N・その他の悩み全般(37例)  

                                                                                                       

 このページは、2000/01〜2007/07の7年半の間に、Q&A室での質問文と回答文のなかで選んだもの12例を掲載しています。なお、赤字の数字は、質問順の通し番号です。
 あなたの悩みと、よく似た悩みを持つ方が質問されているかもしれません。ぜひお読み願いたいと思います。何かあなたのお役に立つことがあれば幸いです。  

 

1 1457  インターネットやケータイから離れられない  質問者(Reona)   2007/05/07

 私(2w1)は、お金の管理がうまくできなくて浪費してしまうことと、インターネットやケータイに心が奪われてしまうことで悩んでいます。収入が少なく余分なお金など一円もないのに、欲しいものを我慢することができません。特に、ケータイは一年も同じ機種を使ったことがなく、度々新規で入りなおすのでちょくちょく電話番号やメールアドレスが変っています。その度に友達に迷惑をかけていると思い嫌な気分になります。それにお金を節約しようとノートに計画を書くのですが、それでも憑かれたようにケータイ売り場に出向き、衝動的に買い、高い手数料を払いますます赤字になっていきます。自分でも苦しくてもうケータイはいらないと思っても結局やめられません。インターネットも同じです。実際はケータイもインターネットもそれほど使わないのですが・・。ほとほと困っております。アドバイスよろしくお願いいたします。
回答者(りゅうとうまりこ)        Reonaさん、お久しぶりです。   2007/05/09
  もはや、インターネットやケータイは必需品という時代です。たとえば、美容院のカット代と同じで、必要経費になるとも考えられます。

 しかし、ここで考えてほしいと思います。美容院でのカット代は、1ヶ月に1回というのが標準的だとしたら、3ヶ月ごとに一回とすれば、必要経費は三分の一に軽減できます。仮にある主婦が、美容院には一週間に一回のわりでカットしているならば、標準の4倍の経費になります。3ヶ月に一回の人と比べると、12倍もお金がかかります。もしも電車賃やガソリン代などが要るなら、20倍くらい余分にかかってしまうでしょう。

 では、この主婦はなぜそれほど煩雑に美容院に行かねばならないのでしょうか。仮に、セミロングヘアーだとして、一週間に一回のカットならば、美容師さんも2〜3ミリ程度のカットをするわけで、カットしたのか外見からは全くわからないでしょう。クラブのママのような客商売をしているならば、それは必要な経費になりますが、一介の主婦であれば、3ヶ月に一回でも十分ではないかと私は思います。

 この主婦が、それほどにカットしたいのは、なにか特別の理由があるように思いますが、あなたはどう思われるのでしょうか? つまり、ここで述べたいのは、あなた自身、インターネットやケータイを手放せない理由を知っているのではないかと。
「実際はケータイもインターネットもそれほど使わない」とありますからね。何かあるのではないかと推察しますが、そちらの詳しい事情がわからないので、それに関するアトバイスはできないのは、わかって頂けるでしょう。

 私の場合、ホームページを開設しており、また、インターネットに接続して調べ物をすることが多い毎日です。原稿やその他の執筆もパソコンでしていますから、仕事以外にはパソコンの前に座りたくないという気持ちになっています。買い物などネットサーフィンしたりチャットなどもしたいとは思いません。

 とにかく、仕事以外ではアナログの世界に浸りたいので、ケータイもほとんど使っていません。大抵電池切れか電源オフになっているので、友人たちも受講生もほとんどケータイのほうに連絡をとってきません。着信機能を使わず、もっぱら送信機能しか使っていません。電話嫌いゆえ電話にも出たがらないので、出先で公共の電話ボックスが見つからない緊急時だけ、仕方なくケータイを使っています。それゆえケータイを使いこなせしていません。

 アドバイスとしては、インターネットやケータイが手放せず、お金がかかりすぎて、それをなんとかしたいのならば、逆発想、つまり活用してはどうでしょうか。それらを使わねばならないお仕事をはじめたら、思う存分に使えますし、収入も入りますから一石二鳥です。また、私のように「全くしたいとは思いません」というくらいに使いこなせば、早くそこから卒業できるのではないかと思います。ケータイ漬けになれば、やがて「ケータイは仕方なく使っています」と言うようになるのではと思います。

 また、無駄遣いしているとか浪費しているとはいっても、なんとかやりくりできる範囲内であれば、なんら問題があるとは思えません。サラ金から借りており、しかも、借りる金額が段々大きくなりそうであれば、早急に対策を練らねばならないように思います。しかし、そうではないようです。少しくらいの無駄遣いや浪費は生活の楽しみ方の一つですからね。

 なお、どうしても、それを治したいと思われるのならば、それはあなたの生活の仕方の中にあるのかもしれません。どのような生活をされているのか、こちらはわかりませんが、生活の仕方を変えると、インターネットやケータイとの関わり方も違ってくるのではないでしょうか。

回答に対する返事        Reonaさんより    2007/05/09

 Q&A室の回答ありがとうございました。多分、私は人(外部)との繋がりをケータイとネットにたよっているのではないか・・と思っています。友達と繋がっていたいという思いが執着を生んでいるように思います。普段はほとんど友達との付き合いはなく、年に一回くらいしか会いません。(いつもはメールで連絡をとっています) 普段は家族とだけ付き合っています。それから、電子機器が大好きで手元に置いておきたいという気持ちからパソコン関連機器やゲームやケータイを買うのだと思います。確かにパソコン関係の仕事に就ければ執着からは脱っせるのかもしれませんね。私が気付いているのはそんなところです。「少しくらいの無駄遣いや浪費は生活の楽しみ方の一つ」これを訊いてほっとしました。友達にも同じことを言われました。電子機器をいじるのが趣味なのなら、まあいいかと思ったりします。では、失礼いたします。

 

2    1444    焦っているときは?    質問者(なな)      2007/04/07

 こんにちは。お元気ですか。私はこの4月から大学4年生になりました。4年生ともなれば、就職活動や卒業論文があります。そして社会福祉士の資格取得の為の勉強も始めなくてはなりません。しかし就職については具体的には決まっておらず、迷っています。あれも、これもしないといけない! 私はどうしたらいいんだろう? このままじゃいけない・・何かしないと駄目になってしまう・・というような焦りに駆られています。こういった焦りが出てきたときは、どうすればいいでしょうか? 以前、りゅうとうさんに相談させて頂いたアドバイスは、私にとって大変、良いアドバイスでした。感謝しております。
回答者(りゅうとうまりこ)        ななさん、こんにちは!       2007/04/09

 年間計画を先に立ててください。いつ頃から就職活動に入るのか、既にわかっていることと思います。卒論の提出時期もわかっているはずです。資格取得の為の勉強は、今から計画の中に入れておいてください。緻密な・余裕のある・そして抜けのない年間計画を立てれば、とりあえず、少し気持ちが落ちついてきて、現在のようなパニック状態から抜け出せるものと思います。

 就職について具体的に決まっていないそうですが、永久にそこに勤めるつもりにならないでください。気楽に自分を磨くために、ちょっとトライするという気持ちで決めてください。そこがダメなら、別のところにトライすればいいだけです。

 タイプ1はもっとのんびり構えるようにしないと、よい結果が得られないように思います。元々の気質が焦りやすいからです。今年就職ができなくとも、1年遅れても2年でも、大した違いはないと思ってください。実際、人生80〜90年という時代ですから、1、2年など大した違いではありません。資格も、取れるまで何年でも、何回でもトライすればよいように思います。論文が出せなくとも、また留年しても、それだっていい体験だと思うことが大切です。

 いつも崖っぷちにいるような言い回しをしていますね。「世界の淵にいると自己認識するタイプ714」に共通してよくあります。

 よくよく考えたら、人生はやり直しが利くことがわかるはずです。他のタイプには言えないアドバイスです。必死になりすぎるので余裕がなくなりやすいためです。今という時間を大切にしつつ、中身のある学びができるように、また人生を深く味わえるようにして欲しいものです。

 ところで、社会福祉士の資格取得について、幾つかのサイトにアドバイスが載っていましたから、あなたも探して覗いてみてはどうでしょうか。なお、私が調べたところでは、たとえば、養護老人ホームの生活相談員募集のところに、応募資格として「社会福祉士取得が望ましい」と書いてあるところが結構ありました。

 資格は無いより有ったほうがよいと思いますが、「望ましい」と書かれているとしたら、それほど絶対的に必要なものではないように感じます。資格も必要ですが、人とよい関係を築ける能力を磨く必要があるとは思いませんか。資格取得の勉強をしても、その能力は磨けません。別物ですからね。

 「急がばまわれ」とは、タイプ1やタイプ7に言うべきことかもしれません。直線を突っ走っては、まわりの景色など目に入らないでしょう。美しい景色を見て感動しないままでは勿体ないじゃありませんか。脱線したり、途中下車などをしたほうが、より逞しくなり、トラブルにも賢い対応ができるようになるとは思いませんか。故障もしたほうがよいくらいだと思うんですが、どうでしょう?

 相談員という仕事は、人間的な魅力とか、実力とか経験などが重要になってくると思います。その他の仕事に就いても同様ではと思います。挫折しないまま順調に人生の駒を進めた人より、幾度も挫折して、苦しんだ体験を持ち、そのうえ困難を乗り越えた人のほうが、相談した場合に得られるものが多いと考えられます。

 資格を持っていても、活かしていない人がたくさんいる現実を、よく見てください。あなたは真面目に熱心によく学ぶ人だと思いますが、学校で学べないことを、もっと積極的に学ぶようにしたほうがよいとアドバイスしたいと思います。そういうところで学んだことが、実際の職に就いてから役立つのではないでしょうか。

 簡単には、いつも「ダメ元」みたいな軽い気持ちになると、いつもの落ち着きを取り戻せる可能性があるということを述べたかったんですが‥‥。

  
回答に対する返事            ななさんより         2007/04/10    

 
回答ありがとうございます。年間計画を立ててみます。私はのんびり構えたほうが良い結果が得られるのですね。りゅうとうさんが書いておられるとおり、私は必死になりすぎて余裕がなくなりやすいです。例えば、大学は4年で必ず卒業して就職したら、簡単にやめたりせずにずっと勤めなくてはいけないとかそういう風に考えてしまいます。そうですね。大学時代にしか出来ないこともあるので、勉強ばかりせずにボランティアなどもやってみようと思います。自分が追い詰められると力が発揮できなくなる方だと分かってきたので、卒論のゼミの先生は厳しい先生ではなく、おおらかな先生を選びました。少しは自分のことが理解できてきたように思います。焦った時は、りゅうとうさんの回答を読みます。ありがとうございました。

 

No1347  自分らしさと個性について       質問者(あらた)      2006/09/18

 タイプ判断が間違っているという事なので、タイプ判断は横に置いて質問します。例えば、「個性的でありたい、それを’自分らしさ’として大事にしたい」という願望があることに対し、「ユニークと言えば聞こえはよいが、物事の見方がズレている」と上司に言われて、自信がすぼみました。「ユニークなところがよい」と肯定的に言われたら自信も膨らむのにと寂しく思いました。また、雑誌に「’自分らしくありたい’と思っている人が一番ビジネスで使えない」等と書かれていました。そんな出来事ばかりですっかり萎縮してしまった心の状態から立ち直りたく、その方法の一つにエニアグラムが役に立たないかと思っているのですが、エニアグラムはそのような使い方をする物ではないのでしょうか?
回答者(りゅうとうまりこ)       あらたさん、はじめまして!   2006/09/019

 まず、現実的なことから取り上げてみますが、「ユニーク」「個性」を高く評価されるのは、芸術的な表現が求められる職業では絶対的に必要な要素です。しかし、たとえば、銀行員であるならば、その社の方針に合ったものに従うことがまずは大切です。銀行員らしい清潔な出で立ちや振る舞い方が求められます。業務内容の中に「ユニーク」さを出せる部分は、ほとんどありません。顧客と接する場合は、丁寧な物腰と誠実な人柄を醸し出し、信頼を得るように努力するのがベストではないでしょうか。

 つまり、職業によって、また部署によっては、「ユニークさ」というものは、絶対的な価値がありますが、ある職業やある部署では、さして必要があるとは思いにくいのですが。

 厳密に言うならば、人はそれぞれに個性がありますから、銀行員でもその人らしい顧客との接し方をしていると思います。しかし、ある社では、Aというマニュアルがあり、それは長年の体験の蓄積から獲た貴重な方法であるならば、その社ではAに従うのがよいのであり、そこに自分らしさや「ユニークさ」を出せる余地がない場合もあります。むろん、出せる場合もあるでしょう。

 その場合でも、会社や上司の求めるものに対して、ある程度の水準に達して認められてから、自分なりの工夫でユニークさを膨らませて、より改善するほうがよいのではないでしょうか。新人の段階では、逆に、それらは差し控えるべきものです。「石の上にも3年」で、力量をつけた人間でなければ、自分らしい仕事のやり方を上司などに進言するのは、大変に不躾なことになります。思い上がった部下だと見られる恐れもあります。

 一方、従来通りの仕事を進めていける時代ではなく、次々と新しいアイデアが求められる時代になっていますから、誰もしていない何かを見出だすことが重要になっています。もしも、自分の中にある「ユニークさ」から、あるアイデアが浮かび、それが仕事に活かせるものならば、ぜひ完成させるべきで、形に表して社に提案できるようにすれば、価値があることです。ぜひすべきです。しかし、説得力のある案を出せないのならば、力不足なのですから、やはり自戒すべきことではないでしょうか。

 ここまでは了解できるのではないかと思いますが、あなたの質問にあることに戻ります。
物事の見方がズレている」と上司に言われて「自信がしぼんだ」とありますが、「物事の見方がズレている」という言い方は、それ自体は、否定でもなく肯定でもないと考えられます。しかし、上司の求めに応じられるように努めるのが部下の仕事です。求めているものから、少しズレタことを述べる部下がいたら、否定的な意味で使われても致し方ありません。

 「ユニークさ」は、それが何かに有効に作用する場合に、評価されるものです。芸術家には「ユニークさ」は最も必要不可欠な要素ですが、それでも、人の心を打つなにか有効な作用を及ぼせるものに成っていなければ、「ユニーク」というだけで高く評価されることはありません。

 そして、ここではよく書いてますが、「自分を知らない」という人たちばかりです。約8割以上の人が自分のタイプがみつかりません。間違ったタイプでも、自分のタイプだと信じてしまうのです。このような自分を知らない人間が、「自分らしくありたい」と言うのはおかしなものです。自分のここがユニークだと思っていたとしても、他人からは少しもユニークに見えないことがあります。それほどに、自分のことはわかりにくいようです。
 
 しかし、巷でよく使うのは、ただ、やりたくないことをやらせられるので、「自分らしくない」とこぼしているように見えます。また、「自分らしくありたい」と言いますが、自分を大切にすることさえ知らない人が使っている場合もあると思います。

 あなたが、そのように上司に言われたのは、どのような状況であったのか、それを事実に沿ってそのまんまこちらに伝えていただかねば、回答できません。抽象的な質問をされても、たいして役立つ回答など出てこないと思ってください。

 当会のエニアクラムは「現場主義」で、働く現場に活かされるようなアドバイスができること、生活の場で役立つものの見方や考え方を提示できることを最も重要視しています。それが目標です。性格分析の方法や理論、タイプ判定や人の心理だけをを学ぶところではありません。

 そして、当会以外で、エニアグラム理論を使って、カウンセリング活動をしているところがあるとまだ聞いたことはありません。真実を解いている理論、あるいは真実を顕している理論であれば、それは確実に現場に使えるものです。役立つものになるのは必然的なことです。

  なお、以下のアドレスに「タイプ4・自分らしくにこだわる人たち」という一文を公表しています。その中に、「個性」とか「ユニークさ」「自分らしさ」について言及しています。よければお読みください。
   
  http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-37.htm

 

   1282     理由の分からないイライラ感など     質問者(ロフタス)    2006/06/22

 こんにちは、ロフタスです。最近、少々先生に対する自分の意見が強引になってきているように感じます。早く結論を出して行動に移したいと言う気持ちがあるためどうしてもそうなってしまうのです。自分は自分のちょっと得意なことを見つけるとそれを人に自慢しようと力が入ってしまい、いつものようにうまくできなくなってしまうことがよくあります。それから、何か人に文句があるとき本人に聞こえないように文句をいってしまうのです。自分って卑怯だな、とかよく思って自己嫌悪になります。そのくせ、たまにうちの父親が自分に文句があるとき誰に話しかけているか分からないような話し方で襖越しに文句を言うのが気に入りません。母親が僕に対して話しかけるというのも気に入りません。実の親なのにおかしいんですけどなれなれしく感じてしまうんです。小さい頃は別にそんなことはなかったんですけど。今はとにかく生理的に受け付けない。理由はわかりません。繰り返しの音とかを聞くと、それが気になってイライラすることもあります。改善策があればなあと思います。でも原因は何でしょう。教えてください。
回答者(りゅうとうまりこ)       ロフタスさん、こんにちは!    2006/06/22

 まず、あなたの母上との関係ですが、ある年齢に達すると、親に批判的になったり、生理的に受け付けられなくなることがよくあります。親から自立する時期に来ているというサインなのではないかと思います。従って、やはり自立したほうがよいのはないでしょうか。

 次に、長年カウンセリング活動を続けていますが、タイプ2の方がご自身についての悩みを訴えられる場合、カウンセラーのアドバイスは、ほどんど「聞き置く」というに過ぎません。「そういうアドバイスもあるのかあ〜」で終わるだけで、実質採用することはそれほど無かったように思われます。

 しかし、自分以外の家族、たとえば自分の息子がうつ病になる、障害児になる、自殺騒ぎを起す、不登校になるなどというようなご相談になると、子どもを助けたいと必死になり、カウンセラーの意見も採り入れることがあります。従って、ご自身の悩みについては、「断崖絶壁に居て後が無い」というような切羽詰った状態でなければ、カウンセラーに相談しても意味が無いように思います。

 従って、タイプ2のクライアントから、ご自身についてのちょっとした悩み相談を受けた場合は、「共感しながら熱心に聞いている」というだけで、アドバイスすることはほとんどありません。する必要が無いというべきか、しても無駄になるからです。ほとんどのことは既に自分で決めていることが多いタイプだからです。なお、これは攻撃タイプに共通してよくある傾向です。

 ここでは「共感しながら熱心に聞く」ができないので、具体性のあるアドバイスを心かげています。しかし、無料であるためかお手軽に相談できますから、アドバイスも軽く受け止めてしまう人もいるようです。4〜5時間もかかって必死に悩み考えて、やっとのことでアドバイスを書き上げても、「元の木阿弥」でしかないと思うことが多いんです。「徒労へのロマン」などと言って気にしないように努めていますが…。

 例えば、相談料金を10万円くらいにしたいと思うことがよくあります。「今の苦しみを逃れたいのでアドバイスを!お金は幾ら支払っても惜しくありませんから、よろしくお願いします」と熱心に頭を下げられたなら、その場合のほうが、アドバイスが採用され、活かされたりもします。また、著名な方で高額料金であるほうが、人間というものは有り難いと感じ、アドバイスなども神妙に受け止め、かつ実行に移すという傾向がありますからね。

 また、なぜかタイプ2w1の人たちには、不平不満や愚痴ボヤキの類が多く(むろん、他のタイプにもありますが)、そういう段階の悩みは、言葉でのアドバイスでは効果がないように思われます。ちなみに
「早く結論を出して行動に移したいと言う気持ち」と、あなた自身書いていますが。物事への考え方や取り組み方ではなく、ただ行動の取り方だけを指導されたほうがよいように思われます。

 タイプ2は、本人が尊敬する強くて逞しい男性から、ミッチリと仕込まれ、ビシビシ厳しく絞られたい、というような願望もあるようです。たとえば、お寺で修行する、各種の芸事や武道の師から、礼儀作法から体の鍛え方、生活の仕方まで、厳しく手取り足取り指導される、きつい男性指導者から、愛の鞭でシバカれながらのほうが、効果があるように思われます。もしも、実父が尊敬できる指導者でなければ、他のところで、代りになる男性が要るように思われます。

 「男性に意識が向くタイプ(2・6・1)」は、とかく女性を軽んじる傾向があるためか、カウンセラーも男性のほうのアドバイスを聴き入れる傾向があります。とくに「2・6・1の男性」に、その傾向が顕著です。上記の質問文からならば、
「母親が僕に対して話しかけるというのも気に入りませんとあるところです。ただ話しかけられたことが気に入らないとは‥‥。自分は大物で重要人物だと思っている攻撃タイプらしいところです。

 そして、たぶん、父親が話し掛けても「気に入らない」という気分にはならないだろうと予想します。父親に馴れ馴れしくされても、さほど気にならないだろうと考えられますが、どうでしょうか? 明らかに、男女差があるのが、2・6・1と8・3・7の人たちの特長的なところです。

 
従って、以前の質問にも回答しているように、「住まいの近く」で、かつ逞しい男性カウンセラーの門を叩かれたほうがよいと考えられます。

 ついでながら付け足します。
「繰り返しの音とかを聞くと、それが気になってイライラすることもあります」などの原因ですが。どれほど気になっているのか、それに関することだけを詳しく書き出してもらわねば、申し訳ないが回答できかねます。

 ところで、当サイトは、「タイプ2には手厳しい」と噂されているようですが、心の奥底では「厳しさ」をタイプ2自身が求めています。「厳父(または父的な存在)に生き方を教えてもらいたがっているタイプ」と分析しています。それに関しては、著書「究極にエニアグラム」の120・124頁に掲載。2w1の人は、タイプ1とタイプ2の項を併せ読んで下さい。

 2w1の人たちが女性的な優しさを求めているようには見えません。なぜならば、これまでの体験から、「優しさ」というものが効果が無いことが多かったためです。従って、当サイトは、それに応えているに過ぎません。そのタイプに合ったアドバイスを心掛けています。

