なので、僕はけっこう好きなんですよね、この曲。ま、順位で言うと、月見そばの上くらいといったところですかね? で、リーヴィ御一行の演奏はと言うと、短いピアノのイントロに続いて3管のハモリでテーマが演奏され、でもってソロ先発はデクスター・ゴードン…と、まずはオーソドックスな構成でありますな。お口の中にかすかに残るバナナのフレーバーを反芻しながらテナーのソロに耳を傾けると、気分はとってもロスアンゼルス。いや、まったく根拠のない話ではありますけど。バナナとロスはまったく何の関係ありませんもんね。で、ソロ2番手はカンドリです。心なしか吹きっぷりがマイルスっぽく聴こえるあたりが僕の耳のいい加減なところですよね。ほとんど先入観だけで物事を捉えてますからね。僕はけっこう貧乳が好きだったりするんですが、先入観を持つのはよくないと思います。小さい胸は感度がいいどか、胸の大きなギャルはアホや…とか、そういう先入観はもってのほかだと思います。…とか言ってるうちにロソっちのボントロ・ソロがあって(←けっこうテクニシャン)、続いてピアノのソロになりましたが、やっぱりけっこう僕の好みでありますなぁ、ルー・レヴィーの弾きっぷりは。でもって、これまたけっこう僕の好みだったりするリロイ・ヴィネガーのウォーキング・ソロもあったりして、個人的にはけっこう楽しめる演奏でありますな。で、その後、テナーとドラムスの4バースがあったりして、テーマに戻って、おしまい。ということで、4曲目です。「ラ・チャロウピー」 とでも読むんですかね? 僕の持っている東芝EMI発売のCDは英語表記の下に片仮名で振り仮名が振ってあったりするんですが、どういうわけだかこの曲のところだけは“”LA CHALOUPEEと英語で振り仮名が振られているので読み方がよくわかりません。東芝EMIの担当者の江美ちゃん(←多分)には早急なる対処を求めていきたい所でありますが、曲のほうはというと、ヴィネガーのウォーキング・ベースに続いて、ややお間抜けな明るい調子のテーマが演奏されるといった“ほのぼの系”のものでありますな。で、ソロ先発はフランク・ロソリーノです。手堅い演奏を繰り広げております。で、続いてデクスターのソロになるわけですが、リズムに対するノリが、もうほとんど自転車の後ろのほうにズリ落ちそうになっている感じで、笑わせてくれますな。グラタンの前に食べるコロッケみたい。…とでも言えば分かってもらえるでしょうか?いや、分かってもらえませんね。書いている本人すら、言ってる意味がさっぱりわかりませんもんね。とまあ、それはさておき、ソロ3番手はコンカンクンです。いや、いつも“カンドリ”と馬鹿にしたように呼び捨てにしていたので、フルネームを4文字に略して“クン”を付けてみたんですが、余計にワケがわかんなくなっちゃうだけでしたね。しかしなんですな。“クン”というのは片仮名で書くと“クソ”とあまり見分けが付きませんね。ま、別にどうでもいいことなんですけどね。でもって、(ts)→(ds)→(tb)→(ds)→(tp)→(ds)の4バースがあって、その後にルー・レヴィーのピアノ・ソロが出てきたりして、ここらあたりの構成は普通の黒人系の兄ちゃんではあまり考え付かないところでありますな。微妙なところでウエスト・コーストって感じぃ? でもって、お洒落で洒脱なアンサンブルのパートがあったりして、何となくテーマに戻って、何となくおしまい。