 また、本人自身が女性的な優しさを持っているために、それらはとくに必要の無いもので、男性的な逞しさをこそ熱望しているためと考えられます。たとえば、タイプ8の男性指導者が適任です。父的な気質が強い人だからで、甘えを排除した容赦のない指導者です。なお、かなり疲労困憊している人、弱っている人は指導者が男性であると怖くなることがあるので、女性カウンセラーが応対したほうがよいようです。

回答に対する返事              ロフタスさんより        2006/06/26
 いろいろ書いた質問に答えてくださり、ありがとうございます。繰り返しの音を聞くと、嫌でもそれがものすごく気になって意識がどうしてもそちらにいってしまいイライラしてしまうのです。母親嫌いは小学生の頃からあり、ある日僕は母親が僕の貯金箱をあけているのを見つけてそれを注意したらものすごい金切り声をあげて逆ギレしてきました。僕はいったん逃げて、貯金箱のお金で買い物をしてきた母親に大きな枝を投げつけ父親が帰るまで家に入りませんでした。鼻歌をときどき歌いますが、僕はその時はものすごく耳について腹が立つので「うるさい」といいます。すごく神経質で寝たきりで顔もいかにも疲れきったかのような表情です。そんな母親が僕はすごく嫌いです。父親もいつもどこかへ散歩に行ってしまうので僕は家で一人ぼっちでした。学校の行事に来てくれた試しもないです。確かに自分は人生の師のような人を求めているのかもしれません。でも、今の自分では簡単に挫折するでしょう。精進して幸せな生活をもぎとるのが自分の夢です。近く、メンタルクリニックでカウンセリングを受ける予定です。

 

5  1273     取り残された気持ち               質問者(かおり)   2006/06/03

 悩み相談です。私の職場ではいまどんどん人がやめていって、とても寂しい気持ちになっています。仕事を続ける自分はなんだか取り残されたような気持ちです。見送る事って、どうする事もできないので辛いです。よく考えたらそんなわけないのですが、私は今までのメンバーでずっと仕事ができると思い込んでいました。人は誰も同じ場所には留まらず、せっかく出会っても別れる事の方が多いんだと思うと生きるって何だろうと思ってしまいます。楽しかった時もいつかは忘れてしまうなら楽しく過ごすほどあとで空しくなるだけのような気がします。あと、もっと仲良くなりたかったのに結局仲良くなれずに別れる事になってしまった人もいて後悔しています。心の中ではものすごく寂しくて辛くて今打ちながら涙が出てしまう位なのですがそれは誰にも伝わってないと思います。もっと自分の気持ちを伝えればよかったなあと思います。別れが辛いのか積極的に人間関係を作ろうとしなかった事を後悔してるのか自分にはよくわからないのですが、この寂しさを乗り越えるにはどうすればいいのでしょうか。わかりにくい文ですみません。何か回答が頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)      かおりさん、お久しぶりです!   2006/06/06

 そのお気持ちはよく分かりますが、「会者常離」、会うは別れの始まりですからね。あなたの寂しさはみなが体験していることで、それに関しては残念ですが、どうにも元気づけようがありません。それで、「この寂しさを乗り越えるには」とありますから、それならば、まずは「良いお友だちを職場以外のところにも作るようにしてください。

 学生時代の友人だけでなく、趣味を通じて友だちを作る、ボランティア活動を通じて、得がたい仲間を作るなどでもよいと思います。さまざまにところに人間関係ができると、「会者定離」というのは通常のことだとわかるでしょう。一度だけの出会いもあります。また、やらねばならないことが目の前にたくさんあると、気持ちがそういうところに嵌まりにくくなります。

 また、お年寄りの気持ちをそこから思い至ってください。あなたの場合、同僚たちが職場を辞めていくだけのことで、何処かで達者で暮していると考えることもできます。しかし、お年寄りは、それまで親しくしていた人たちが亡くなってしまうのです。先月はやさしかったあの人が逝き、今月は親しくしていたあの人が逝ってしまうんです。

 ところで、大切なのは身近な人間関係だけなんでしょうか? 大切なことはそれ以外にも見つけ出せるのではありませんか。たとえば、北極の永山が大きく解けていると新聞に載りましたが、恐ろしいことが始まっています。そういうことは、あなたには無関係なことなのでしょうか。地球温暖化により、水面上昇で地盤沈下して、国土が無くなってしまう恐れのある人たちもいます。それは、たとえば、私たち日本人が車に乗り、毎日風呂に入っていたり、自販機でペットボトルを買って喉を潤していたりするのが原因です。

 私たちの豊かな暮らしの裏で、たいへんに辛酸な暮らしをしている人、国土を奪われてしまう人たちがいます。そんな人たちに、もっと心を震わせて欲しいと思います。社会問題、環境問題に関心を持って、自分に何ができるのかを考えてみてもよいのではありませんか。つまり、視点を狭いところから広いところに置く、狭い世界から飛び出して、広い世界に向かうようにすると良いように思います。

 また、あなたの寂しさは通常のことで、特別の不幸に遭っているのではありません。逆に、「そんなことで寂しがっているのかあ……」と、あなたのことを幸福な人だと、羨ましく感じる人もいるはずです。たぶん、地球に住む過半数以上の人たちが、そのように思うのではないでしょうか。そういう人たちに思いいたること、忘れないこと、しばしば思い出すことが、どれほどに大切なことか、あなたに分かってもらうのは難しいことなのでしょうか?

 あなたのタイプは、人に必要されるようなことをすれば、充足感が得られます。しかし、人は、どのタイプであってもみな、社会に役立つことをしていれば、それが心の支えになり、自分の誇りにもなり、生き甲斐にもなります。結局のところ、自分のことしか考えていない人間、通常の暮らしだけに埋没している人間、学ぼうとしない人間は、充足感がなく、また自己満足しにくいだけでなく、その心も脆いものになります。

  外なる広い世界を見て、さまざまな人たちと関り、役立つ何かを実践することが、自分を育て、賢くもさせ、かつ心も頑強になるように思われます。あなたの心とエネルギーと時間を、もっと違う分野に使ってもよいのではありませんか。

回答に対する返事           かおりさんより     2006/06/09

 ご回答ありがとうございます。日常に埋もれている、自分のことしか考えていないという事をよく考えてみたら図星で、私は今まで24時間自分のことばかり考えていたという事に気づきました。昨日一日「自分のことなんてどうでもいい」と思うようにしてみると、失敗を大きく後悔したり人に怒りを感じたりする事が減りました。今までは自分が大切で大切でたまらないという行動をあまりにとりすぎていたと気づきました。社会問題や環境問題にも正直関心を持った事がなく、昨日新聞を読んでみてニューオーリンズでハリケーンがあった事、被害にあった住民がまだ家に帰れていない事、日本が自然エネルギーの使用に世界より消極的な事、省エネは世界トップである事などを初めて知りました。何も知りませんでした。温暖化の状況も。自分ばかりの狭い世界から広いところに目を向けるようにしたいと思います。

 

6  1260           心とはなんですか?      質問者(フレデリック)   2006/05/23

 やはり、解らないので、再度質問させていただきます。題の通りですが、竜頭さんの言う「心」とは何なんでしょうか? 僕は心とは自分では例え、どのような物を持ってしても、どうすることも出来ない存在、自分の中に在るけれど、殆どが自分とかけ離れたもの、自分から簡単に消えてしまいそうなのに、重くのしかかり自分勝手に暴れて手が付けられないもの、それでいて気まぐれな、うまく言えないので長くなりましたが、つまり心は僕自身の中で僕自身にだけにしか感じられないのに、それ自体でまるで独立している(だけど心が傷つくと痛い)、そういう存在だと思っているのですが、違うのでしょうか?事実この文章を書いている時の胸の高鳴り(緊張)も消せません。だから、心を変えるなんて無理だと思うのです。心が虚しさに陥ったらそれもたぶんどうしようもない。美しいものだって虚しい。それとも、これは全然心と違うものなんでしょうか?或はそれは心だが、私が言う変えるモノは、そのどうしようもない心では在りません、と言うことですか?こんな書き方はちょっと馬鹿な思い上がりかもしれないですけれど。
回答者(りゅうとうまりこ)     フレデリックさん、お久しぶりです!    2006/05/24 

 簡単には、「心とは脳のはたらきです」と答えます。当会では、パソコンになぞらえて「身体はハード、心はソフトです」と述べることもあります。

 そうなれば、次なるは、「脳とは何か?」となるのではないでしょうか。しかし、私は脳科学を専攻して学んでいませんから、それを説明することなど、とても出来かねます。また、脳の働きはまだ完全には解明されていません。しかし、機器類の急速な進歩によって、これからは飛躍的に解明されていくだろうと予想されます。

 未だに「心の座が脳にある」ことを知らない人がいるようです。また、「心とは何かを定義するのさえ難しい」などという心理学系の人たちの考え方もあります。私自身は、「心とは脳のはたらきです」というだけで充分であると考えています。ちょっとでも詳しくしようとするならば、何百時間もかけないと理解できない分野であると思っております。中途半端な説明を聞かされても、意味の無いことのように思われます。
 
 従って、脳の構造と機能に関する知識を、あなた自身が吸収することではないでしょうか。それに関する著書ならば、うんざりするほど出版されていますが、中学生でも分かるようなものもありますから、高校生であれば、充分に理解できるものが結構あります。現在でも、月に1冊くらいは脳科学に関する本は読むようにしておりますが、それでも、うまく説明できるところにいません。そして、日進月歩の世界で、ちょっと前に知ったばかりの理論が間違いであったと証明されてしまう、激変の時代に突入しています。

 上記の文は、現在のあなたから見たあなたの心の状態を書き出しているに過ぎません。そして、「何も知らない」というような状態であるにも関らず、はや「決め付けている」ように見えます。そして、容易に回答できないようなことを、あなたは質問している、ということを知ってください。

 自分の無知を自覚できなければ、その先に歩を進めることはできません。「自分は充分に知っている」と思ったら、そこで歩みは止まってしまいます。むろん、私もまだまだ何も知らず、エニアグラムの性格タイプについても、知らないことばかりで、これからも調べたり、学び続けていくしかありません。あなたも、心とはどういうものか、本当のことが知りたかったら、学び続けてください。

 
回答に対する返事          フレデリックさんより     2006/05/28

 僕は何も、竜頭さんに絶対的なモノを提示していただきたいと言った訳では在りません。あくまで、竜頭さんの考える心とは何か、僕はこう思っているから、自らの意思で変えることは出来ないのではないか?と訊いたのです。さらにその考えを決めつけている訳でもありません。「ちょっとしたことで、心は楽しめるように出来ている」と在るのだから、正否は別にして、脳に心の座があるというのを前提に、さらに何らかの定義が在るのだと思った訳です。心が脳に起因する程度は知っていますし、もちろんそれについて理路整然と答えられる方が居ないことも、解っているつもりです。しかし竜頭さんが僕の質問に対し、もはや周知の心は脳の働きである、と回答されたという事は、的外れな表現をした(毎度質問があやふやで、申し訳在りません)僕が悪かったのだろうと思います。では心が変えられるとはどういうことですか?そして心をどう定義してそういえるのですか? 僕はこうを尋ねたかった訳です。別に他人に聴いて、心を知った気になろうなんて始めから毛の先ほども思っては無いです。僕は見せかけの博学さが欲しいのではありません。しかし回答どうもありがとうございました。
最回答(りゅうとう)          フレデリックさんへ     2006/05/30 

 申し訳有りませんが、最初の質問を読み直しましたが、あなたの知りたいことが分かりません。私の回答が見当違いだったようですが、読み返しても、それ以外には答えようがなかったように思われます。どうやら、「心」というものを主観的に捉えているようだと分かりますが、客観的に捉えることしか考えていませんでした。また、ご返事も読みましたが、今後も客観的な迫り方しかできないだろうと予想します。

 また、かなり抽象的な質問でわかりずらいものになっています。なんど読んでも、誤解してしまいそうです。ここではできるだけ具体的な質問をしてください。具体性のあるものほど、明確な説明やアドバイスができるのが、当エニアグラム性格学の特質であり、優れた部分であると思っています。

 とりあえず、
「心は自分の意志で変えられるのか」という、とても難しい質問ですが、メチャメチャ大雑把ではあるが正確に回答しようとするならば、「心というものは、自分の意志で変えられる場合もあるが、変えられないものでもある」と答えます。そうとしか回答できません。

 具体的かつ日常的な事例を上げましょう。ある中学生の息子は、母親が自分の部屋に入って、掃除したり勝手に何か捨てたりすることに、大変に腹を立てています。母親がいろいろなことを聞きたがり、さぐり出そうとするので、うっとおしく感じています。息子は勉強する気持ちになれず、意地になって毎日ふてくされたように、マンガばかり読んでいました。母親は勉強して欲しいのですから、そのため毎日のように口ゲンカとなり、息子も母親も、いつも苛立っています。そこで私のところへ、二人して相談に来ました。

 この息子がタイプ4で母親はタイプ2だと仮定します。カウンセラーとして「息子さんは思春期に入っていますから、母親といえども、息子さんの許可無くして彼の私室に入らないようにしてください。彼の物を勝手に捨てるなどは言語道断です。息子のことを知りたい気持ちはよく分かりますが、その気持ちは抑えなければならない年頃になりました。あなたが世話を焼くほどに、息子さんは勉強意欲を無くします。不快な気持ちのままで、勉強などする気持ちになれないものです」等々と説得します。

 さて、母親は、カウンセラーのアドバイスを守らねばと、必死に自分の心と戦います。息子に「今日は学校でなにかあった?」と口にしようとするが、ハッと気づいて口を閉ざします。そんなことが続き、息子は母親が変ったので、大変にうれしく、「今日ねえ、こんなことあった」などと快活にしゃべりだしてしまい、自分が母親をうとましく感じたことが、まるで何十年も前だったように感じたそうです。これは、実はほぼ実話で、しかも珍しくも無いエピソードです。

 そうはならない事例もたくさんあります。相変わらず息子に過干渉で、息子のものは自分のもの、息子は自分の言うことを聞くべきもの、と思い込んでいる母親、生活習慣みたいになっている「今日は学校では何してた……」という問いも、相変わらず続いているのです。息子も相変わらず、母親にムカついて、マンガ本やゲームに長時間興じているというものです。これもよくある実話です。

 これで分かると思いますが、人は学ぶことができる動物です。むろん、犬でも猫でも学べる動物なんですが。しかし、学べない人たちがいます。このように、具体的なことであれば、心というものが、ある時はかわり、ある場合は変れず、ある人は変れて、ある人は変れないことを指し示すことができます。

 この場合、母親は自分を抑制したために、少し成長できるでしょう。息子はなんの努力もなく、少し幸せな気分になり、心が軽くなり、気力が出てきたようです。それで成長するのか、ただ気力が出ただけのことなのか、その後を見ないと分からないことですが。瑣末なことかもしれませんが、心の変化が少し見られます。そして、心が激変するなどということは、特別な大事が無い限りほとんど考えられず、むろん、性格タイプ(気質)が変るということはありません。

 なお、「心をどのように定義すべきか」という論議は、私には不毛なことに見えます。ですから「心とは脳の働きである」という簡潔なものしか頭に浮かびません。「心」というものを哲学的に捉えている人がいますが、それは彼らに任せておきたい。私は実証的なものしか取り入れる必要を感じません。もしも、その質問に対して明確な答えが欲しいというならば、ここはふさわしいところではありません。「現場主義」であると、しばしば回答していますから、ご理解いただけるものと思います。

 心に関しては、抽象的に捉えると、それだけ分かりにくくなり、具体的なものにすればするほど、問題点も発見でき、そうなる原因も掴め、かつ、分かりやすくなると考えられます。これからも質問されるならば、生活しているなかでの、ある場面だけを切り取って、事実を詳しく書き出して、その後に自分の思いや悩み感想などを書き出して下さい。

再回答に対する返事       フレデリックさんより      2006/05/31

 簡潔な回答どうもありがとうございました。なんだか、とてもすっきりした気分です。

 

   12577  強引な売り手をうまく拒否できません      質問者(鈴鳥)   2006/05/20

 先日、都会に出かけた際、ごく軽い気持ちで占いをした。占い師に手相を見てもらった所、「弱気な面を変える為には貴方の名前を改名する必要がある」と言われた。唐突に性格を変える為に改名とは頭の中で結びつかず、「改名は考えていません。」と断った。帰り際、占い師は改名の申し込みを押し進め繰り返し説得してきた。私は次第に困惑してしまい、根負けして改名費の一部を支払い、逃げるようにして帰った。数日後、占い師から電話がかかり、残金の振込を請求された。再度「改名はするつもりはないです。」と答えたが相手も強気の姿勢だった。横で私の対応を見てしびれを切らせた夫が激怒しながら相手に不当な点を追及してくれた所、一方的に電話を切られてしまった。占い師の言うがままに携帯電話の番号を紙に書き、一部のお金を払ってしまう等、軽率な行動をとってしまった事を反省している。言葉で強く押されると、その場で対応出来ずに反論もできずに終わってしまう点はどのように改めていけば良いのかアドバイスをお願いします。
  
回答者(りゅうとうまりこ)      鈴鳥さん、お久しぶりです!    2006/05/21

 あなたのほうでは遊び感覚であったかもしれませんが、相手は商売でしていることです。収入が少ない時期ともなれば、焦って強引になることもあると思われます。その他、精神状態の悪い人であれば、からんでくることもあります。なお、大変に困った体験をした方もいるかもしれず、若い方が狙われることも多いようなので、少々問題を広げて、説明してみようと思います。

 さて、「強引」というのであれば、占い師だけに限りません。セールスもあり、宗教の布教活動あり、その他、幾らでもあり、我が家にもよく来ます。最近は、「オレオレ詐欺」などの「振り込め詐欺」が話題になっていますが、強引だけでなく、たいへんに巧妙のようです。

 かなり以前からあるものでは、「福祉関係の者」と言って、個別訪問して物品販売する人たちがいます。ここは売り手の多くが若い人たちでした。福祉団体が戸別訪問して寄付金集めしたり何かを販売することはまずありません。自分たちの活動資金を集めるものであり、多くの人たちがまんまと騙されているようです。メモ紙に、ご近所さんの名前を書いて、「このお宅も購入してくれました」などと言い、こちらも買わないといけない気持ちにさせるというやり方です。

 「悪徳商法」と呼ばれているものは、大変にたくさんあり、強引さは想像以上で、少しでも弱気というか迷っているような素振りを見せたら、相手の思うツボです。知らずに、「催眠商法」なる現場に迷い込んだことがありますが、目つきや態度のおかしい男性たちが会場を取り囲んでいました。高いフトンを買わせようという魂胆のようです。「変だ、おかしい」と直ぐに気づきましたが、会場にいる年寄りたちに、それを伝えたくとも、怖くてできなかったという体験をしたことがあります。催眠商法にはかからない冷めた目をしている人間がいると、彼らは直ぐに発見し、マークして、他の客と接触させないようにしています。
 
 何十年も前ですが、バイト先を探しているおり、原画のアニメに着色する仕事があると新聞チラシがあり、出かけたことがあります。つまり、就職斡旋すると見せかけて、絵の具代や紹介料を騙し取るものです。「働く側が支払うなどおかしい」と思い、すぐに会場を後にしましたが、その頃は田舎に住んでおり、就職先がまるで無いような地域でしたから、たくさんの方がその会場に来ていました。その直後に、悪徳商法の一つと知りました。

 
「マルチ商法」というものもあり、商法にはひっかからなくとも、いろいろな問題点があるのに、それを知らずというか、知ろうともしないで加入する人が後を絶ちません。知人でひっかかった人がいて、ネットで調べて問題ありと伝えましたが、深入りしており、聞き入れてくれませんでした。アメリカ生まれのマルチがとくに巧妙ですから、注意が肝要です。「自己啓発セミナー」も今だ健在のようで、「性格を変えられる」などと言っているようです。かなりの高額にも関らず、ほとんど何も学べなかったと、セミナーに参加した知人は言います。

 その他、
健康食品とか化粧品、サプリメントや薬などで、会員加入の勧誘などもたくさんありますが、高額な場合が多く、会員の方からの話を鵜呑みにしないようにしてください。売り手や会員が自分の売る商品を悪く言うなど有り得ず、また、その会員も騙されていることがあります。

 体験したり、身近に聞いて知っているものを書き出しましたが、強引で巧妙な商売など、いくらでもありますから、一度、インターネットなどで調べてみてください。断り方などが書かれたサイトもあります。ぶっそうな時代ですから、初対面の人には、用心にも用心を重ねたほうがよいと思いますし知人や友人であっても、おいしい話であれば、必ず何か問題があります。マルチ商法は、知人や友人を勧誘していくもので、かえって断りにくくなる、という心理を使っています。

 また、
「強引」であれば、それだけで、「怪しい」と思ったほうがよいのではないでしょうか。また、金額を尋ねれば、ほとんどが高額ですからね。商品が良くても、内容に比べて高額(一般価格より)であれば、不当価格です。その場で決めないようにしてください。不当価格であるとしたら、儲けは事業家と初期の会員などに入り、後から入った会員の手には入りにくくなっています。

 おいしい話など、この世の中には無いと思ったほうがよいと思います。
 
 
「その場で対応出来ずに反論もできず」とありますが、「すぐ逃げ出す」「反応しない・喋らない」のが一番によいのではと思います。「一存では決められない」「家族と相談しないと怒られる、決められない」などと言って、その場では必ず断ってください。帰宅してから家族や友人たちに相談をかけて、ネットで調べるなどをしてください。そうこうしているうちに、ほとんどが彼らが言うほどに良い商品ではないと知るのではないでしょうか。

 そして、最もしてはいけないことが、電話番号や名前や住所を相手方に教えることです。たぶん、今回の体験で、学べたのではないでしょうか。

 なお、私自身は、電話がかかっても、相手が名乗らない限り、こちらからは名乗りません。セールスと分かれば、すぐに「失礼します」と言ってガチャリと切ります。少しでも相手と対応しようとする素振りとか、「暖かい人柄をかもし出すような返事」みたいなものを出すと、相手が押せ押せモードで来ます。冷たい最小限の返答をするのが、一番の時間短縮になるように思います。
 
回答に対する返事           鈴鳥さんより    2006/05/26

 日常でも周囲に人を陥れる悪徳商法が蔓延っていると感じている。その中で、自分が再度被害を被らない様に今回の体験を心に留めておこうと思う。具体的な対処法を教えて頂き、大変参考になりました。アドバイスを有り難うございました。

 

    1256    相手にされない寂しい気持ち   質問者(元気くん!)   2006/05/18
 こんにちは。初めてメールします。よろしくお願いします。先ほど、性格判断をしたら、タイプ9でした。私はいつも同じ事で毎日のように、悩んでいます。私は、たくさんの友達、何でも話せる友達、気心が知れた友達が欲しいと思っているのですが、気が付くと、いつも一人です。今までの生活を振り返っても、学生時代から、友達が欲しい、一人は寂しいと思っているのに、いつも一人だったと思います。そんな私は、自分に自信がなく、恋愛も下手で人付き合いも下手なんだと思います。勇気を出して友達になっても、長続きしません。たぶん、私に原因があると思いますが、その原因がわからず、困っています。今後も、この寂しさや孤独を感じながら生きていくのかな。私は人を寄せ付けないオーラが出ているのかも……結婚しており、息子が一人います。
回答者(りゅうとうまりこ)                元気くん、はじめまして!    2006/05/19

 当サイトの性格診断表でチェックしただけでは、正しいタイプは見つけられません。平均約8割方の人たちが自分の正しいタイプを見つけられないようです。また、上記の文からは、タイプ9らしく見えるところは一つもありません。自分を知ることは大変に難しいことだと知ってください。

 ところで、
「寂しい気持ち」とは、友だちができないことを指しているように見えますが、結婚して、お子さんもいらっしゃるようですから、全くの孤独ではないようです。そして、10代の女性では有りませんから、友だちが必要な年頃でもありません。また、友だちがいないと生きていけないのでも無いのではありませんか。その年齢まで無事に生きてこられたのですからね。また、あなたの文からは、深刻さや切実なものが伝わってきませんから、あなたが言うほどに、寂しさや孤独感に悩まされているようにも見えません。もしも、間違っていたらごめんなさい。

 
「原因がわからず困っています」とありますから、少しだけアドバイスします。「たくさんの友だち」が欲しいとありますが、友だちがたくさんいたら、それは友だちとは言えず、単なる知人になるのではありませんか。また、たくさんの友だちがいては、丁寧にじっくりとつきあうことはできません。なるべく少ないほうが良いとは思いませんか。

 
「何でも話せる友だち」が欲しいとありますが、本当に友だちが欲しかったならば、何でも話してはいけないと考えてください。嫌われないように、相手の気持ちに配慮したり、楽しい話題、実りある話題を提供できるようにしてください。また、共通の関心事を見つけたりなど、頭を目いっぱいに使って、楽しい時間を共有できるように努めたほうが良いのではないでしょうか。

 相手の立場になって、いろいろな配慮ができるようになれば、友だちは自然にできるものではないでしょうか。いろいろな配慮の中には、見て見ぬ振りや、手出ししないで静かに控えているなども入ります。自分の思いや考え方だけを優先しては、友だちはできないと思われます。遠慮したりなど、相手に配慮しているつもりでいる人もいますが、相手が求めている配慮でなければ、その遠慮は相手には伝わらないだけでなく、誤解を生むこともあります。
 
 また、友だちができて、つきあえたとしても、そのつきあいの内容がつまらないことも有るようです。たとえば、二人で愚痴を言い合う、悪口を言い合うなどもあります。
「何でも話し合う」ことが、これだとしたら、情けないことだと思いませんか。そんなことを続けていれば自分をダメにしてしまいます。つきあう価値はなく、時間とエネルギーの無駄だと思うようなつきあいならば、しないほうがよいとは思えませんか。

 そういう会話は中年女性に多いと思っていましたが、10代の女性たちも同じで、また男性たち、たとえばビジネスマンたちも同じであると、最近気づきました。職場の愚痴と不満ばかりグダグダと述べ合って、酒を飲み交わしているんです。それを友情だと思い込んでいるように見えます。

 
「人を寄せ付けないオーラが出ているのかも」とありますが、一人の男性があなたに寄ってきたので、結婚できたのではありませんか。なお、夫と、親友になることもできます。子どもと友だちになることもできます。最低、2人の友だちを持てますし、この友だちはなかなか逃げて行きません。「 夫や子ども」と友だちになるのは、とてもよい方法だと思いませんか。

 一人でも、ひきつけることができたならば、それで充分ではないかと思います。夫とお子さんを大切にする、幸せな家庭を築くことを最優先にして欲しいと願っています。そして、上記の友だちの作り方を、そのまま夫や子どもに適応するとよいように思います。

 家族は親しみ慣れてくるためなのか、どこかぞんざいな扱いをする妻がいるようです。それでは幸せな家庭は築けません。夫や子どもに、サービスしない、楽しい話題を探さない、いろいろな配慮ができないならば、大切にしていることになりませんからね。人間関係で気をつけることは、相手が誰であっても、みな同じだと考えられます。

 

  1234     淋しそうな顔を見ると避けたくなるが……     質問者(フレデリック)  2006/04/19

 僕は最近、楽器店のバイトをするようになりました。それで同じフロアの隣の位置の女の人と顔見知りになり、よくしゃべるようになったのですが、その人がゲームや漫画が好きで、よくその類いの話をしてくれます。僕は割と人の話を聞くので、その人は時間の限り話します。おしゃべりですが、きつい人でも、真面目な人でもないので、そんなに苦手ではなかったのですが、最近その人を見ると、なんだか淋しくなります。それというのも僕は人の顔をあまり見ないので、時々見るとその顔や姿が非常に印象に残り、さらに、それが心を開いた素直な明るい笑顔(自分の思い込みかもしれないが)だと非常に戸惑います。そういう笑顔を見ると淋しい感じ...なんだか、その人の欠点を見た気になるのです(特に漫画のような空想的な頼りないモノの話で楽しそうにされると)。そういう顔をされるとその人を避けてしまうのですが、そうしようとするほど、不安定になり、近づくと淋しさが強まります。不安定になるのは、その人に性的な好意(有り体に言えば恋)が在るからかもしれません。作業への影響は無いです。むしろ作業中はその虚しさを忘れられるので好都合な感じがしますが、解決にはなってません。

回答者(りゅうとうまりこ)     フレデリックさん、お久しぶりです!  2006/04/20

 3つに別けて考えてみたいと思います。一つは、私もよく体験しますが、「今日は元気がないね」などと声をかけられることがあります。しかし、その時は快調でしたので、「他人からはそんなふうに見えるのかなあ」と不思議に思ったものです。逆もあります。体調が悪くて寝込みたいくらいな時に、「何かいいことがあったんですか?」と訊ねられたこともあるほどです。

 しかも、タイプ4の漢方の薬剤士の方から言われたこともあります。日頃から、人の顔色などをよく観察する仕事に就いている人なので、かなり驚いてしまいました。ですから、人は、他の人たちを見ていろいろに感じるようですが、本人にとってはビックリするような見方をしていることがあります。自分の感覚とか直感というものを「信じてはいけない」と考えさせられるところです。

 当会は、顔相を読む訓練もたまにしますが、「神経質なのはどの人だと思いますか?」とか、「きつい顔つきの人は?」と、テレビ画面をともに観ながら訊ねると、受講生たちは各々違う人を指します。従って、「神経質な感じ」「きつい顔つき」や「淋しそうな感じ」も、みながみな同じに感じているのでは無いと分かるのではないでしょうか。もしも、本人が淋しがり屋ではないと言い、家族や友人達もそのように見えたことなど無いとしたら……、それも有り得ることとは思いませんか。

 2つ目としては、他人の様子を見て、何か感じるものがあるとしたら、それは「あなた自身をそこに投影している場合がある」ということです。私がそこに居合わせて、彼女の様子を一緒に見て、次のように感じたならば、どうなるのでしょうか。「彼女は一見元気そうだが、自分の心を見せようとしない、何か秘めている、隙を見せない人だと感じた」 このようなことはよくあるからです。つまり、あなた自身が淋しがり屋だということを表わしていると考えるものです。

 
「そういう顔をされるとその人を避けてしまう」とありますが、あなた自身をそこに見てしまうので、なんとなく嫌な気持ちになるのかもしれません。同属嫌悪に近いものなのか、そうではないのか、もっと詳しく伝えてくれないと、こちらには分かりかねることですが。

 3つ目として、あなただけでなく、私もあなたも、他の方も同様に感じてしまったならば、確かに彼女は「笑顔の中に、どこか一抹の淋しさを感じさせる」ので、実際も寂しい境遇の人なのかもしれません。もしも、3つ目が当たっていたら、淋しい境遇の人でも、楽しい語らいをその場だけでもすれば、淋しさは癒されるのではないでしょうか。あなた自身も、受け身で聞いているだけでなく、何をすれば彼女が心底から快活に笑えるのか、具体的な課題として取り組んでみてはどうでしょうか。自分自身のために……。

 さて、「虚しい」という言葉を使うならば、全ては虚しいことばかりです。恋をしても虚しさしか残らないのではないでしょうか。生きることも虚しく、エニアグラムで人間関係を改善できても、それがどうしたのだと…、「救われた」と言ってくれる方はいます。でも……ね。そんな中に嵌まり込んだら抜け出せなくなります。

 何もしないよりは、何か少しでも役立つことをしていれば、それらの虜になることは無いでしょう。ちょっとした美しいものに触れただけでも、心は楽しめるように出来ているとは思いませんか。どんなことも、つまりは「あなたの心次第である」と悟ること、あなた自身が「望み」を持つことが大切な気がします。

 

10    1225   憂鬱な気分から抜け出せない  質問者(ロフタス) 2006/04/07

 この間は回答ありがとうございました。丁寧なご回答ではありましたが、いまひとつ内容が理解し難かったのでもう少し自分で考えてから質問させていただきます。最近、すごく憂鬱な気分です。作業所に行かない日は何をやってもつまらないのです。なにをしていいのかやはり見当もつかず、かといってサークルなどの集まりは一つで精一杯です。夜になると7時ごろは眠たいのに10時ごろには寝る気がうせてしまいます。寝ても熟睡感はないし昼寝をすると悪夢ばかりみて気持ちよく眠れません。寝坊も頻繁にするようになってきてしまいました。夜更かしをしてしまうのですが「このままじゃ寝たくない」という気分になり、だらだらと起きてしまいます。かといってなにをしても面白くないので非常に苦しい時間です。近頃はもう空虚な気分になり、苦痛なのですがどうしたらよいのでしょうか。そしてこの苦しみの正体はなんなのでしょう。よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)     ロフタスさん、お久しぶりです!  2006/04/08

 顔を見ないまま、かつタイプも確定しないままでは、こちらも適切なことが書けているのか、とても不安になることがあります。さらにタイプが分かっていても、あなたという人間を知りません。同じタイプでも、それぞれに個性があり、能力も違い境遇や家族構成も違います。とても一括りにできるものではありません。どうか、そんな点を考慮してください。

 そして、今回の質問に対しても、実は簡単にアドバイスできるようなことではありません。ですから、申し訳ないが、多くの人たちに当て嵌まるような一般的なことになってしまいます。それをご了承くださるようにお願いします。

 まず、1つは、新しい環境に入ったために、緊張しやすく疲れが溜まっているのかもしれません。緊張や疲れを解くには、充分な休養を取り、適度な運動が効果がありますから、以前アドバイスしたことを確実に実行することが重要になると思います。また、以前にもどこかに書いていると思いますが、腹式呼吸をすると、リラックスさせることもできます。緊張していると浅い呼吸になり、細胞の隅々まで新しい酸素を行き渡らすことができません。脳はとても酸素を必要とするところなので、脳の酸欠みたい(?)になると、憂鬱な気分になる恐れもあると考えられます。息を吐く時に、数を10数えて吐き切ってください。落ち着けず不安な時に、私自身もよくやっています。

 2つ目、作業所などでは、談笑することがあるのでしょうか? 人は人に癒されるもので、談笑することが最も効果的です。しかし、誰とも会話しないままでいると、気持ちは滅入って行くばかりです。また、笑いがまるで無いような会話ならば、語り合ってもさほど癒されたりしません。作業所内で楽しい会話ができる、ウィットのある人を見つけ出してください。お笑い系のテレビ番組を見ると良い、という方もいます。

 3つ目は、少しうつ病的な症状があるのかもしれません。うつ病とは「脳が風邪をひいたようなものと考えてください」と語られることがよくあります。結構、誰もが風邪みたいに罹り易いものです。
「苦しみの正体」が、そこにあるのか分かりませんが……。まずは専門医の診察を受けてください。うつ病だと診断されたならば、安定剤や抗うつ剤などを処方してくれます。

 しかし、いろいろな薬があり、人によって効く薬が違うようで、いろいろと試さないと自分に合うものと出会えません。しかし、効果があるのか分かるようになるには、数ヶ月はかかることがあります。気の長い話で、根気が要ります。でも、そうするしか方法はありません。運がよければ、1ヶ月くらいで良い薬と出会い、明るい気分になれます。なお、この最後尾には、うつ症状についてアドバイスを
幾つがしており、参考になると思いますから併せてお読みください。

 4つ目は、一人暮らしをしているのであれば、そのせいもあるかと思います。症状を軽くするには、家庭の団欒に触れると良いので、それが可能であれば、もう一度、同居を考え直してみてはどうでしょうか。しかし、家族もみな無口で楽しい会話ができないという家庭がありますから、あなた一人の努力ではどうにもならないことがあると思います。

 5つ目、元気な時期であれば、職場環境を変える、つまり配転するなどもよいのかもしれません。しかし、無気力な時期では、休養を取ることが大切です。しかし、一人っきりでは、元気が回復できにくいものです。友人が必要です。たとえば、そのような境遇になれば、タイプ6ならば、一人っきりでいられないので、友人作りに邁進します。サービスしたり相手の話をじっくりと聞いたりして、相手から好かれるようにします。自分以外の誰かに関心を持ち、その人との関係を大切にすると、その人もあなたを大切な存在と思ってくれます。
 
 6つ目、あなたにとって気持ち良いものとは何か、気持ちが落ち着くことなど、およそ100くらい執拗に見つけ出して書き上げてください。たとえば、サクラの花を見ていると気持ちいい・鳥の泣き声が気持ちいい・腹式呼吸すると気持ちが落ち着く等々です。100個の気持ち良いことを、心にいつも思い浮かべてください。否定的なことばかり思いつくと、落ち込むばかりですが、気持ち良いことを感じて味わうようにすれば、気持ちというものは上向きになります。それを実感できるように、しばしばトライしてください。

 7つ目、生活時間割表を作ってみてはどうでしょうか。たとえば、タイプ1の人は、毎日やることの予定で詰まっている人がいます。タイプ7もタイプ4の人もよくしています。一刻でも何もしないでいることができないのは、とくにタイプ1と7に多いんです。何もしないと、空虚さがドット押し寄せてくるように感じるのです。大慌てで何かすることを探し出す、または勝手に作り出すんです。

 ある人は、仕事も9時〜5時だけでなく、夕方6時から10時近く勤めている人もいます。なぜならば孤独が怖い、友人はできない、お金は欲しい、老後の不安もあり、何もしないでいると気が狂うと言うのです。クタクタになるまで働くと、その恐ろしさから逃れられるそうです。バタリとベッドに入ると寝つくからです。
 これは、各人の体力に拠るので、あなたが無理せずできるものを計画して、確実に実践してください。しかし、ちょっとは無理をする必要があり、自分の状態を上向きにする方法を、上記を参考に採り入れてください。

 つまり、どんなことも、努力しないと何も得られないという、冷酷な現実があります。無気力な時期に努力などできるものでは有りません。無理な注文なんですが、それでも言わねばなりません。最終的には、「負けるもんか」というあなたの意志だけなんです。その意志力を付けるためには、何かで努力しないと付きません。努力などできない時期に、「努力せよ」とは酷なことだと分かっていますが。そうするしか方法が見つかりません。

 「意志」というものは、使えば使うほど強固になり、使わねば「意志薄弱」になってしまいます。そうなると無気力になるだけでなく、不安感も増大します。強い意志力がある人ほど不安感も少ないんです。体力をつけるのも、知力をつけるのも、意志力をつけるのも、原理的には同じです。

 上記の中から、あなたにとって、やりやすいことからトライしてください。実は、このような質問へのアドバイスは、最も難しいものです。直接の面談が必要なのかもしれません。あなたの住まいの近くには、公的機関の無料でのカウンセリングしているところもあるのではないでしょう。一度、捜してみてください。長く相談に乗ってくれる有能なカウンセラーが要る場合もあります。ここは個別の細かい指導ができるところではないので、残念ですが、ご要望にキッチリと応えられないように思います。ほんの少々参考にできるものしか提供できないように思います。あなたが家族や友人たちに恵まれているようにと願わずにいられません。

回答に対する返事         ロフタスさんより        2006/04/10   

 難しい質問に丁寧にご回答いただきありがとうございました。薬は今、抑うつ剤を飲んでいるところです。ただ、効果があるのかどうかというと定かではなく、一度パニック障害になってからその薬に変更したのでその薬が続いています。もう2年になるでしょうか。生活はまだ家族と一緒にしています。当分は一人暮らしは出来そうにないです。うちの家族は気難しいところがあり、とてもくだけた話ができるような相手ではなく会話もほとんどないし自分自身も両親があまり好きではありません。それから自分は人見知りが激しいので場になじむのに時間がかかってしまいます。周りの人も「良さが分かるのに時間がかかった」と言っています。前の居心地のいいディケアがなくなったことによるさみしさもあります。今は頼れると感じる存在がいない状態です。とにかく直接の面談が必要そうです。さがしてみます。一生懸命答えようとしていただきありがとうございます。また相談があればよろしくお願いします。
再回答(りゅうとうまりこ)        ロフタスさんへ      2006/04/10 

 抗うつ剤にはいろいろとあって、日本では許可されていない効果の高い薬があるようです。輸入代行業者が取り扱っていたりします。そういうものも少し調べてみては如何でしょうか? 日本のほうが抗うつ剤への取り組み方や考え方は古いようで、遅れている分野のように聞いています。

 なお、その時期、一人暮しをするよりは、気難しい人でも一緒に暮したほうが、症状が悪い方向には行きにくいと考えられます。

 また、あなたのタイプは分かっているつもりで、そうであるならば馴染むのに時間がかかるとは思います。しかし、勤め続ければ、やがては場慣れもしますから、緊張感は減ると思います。そうすれば、うつ的な気分は少しは減ると思われます。そして、どの職場にも、穏やかであまり気遣いしなくても済む人はいると思います。気分が少し上向きになったら、そういう人を捜して、なるべく近づく努力をしてください。

 
「良さが分かるのに時間がかかった」と言われたことがあるようですから、あなたのほうが近づく努力をすれば、相手の方も打ち解けてくれるのではないでしょうか。殻にこもるほどに、気難しい人間に見られて、避けられるものです。また緊張するほどに、他人からはシールドを張って寄せ付けない、冷たい人に見えていることを知ってください。あなたが、正直に気軽に話せるようになればなるほど、また、オープンになればなるほどに、あなたの良さは人々の中に浸透していくだろうと思います。
 なお、「みんなの広場」に、ロフタスさんへの激励のようなメールが届いており、載せています。

 

11No1199     恐ろしい想像をしてしまう     質問者(クロ子)    2006/02/24

 いつも質問に答えてくださりありがとうございます。このような質問をしてもいいものかと迷ったのですが、何か解決の糸口を教えてくださるのでは、と思いメールすることにしました。先日、友人に子供が生まれました。それは喜ばしい事です。しかし私はその子供を見ることでとても恐ろしい考えに囚われてしまうのです。首をすこしひねれば、腕をポキリと折ってしまえば、というおぞましいものです。そのために、彼女とはあまり一緒にいたくはないのですが、とても仲のいい友人なのでそういうわけにもいきません。彼女と買い物にいくときなどには必ずその赤ちゃんを連れてくるので私はいつも恐ろしく、逃げ出したい気持ちでいっぱいになります。どうしようどうしようと悩んだのですが、自分ではどうすることもできませんでした。私はどうすればいいのでしょうか。どうかご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)     クロ子さん、こんにちは    2006/02/28

 恐ろしい想像というものは、どのタイプでもしそうなことで、おかしな妄想に悩まされる人は結構いるように思います。ただ、ほとんどの人たちは妄想を実行しないので、この社会はとりあえず平穏を保っていると考えられます。

 親に罵倒されて、「死ね!」と口の中で喚くなどはよくあることではないでしょうか。憎い人物がいると、「この世から消えて欲しい!」と一時は本気で思うのかもしれませんが、大抵は時間の経過とともに、その気持ちはかき消えてしまいます。ですから、妄想することそのものは人間的なことで、それだけで罪悪感を持つことはなく、また、反社会的な人間というのでもありません。

 「怒り」と「ねたみ」、「不安」と「恐怖」などが基本にあるために、おかしな妄想をすると考えられます。そうなると、あなたの妄想はどこから来たのか、あなたなりに見つけ出せるのではありませんか。
ただし、妄想の内容には、あなたの気質が関係しているはずです。

 また、ちょっとした精神的な不安があるだけでも、おかしな妄想をすることもあります。深刻とは言えないものですが、ケースによっては専門医の診察を受けたほうが良い場合もあると思います。それらの妄想が極度にしばしば現れて、通常の生活が成り立たなくなってしまったら大変です。その場合は、お近くのカウンセラーを訊ねてください。そういうことではないと思われますが、あえて書きました。 

 本当に「自分を知る」ことができれば、なにが原因になっているのか見つけ出せるようにも思います。それらが「怒り」と「ねたみ」から来ているものならば、現在の自分自身に満足できない。自分を取り巻く現状を受け入れられないためではないでしょうか。もっと自分を知る努力をする、そして、自分を活かす方法を見つけ出すことを考えねばなりません。

 また、あなたが何か他のことに熱心にトライしたり集中できるようになったら、その友人と会うことにして、それまでは用事を作って断るなど、会わないよう工夫してはどうでしょうか。

 なお、生まれたばかりの子はあまりにもか弱い存在なので、危うく見えます。首もすわっていないとか、頭の骨も閉じていないなど、ヘナヘナの壊れやい、もろい存在ですからね。しかし、その実、生命力は物凄いものがあり、逞しさを感じることがあります。みかけとは違うのであり、乳幼児の成育に関する本なども読むと、自分のイメージしていることと違ってくるでしょう。そうなれば、それらの妄想も、かすんでくるかもしれませんよ。対象から逃げ出すのではなく、対象をよく理解するで、不安や恐れを克服できることがあるのではと思います。

 

12No1197              苦手な人を克服したい       質問者()         2006/02/23

 

 私にとって苦手な人たちがいます。その方々に共通するのは、自分の愚痴を延々と喋ることです。愚痴の内容はいろいろですが、電話をかけてきて、いきなり愚痴をぶちまけ、私の意見は聞き入れず、最後に「あなたはいいね」で締めくくります。最終的に私の方がまいり、相手に自分が不快に思っていることと、その理由をぶちまけ、関係終了となりました。ここ4年で全部で3人、それぞれ違う時期ですが、週一、一時間程度、半年〜1年というのが平均の友人期間です。私は、どちらかと言うと人と距離を取りたがり、友人に悩みを打ち明けるということは殆ど無いです。どうしてこんな私の時間と頭の中に、彼女達はネチョッと入れるのか不思議です。私も不快に思っていることを小出しにしていれば、相手の依存心も、こちらのストレスもエスカレートしなかったかなと反省もします。どうしたらこのような苦手な人達を素早く見抜けて対応できるのか、というのがご相談したい点です。これからも出会うであろう、このような人々とストレスを溜めずにつき合っていけたらと願っています。漠然としていますが、宜しくお願いします。

回答者(りゅうとうまりこ)       庵さん、はじめまして!    2006/02/26

 苦手な人が家族の中にいるとか、職場が同じで、毎日仕事でつきあわねばならないのであれば、大変に困ることで、なんとか関係改善を図らねばならないでしょう。しかし、質問からみると、そういう相手ではないようで、知人友人のように思われます。それならば、できるだけ避けて会わないようにすればよいのでは。なぜ、克服しなければならないのでしょうか?