 さ、残すところあと3曲ですね。で、何でもいいけど、頭が臭いっ!…と思わずにはいられません。いや、先ほど床屋から帰ってきて、自分ではけっこうイケてるぅ?…という気分だったんですが、ふと鏡で自分のルックスをチェックしてみたところ、何か、むっちゃ変な顔やん! 床屋のおばさんが、いつも僕があまりにも愛想がないので、嫌がらせで変な髪形にしてくれたとしか思いようがないんですが、焦って普段はまったく付けたことのない“ボルティ・クイックスタイリングミスト”というのをアタマに振りかけてみたところ、これがまた、何とも言えない嫌ァな香りの代物でありました。いつ買ったのかまったく記憶にないほど古いものなので、あるいは腐っていたのかも知れませんね。そういえば心なしかアタマが痒くなってきたような気もするんですが、あるいは頭皮がただれちゃったのかも知れません。ま、以前、髪の毛にべっとりとペンキが付いてしまって、あわててシンナーをぶっ掛けた時もさほど酷いことにはならなかったので、たぶん大丈夫だとは思うんですが、明日の朝、目が覚めたらハゲてたりしたら、嫌ですなぁ。…とまあそういうことで、次第に気分が沈んできちゃいましたので、残りは簡単に片付けておきましょう。どうせ明日からはまた仕事だしぃ。…って、あ、また嫌なことを思い出してしまいました。下請けの業者に無理を言って、穴掘り仕事を1週間延期して貰ったんですが、その際、「来週は間違いなく仕事が出来るようにしてくれよ。」…と念を押されていたんですよね。 が、土曜日の業務終了時点で、問題の地点は他業者が掘りくり返している最中でありまして、ま、きっと日曜日にはきちんと埋め戻してくれるよね?…という楽観的な見通しで自分を慰めていたんですが、果たしでどうなっていることやら。ま、明日は僕の上司が文句を言われるだけの話なので、別にどうでもいいんですけどね。で、5曲目は 「デイ・イン・デイ・アウト」 という曲です。これまた明るい感じの変拍子っぽい作品でありますな。3管のハモリ具合もよく出来ているし、ソロ先発のデックスは好調だし、ソロ2番手のカンドリは好調だし、ソロ3番手のロソリーノは好調だし…って、あ、髪の毛、ものごっつう固まってるやん! いや、腐っているかも知れないというのに、効果のほうはバンバンなんですな、クイックスタイリングミスト。何というかその、昔、アタマにヨーグルトの汁をつけた時のような感じぃ? ま、確かにハードにスタイリングは決まっているんだけど、何だかとってもよくない化学変化が毛髪に起こっていそうな、何だかとっても嫌ァな感じの固まり方でございます。 とか言ってるうちに次の曲が始まりましたので先に進めますが、6曲目は 「スタンリー・ザ・スティーマー」 ですか。デクスターのオリジナルなんですな。ルー・レヴィーのピアノで幕を開けるグルーヴィーな感じの曲でありまして、スタン・リーヴィのサトルなドラミングもとっても熨斗アワビぃ。…って、今回は語尾を“〜ヴィ”で統一してみたんですが、その試みは完膚なまでに失敗に終わったと言ってもいいでしょう。途中までは結構いい感じで来てたんですが、最後の“熨斗アワビぃ”で破綻しましたよね。が、演奏のほうはというと、デックスの持ち味が最もよく発揮されるミディアム・テンポの速度設定が功を奏したのか、大々的にフィーチャーされる彼のソロは実にいい感じの仕上がり具合です。

 ということで、ラストです。 「ジス・タイム・ザ・ドラムス・オン・ミー」 は、オスカー・ペティフォードが書き、パーカーやマイルス・デイヴィスなども演奏している 「マックス・イズ・メイキング・ワックス」 の異名同曲とでもいうべきナンバー…なんだそうです。これはアレですね。超アップ・テンポの典型的なバップ・チューンといった感じでありまして、単純明快なリフが心地よいですな。で、ソロ先発はデックスです。前曲のようなミディアム・テンポのプレイも悪くないんですが、このような急速調の演奏でもまったく破綻を感じさせず、とてもラリ中で10年近くを棒に振った人とは思えませんね。55年という時期はラリリながらもかなり体調がよかったんでしょうか? で、続くカンドリもファッツ・ナヴァロを思わせる強いアタックで素晴らしいソロを展開しておりまして、いやあ、これはなかなか馬鹿にしたものではありませんな。いや、僕が勝手に馬鹿にしていただけの話なんですけどね。今まで勝手に馬鹿にしていて、ゴメンよぉ。…と、とりあえずカンドリに謝っておいて、続くフランク・ロソリーノも、機関銃スタイルとでもいうべき強力な速吹きの一端を披露する…と、日本語ライナーにあります。で、ピアノのルー・レヴィーもパウエル的なタッチのソロを聴かせて、珍しくリーダーのスタン・リーヴィのドラム・ソロまでフィーチャーされたりして、アルバムの最後を飾るに相応しい、とってもよくデケた演奏であると僕は思います。おしまい。

【総合評価】

 メンバーは地味、ジャケットも地味。が、演奏のほうはというと、やっぱり地味。…かというと、決してそんなことはない。とまあ、そんな1枚でありました。


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