 また、
「克服する」という表現では少し違和を感じます。「苦手の数学を克服する」ならば分かりますが。はたして、人を克服できるのか、ちょっと分かりかねますが…。そして、このような人々とストレスを溜めずにつき合っていけたら」とありますが、無理にもつきあわねばならない、何か特別の関係なのでしょうか? たとえば、恩があるとかなのであれば、理解できます。しかし、そうではないようです。

 ここではよく書いてますが、友人というものはなるべく選ぶようにしたほうがよいと思われます。趣味が一致している、気が合う、話していると面白く楽しい、刺激的で勉強になる、穏やかな気持ちになって癒されるなど、自分にとって必要であり、かつ大切にできる人を友だちにするようにしてください。

 もしも、その方が大切な人であれば、愚痴くらいずっと聞き続けてあげるのが、友情というものなのではないでしょうか。しかし、大切な人でなければ、無理して愚痴を聞きつづける必要はないように思います。また、友人とは、我慢してつきあわねばならない人間ではありません。いつでも関係を一方的に切ることができます。ですから、自分も相手から一方的に切られないように、相手のことを配慮したり大切にしなければならないと思います。

 相手が大切な人でなくとも、失礼なことを言わないように注意する、不快に思われそうな話題は避けるなどということは、必要最低限の礼儀です。友人に、愚痴ばかり一方的にこぼすなど、ちょっと厳しいかもしれませんが、礼儀知らずに思います。「親しき仲にも礼儀あり」です。基本的に礼儀をわきまえない人であると分かれば、できるだけ早く関係を切ったほうがよいのではとアドバイスしたいと思います。
「早く見抜く」必要などありません。

 愚痴が始まったら、「愚痴を聞かされるなんて真っ平だ!」と言えそうならば、そうキッパリと言ってください。礼儀に反するもの、人を不快な気分にさせるものと知らない可能性があります。ですから、それを分からせてあげる必要があります。言えないならば、「ごめんなさい、急用があったのにすっかり忘れていた!」などと大慌てな口ぶりで、やおら席を立つか受話器を置いてください。それを2、3回続ければ、その後は無いでしょう。

 友人の置かれている状況が客観的に見ても、本当に辛く苦しいものであれば、友人として支えになったり手助けできるようになりたいものです。それが友情というものですからね。しかし、愚痴や不満などは一切耳を貸さない、礼儀に反することだと伝えたほうが、より善い行為になると思います。

回答に対する返事           庵さんより     2006/02/28 

 回答いただきまして有難うございます。「友達は選ぶ」確かにその通りだと思います。3人の元友人達は、二人は学校の先輩、一人は同僚からスタートしました。知り合ったときは、私にとって、どちらも刺激的な面白い人たちでしたが、親しくなるにつれ、こちらが勉強になるポイントが減り、相手の愚痴が増え、というアンバランスな状況になりました。アンバランスな状態が続きそうだったので、こちらから切ってしまったといえると思います。いずれのケースも、こちらから切ってしまったので、ちょっと心苦しかったというのが本音かもしれません。愚痴の内容は、そんなにシリアスではなかったです。悩むのを辞めて、行動に移せば結構、90%は解決するのに、と何度言ったか、という感じです。「愚痴はやめなよ」と今度からはきちんと言うようにします。確かにそれがやさしさだと、納得します。短いですが、お礼まで。今後のご活躍をお祈りしています。

 

13  1168  わがままと取られる事例を知りたい   質問者(ネリコ)  2006/01/26
 
 タイプ判定と悩み相談をお願いして本当に良かったと思っております。自分はわがままな人間だとは思っておりましたが、叱られたり指摘されても実は悪いと思ったことはなく反省する気持ちになったことも、それほどはありません。それで意地っ張りだとか頑固だと母によく言われています。ご相談して、そうなった原因を知ったことで自分に思いやりが無かったところや不注意なところを自覚できるようになりました。素直な自分になれそうです。とても感激しています。ありがとうございました。ところで、他のタイプ4の方にもそのようなことがあるようですが、その他に私の例に似ていることがあったならば、教えていただけますか? よろしくお願い致します。

回答者(りゅうとうまりこ)      ネリコさん、ここでははじめまして!  2006/01/26

 実例から、誤解やうまくいかなかった原因を探して、同じ過ちを繰り返さないようにして欲しいと思っております。そのためにお役に立てればと願っています。ですが、他人の実例を知っても、本当には身に付かないように思われます。そして、実例をここで取り上げるのは差し障りがあり、守秘義務がありますからね。

 なお、ちょっと冷たいと取られるかもしれませんから、これだけではなんですから、差し障りのない例として挙げられるものを探してみました。
 たとえば、友人たちと一緒に喫茶店に入って仲良くおしゃべりに興じていたとします。冷房が効いていたためか、10分もしないうちに、タイプ4の方が寒いと言って、本当に寒そうに肩を狭めています。「ここにはいられない、申し訳ないが外に出て、あなたたちの話が終わるの待っている」と言い残して入口付近で佇んでいたとしましょう。残った幾人の友人たちは、居辛くなって、あわててコーヒーも飲みほして、喫茶店を出たようです。

 冷房が苦手な寒がりで冷え性な人は結構いますが、タイプ4の女性の中に冷え性の人をよく見かけます。かなり辛そうで唇も青くなり震えていたりします。そんな様子なので、嘘をついたり演技しているわけではありませんが、他の人たちは、話も途中となり、仕方なく場所を変えるのですが、もうおしゃべりする気持ちが萎えてしまうのです。他の人も寒いが我慢できる程度であったので、このタイプ4の方に振り回されているように感じたり、「わがままな人だな」と、感じることがあるのではないでしょうか。口に出さない人もいると思います。また、「協調性がない」と受け取った方もいるのではないでしょうか。

 ここでの真の原因を考えるに、タイプ4は「末っ子気質」であるためか、体質も幼児のように暑さや寒さに敏感である人たちがいます。ご存知のように、大人のほうが暑さ寒さへの耐性があるのですが、幼児は過敏です。従って、そのタイプ4の方が自分の体質をよく理解していれば、冷房対策用として上着を持参していれば良かったのではないでしょうか。

 上記は、あなたの体験した例と少し似ていると思いますが、タイプ4の中には敏感な体質な方が結構いて、それを指して、「辛抱強くない」「おおげさ」とか「わがまま」だと思われてしまうことがあるようです。しかし、本人にすれば、本当に寒くてそこにいられなかったのですから、「辛抱強くない」と言われれば、「そうかもしれない」と思うのでしょう。しかし、一方で、そのように言われても納得できるものではなく、素直に反省できないのもよく理解できるのではないでしょうか。

 その他、もっと例を挙げたいのですが、思いつかないので一例で止めます。よく「自分を知る」ことがとても大切なことだと述べていますが、このように体質などを知るのも「自分を知る」ことの一つです。自分を知れば、注意するべきところが分かり、対策も立てられ、予め準備もできます。他の人から、「わがまま」と受け取られることも減るでしょう。ですから、できるだけ実際に体験した失敗などを例に上げて質問されたほうが良いのだと、知っていただけたと思います。

 

14  1161  人から嫌われるのが怖い     質問者(かおり)      2006/01/06

 今回は相談があってメールします。人間関係の悩みなのですが、私は人になかなか心が開けなくて悩んでいます。2w1は自信がありつきあい上手な人が多いようなので、私の場合自分の過去の経験からなのか、自分に自信が全くなく、人に近づいても拒否されるだろう、本当の自分を出しても嫌われるだけだろう、と思うようになり、自分から近づかず、自分を出さなければ嫌われる事もないだろうと思いそうやってきました。でもそういう人生を歩んだ結果は、ものすごく嫌われる事はないけど好かれる事も絶対ない、というものでした。それだけじゃなく、折角近づいてきてくれた人をも拒否してしまうので、いっぱい人を傷つけてきたと思います。自分がされたくない事を人にしていたのです。だから最近、折角近づいてきてくれた人を拒否して傷つけてしまうぐらいなら、自分から近づいて傷ついたほうがましだなと思ってきました。でもやっぱり嫌われるのは怖いのです。恐れていては何もできないのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。まとまりのない文で、すみません。よろしくお願いします。
回答者(りょうとうまりこ)       かおりさん、こんにちは!   2006/01/07

 まずは訊ねてみたい気がします。他人に心を開く必要はあるのでしょうか? 「世界と否定的に結びついているタイプ(8・3・7)」の人の中には、「他人に心を開くなど、そんな危険なことはすべきではない」とアドバイスするのではないでしょうか。「世界と両価的に結びついているタイプ(594)」の人の中には、「相手の仕事ぶり、人づきあいの仕方や人柄などを3〜5年とじっくりと観察して、嫌なところも熟知して、それでも大丈夫だと思うまでは一定の距離を保つのが肝要である」と、アドバイスする人がいるかもしれません。

 上記を知れば、「心を開けない」とか「心を閉ざし隠す」などということは、とくに重要なことではないと分かるのではないでしょうか。タイプ2はオープンマインドであることは大切だ! という価値観を無意識に持っているタイプです。それゆえ、「現実の自分は心を開けないが、開かなければならない」ので、
「心が開けなくて悩んで」しまうのではないでしょうか。

  人という動物は、「自分を開け放してみたい」という気持と、「曝け出したくはない隠したい」という気持ちのどちらもあります。隠すことがいけないことではなく、また、心を開くことが良いというのでもありません。性格というものに、良い悪いというものはないからです。

 現実問題としてみても、相手によっては「心を開いて欲しい」と願っていないのですからね。相手のほうでは、ほどよい距離を保ち、その場だけでも仲良く楽しい会話をしたいと思っているだけかもしれません。

 一方、心を開きあった真の親友と、ケンカして絶交することもあるはずです。その瞬間だけ、お互いの波長がピッタリと合ったに過ぎません。それだけのことで、永遠に変わらぬ友情や愛情など、ほとんど有り得ないと考えられます。

 一番に良いのは、相手から求められたものだけを、求められた量だけ差し出せることです。求められていないものを差し出しては、相手が迷惑がるとか、嫌がられることもあると予想できることではないかと思います。
 
 また、タイプ2は「好き嫌い」という判断ばかり先行しているように思われます。あまり強く嫌われるのは辛いものですが、強く好かれるのも重荷になるものです。程よく、「ちょっと好ましい」という程度が、楽な気持ちになり穏やかな関係でいられるのではないでしょうか。また、そのほうが長続きするものです。

 他のタイプの人たちは、「好き嫌いという価値判断」で、人づきあいをしていない場合が多いことを知ってください。たとえば、タイプ4であれば、「苦手な人だが、嫌いではない」ということがあります。タイプ7であれば、「きつそうで話しづらい人だが、あの部分は評価している」、「頭は悪いが、これをさせたら最高」というように、クールに区別している人が多いんです。他のタイプを知れば、タイプ2の人たちが、どれほど「好き嫌いだけの世界にいる」のか分かるようになると思います。

 つまり、あなたが「嫌われている」と勝手に解釈している場合があるはずです。相手はあなたを「苦手な人だが、嫌いではない」のかもしれず、「きつそう」に見えるので、話し掛けないのかもしれません。しかし、よく学びよく働く姿を見て、偉いなあと感心して見ているのかもしれませんよ。

 どうも、自分の都合、自分のダメなところに、あるいは自分の行動の仕方だけに注目しているよう見えます。もっと相手の言動を細かく識別できるようにしてください。相互作用で変化するものがあり、関係性が推移していく様相を、客観的にキャッチできるようにしてください。

 なお、大好きになるのは、とっても良い人間に見えてしまうからであり、大嫌いになるのは、何か欠点などを見てしまうからではないでしょうか。100点満点だと思いこんでいたので、1点減点になったので、「台無しになった」「失望した」という状態なのでしょうか。

 相手には良いところも欠点も、はじめから備わっています。ただ本人が見えていなかったというに過ぎません。自分の不明さを反省すべきであるのに、相手に失望する人たちのなんと多いことか。タイプ2w1だけとは限らないんですが……。

 ウイング1があると、タイプ1の完璧主義的な傾向を持っていますから、極端になりやすいようです。相手に対しても、極端な評価をしやすいために、尊敬したり失望したり、好きになり嫌いになりと、心が忙しくなります。激しい心の動きがあり、それに翻弄されるのは当人だけでなく、周りにいる人たちにも及びます。

 
「人を拒否して傷つけてしまうくらいなら、自分から近づいて傷ついたほうがまし」とありますが、なぜ傷つけあうことが必然的になってしまうのでしょうか。たまたま極端に書いてみただけなのかもしれませんが。

 たとえば、仕事仲間ならば、仕事に関しては信頼できる人だと思い、趣味が同じだから、その部分で共感できて良かったと思えば、それだけで充分に満足することもできます。全人格をかけてつきあう必要は無く、また、全てを曝け出してもらいたくないと思っている人も少なくありません。汚い部分は見たくない人もいます。もっと慎み深く、もっと謎めいた人のほうが良いと思っているタイプもあります。

 タイプ2w1の中には、「好きになると何でも話さないといけない」、「ウソはけっして許さない」、「互いに秘密を持たないようにしよう」などと約束したり、要求度が高くて、濃い密着度を求める人がいます。全てを曝け出すような関係は、疲れ果ててしまうものであり、完璧を求めると、自分だけでなく相手をも苦しくさせます。

 そして、深い友情や愛情を得たいとしたら、十年単位という長いスタンスで取り組むべきものです。すぐに相手に全幅の信頼を寄せるのは間違った取り組み方です。また、密着した関係を求めたら、互いを傷つける機会が増えてしまうとも考えられます。

 「深い絆を築きたい」という方は多いのですが、強固で密着した関係は、今現在の状態をそのままに受け入れられず、大切にすることを忘れてしまうという「落とし穴」があるように思います。たとえば、夫婦関係よりも、愛人関係のほうが大切にしあうとか、純粋に愛し合うという傾向があるのではないかと。

 他人とはちょっとした暖かい触れ合いを求めるだけで充分ではないかと思います。それでは儚いとか、寂しいと感じられるかもしれませんが、美しいものは、ほぼ儚いものです。儚いものだからこそ、今の関係を大切にできるのではないでしょうか。花火を美しいと感じ、星のまたたきを純粋に楽しめるのは、儚く消えてしまうものだから…。

 最後に、人間関係であまり傷つかなくなった人がいるならば、それは視野が広くなり、豊かな価値観を形成した人ではないでしょうか。かつ、相手の価値観を推察でき、その価値観を尊重できるようになった人ではないかと思います。視野の狭い人、価値観の薄っぺらな人、相手を理解しようともせず、自分の価値観だけが正しいと思っている人ほど、よく傷つくのではないでしょうか。

 
「傷つきたくないから避ける」とか、「勇気を出して近づいたほうが良い」という問題ではなく、本当にしなければならないことに気づく必要があると思われます。むろん、どんなことでもトライするほうが、トライしないよりは、自分のものになると思います。しかし、やみくもに成算なくトライしても、うまく行くとは思えません。あなた自身を大きな器に育てることを考えてください。

回答に対する返事           かおりさんより     2006/01/08

 ご回答ありがとうございます。他人も自分と同じだと思い込んでいたと、今回答を見て気づきました。私は「人を好き嫌いじゃなかったら何で判断するのだろう?」と本当にわからなかったのですが、今回その疑問が解けました。例をあげて下さったのがとてもわかりやすかったです。好き嫌いというのが人間関係では全てだと今まで思っていました。そうじゃない考えの人は多いのですね。では職場では、仕事をしっかりして、人間関係では相手の求めるものを出す事が大事なのですね。相談して本当によかったです。ありがとうございます。

 

15  1160  人から舐められない方法とは?  質問者(ゆず)  2006/01/04


 大学で4月のゼミの自己紹介の時、妙な自己紹介をしてしまいクラスの中でリーダー格の人間達に非常に馬鹿な人間だと認識されてしまったようです。授業が同じ時、私にも聞こえるように陰口を言っていたのですが、回数も少なかったので無視していたのですが、数ヶ月たって、ある日私がいつもと違う服装で授業に出ると、彼女たちはまるで信じられないというような、おもしろがるようなおおげさな顔をしてひそひそと笑っていました。かまうとよけい面白がってからかいをしてくると思ったので、無視していたのですが、私は彼女達の面白いからかいの的になっているようです。大学でも友人を作ろうと思ってもその大学にいる人間が「私を軽蔑してくるのではないか?」とどこかで思い込んでしまい、周りがとても怖くて友人を作るのが怖いです。イタイことをしてしまった私も非常に悪いのですが・・、友人にも私はおもいっきり好かれるか、嫌われるかどちらかだ、と言われたことがあります。周囲の人間になめられているからだと思うのですが、どうすれば人から舐められずに済むでしょうか? 

回答者(りゅうとうまりこ)         ゆずさん、こんにちは!  2006/01/06

 他人から舐められない人間になるには、学業成績がダントツに優秀になるか、何か一つ秀でたもの(才能・技能・特技)を持つか、はたまた歌手など有名人になるなどもよいのではないでしょうか。また学生の頃に起業して商売上手になり、リッチになった人もいます。あるいは、株投機で大金持ちにでもなれば、たとえ臆病とか弱虫であっても、他人から舐められなくなるでしょう。

 
または、人とのコミ
ュニケーション能力がうまくなることが、人から舐められないよい方法のように思われます。話題豊富になり、明るく元気活発となり、この人といると楽しくなる、などと周りの人たちから思われて、つきあいたいとか、人々から求められるような人間になればよいのではないでしょうか。なお、この場合は、エニアグラム性格学を学んだほうがよいかもしれません。

 現在は、からかいの対象になっていても、あなたなりの目標を持って努力されたならば、いつか見返すことができると思います。どんな目標でも良いのですが、あなたらしいもの、目標に到達しやすいものを見出してください。

 誰もが、他人から舐められたくないと思っています。それで強がりを言ったり、ある人物に関して有ること無いこと悪口を吹聴し、噂話を流して、自分はその人物よりは上位であると誇示する人がいます。おかしな服装をしている子を目ざとく見つけたら、面白おかしくあざ笑う人も実際にいるでしょう。からかえる対象がいたら、ちょっとしたことで陰口を言い、話題にしてからかい楽しむ人は、どこにでもいます。

 ですから、あなた自身も、その人たちと同様な振る舞い方をすれば、一部の人たちからは舐められなくなるかもしれません。「目には目」ですから、やられたならば、やり返すという方法もあります。一人では無理というならば、手下になってくれそうな弱い子を見つけ出し仲間に組み入れて、自分を舐めた人たちに仕返しして、同様にからかうこともできるのではないでしょうか。

 以上、他人から舐められないためには、おおまかに3つの方法があります。私がお薦めするのは前者の2つであり、後者の方法はお薦めできません。そして、よく考えて欲しいのですが、あなたの気質からして、後者の方法は難しいのではないでしょうか。たとえ後者の方法が簡単にできる人であったとしても、それでは、あなたとその人物は同類になり、同レベルの人間になってしまいます。その人物より上位に行かねば、仕返ししたことにはなりません。馬鹿扱いしたり、舐めることもできません。

 否定的な方法でも採用してうまく活用できれば、他人を舐める側に立ち、いちおうはその時だけは、他人から舐められなくなるでしょう。しかしながら、そんな恥ずかしい自分になっては、自分にプライドを持てるとは思えません。苦しい時期こそ、自分を大切にして、進むべき道を間違えないようにしなければなりません。自分自身を高める努力をするしか方法は無いと思ってください。

 ある人物を舐めることができても、上には上がいますから、全ての人を舐められるというものではありません。舐められる存在が次々と現れ、立ちはだかるのです。つまり、「人から舐められたくない」ということばかり意識すれば、ずっと苦しい精神状態が続くことを意味しています。そんな人物は永遠に幸せになれず、充足感も得られず、心の平安も無いでしょう。それよりも、現在の生活の中にあるちょっとした幸福感や、満足できるもの、美しいものを見つけ出してください。

 人間的に成長することが、それらの苦悩から逃れる最も素晴らしい方法であり、正道&王道です。世の中に認められずとも、学業成績は低くとも、才能は全くなくとも、金持ちでなくとも、立派な人たちは存在します。むしろ、そういう人間こそ目標になるものではないでしょうか。「私はこのような人間になりたい」という目標を持って欲しいと思います。

 たとえ大学を首席で卒業して一流企業に就職できても、有名人になり、リッチになっても、自分の現在の生活の中から、充足できる何かを見つけ出せないならば、それら恵まれた能力や境遇は、何の価値もありません。才能に恵まれ財宝に埋もれながらも、それらを見つけ出せなかった不幸な人物がいるからです。 

 ところで、そのクラスにも、親に叱られたとか、学業成績が上がらないとか、将来のことが心配で、不平不満や不安が一杯な人たちがいると思います。そんな人は、クラスにいる誰かを標的にして、不満の捌け口にしているかもしれません。しかし、あなたの周りにいる人たちのなかには、優しくて思いやりのある人もいると思います。周囲にいる人たちを一人ひとり識別していないのではありませんか? あなたも他の人たちと同じだと思われたり、一括りにして見られたくないはずです。

 友は選ぶべきであり、また、あなた自身も、選ばれるような対象になってください。目の前にある不快なこと苦しいことだけに目を向けて、進むべき道を誤まってはいけません。その道をなるべく早く見つけて出して、一歩を踏み出してください。あらぬ噂に翻弄され、愚かな人たちの思惑や視線ばかり意識していては、目標を見失い、自分自身をも見失ってしまう恐れがあります。
 
回答に対する返事        ゆずさんより      2006/01/12


 とても丁寧に回答・アドバイスして下さって、本当にありがとうございます。思えば、周囲の人間が敵であるように思っていたのかもしれません。回答を頂いて、もっと冷静に周囲の様子を見てみると、プレッシャーのようなものを前より感じずにすむようです。回答して下さったことを心がけようと思います。なんと書いてよいか分かりませんが、とても胸に響きました。貴サイトの論を参考に、がんばろうと思います。非常に感謝しております。ありがとうございました。

 

16 1096   自分は甘えているのか、それとも…      質問者(ゴリブー)  2005/09/23

 
精神科に通院して服薬していますが、主治医には「社会への不安・対人関係の緊張・自己不全感・自信のなさ」を指摘されています。まだまだ治療が必要で、気長に病気と付き合うよう言われています。病名ははっきりしません。竜頭さんに「タイプ2は頑張れる」と指摘され、そう自分に言い聞かせ、就職できませんでしたが、色々辛かった中、大学は卒業しました。Q&Aを拝見し、自分に照らし合わせると、私はかなり厚顔無恥で失礼なことをする人間であると痛感します。そういうことがないよう気を付けていますが、いつも自制がきくほどできた私ではなく、自分が嫌いです。母がタイプ7(判定済み)なので、TPOに厳しい価値観から学ぼうとしても、私の心に余裕がなく、駄目な私を痛感するばかりです。現在職についておらず、ある尊敬する男性から「生ゴミだ」と言われたのが忘れられません。タイプ2は役に立ちたがるそうですが、今の私は頼られると憂鬱で億劫になります。自分を救うのは自分しかいないこともわかっています。無職でいい!とは思わないので、就職活動していますが、受かりません。自分の良いところが見えません。何かアドヴァイス戴けませんか。それともこれも甘えなんでしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)         ゴリブーさん、こんにちは!    2005/09/27

 服薬して改善するものと、そうでないものがあります。大学を卒業できて就職活動もできるのですから、「そうでないもの」に該当するのかもしれません。しかし、私は精神科医ではありませんから、私が判断できるものではないことは知っておいてください。

 ところで、私のところにアドバイスを求めるタイプ2は多いのですが、親や夫との関係とか、子どもについての悩みなど、本人以外のことならば、よくアドバイスを取り入れてくれるように思われます。それで関係が良くなったという知らせもよく届きます。
 しかし、本人自身の悩みは「ただ聞くだけに過ぎない」と言えるような場合が多いんです。また、その時は納得して努力しようと決意するのでしょうが、時間とともにウヤムヤとなり、以前と同じになる人が少なくありません。つまり、固く決意してダイエットを始めても、一時は効果があったとしても、リバウンドしてしまうみたいなものです。

 また、質問文を読んでも、何が問題になっているのか、何が知りたいのか、あなた自身どうしたいのか、こちらにはまるで見えて来ません。ですから、アドバイスをと求められても答えられません。また、あなたもそれを分かっていて質問されているのではありませんか。たぶん、単純な問題なのでは無く、自分でも何が知りたいのか、自分のどこを改善すべきなのかまるで分からず、五里霧中なのではと思われます。混沌としており、自分でも自分をよく理解できないのではないでしょうか。

 もしも本人自身がそんな状態にいれば、尋ねられるほうとしても雲を掴むようなものです。直接に会ってカウンセリングを受けて欲しいような事柄になるでしょう。あなたのお話を聴いて、原因を少しでもはっきりさせる必要があり、状態も正確に把握しなければなりません。そのためにはたくさんの情報が要ります。問題を整理したり分析するには時間がかかります。そうなると、10〜20回くらい会うとか、1〜3年もかかるかもしれません。

 
その場合、途中で辞められた場合、それまでの情報の蓄積と努力などは、全て泡と消えてしまいます。ですから、カウンセラーによっては、一年間分として前払いで何十万円と求める所があります。かなり高額で1年間60〜90万円というカウンセリング料金のところもあります。私も場合によっては、そのようなコースも用意しなければならないと思っております。高額にはしない予定ですが、高額にしたほうが継続してくれるようで、それが困ったところです。

 精神状態がかなり悪くても、単純な出来事によって派生した問題ならば、アドバイスはすぐに見つけられます。また、早く良くなる傾向があると思います。しかし、状態がそれほど悪いとは言えず、あなたのように、とりあえず普通の市民生活ができるというくらいのほうが、かえって容易ではありません。

 たとえば、毒へびに噛まれたならば、抗毒・解毒剤等などで直ります。原因と結果がハッキリとしているからです。しかしながら、「不定愁訴」というものであれば、検査をしてもどこが悪いのかはっきりしません。さまざまな身体症状を訴えるのですが、原因が分からなくては医師も手が打てません。頭痛がすると訴えれば痛み止めの薬を処方してくれます。肩こりが辛いと言えば、湿布剤などを出してくれます。それで一時的に症状は軽くなりますが、根本的な治療ではありません。これは何もしなくとも自然に治る人もいますが、次第に訴える症状が広範囲となり、かなり辛くなる人もいるようです。

 糖尿病などは「生活習慣病」とも言われており、カロリーの取り過ぎと運動不足、ストレスなどが原因と言われていますが、根本的に治せる治療方法は現在のところまだ見つかっていません。肥満なども同様で、生活習慣を変えなければいけないのですが、それが一番難しいことのようです。

 あなたの抱えていることも、いわぱ「心の生活習慣病」と言えるものかもしれません。心の動きも「癖」のようなものがあり、その癖を直せないのです。たとえば、被害妄想になりやすい人は、そうではないと強く否定しても、気づいたら、またそこに舞い戻ってしまうのです。

 軽度の胃潰瘍に罹っている人が、医師から、ご飯をよく噛んでくださいと注意されているのに、いつものように早食いしてしまうようなものです。胃痛が耐えがたいほどになれば、医師の言いつけをよく守り、よく噛むでしょう。同様に、精神状態がそれほど悪くない人は、治したいという気持ちに真剣度が足りないためなのか、カウンセラーの助言を忠実に守らないのです。

 さて、あなたは遠方ですから、長期間のカウンセリングは無理があります。次に、タイプ2w1の方には「女性カウンセラーで無いほうがよい」のではと考えています。
 当サイトには「昔話や童話からタイプを理解する方法シリーズ」があります。その中の「つぐみの髭の王様」をお読み願いたいと思います。以下です。
    
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-228.htm

 
この物語は、「父王」と「つぐみの髭の王様」が結託して、姫の再教育をしているお話です。この王様は、高慢な姫なのに何故だか好きになったらしく、また、良い性格に変えられると考えたようです。大抵の人たちは、このような姫は好きにはなれず、性格改善などしたい気持ちにはならないと思います。しかし、そこは空想の世界です。父と将来の夫が、二人がかりで協力しあって、高慢な姫の性格を変えるために、さまざまに辛い体験を受けさせています。

 ところで辛い体験をしたぐらいでは、性格はますますねじくれるだけで、改善できないことが多いのではないでしょうか。むろん、辛い体験から学べる人もいるのですから、人はそれぞれに違うようです。とりあえず、高慢な姫は学んだということになり、性格が良くなったかどうか分かりませんが、めでたく結婚できることになり、ハッピーエンドです。

 この「つぐみの髭の王様」は、姫と対等な若い男性には見えません。オトナの成熟した男性だと考えられます。この物語から考えるに、どうやらタイプ2には、「厳父」が必要だと考えられます。「父性」が必要とも言えるでしょう。強い力でグングンと自分を導いてくれる尊敬できる逞しい男性を本当は求めているのではないかと。それは、カウセリングをしている時よく感じていることでもあります。女性カウンセラーでは導きにくく、「クライエントはこちらを軽んじている」と思わざるを得ないことがよく起こるからです。

 当会の理論は、私が頭をひねって考え出したものではなく、「発見したもの」です。いろいろな体験をして、たくさんの事例を知ったために、タイプ2の人たちが「男性に意識が向く」傾向があると発見しています。その後「つぐみの髭の王様」という童話を知りました。男性を尊敬したい人たちであり、尊敬する男性から導かれるのが、一番に効果が高いことも発見しており、また事実です。


 
当サイトは言葉だけのアトバイスです。直接に会っていないので、女性であることを忘れていることもあると思います。しかし、言葉だけのアドバイスでは足りず、体ごとにぶつかってくれる人間が必要に思います。優しい言葉かけは、厳しい叱責の後に必要なのであり、優しさだけでは、アドバイスは実行に移されないのです。持続せずに、リバウンドする恐れがあります。

 実は、どのタイプであっても両方ともに必要なことなのですが、とくにタイプ2には厳しい指導が必要なタイプだと見ています。 ただし、本人が弱っている時は、優しく根気よくつきあうべきであり、いきなり厳しい指導ではうまく行くはずはありません。しかし、癒されて、ある段階に至れば、厳しい指導が必要になると思います。深刻で重度な人には、症状にあった段階的な指導が要り、かつ、優秀な指導者が要ります。それはどのタイプであっても同じです。

 ところで、「孟母三遷」という諺がありますが、良い教育環境にいれば良い子どもに育つので、良い指導者や環境を求めて、母親が必死になって探すのが良いという意味です(孟子はタイプ2w1)。尊敬できる立派な男性の指導者やカウンセラーと出会えるように、「三遷」してください。同じタイプ2の男性のほうがよいと思います。他のタイプの指導では、あなたの心に届かず、効果も低いように思われます。ツボにうまく入らないのです。幸い、このタイプのカウンセラーはたくさんいますから、あなたの住まいの近くで見つけ出せる可能性があります。

 ついでながら、貴方が尊敬した男性は、質問には書いてありませんがタイプ2では無かったようです。タイプが違うと、あなたは誤解されている恐れがあり、おかしな人物に見られたりします。その人物が尊敬に値しなかった可能性もありますが、タイプが違ったためだと考えることもできます。

 
ところで、このように書くと、逃げているように思われるかもしれません。しかし、Q&A室は困難な問題に対応できるところではありません。質問者とガップリ四つに組んで、解決策を探したり、それを実行できるところでありません。「問題解決の糸口を見つけ出すところ」に過ぎません。

 そして、もしも、あなたの精神状態が、「心の生活習慣病」と言えるようなものならば、実際の生活習慣を変えたほうがよいとアドバイスしたいと思います。ダイエットをしなければならないのに、それらを改善するための器具を購入したり、また書物をたくさん読んでも、実行できなければ肥満は改善できません。それと同じに考えてください。他人に智慧を求めて、それに納得できても、実行できにくいだろうと、たぶん予想できることと思います。

 こんな段階なので、ここで具体的なアドバイスできるとしたら、健全な生活を心掛けて欲しいことです。それが心に波及して、良い影響を与えます。規則正しい生活をして、よく働きよく遊んでください。できるだけ第一次産業の仕事のほうが良いと思います。「援農」というものがあり、農家の畑仕事を手助けするなどは、とても心によいように思います。どのような職場を探しているのか分かりませんが、第一次産業に近いものになるほど人手が足りないようで、すぐに就職できると思います。

 もしも、収入や企業名や仕事のカッコ良さに惹かれて就職活動をしているならば、そこから抜け出たいと思っている気持ちは、大したものではなく、真剣度が足りないのではないかと思います。そういう人には、優れたアドバイスをしても真剣に忠告しても、無駄になるとあなた自身わかっていることと思います。また、無気力なままでは、就職できても、長く続けられる確率は低いものです。

 さて、汗を出して体を使うほどに、気持ちが素直になります。遊ぶ場合もテレビゲームなどはやめて、スポーツとか散歩や楽器の練習など、より健全なものにしたほうが良いのです。
急には無理というならば、計画を立ててください。毎日夜更かししていたなら、土曜日だけにするとか、室内でボゥとしている時間が3時間ならば、1時間半は散歩に切り替えてください。いろいろと自分なりに工夫すること、計画を立てることそれ自体が、心に良い影響を与えます。心と体は連動していますから、心の問題で行き詰まったら、体から、または生活改善を図るのが良いと考えます。

 とりあえず、「健全な体には健全な精神が宿る」と考えて、健全な生活を心掛けるところから入りましょう。つまり、型から入るんです。心が混沌としているのですから、心で心を整理できるとは思えません。その心を整理するために、カウンセラーはお手伝いするものですが、優秀な人でないと不可能ではと考えられます。しかも、タイプが違えば、とんでもないカウンセリングをしていると考えられます。
 
 「不定愁訴」を訴える人たちの生活ぶりを知ると、健全な生活ができてないように思われます。それでは自己実現もできず、不平不満ばかりとなり、気力もでず、生きたいという気持ちにはなれないでしょう。「自立神経失調症」などもこれと同様なもので、更年期障害も似ているかもしれません。

 自分が周囲の人たちから必要とされ、毎日やらねばならない仕事を持つこと、よく学んで「段々と賢くなる自分」をイメージできたならば、もっと生きたいと思えるようになると思います。楽しい趣味を持ち、よく遊べば免疫力が高くなるそうです。糖尿病も、よく笑うと血糖値が下がるなどという結果が出たと、テレビ番組で報道されていました。心と体が連動している証拠ではないかと思います。
 
 なお、このアドバイスは、自分一人で実行に移せます。カウンセラーも要りません。お金もかかりません。利点が一杯にあります。

 最後に、できるだけ「甘え」は排除しなければ、濃霧は晴れず、混沌とした沼地から抜け出すことはできません。どこか厳しく扱われないと、自分に厳しくなれないところが、タイプ2の人たちによく見受けられます。しかし、自分一人の手で獲得したものは、確実に自分のものになり、自信をつけられます。
 長くなるのでやめますが、参考にできるものが少しでもあればと思います。
 

 

17o1091   安心してつきあえるような人が見つからない         質問者(どんぐり)  2005/09/20

 先日こんなことがありました。買い物をしていると友人を見かけました。何だか急いでいる様子でした。知らん顔をしようかと思いましたが思い切って声をかけました。すると、びっくりした様子で、「ごめん、今急いでるから」と言って、行ってしまいました。別にこれだけの事なのですが、その後落ち込んでしまいました。こんな調子ですからいつも何かしら悩んでいます。何があっても私を見捨てないと思えない限り人を好きになれません。そして好きになれない人とは表面的に付き合うだけでもしんどくて縁を切りたくなります。もっと楽しく人付き合いしてみたいのですが、どうしたらいいでしょうか。あんまり深刻な顔をしているので、身近な人にも嫌われたらどうしようと思います。
回答者(りゅうとうまりこ)       どんぐりさん、こんにちは!   2005/09/23

 まず、
「ごめん、今急いでるから」とありますが、急いでいたのは本当のことなのではありませんか。そうではないにしても、事実は本人しか分からないのですから、「分からない」ままにしておくべきです。そうすれば落ち込むことは無いと思います。

 
「何があっても私を見捨てないと思えない限り、人を好きになれません」とありますが、あなた自身、好きな人がいるのでしょうか。もしも、好きな人がいたならば、その人がたとえば犯罪者になったら、あるいはテロリストであったならば、あなたは見捨てないでいられるのでしょうか? あなた自身ができないことを相手に求めていませんか? それでは、あまりにも他人に求めすぎです。また、「何があっても見捨てない」と言ってくれる友がいたら、私ならば、その思い入れの強さに対して、怖くなって逃げ出すかもしれません。

 それよりも、夫や子どもから見捨てられるかもしれないと考えてください。なぜなら、見捨てられないためにもっと優しくなり、より良くつくし、自分をより魅力的な人間にしようと努めて欲しいためです。実際、夫や子どもから見捨てられた人たちがいます。誰もが自分が一番に大事なのであり、次に家族です。その家族が、自分の手に負えなくなれば、自分を守るために関係を切ってしまうのです。それは人類普遍のことで、我慢の限界になれば、見捨てた人間のほうが非難されることはありません。みな同情するのではと思います。また、家族関係のほうが愛憎が激しくなる、と言えるくらいですからね。

 次に、
「好きになれない人とは表面的に付き合うだけでもしんどくて縁を切りたくなります」とあります。縁を切れば良いのではありませんか。しんどいのに、なぜ付き合うのでしょうか? たとえ同じ職場であっても事務的な連絡だけをして、つきあわないで済ますことは可能です。しかしながら、友人だと思ってつきあうならば、できる限り友人の良いところだけを見てください。その人は、あなたにとって友人ではなく、イヤなところが多くてつきあいにくい人ならば、できるだけ避けてください。

 なお、嫌いな人とつきあうのはしんどいかもしれませんが、好かれている人とつきあうのも、疲れるものです。なんでも、ほどほどのほうが心が穏やかになれます。好き嫌いなど無いほうが、つきあいやすいとは考えられませんか。また、あまりにも「好き嫌い」で物事を判断しているように思います。たとえば、「彼女のここが賢い」、「あの人はこの部分が信頼できる」というように、区別しながら対応したほうがよいのではないでしょうか。

 もしも、他人の欠点をあげつらうだけであったら、自分自身を不幸にしてしまうものです。そして、
「楽しいつきあい」を作り出せるとしたら、あなた自身のものの見方をいつも肯定的に前向きにすることではないでしょうか。話題が豊富になるように、本を読み知識を得て、より勉強する必要もあると思います。

 それぞれの人のなかにある良いところ、優れたところだけを見出すようにしてください。欠点や愚かだと思われる側面は見ないようにしてください。なかなか難しいことですが、できる限り努めてみることが、前向きな自分に作り変えるのではないでしょうか。また、そうすれば、どの人とも良い関係を作り出せます。

 なお、あなた自身も、相手から自分の良いところだけを見詰められたら、うれしくなりませんか。そして、他人に厳しい視線を出すと、それを相手はキャッチしています。言葉に出していなくとも感じるんです。

 あなたが自分を好きになれることが一番大切です。縁があって知り合いになれた人であれば、相手を好きになれなくとも、短い人生であり大切な時間です。充実した時間をともに過ごすにはどうしたら良いのかを考えてください。自分自身のために。

 他人を大切に思えることが、あなた自身を幸せな気分にさせるのです。他人を嫌うと、それはすべて自分を嫌うことに繋がります。「情けは人のためならず」という諺がありますが、このような意味があります。あなたの心に余裕ができ、穏やかで充実していたならば、知り合いを見る目も違ってきます。他人へのさまざまなあなたの感情は、すべてあなた自身を写す鏡になっていることを知ってください。

 

18    1146        疎外感を解消する方法とは               質問者(なな)   2005/12/14
 
 こんにちは。1143の質問を読んでいて思ったのですが、少数派(人数が少ないタイプ)は疎外感を感じてしまうそうですね。だとしたら少数派に生まれたら、辛いような気がしてきます。私はタイプ1です。タイプとは関係ないのかもしれませんが、よく疎外感を感じることがあります。疎外感があるというのは、少数派のタイプに生まれた宿命なのでしょうか。疎外感を解消する方法(周りと打ち解ける方法)はないのでしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)      ななさん、こんにちは!     2005/12/15

 疎外感を感じるという場合、いろいろなケースが考えられますから、一括りにして説明できるようなことではありません。たとえば、「転校生」というものは、疎外感を感じるものです。感じない人もいると思いますが。男性の中に、自分一人だけ女性というだけでも、疎外感を感じるものです。年齢が周囲の人たちと格段と違う場合もあります。何かの技量を持つ集団に入れば、その技量を持たない人間は、疎外感を感じたりします。

 また、肌の色が自分だけ違うというだけでも、おおいに有り得ることです。知的レベルが高い人たちと混じると、疎外感を感じる人もいるはずです。身長が格段と違うというだけでも、それは起きます。みんなの知っている芸能人の話題を知らないというだけでも、疎外感を持つ場合があります。友人たちとライブを聞きに行く時に、みなは綺麗なワンピース姿でいるが、自分だけ普段着であると疎外感を感じる人もいるのではないでしょうか。

 しかし、上記のような状況の中にいても疎外感を感じない人たちが、確実にいますからね。そこに気質(=性格タイプ)の違いが有ったり、また無い場合もあります。

 つまり、疎外感というものは、多くの方がその場その場で感じているもので、よく知られていることです。それに加えて、エニアグラムを知り、タイプの違いを知ると、少数派のタイプも疎外感を感じることがあると紹介しています。

 このように、いろいろな疎外感というものがありますから、そういう体験をしたことが無い人がどれほど幸運なのかを知っていただきたいと、以前でも
回答しています。ですから、少数派タイプに生まれた人だけが体験することではありません。あなた自身、どのような場で疎外感を感じたのか、それを知る必要があります。そして、その場にいる人たちのことをよく知れば、興味が違うために疎外されたのか、技能レベルの違いなのか、はたまた、タイプによる違いであったのかを判断できるかもしれません。

 なお、タイプ1の人も、周りにいる友人たちがタイプ6ばかりであれば、あまり疎外感を受けないということはあります。しかし、タイプ6ではなく、タイプ9であれば感じるということもあります。いろいろなので、とても説明し切れるものではありません。

 周りと打ち解ける方法は、周りの人たちをよく観察して、その人たちが話題にしていること、関心のあることに、自分も関心を持つことです。くだらない話題だと思ってそばに佇んでいると、周りの人たちは敏感に感じ取ります。

 しかし、くだらない話ばかりしている人もいるわけですから、そんな人たちならば、打ち解けたいとは思わないでしょう。早々に離れたほうが良いのではありませんか。

 つまり、関心とか興味を持ち、より良いつきあい方をしたいと思う人たちと出会うことが先決です。周りにいる全ての人たちと打ち解けられるなど有り得ず、また、あなた自身そんなことは望んでいないでしょう。相手のほうが人づきあいしたがらないこともあります。打ち解けたいのならば、その対象者がいなければ、事は始まりません。

 そして、本で学べないことは「人づきあいの仕方」です。それはあなた自身の実践力と関係します。心の中であれこれ思案しているだけでは、素晴らしい人たちと出会うことは不可能です。「書を捨てよ、町に出よう」と寺山修二さん(こちらからは、タイプ4らしく見える)が言っており、映画にもなっており、その名の原作もあります。かなり昔に読んだもので忘れていますが、今思うに、人を恐れる人だからこその名言のように思います(尤もこの書を読んでも、町に出たくなるとは限りませんが)。

 エニアグラムを学ぼうと、このサイトを熱心に読んでいるだけでは理解度が思うように進まないと思います。勇気を出して人の中に入らなければ、人を知ることはできず、まして良い関係を作り出すことはできないでしょう。諺にあるように、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」です。

 そして、疎外感を感じたならば、それはどんなところで、どのタイプがいたのか、こちらに伝えてください。「打ち解ける方法を教えてほしい」とおおまかな質問をされても、上記のようにしか答えられません。

 そういうことではなく、個別の体験の中から学ばないと、その先に進めないということを知って欲しいのです。いつも「現場を」とか「事実を詳しく」と回答していますが、抽象的でおおまかな質問は、どちらかというとあまり良い質問には入らないと思います。たとえ、うまく回答できたとしても、具体的で有効なアドバイスでなくては、あまり意味も価値もありません。

 

19  1038   どうすれば自分を大切にできるか      質問者()   2005/06/29

 
こんにちは。前回4w5ではなく、タイプ9ではないかと相談した者です。いろいろ参考になりました。ありがとうございました。ただ、一つひっかかったのは、「自分を大切にする」ということです。私は自分を大切にできません。だから、精神系の病気にかかって周りに迷惑をかけてしまっています。分かってるならもっと自分をたいせつにしろって感じなんですが、どうしてもできません。
なにかアドバイスがあればおねがいします。
回答者(りゅうとうまりこ)    海さん、こんばんは!    2005/07/01

 「自分を大切にする」ということは、「簡単そうでも実はとても難しいこと」みたいなイメージがあるようです。でも、本当は難しいことではないんです。それを分かってもらうために、ショートストーリーを1つ作ってみました。

 ……海ちゃんという名前の女の子が、家の近くの林を散歩していると、子犬が震えているのに出くわしました。どうも少し傷つけられているようで、海ちゃんはかわいそうに思って、家に連れ帰りました。海ちゃんのお母さんは犬が嫌いなので、海ちゃんは、「飼いたい! 飼わせて欲しい!」、「傷も自分で世話して治すから〜」と、必死に頼みこみました。お母さんは少し困った顔をして、「自分で世話するなら飼っていいけど、1回でも忘れたら、すぐに捨てますよ」と、やっと承諾してくれました。子犬は怖がりで、なかなか海ちゃんに慣れてくれませんでしたが、海ちゃんはそっと丁寧に傷薬をつけてあげて、添い寝したり優しく語りかけました。とても大切にして可愛がったので、ミルミルと子犬は元気になり、海ちゃんに懐きました……

 さて、子犬も、本当は海ちゃん自身なんです。そんな子犬を見たら、あなたも、絶対に大切にしたいという気持ちになるでしょう。つまり、あなたの魂というものがあって(私自身は魂とか霊などというものは存在しないと思っている。説明のためだけに使っています)、あなたの体から魂が抜け出て、眼下を見たとします。すると、林の中でひとりぼっちの海ちゃんという名前の、傷ついた女の子を発見するのです。そしたら、魂のほうの海ちゃんは、身体のほうの海ちゃんを見て、「私が大切にしてあげるから、傷を治してあげるから、心を癒してあげるから、元気になってね」と、言わないでいられるでしょうか。

 鉢植えの花が萎れそうになっているのを見かけたら、水をやり土を換えたり、適切な肥料はないかと探すでしょう。日陰に置いたほうが良いのかと、その花の特長なども調べたりするかもしれません。子犬や花を大切にする気持ちは、すでに持っているのではありませんか………。それなのに、どうしてなんでしょうねえ。自分にだけ思いやりが無いとは、解せない! 理解できないこととは思いませんか。

 体のほうの海ちゃんは「助けて!守って!」と訴えているはずなのに、見捨ててしまってよいのでしょうか。あなたが、あなたを見捨ててしまったら、他の人がどんなに見守り慈しんでも、あまり治癒効果が出てきません。

 また、「自分は自分だけのもの」「くだらない無価値な存在」だと思うので、自分を粗末に扱ってもよいように思うのかもしれません。しかし、この世の中で、粗末にしていいものと、大切にしないといけないものと、果たして区別できるのでしょうか。本当は区別できず、どんなものでも、そこに在るものは、それなりの価値があり、かけがえが無く、大切なんではないでしょうか。

 もう一つ、「自分は自分のものなのか?」という問いかけをするために、別の観点を示したいと思います。最近になって「株を買い占められて会社を乗っ取られる」という不安を経営陣は持つようになったそうです。これまで日本の起業家や経営者たちは、「会社は自分のもの」という考え方をする人たちが多かったようです。自分一人の手で会社を興し、借金して、人材をかき集めて、苦労してやっと経営を軌道に乗せたとしたら、「この会社は自分のものだ」と言う人の気持ちはよく理解できるでしょう。

 ですから、会社経営につまずき、どうにもならないところに追い詰められると、自らの手で会社を潰してしまう人もいたと思います。なにしろ会社は自分のものなんですから、従業員たちに断りも無く潰すことができるのではないでしょうか。ところが、ライブドアの堀江貴文さんが登場してから、にわかに「会社は株主のもの」という、他国では一般的であった考え方がクローズアップされるようになりました。

 しかし、本当にそうなのでしょうか? 私には、株主と経営者と従業員という「会社に関わっている全ての人たちのもの」だとしか考えられません。会社とは、家族と同じで運命共同体であり、利害が一致している全ての人たちのものだと考えています。このうちのどれが欠けても企業活動は円滑に行きませんし、もちろん優先順位すらつけることができないと思います。

 さて、「経営陣=自分(司令塔としての脳機能全体=心=性格)」と見なし、「株主=心臓とその機能」と見なすならば、「従業員=その他の身体機能の全て」と見なして考えると、見えて来るものがあるのではないでしょうか。脳だけ独立させて、生命活動が維持できる訳はなく、全てが互いに相互作用をしていますからね。自分は、自分を大切ではないと思っていても、心臓や身体たちが、「大切にしろ、まだ生きたいのだ」と主張しているに違いありません。

 自殺者の死は、凄惨を極めるようです。それは、心臓や身体たちの「生きたい」という意志を無視して、司令塔という自分が、「自分は自分のものだから、死のうと生きようと自分の勝手だ!」と強行突破したからではないかと想像するのです。天寿を全うすると、眠るように死ねるようです。それが事実ならば、三者が「そろそろジ・エンドにしようよ」と見解が一致したからではないかと思うのです。実際、人間はいずれ死ぬと定められた存在です。自ら死ねる「死の遺伝子」を、細胞の一つひとつに内在させている生物です。

 私たちは、死ぬようにプログラム化されているのですから、
「死ぬまでは生きている」のです。詳しく言うならば、心臓死があっても、他の臓器はまだ生きていたり、脳死があっても心臓が生きている場合もあります。それで心臓移植のようなことが可能になっています。しかし、自然死の世界では、「自分」を構成するものたちが協力し合って、死ねるようにしてくれているのです。

 このように考えたならば、「自分は自分だけのものではない」と言えるのではないでしょうか。三者が
互いに大切にし合うと、天寿を全うするのであり、それこそが「死ぬまで生きよう」の本当の意味なのではないでしょうか。

 ちょっと難しく考えてしまったかもしれませんね。前の説明に戻りましょう。もしも、あなたの可愛がっていた子犬が死んで、替わりの子犬が見つかっても、前の子犬とはまるで違う存在です。海ちゃんにとって、死んだ子犬は、かけがえの無い存在になっていたばすです。大切にすればするほど、替わりは無いと思うでしょう。

 もしも、世話もせず傷つけたり、いじめたりして、大切にしていなかったら、その子犬が死ぬと、すぐに他のもっとかわいい子犬が欲しくなるものです。つまり、自分を大切にしない人は、いろいろなものを欲しがり、人に期待ばかりして、自分は何の努力もせず、優しい心を無くしてしまうのです。そして、生きたいという気持ちもなくしてしまう恐れがあります。

 捨てられ傷ついている子犬を目の前にすると、大切にしたいとごく自然に思えるように、海ちゃんという女の子を、普通というか適度に大切にしてやってください。物凄く大切にしなくていいんです。子犬も物凄く大切にしないほうがいいんです。構いすぎるのはよくないと知っているでしょう。ペットでも鉢植えの花でも同じです。

 たぶん、海ちゃんという存在を、あまりにも物凄く大切にして、構い過ぎたので、精神的に負担になったもう一人の海ちゃんは、自分を追い詰めてしまったのではないでしょうか。なお、タイプ4の人たちは自分に構いすぎる傾向があり、他のタイプでも、自分に構い過ぎると同様になると考えられます。自分と向き合うのではなく、勇気を出して、人々や世界と向き合ってください。自分を大切にできたならば、かけがえのない存在であると分かるのではないでしょうか。 
 

 

20  1028    勝負強くなりたい    質問者(おゆき  )  2005/06/19


 こんばんは。私は学生のころ卓球部に所属していたのですが、実は一度も勝ったことがありません。練習ではそれなりにプレイできるので、まともにやれば部内での練習試合はもちろん、地区予選の初戦ぐらいは勝てるはずなのですが、どうしてもテンションが上がらないのです。あと
2点とれば勝てる、という場面から、10点以上の差をひっくり返された経験はざらにあります。顧問からは真面目にやれと怒られ、自分でもふがいないと思い、本当はじゃんけんで負けるのも嫌なほど負けず嫌いなので、かなり悔しいのですが、どうしても「試合」とか「勝負」となると、途中でプスンとエンジンが切れたような状態になります。卓球を例に挙げましたが、その他色々な面で見ても、11の勝負には弱い気がします。もう少し勝負強くなるにはどうしたら良いのでしょうか。

回答者(りゅうとうまりこ)       おゆきさん、こんばんは!   2005/06/21

 確かに、タイプ9w1を勝負強いとは思えないのですが、負けず嫌いであることもよく知っています。「テンションが上がらない」とありますが、それが原因なのかもしれないと思います。誰もがある状態の時にはテンションが上がりますが、タイプによって上限が違うように見えます。最もテンションの上限が低いのが、タイプ9だと思われます。

 たとえば、大勢でカラオケなどに行くと、タイプ2や4や7たちが通常よりずっとテンションが高くなると、確実にタイプ9は取り残されてしまいます。付いて行けないという感じになります。それは、タイプ9が子どもであっても同様になります。幾組かの家族と連れ立って行くと、タイプ9の子どもは、他のタイプの子どもたちに付いていけずに、大人のグループに付くようになります。

 さて、勝負事だけに限るならば、9w1のほうがテンションが上がりにくく、9w8はテンションが上がるのが遅いのですが、追い詰められるほどに、テンションが上がる傾向があります。それはウイング8があるからで、その他、攻撃タイプの人たちにも共通にある特長です。従って、その対戦相手は、攻撃タイプ(8・2・5)と、7w8と9w8のなかでも8のウイングの重い人たちの可能性があります。この人たちは切羽詰ると迫力が付いて来ますから、押され気味になってしまうのではと思います。

 タイプ9はおばあさん気質ですから、周囲の人たちと穏やかな気持ちよい関係でいたい人たちです。真剣度が強烈になると、穏やかな状態とは程遠くなります。そうなれば、人とのぶつかりあいを嫌い避ける気質としては、テンションが下がるのは必然的なことではないでしょうか。
11の勝負には弱い」のも、そこから来ていると考えられます。

 ところで、練習では真剣になりにくく、穏やかな心理状態を保てますから、実力が出るのではないかと思います。また、ウイング1はタイプ1の気質があることで、緊張しやすく、そうなると固まってしまうためか、本番では実力を発揮できず、普段よりも弱くなる傾向も見られます。しかしながら、真剣勝負でなければ、強さを発揮できるかもしれませんから、違う勝負事を探してみてはどうでしょうか。
 
 たとえば、競馬やパチンコ、各種ゲームなどはどうでしょうか? お金を賭けているので少しは真剣になりますが、対戦相手など無いのですからね。また、グループでするスポーツなら、試合になっても仲間たちと励まし合えるので、実力を発揮できるかもしれません。

 なお、卓球の場合なら、特別なテクニックを一つ習得するだけでも違うのではないでしょうか。かの福原愛ちゃんくらいのレベルなら、一つ習得したくらいではダメでしょうが、学校とか地域などのクラブレベルならば、活用できるのではないでしょうか。たとえば、カットのひねりが強いとか、かけ方が特殊で、誰も打ち返せないくらいであるならば、大差をつけられるのではと思います。大差をつけたら余裕が持てて、緊張しないでいられるかもしれません。

 じゃんけんも、運不運ではないそうで、じゃんけん大会があり、勝つためのテクニックなどもあるそうです。要は、本番に弱いというならば、他の人とは違うテクニックを編み出すなど、知恵を出し工夫することではないかと思います。

 

21  1018   過去の辛い体験を乗り越えるには     質問者(HN・バースデー)  2005/06/05

 お久しぶりです。突然ですが、今回は真剣に相談したいのです。私は今年で22才になりますが、小中高まではずっといじめられっ子で来ました。容姿が原因らしく、あだ名のようなものも沢山つけられました。その時の体験を毎日のように思い出してしまいます。当時のクラスメートのせいでこんなに性格がいじけたのだ、とか、不幸な目にあってきたのだと、どうしても思ってしまうのです。何年も前の出来事に苦しめられ続けて生きるなんて。相手は、私のことなど覚えてもいないだろうに…。また具合の悪いことに、私は性格的には、いじめられる要素のない子供であったら、きっとクラスのいじめグループのリーダーになっていただろうほど気がキツい人間に該当すると、いじめられながらも自覚していましたので、なおさら思い出した時がつらいのです。同類!といった感じがします。どうしたら忘れるなり、昇華するなり、今更の嫌な思い出に翻弄されずに生きることが出来るでしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)           HN・バースデーさん、お久しぶりです。     2005/06/09
 
 極端なお話から始めたいと思います。あなたが街角で芸能プロダクションの人からスカウトされたというお話です。女優かタレントにと言うので、事務所まで連いて行きました。有名俳優が幾人もいるプロダクションでしたから、その可能性はあるようです。容姿に特長があって、個性的で良いと思われたようです。

 しかし、女優になりたがっている娘さんはワンサカといたので、容易ではないと分かりました。渋い脇役を目指そうかなと考えています。スカウトされたので、嬉しくて懸命に指示されたまま、セリフの勉強をし、歌やダンスを練習したり、苦手の売り込みにも行きました。ついでに嫌な仕事も頼まれますが、嫌な顔一つせずにやり遂げました。体力をつけるためにジムに通い、ダイエットもしなければと、節食して、懸命に励んでいます。でも、なかなか役が回ってこなくて、デビューできず苛立ちもあり、ライバルも多くて、大変な日々を暮しています。また、小さな子どもの頃に女優になりたいと言った覚えがあったようで、たとえ苦しい日々でも前向きに生きていけそうな自分を発見しています。

 さて、そんな日々であったら、あなたは昔の嫌な体験を思い出したりするでしょうか? きっと舞台やテレビで活躍できる日のために、事務所の人に指示されていないこともトライして、自分を磨いているのではないでしょうか。親や友だちと会うこともできず、忙しくて睡眠も足りなくとも、自分の夢を追いかけて、イキイキと元気一杯なのではと予想できませんか。

 スカウトという幸運に恵まれた娘さんは実在しますが、それが自分の身の上に起こるとはあまり考えられないことです。しかし、このようなお話をする意味を少し分かっていただけたと思うのですが、如何でしょうか?

 将来の目標を持ち、夢を追いかけるのは誰でもができることです。まして22才という若さなのですから、自分の個性を活かす俳優とか、自分の能力を伸ばすために、さまざまな勉強や訓練にトライできます。つまり、過去ではなくて、未来に視線を向ける事しか、その泥沼から抜け出すことはできないということを、お話を通じて理解してもらうことが目的だったんです。

 現在、将来に向けて何かトライしていますか。トライしていない。無気力である。無為な日々を過ごしているだけというならば、過去はドンドンあなたの頭を占有していきます。忘れようと少し何かにトライしても、すぐに過去に舞い戻ってしまうのです。特別の能力がなくとも、地道な仕事をしていても、そこに夢を見つけだせる人が、たとえ、それがささやかな夢に過ぎなくとも、元気になれるのではと思います。

 女優になる夢を持っている人でも、ライバルを蹴落とそうとか、自分は不運だと嘆いている人はいると思います。折角、スカウトされて幸運だと思ったのも束の間で、すぐに過去の苦しい体験に舞い戻ってしまう人がいるはずです。自分の演技力はうまくなったはずなのに、正当に評価されていないと、他人を恨みねたみ、いじけて人間嫌いになってしまう人もいると思います。そして、生きる目的や生きていく価値などないと、へ理屈を言い出すのです。努力しない自分に目を向けないで、不平不満の塊となり、無気力になってしまうのです。そういう時期に、過去というものは、昨日の出来事のように鮮やかに見えて来るのではないでしょうか。

 結論として、過去ではなく、現在の自分をどうするかを考えて欲しいとアドバイスします。どんな自分になりたいのか、成長したいのかです。将来を見据えつつ、現在を健全な日々にすることに専念してください。それができない、無理だと嘆くならば、ずっとそれを続けてもよいのです。ただし、生きるのが辛くなってくるだけでなく、そんなあなたならば、好きになってくれる人もいなくなってしまうでしょう。好きになってくれる人がいなければ、励ましてくれる人もいなくなり、本当の一人ぼっちになってしまいます。

 夢が無くとも、目の前にある仕事や勉強に、どれほど心をこめて打ち込めるか、それにも拠ります。そして、忙殺される日々であると、過去を振り返る時間やゆとりがなくなります。ですから、たくさんいろいろなことを引き受けて、忙しく動くというだけでも、結構、過去に囚われずに済むかもしれません。

 戦場での過酷な体験をしていたり、家族が殺されたとか、レイプされたとか、さまざまなむごい過去を持っている人がいます。それでも、家族や仲間と仲がよくて、明るく元気に過ごしている人がいます。あなたの体験も、あなたにとっては大変に苦しいことであったとお察しします。他人と較べられたくないだろうと思います。でも、あえて較べてください。何が自分と違っているのか、よく知って、そこから脱出できたのは何故なのかと考えてください。その人よりも幸せになれる方法はあるのですからね。あなたが見つけようとしないだけなんです。

回答に対する返事           HN・バースデーさんより   2005/06/13 

 遅くなりましたが、丁寧なご回答をありがとうございます。私は、回答を読んでから、とにかく何も考えずに勉強しようと思い、数日はそれが続きました。それだけでも、やや自信がついてきて過去に囚われにくくなったと感じることができました。しかし、その後気晴らしに買い物に出かけたら、女子高生の集団に指をさされてからかわれるという出来事に遭遇しました。昔のこと以上に腹が立って胃が痛く、食事がのどを通りません。そういう言葉を耳にしてもダメージを受けないような強い心は、やはり前を向いて邁進しつづけることから生まれるのでしょうか。こんな出来事も勉強の波で洗い流してしまうほうがよいのか…?もう一度、お教え願いたいのです。
再回答(りゅうとう)         HN・バースデーさんへ   2005/06/14  

 「ダメージを受けないような強い心」というものは、無いのではと考えています。それはタイプとは関係なく、人間は人間に傷つけられるようにできているように思います。問題は、そこからいかに早く元気を充分に回復させられるか、させられないか、その違いがあるだけではないでしょうか。

 前回、意識の仕方によって、過去を思い出さないようにできるのではと回答しています。
「勉強の波で荒い流す」などという言葉を使っていますが、その前に、なんのための勉強なのか、それをすることで充実できるのか、ということが一等に重要です。その勉強は、本当にしたいことなのでしょうか? 自分が本当にしたいことを見つけ出さないと、そこに意識は集中させられないでしょう。

 あなたが自分の人生を本当に大切にしたいというならば、根本的に生き方を変える必要があるのではないでしょうか。人生には転機というものがあります。転機時は、悩み多く、それまでの生き方を変えるには勇気が要りますから、転機をうまく掴めない人がいるのではと思います。しかし、一度くらい掴めなくとも、転機はまた来ますから、大丈夫だと思いますが。

 「自分を大切に生きる」とはどういうことなのか、あなたなりに考えてみてください。その場合、「井の中の蛙」にならないように、広い世界を見るようにすることが大切だと思います。そして、そこから本当に抜け出したいのならば、他人からのアドバイスなど無くとも、自分で見つけるのではないでしょうか。自分で見つけたものでないと、一歩足を出すことはできませんからね。また、そういう辛い時期こそ、自分を育てている時期なんですから、大切に向き合って欲しいと思います。

 

22  1006  変な恐怖や気持ち悪さの正体を知りたい 質問者(フレデリック)  2005/05/23

 私は自分の大切なモノが悲惨で残酷な状態になる想像をよくします。具体的な例をいくつか挙げさせて頂きますと、私の誕生日に弟がせっかく書いてくれたお祝いの手紙の文面の上に「死ね」「鬱陶しいんだ」などと書いて弟の机の上に置いておくというモノや、フジ子ヘミングさんのファンで知人にサイン入りのCDを貰ったのですが、直接サインを貰ったわけでは無いのですが、貰った所を想像して、貰ったサインをその場で、ゴミ箱に捨てる、しかもそのゴミ箱には何故か痰みたいなモノがベタベタに入っていて取り戻そうにも取り戻せないなどの想像が一度思いつくと頭から離れません。これは加害的な方で、被害妄想も在ります。道に痰や犬の糞が捨ててあると、それを食べなくてはならない、或いは牢獄に入れられ無理矢理食べさせられるとか、誰かがくしゃみや咳をすると、それを吸わなくてはならないなどです。他にはお腹を裂かれ内臓を弄くられる、誰かが笑うと自分の考えてる事が相手に知られてるなどもあります。加害的なほうは一人で居る時、被害的な方は外に居る時のほうが多いように感じます。こういう想像がない時は別に苦しいこともなく、平穏なのですが…、
回答者(りゅうとうまりこ)    フレデリックさん、はじめまして!   2005/05/24

 被害妄想のようなことを考え出したり思い詰めると、その逆にある加害妄想も、反動として出てくるのは必然的なことではないでしょうか。たとえば、マゾヒストが一番にサディストになりやすいのです。同根だということです。

 以前にも回答していますが、人気者になりたがるタイプが、一番に不人気者になりやすいと説明しています。絶対に目立ちたくないと思っている人が、一番に目立つ人になったりもします。これはタイプ4に多いのですが…。そういうことを考えたことが無い人がいたら、その人物こそが、一番に目立たないで行動できているはずです。以下のアドレスのこれと関連したことが書いてありますから、ぜひお読みください。
      
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/q&a/past/11.htm

 このように考えたならば、他人とつきあうと疲れるという人は、最も他人を疲れさせていると分かるでしょう。他人といてもそれほど気を遣っていないとか疲れずにいられる人がいたら、他人にとっても、その人物は、最もつきあって疲れない人なんです。そして、もしも、ものすごく怖がりな人がいたら、その人は一番凄みのある怖い人物になる恐れがあります。

 また、よく回答していますが、怖い人が好きになる可能性が高く、惹かれている人がいるとしたら、その人こそ、やはり怖い人なんです。人の心理の不思議さですが、怖いもの、おぞましいものとは、普通ならば考えたくないことで、避けたいことになるでしょう。しかし、その逆で、気になるものであり、無視できないだけでなく、引かれてしまうという心理は、普遍的によく起こるものです。

 美しいものだけを追い求める人がいたら、その対極にある醜いもの、おぞましいものに自然によく気づくようになります。一旦、それらを強く意識しだすと、その異様さが脳裏に焼きつき、余計に忘れられなくなり、確実に意識的になり、よく想起してしまうようになるでしょう。

 その連鎖から逃れられる方法があるとしたら、物事を二者択一的に、または対立したものと考えないようにすることではと思います。たとえば、糞尿というものは人間にとっては汚物になっていますが、ある種の虫たちにとっては豊富な栄養源です。よくよく考えたら分かると思うのですが、現実にあるもので、本来、汚いものなど無いのです。尿も、汗や涙と成分は同じようなものなんですが、涙だけはキレイなものだと思っている人がいます。人間たちが勝手に、これは汚いもの、これはおぞましいものと、勝手に区別しているに過ぎません。

 不潔を嫌う人たちは、清潔を保とうと必死になりますが、空気中にどれほどの菌やウイルスやダニなどの極小動物が存在しているのか数え上げられないでしょう。私たちの体内にある大腸菌などの細菌類は、500種類以上ありますが、腸の中だけでも100兆個も存在するそうです。これらの菌が人間の健康を維持するための良い働きをしていますが、悪い働きをしていることも明らかになっています。

 大腸菌などというと、「病原性大腸菌O157」を思い起すかもしれませんが、O157は死者を出すほどの恐ろしい菌で、まさに悪玉菌です。しかし、善玉菌もあります。しかし、それらは単に人間の側から見た呼び名であり、「細菌」の本質は、悪でも善でもありません。キレイなものでもなく、汚いものでもないのです。

 つまり、完璧な絶対的な、かつ純粋に美しいものは無く、完璧絶対的に純粋に汚いものなど無いと考えられるのです。表面的または
一面的な見方しかできないと、物事を固定的に考えるようになってしまいます。そうなると、しだいに物事を両極化してしまい、
終には対極的あるいは対立したものと捉えてしまうのではないでしょうか。対極にあるものは同根なんですから、「美と醜」も同根です。

 質問からは、ちょっと自虐的でマゾヒスト的なイメージが浮かびますが、物事や物質の本質をよくよく知れば、その苦しい想像から抜け出せるようになるかもしれません。

 

23 962     大事なイベントの前に体調を壊す        質問者(ようこっち)   2005/03/12

 ご無沙汰しております。私は小さな頃から、前日に大事なイベントがあると必ずと言って良い程、熱を出したり体調を崩してしまいます。これは大人になった今でも続いており、どうすれば改善出来るのでしょうか? 親からもこのことに関してはその度に指摘されており、大変困っています。体質と言うか、心理的な部分から来てるのでしょうか? ちなみに、私は7w6と判定していただいています。どうぞよろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)      ようこっちさん、お久しぶりです!   2005/03/12

 大事なイベントで重要な役割を担う人たちは、大変に緊張するものです。それはどのタイプでも同じで、緊張しないでいられる人はいません。ただ、どれほどの緊張度なのかは、それぞれに違うというだけです。

 なかでも防御タイプ(7・1・4)は、優等生気質があります。また、完璧主義があり、一点の間違いや狂いもなくうまくできないと、社会や人々から受け入れてもらえないという恐怖感を持ちやすいタイプと分析しています。元々に、とても緊張しやすい気質ですから、大事なイベント、または晴れの舞台では、さらに緊張して、体調を壊すこともあると思います。 

 同じ防御タイプでも、舞台に早く慣れる人もいるようで、人それぞれに違うようです。小学生の頃から、大勢の人前で堂々と話ができたというタイプ1の方も知っています。しかも、その方は普段はとてもおとなしく存在感も薄そうな人ですが、大きな集会の司会を頼まれると、立派に務め上げるのですから、人はみかけでは分からないものです。

 歌手の故・越路吹雪さんをタイプ4w5と判定していますが、彼女は何十年も舞台に立ったベテランです。そんな人でも、最後まで緊張し続けていたと聞いています。その直前に、手に字を書いて呑み込むという、まじないをしたようです。なんという字なのか忘れてしまいましたが、おまじないは効いたようで、舞台では堂々と歌い演じられたようですよ。

 タイプ7の芸能人も活躍していますが、緊張しているように見えないと思います。おまじないも効くかもしれませんが、緊張しにくくなる最も普遍的な方法は、「慣れ」です。たぶん、みんな慣れて行くのではないでしょうか。たとえば、結婚式の花嫁という大役も、10回くらい務めたら慣れてくると思いませんか。尤も、10回も花嫁をしたがる人がいるとは思えませんが。しかも10年に一回というのではダメで、1年に10回くらい体験しないと慣れることはないだろう、と予想できると思いますが。

 もしも、それをどうしても克服したいというならば、たとえば、結婚式場の司会者という仕事に就いてみるのはどうでしょうか。漫才師を志望して吉本興業に入るのもいいかもしれません。このように、積極的に苦手な分野の仕事に就けば、最短の克服法になると思われます。

 ところで、大事なイベントの前に体を壊すのは大変に困ったことですが、それは誰からも理解してもらえることです。困ったことではあっても、非難されることはないと思われるのですが、如何でしょう? 

 あなた自身が、イベントなどで立派にうまくやり遂げたいという意識が強いために、自分自身を追い詰めているのです。誰もが失敗したり、ミスを犯しています。完璧にうまくやっている人はそれほどはいません。ミスるのもご愛嬌で、かえって、みんなから拍手喝采を浴びることもあります。完璧にうまくできる人よりも、親しみを持たれ好感度も増すことがあります。それらを知って、気持ちを楽にしてください。

回答に対する返事         ようこっちさんより   2005/03/13

 さっそく、アドバイスをありがとうございました。無意識のうちに、失敗無く完璧にやらないといけないと自分自身を追い込んでいたのかもしれません。緊張しやすい性格であることは自覚しているのですけど、もう少し、気持ちをラクにしてイベントに挑むように意識をして、肩の力を抜こうと思います。あと、結婚式場での司会者や吉本興業の漫才師など、人前で話すお仕事に挑戦することも良い考えだと思います。ぜひ、参考にさせてもらいます。これからは肩の力を抜いて、気楽に行こうと思います。ありがとうございました。

 

24  960    恥ずかしくて穴に入りたい気持ち              質問者(せっきー)      2005/03/09

 質問にこたえてもらったばかりなのですが、もう一つ、相談させてください。私は過去の恥ずかしい体験や恥をかいた出来事を一日何回とはいえないくらい、思い出します。そのたびに「チッ」と舌打ちや「くっ」と小さい声が出たりします。穴があったら入りたいというより、穴に入って暮らしたい気分ですが、このクセは一人でいるときのほうが頻繁に出ます。状態のいいときは舌打ちやのどを締める音が「○○」と我が家の犬の名前を口に出して呼ぶことに変わります。人といるときでる場合はこっちが多く、「あなたはよほど犬を可愛がってるのね」となります。しかし出来ればそういうことはあまり思い出さないで暮らしたいのです。楽になれる方法があったら教えて下さい。
回答者(りゅうとうまりこ)                   せっきーさん、こんにちは!  2005/03/09
 
 ご自分を何タイプと思っていらっしゃるのか、分かりませんが、あなたはそそっかしい気質のように思われます。恥ずかしい体験や失敗をしやすいほうではと予想します。ということは、それを思い出さないようでは困るのではありませんか。よく記憶していて、二度と同じ体験や失敗をしないように、注意深くなったほうがよいのではありませんか。

 そそっかしい人は、あまり気を張っていない、または、神経を研ぎ澄ましていないので、失敗をしやすいのではと考えられます。つまり、これ以上に、気楽になり気を張らないようになると、もっと失敗が多くなってしまう恐れがあります。失敗をよく記憶して、なおかつ、はっきりと何が原因でそのようになったのか探り、反省をすることが求められていると思います。失敗に対して意識的になり、よりよく対処できるようにしたほうがよいと、アドバイスしたいと思います。

  なお、自分を厳しく点検する気質の人であれば、楽になれるようなアドバイスを採用します。しかし、上記からは、厳しく点検するタイプに見えず、どちらかというと自分に甘い人たちのほうに入ってしまいます。自分に甘い人であるならば、自分の言動を振り返り、もっと点検したほうが良いのではないでしょうか。自分に優しく楽になれるようにすることも大切だと思いますが、自分に厳しく、もっと緊張したほうがよい場合もあります。どらちも必要だと考えられ、楽になるほうがよいとは限らないのではないでしょうか。

 自分をよく知れば、自分の欠点が分かるようになり、注意深くなれるように配慮できる可能性が出てきます。しかし、自分を知らないと、自分の欠点をますます助長させてしまう恐れがあります。「汝、自身を知れ!」は、とても大切なことだと知ってください。

 

25  936      合コンが苦手!   質問者(ウメハラ)   2005/02/05

 私は最近会社の同僚に誘われてよく合コンに行くのですが非常に苦手です。特に軽い感じの女性が苦手で、そういう女性たちの会話についていけません。自分ではなんとかついていきたいと思うのですが、正直何がおもしろいのかさっぱりわかりません。なのでいまいち会話がかみあわずちぐはぐな感じになってしまいます。いっしょに来ている同僚たちが彼女らと盛り上がっているのを見ると、うらやましくもあり疎外感も感じます。合コンに来ている女性達がみんなそういうタイプというわけではないので、それなりに場は持ちますが、自分をふがいなく感じます。ただ自分的には会話を持たせられるような女性にはたいてい興味は無く、自分にはない軽い感じの女性にあこがれを感じます。自分では彼女らにつまらない思いをさせてしまったとよく思うのですが、あとで同僚から彼女らの感想を聞くと、意外にも好感をもたれていたりもします。同僚が自分に気を使ってくれてるのかなとも思いましたが嘘を言っているようでもありません。合コンのような軽い飲み会が苦手なのですが、もっと楽しく過ごしたいと思います。何かアドバイスなど頂けたらお願い致します。
回答者(りゅうとうまりこ)      ウメハラさん、お久しぶりです! 2005/02/05
 
 上記からは、ちょっと複雑な心理がうかがえます。
「軽い感じの女性が苦手」とあるにも関わらず、「自分にはない軽い感じの女性にあこがれを感じ」とあります。人間は、苦手な人が好みの人になったり、怖い人が好きな人になったりすることがあります。矛盾したことを言っているように見えたりしますが、これらは、「コンプレックス=複雑な心理状態」と呼んでいるものです。

 その複雑度が大きくなるほどに、現実や人間たちを受け入れにくくなり、傷つきやすくなり、被害妄想も起きやすくなります。ですから、できる限り少数の人たちと丁寧につきあうようにして、複雑度が大きくならないように注意して欲しいと思います。

 ところで、合コンという場は、丁寧につきあえるところではないと思うのですが如何でしょうか。ただの出会いの場であり、出合ったその後が大切ではないかと思われます。

 そして、苦手意識があるものならば、なるべく避けるようにしたほうが賢明だと思いませんか。安心できる余裕の持てる場でこそ、あなたの良さは発揮されるからです。また、そういう場でこそ楽しめるのであり、苦手な場で楽しめるようになるなど、容易なことではありません。人間関係で緊張しやすいと、軽い話はできにくく楽しめません。とりあえず、その場をなんとかもたせることができても、自分をより良く発揮できる場ではないのかもしれません。

 若い方ならば出会いの場は必要だと思います。ですから、目的意識を持って、誠実につきあえそうな相手を探す場だと考えたほうが良いのではないでしょうか。そんな相手を見つけ出す場であると考えて、観察するように注意していたら、相手の人柄がクッキリと見えてきます。また、そういうことに意識を集中していると、苦手意識も忘れてしまうでしょう。

 なお、一見、楽しそうに会話している人たちが、本当に楽しいと思っているのかどうか、それは分かりません。帰宅時に虚しそうな表情をしている人たちは少なくありません。無駄な時間を過ごしてしまったと後悔している人もいるはずです。その場だけ楽しそうなやりとりをしていても、実は、軽薄ではなかったかと後悔している人もいます。しゃべり過ぎたと思っている方もいるでしょう。会話の相手を、心の中で嘲っていることもあるかもしれません。

 実態を知ったら、うらやましがることはなく、疎外感も持たずにいられるかもしれません。そして、他の人の楽しみ方とあなたの楽しみ方は違うのではないでしょうか。本当に自分らしい楽しみ方を見つけ出し体得してください。そうすれば合コンなどという虚飾の集いに翻弄されることはなくなるかもしれません。

 

26  812  悲しくてどうしようもないときはどうすれば?      質問者(なな)   2004/09/24

 
竜頭さんこんにちは。わたしは辛いことがあると、すごく悲しい気持ちになってしまってよく泣きます。泣きすぎて次の日疲れて何をする気にもならないくらいなときもあります。他の人にもそういうことがあるのでしょうか? 泣くことで、力を使い果たしてしまうような感じです。そんな気分の時はなかなか頑張ることが出来ません。父や好きな男性の言葉で傷ついて、とても悲しくなることがあります。タイプ1だからだと思うのですが・・。悲しくてどうしようもないときはどうすればいいでしょうか?  
回答者(りゅうとうまりこ)                ななさん、こんにちは!      2004/09/27

 困りましたね。そういうズバリそのままの質問に対してアドバイスするのは一番に難しいことであり、また不得意です。あなたが私の友人であれば、気の効いたことも言えず、ただ、あなたのそばでウロウロしているだけだろうと思いますよ。

 ところで、ハッキリとさせたいことを先に取り上げたいと思います。「女性に意識が向きやすいタイプ(837)」でも、父親や好きな男性の言葉で傷つきます。何か誤解されているように思います。また、タイプ1の方で、母親や姉、女友だちから傷つけられたことがないという方がいたら、ぜひ、お会いしたいくらいです。

 「父親や男性に意識が向くタイプ(261)」とは、そのようなことを指していません。あなたの父親と母親が、同時にあなたに同じことで注意した場合、父親に言われるほうが、母親に言われるよりも、グサリと来るというだけのことです。もしも、母親がとてもきつくて厳しい人で、しかもかなり酷い言葉を投げつけられたら、タイプ1だとて、ショックになるはずです。

 さて、あなたは、どんな言葉を投げかけられたので傷ついたのでしょうか? 何を言われたのか、それが肝心かなめのことです。仮に、掃除を頼まれたが、時間がかかり過ぎて、父親から「ノロマだ」と大声で怒鳴られたとします。そして、実際にも、のろまで何をするにしても他の人よりも時間が掛かるとしたら、それは事実を告げられたのであり、時間が掛かり過ぎる原因を考えてみなければなりません。どんなことでも、そうなる原因があります。その原因を探す必要があります。

 人は誰も、当っていることを指摘されると傷つきますが、当らないことならばそれほど傷つきません。直せるものならば、自分でも克服できるように努力しなければならないでしょう。しかし、努力しても直せないものがあります。たとえば、「チビ」とか「ブス」などと言われても、直せません。無理です。また、親や恋人の要求水準が高すぎる場合もあると思います。そのような、本人の努力ではどうにもならないことで怒ったり叱る人がいれば、それは叱る人のほうがおかしい、と考えて欲しいのです。

 また、傷つけた人のほうに何か問題があるのかもしれません。沢山の不満を持っている人は、とかく他人を傷つけやすくなっています。そういう人にはできるだけ近寄らないように注意しなければなりません。

 次に、いつもは穏やかな人でも、当日に限って嫌なことがあって、八つ当たりされることもあります。お父さんは確かタイプ7だったように思いますが、たとえば、自分の妻に対して不満があると、娘に当り散らすことがあると思わねばなりません。職場で不快な目に遭うと、帰宅してから家族に当ることも考えられますから、あなたに不満があるとは限りません。

 従って、お父さんの機嫌が悪い時は、姿をくらますようにしたほうがよいと思います。タイプ1は、周囲の人たちを観察していない方が非常に多いので、突然に誰かに傷つけられてしまった! という状態になりやすいと思います。もっとよく周りを見てください。よく傷つけられる人ならば、その顔色を観察してください。それでなくては、適切に自分を守れません。

 悲しい出来事に遭遇すれば、誰もがショックを受けて、落ち込み苦しみます。立ち直り方が早いか遅いかの違いがあるだけです。ですから、早く立ち直れるようになるしかありません。そのためには、生き甲斐のある勉強や仕事を持っているか、気分転換できるような趣味があるのか、なにか目的や目標を持っているのかが重要になります。

 そして、悩みを訴えられる家族や友人がいて、慰めてもらえるのか、それが鍵を握っています。家族に八つ当たりされたら、友人に訴えて支えてもらう必要があります。友人の一人から傷つけられたら、家族に相談するか、別の友人と楽しい時間を持つようにすると、立ち直りも早くなるのではないでしょうか。

 できるだけ理性的になれるように、そこから抜け出せる方法を見つけることが肝要です。そして、たとえ、暖かい家族がいて友人に恵まれていても、最後は、そんな冷静な自分でいることがもっとも大切ではないでしょうか。それでも、悲しみはなかなか消えず、苦しいと感じていることはそう簡単に無くなりません。

 しかし、時間が立てば、少しづつ癒されていくものです。体に自己治癒力があるように、心にもそれらは備わっていますからね。自分を大切にできる人、自分を信頼できる人は、自己治癒力がよく機能して、立ち直りが早くなると思われます。そして、自分を信頼できるようになるには、困難な時、落ちこんでいる時に、そこから抜け出す方法を自分で見つけて、見事乗り越えたという体験を持つ必要があります。

 そんな難しそうなことは無理だと思うのかもしれませんね。しかし、風邪をひいても、2、3〜6日くらいでおおかた治癒するように、心も、無理せずに休養と栄養を取れば、数日で治癒するものです。風邪をこじらせてしまう人がいるように、心の傷をこじらせることが問題になると思います。そんな訳で、傷ついたり悲しい出来事に遭遇したら、心を休養させて、また栄養を適宜とってください。なお、どういうことが心の休養になるのか、何が心の栄養になるのかは、上記を参考にして、あなた自身が見つけ出してください。

 最後に、具体的に父親に何を言われたので傷ついたのか、彼からどんなことを言われたのか、それを質問してください。「悲しくてどうしようもないときはどうすればいいでしょうか?」という質問は、実はとても回答できにくいものです。一応は、おおまかにアドバイスしましたが、それではピンと来ない方がいると思います。

 具体的な事実から問題点を探り、傷ついた原因を探すことが、最も大切なのだと知ってください。そういう場合にこそ、当エニアグラム性格学理論が役立つのですからね。真の原因を知れば、二度と同じようなことで傷つかなくなる可能性があります。真の原因を知らないままだとか、また、相手と自分の本当の姿が見えていないと、同じように傷つけられ、また別のことで誤解したり、悲しい出来事にも遭遇するのではないでしょうか。

 

27  717   穏やかな自分は堕落的?        質問者(みさく)  2004/06/04

 お久しぶりです。みさくです。気持ちが穏やかになり、人間的に良い状態になっている時は気分はよいはずなのですが、何故か?居心地が悪く、自分ではないような?気がするのが不思議でなりません。穏やかな自分だと堕落してしていってしまう恐怖感さえ感じます。宜しく御願い致します。
回答者(りゅうとうまりこ)             みさくさん、お久しぶりです。  2004/06/07
 
 安定した穏やかな生活をして居心地が悪いとしたら、もっと激しく心を揺さぶられるものにトライしたほうがよいのではないでしょうか。また、以前の文章からみると、どうやら、あなたは向上心が強く、とてもエネルギーのある方に思われます。

 前の質問文には、海外旅行によく行くと書いてありますが、旅行などという安全なお遊びでは、満足できない自分がいるのではないかと考えられます。また、海外旅行しても、あなたの中に強くある向学心や向上心を満足させません。好奇心と虚栄心が満足するだけです。

 たとえば、イラクでボランティア活動をしていた高遠さんはタイプ2w1らしくみえる人です。今のイラクには行かないほうがよいとは思いますが、もっと冒険したほうがよいのではないでしょうか。本当のあなたが求めているものを、あなたは少しも気づいていないようです。また、勉強したがる自分もいるはずで、少しずつでも修業したり学んでいたならば、堕落するような気持ちにはならないはずです。

 私の周りにも、スリランカで孤児たちを支援している2w1がいたり、障害者の作業所でともに活動している2w1の女性がいます。環境問題に取り組む2w1の人もたくさんに知っています。社会活動の中心人物になっているのは、本当に2w1の人たちが多いのです。むろん、主婦をして子育てしているだけで満足して幸福感に満たされる2w1もいます。こういう方は、エネルギーが少ないのではと見ています。

 夫と子どもに期待ばかりして、不満タラタラの毎日を過ごしている2w1の主婦も数限りなくいますが。しかしながら、子どもを育て夫を支え、自分も手一杯に働いて、さらにさまざまなことを学び、なおかつ余剰力がある2w1が結構いるということです。その溢れんほどのエネルギーを、自分にしかできないこと、これはと思う大切なことに使ってみませんか。使うべきものを使わないと、そのエネルギーが自分を堕落させてしまうかもしれませんよ。

 今のあなたに不満足なのですから、自己実現をしていないのではないかと思われます。どんなことが自己実現になるのか、じっくりと考えてみてください。あなたは、あなたのエネルギーに見合う生活をしているのでしょうか。自分という人間をよく知らないために、自分のやるべきことを見つけていないように思われます。

 

28  613  発表会を前に、緊張や戸惑いを克服するには?   質問者(勇)   2004/02/12

 僕は現在、大学4年生です。この時期になると、卒業論文の発表会があり、一年間の卒業研究の成果を発表する場です。学科の先生が30人、学科の学生も20〜30人は聴きに来ると思います。発表時間は10分ほどで、発表後に質疑応答の時間が5分ほどあります。 このくらいの発表時間になると、発表内容はほとんど暗記していないときついと思われます。また、優れた発表をした数人に賞が与えられるというシステムがあり、研究室の先生 はどうやらその賞を取ることを研究室の学生に期待しているようです。僕の研究結果はなかなか学術的にもいいものであるらしく、先生の期待も僕に対しては大きいようです。数人に対して物事を説明するだけでも、緊張してしまうのに、そんなに大勢の前ではたして発表ができるのだろうか、というのが悩みです。直前に練習して、できる限り発表内容は暗記していくつもりですが、それでも本番になってすっかり忘れてしまいそうで。また、発表後の質疑応答はそれこそどのような質問がされるか分からず、戸惑ってしまいそうです。自分で悩みを作り出して、勝手に大きくしていることが分かるのですが、どのように対処すればよいのでしょうか?
回答者(りゅうとうまりこ)    勇さん、お久しぶりです!       2004/02/14

 晴れの舞台なのですから、緊張するのは当然だと思います。かの田中耕一さんは、ノーベル賞の授賞式という大舞台を踏みました。しかも、英語で話したのですから、さぞかしプレッシャーはいかばかりだったかと想像してしまいます。彼は、私からはタイプ4w5らしく見えます。大変に緊張しているようで、その後、本当に疲れきった顔で会見していましたからね。

 でも、見事にやり遂げたではありませんか。あなたは10分であり、聴衆60人程度です。しかも日本語で話すのですからね。彼にできるのですから、あなたにできないことはありません。そして、田中さんはリハーサルをしたと聴いてます。あなたも何度もリハーサルしてみてください。質問も、だいたいは予想できるのではありませんか。本番に話すことを忘れないように、当日用のメモも用意しておきましょう。

 越路吹雪さん(タイプ4)という歌手も、何十年と舞台に出ていても、あがってしまったようです。「人」という字を手の平に書いて、それを呑み込むなどという儀式をしていたと聴いています。効果はあったようで、舞台に出ると大胆で、とてもそのような方には見えませんでした。従って、そんな類の「おまじない」をするのもよいものです。護符を身につけたり、マントラを唱えたりするのもよいと思います。 

 私自身も人前で話すのは、大変に苦手です。結婚式のスピーチをすると決まっていたときは、式場が火事になって欲しいとか、大地震になって欲しいなどと、とんでもないことを願ったりしたほどです。しかし、回を重ねるごとに、少しずつですが慣れてきたようです。慣れるためには経験しなければならず、そのためには目の前にあることから逃げ出さずにやり遂げるしかありません。

 そして、タイプ4は人間を怖がるというふうはありますが、意外なようですが、発表会や舞台では堂々として気合が入る人たちが多いのです。研究発表や舞台やプレゼンテーションなどは、一方的なものです。人との交流ではないので、かえってタイプ4の方には合っているのではと思います。普通かそれ以上にうまくやれると思いますよ。

 

29  574 感情を安定させる方法はありますか?   質問者〔天〕   2003/12/27

 こんにちは。早速のタイプ判定ありがとうございました。修正されたメールを読み自分の考え方の癖に改めて気付きました。内面はタイプ2に当てはまり、仕事などの表面はタイプ1に当てはまるなと思っていたので、タイプ2w1という判定に納得しています。そこで質問なのですが。自分の不安定な感情をどうすれば落ち着かせる事ができるのでしょうか? どうしても感情に振り回される時が多いのです。怒ったり悲しんだり、パニックに陥ったときなど。冷静に考えたり対処したりというのが理想なのですがそれができません。誰かにあせっている所や負の感情を見せたくないのに丸見えで、でも誰かがいるから感情が大げさになっている自分もいます。訓練などで直せるのなら直したいです。もし良い策があれば助言お願いします。
回答者〔りゅうとうまりこ〕      天さん、ここでは、はじめまして!   2003/12/29

 感情をコントロールすることほど難しいものは無いと思います。感情タイプ〔2・3・4〕だけでなく、その他のタイプにとっても同様です。また、そうであるからこそ、人間らしいのではありませんか。無理に抑えこむ必要はないと思うのですが……。

 ただし、どんな時に、あなたは怒っているのか、もう少し自覚的になるとよいのではないでしょうか。たとえば、同じ場に居合わせた人が、怒らなくて、あなただけが怒りを感じたとしたら、その違いはどこから来たのでしょうか? それを考えていただきたいのです。タイプ2w1は短気で、短気でない人たちから見ると、「なぜそんなところで怒るのかさっぱり分からない!」ということになります。

 例をあげます。あるタイプ2w1の母親が、「子どもがいると、怒らねばならないことばかり起こる」と言います。どういう時なのか尋ねると、「ある人の家に子ども連れで訪ねましたが、子どもが“小さい家だね”と言ったので、あわてて“そんなこと言ってはいけません”と厳しく叱りました。こんな場合は叱らないと相手の方に悪いでしょ!」

 さて、この場合「小さい家」というだけならば、子どもは事実を言ったに過ぎませんが、母親のほうには、小さい家は恥ずかしいという価値観があるみたいです。小さい家に住む人がいますが、それは恥ずかしいことではないはずです。この母親の価値観が狭く、人間的にも成長していないために、恥ずかしくないことが、恥ずかしくなっているのではないでしょうか。つまり、怒ることは、誰から見ても怒るに値することではなく、価値観の狭い人がしばしば怒るのではないかと考えられます。

 もう一つ。母親たち数人で会食している時のことです。一人の母親が自分の子どもが騒いでいても叱らず放任していたようです。会食が終わってから、2w1の母親が「あの人、躾をキチンとしてない、子どもを叱らないなんて!」と怒って言いました。実は、非難された母親はタイプ7w6で、会食している最中に子どもを叱るのではなく、帰宅してから叱っていたのです。

 タイプ7からすれば、会食している時に、みんなに不愉快な思いをさせたくないのと、我が子を人前で叱るなどという不躾なことはできません。一方、他の2w1の母親はレストランで、大声で子どもを怒鳴りつけており、それでも子どもたちの騒ぎは収まりませんでした。

 さて、この場合、どちらの言い分も正しいのではないでしょうか。騒いでいる子どもを鎮めるためには、すぐに叱らねば効果はありません。しかし、子どもだとてプライドがありますから、大勢の人前で叱責するのは避けるべきでしょう。

 しかしながら、その場はタイプ2の母親ばかりで、たった一人タイプ7の母親だけが非難されていたのです。子ども連れで会食する場合は、時と場所を選ぶべきであり、騒げない場ならば、子連れで会食すべきではないと思います。どうも、どちらも少しおかしいのではないでしょうか。しかしながら、この2w1の母親が、怒って相手を非難したのは、自分の考え方こそ正しいと思っているからでしょう。そして、タイプ7の母親からみれば、おかしいのはタイプ2の母親のほうなのです。

 こんな例を上げたら、幾つでも上げられます。当会の受講生が主婦層が多いために、このような具体例がしばしば見つかっています。しかし、どの年齢層にも、誰であっても、このような価値観の違いから、誤解やぶつかりあい、非難などが巻き起こっています。それ以外なら、たとえば、タイプ2w1は、自分のことをよく気がつく人間だと思っている方が多いのですが、気が付くところが、タイプによって違います。

 タイプ2w1は多数派で、お互い同士で、よく気がつくと評価し合っていたりします。しかし、他のタイプからすれば、とてもおかしな人たちに見え、人の気持ちの分からない人になっています。9つのタイプがあるのは、それぞれに気づくところが違い、役割が違うことを意味しています。全ての人たちが一斉に同じところばかり気づくとしたら、危険ではないでしょうか。危険分散のためにはその違いは必要不可欠です。

 どのタイプにも欠点があり、どのタイプにも、相手を非難できる正当な理由があります。それゆえ、「全ての人たちはいつだって正しいことをしている」と考えることもできます。ただ、自分の「正しい」だけが絶対的に正しいものになっており、相手は、「間違い」に見えてしまうだけではないでしょうか。

 いつも怒ってばかりいる人を見ると、視野がとても狭くなっており、価値観も狭くて、柔軟性がなくなっていると考えられます。同様に、いつも傷ついている人も視野狭窄になっており、全てを否定的に見てしまいがちです。いつも悲しんでいる人だとて同様です。感情をコントロールするのではなく、自分自身の価値観を豊かにして、視野も広くなれば、怒りにくくなり、また傷つきにくくなるのではないでしょうか。むろん、相手の性格とその言動を理解することも要になると思いますが。

 また、タイプ2が感情に振り回される時は、周囲の人たちを巻き込んでいることが多いのです。他の人たちが、タイプ
に振り回されてしまうのです。まだ巻き込んでいないとしても、怒りをあらわに出していないにしても、いつかはそうなるかもしれません。成人前ならば、自分はまだ子どもだと自覚しており、抑制が効いているかもしれません。しかし、家庭を持つと抑制が効かず、家族全員がタイプ2の顔色をうかがうくらいになってしまうようです。

 人を威嚇して命令通りに従わせるようになると、それは後退の方向のタイプ8の短所なのですから、どうか注意してください。そして、少なくとも、他人まで巻き添えにしないように注意する必要があると思います。

 「丸見え」と書いてありますから、やはり出しているのだと思いますが。焦ったり悲しくなったり、負の感情が出るのは、どうしようもないもので、人間としてごく自然なものです。しかし、それを乗り越えるとしたら、あなた自身の価値観や視野というものを広めるしかないと思うのですが。価値観が豊かになるほどに、視野が広がるほどに、怒りとか悲しみから解き放たれるようになると思われるのです。

 

30   569    違和感について     質問者〔くま〕      2003/12/22

 こんにちは。私は仕事の要領が悪く、職場の人にも馴染めないので、どこへ行っても変な目で見られ、居辛くなります。頑張ろうとすると追い詰められてしまいます。逃げることは甘えでしかないのを分かっているから辛く、周りには責められるだけで、頑張れない自分を余計情けなく思います。人と馴染めるようになりたいし、どんなときも輪の中に居たいのにそれが出来ないことは仕事する際にも影響が大きいのです。竜頭さんからそんなタイプ4を見た時、どこに違和感を感じますか? 自分ではやっぱり分からないので、客観的な意見を知りたいです。
回答者〔りゅうとうまりこ〕       くまさん、お久しぶりです。

 違和感というものは、どのタイプにも、さらにどの人にも感じるものではないでしょうか。同じタイプの人にも感じたりしますからね。逆に、同じタイプのほうこそ、かえって違いを意識してしまうことがあります。ただ、どれほどの違和感なのか「程度」というものがあり、他の人たちが抱く違和感の程度と比較できませんからね。さらに、どんなところに違和感を抱くのか、タイプごとにも違い、個々人でもそれぞれに違うのではないでしょうか。

 次に、少数派は違和感を感じたりしますから、誰にとっても体験することです。たとえば、人数的には多いタイプ2w1ですが、家族がみんなタイプ9w1で、自分だけ2w1だとすると、生まれついてからずっと違和感を持ち、自分だけが異質な存在になってしまいます。タイプ9も、職場ではタイプ2の人たちばかりで馴染みにくかったという例もあります。タイプ2の家族でしたが、一人だけタイプ7がいて、つまはじきされ続けたという例もあります。

 家族が全員タイプ7で、子どもが一人だけタイプ4でしたが、精神病院に入れられてしまったようです。同様に、子どもがタイプ2で、タイプ7の親兄弟から、頭がおかしいと言われ続けて、やはり入院しています。10年以上にわたり様々な家族関係を知り、タイプ判定してきましたが、そのような話は到るところにあり、それほど驚くべきことではありません。正しいタイプ判定ができるようになると、事実の下にあるもう一つの事実を発見します。

 ところで、そうなると、タイプ8や5や、3などはなかなかお目にかかれないタイプなので、かなり少数派だと言えるでしょう。このタイプの人たちは、家族にも同じタイプがいなかったとしたら、生まれた時から疎外感や違和感をずっと味わっているのではないかと考えられます。

 そんなことを考え出すと、少数民族の悲劇を連想してしまいます。つい数年前のことですが、東チィモールでは考えられないほどの人権抑圧があり、なんと人口の三分の一が虐殺されたとも言われています。酷いことをされているのに知ろうとする人もなく、闇に葬られてしまったことが幾多もあるのではないかと推察します。少数民族もエニアタイプとしての少数派も、辛い目に遭う確率は高いと言えるでしょう。

 そんな訳で、あるタイプだけが違和感を持たれるとか、自分だけがそのように見られるのではなく、ごく普通にある現象で、普遍的なことだと知ってください。それよりも、理解し合える人が身近にいるはずです。自然に輪の中に入って行ける場も、探し続けさえすれば、いつか見つかるのではと思います。でも、あきらめたり、自分を閉ざしたら、永遠に見つけ出せません。

 また、どこに行っても変な目で見られているのでしょうか? それは本当のことなのでしょうか? そのような解釈をしてしまうというところが「性格」なのですからね。事実は違うかもしれないと、一度振り返って欲しいのです。

 次に、
「頑張ろうとすると追い詰められる」とありますが、いつどんな時に、どのようながんばり方をしたらよいのか、それが重大なことで、そこを間違えると大変です。たとえば、職場の同僚たちが怠けている時には一緒に怠けないと、いじわるされるかもしれませんからね。あなたのがんばり方が、適切でなかった可能性はありませんか? 

 また、つきあう人たちをしっかりと観察して、選択できるようにしてください。精神状態があまりよくない人とつきあうと、傷つけられる危険性があります。あなたが逞しくなれば、精神状態の悪い人と出会っても、傷つかずに、うまくやり過せるようになる可能性は高くなります。しかし、元気のない時は、つきあう相手を選んでください。それが自分の身を守ります。

 仕事も同様で、自分の性格に合った職だったのでしょうか?  さらに、自分に合った仕事に就けても、人間関係の悪い職場と分かったら、がんばる必要はなく、早く見切りをつけたほうがよいかもしれません。

 このようなアドバイスをするカウンセラーは少ないかもしれませんが、私自身がガンバレない人間ですから、これまでずっと嫌な場からは早々と逃げ出して来ました。そして、逃げるのは甘えることなのでしょうか? 私にはよく分かりませんが。強く逞しい人ならば、それに相応しい生き方があると思いますが、弱虫が逃げて何が悪い! と言いたくなります。それよりは、弱虫である自分を活かす方法を探すほうがよいと思うのですが、いかがでしょうか。
回答に対する返事          くまさんより    2003/12/25

 心は子供のままなのに、それに反して大人になっていくことがアンバランスでした。前の仕事を辞めて新しい仕事に就きましたが、そこは穏やかな人が多く、居場所を見つけられそうです。竜頭さんの言葉通り、ただ我慢するのではなくて自分自身に合った居場所を探すことが大切ですよね。回答にあるような状況を知って、とても驚き、心を痛めています。アドバイスでだいぶ気持ちが楽になりました。またここで立ち上がる勇気をもらった気がします。

 

31  566         無口を克服する方法 ?     質問者〔みずほ先生〕      2003/12/20

 私は自分の無口なところが嫌いです。いつも、どこでも、無口です。なぜなのか、自分でもよくわかりません。そのせいか、いつも頭の中で誰にでもなく言葉を発しています。新しいバイト先など初めて会う人達ばかりの場所では、ほとんど自分から話しかけることはありません。心に見えないバリアーがあるようです。私は、恐らく他人を見下しています。周りの人間の会話がくだらなく聞こえます。反面、会話に加わりたいとも思っています。自分の様々な思いの内を伝えたいのですが、相応しい相手が見つかりません。私が変わらない限り、相手などいないのかも知れません。しかし、文章では割と簡単に、思っていることが伝えられます。この質問も、口頭では上手く伝えられないのではないかと思います。無口は辛いです。周囲にたくさん人がいるのに、自分だけひとりぼっちです。タイプ1、5、9の方々にも無口な人は多いそうですが、タイプ4とは、無口である理由、無口な自分への思いが違うのでしょう。タイプ4w3である私は、どのように無口を克服すればいいのでしょうか?
回答者〔りゅうとうまりこ〕        みずほ先生、お久しぶり!  2003/12/20

 無口な人たちが、同じような性格ではなく、そうなる要因も違うということは分かっていると思いますが。たとえば、言語能力が低いために、語彙も少なくなり、話下手になりやすく、それで無口になる人もいます。さらに話したいという欲求が少ない人もいると思います。これはタイプ9や5の人たちに多いのですが、饒舌なタイプ9も少なくありませんからね。

 タイプ5ならば、あなたと同じように周りの人たちの会話がくだらなく感じ、見下しているのかもしれません。また、自分のことを知られたくない、理解されたいという欲求が少ないために、無口になりやすいタイプです。ただし、いつも書いていますが、グループとしてみたら、この傾向はありますが、個人差のほうが大きいものです。

 タイプ1も無口な人が少なくないのですが、タイプ4と同じで、人に対してバリアを張っているので、会話に入りにくいためと考えられます。しかし、このタイプも、口から生まれたのではないかと思うほど、おしゃべりな人もいますからね。そして、心にバリアを張りめぐらせているとしたら、それは警戒心が強まった状況の中にいるのではないでしょうか。

  ところで、「無口を克服する」という発想は必要ないのではありませんか。無口でも、みんなから信頼されている人がいます。うまい会話ができなくとも、人の輪の中で自然に溶け込んでいる人もいますからね。そんな人を発見したら、よく観察してください。人を見下してはいませんし、人に対して過度な警戒心も持っていません。本当にうまくやれている人は、人々を暖かい気持ちで見つめている人ではないかと思います。

 あなた自身、暖かい眼差しで見つめられたら、その人には警戒心を無くしてしまうでしょう。安心してつきあえるとは思いませんか。自分をありのままに受け入れて欲しいと思ったら、まず、あなた自身が、どんな相手であっても、そのままの存在を受け入れられるようになることだと思います。

 また、下らない会話も上品な会話も、バカな世間話も、賢いウイットに富んだ会話も、それほどの違いは無いとは思いませんか。高尚な話をする人たちに、貧困な精神がかいま見えたりします。阿呆っぽく見える人のなかに、気位の高さや価値観の豊かさを感じさせられることがあります。

 どんなことも、比べ方で、苦しくもなく楽にもなります。人と自分を比べるから、優位に立ったり、自分をダメな奴に感じてしまうだけではないかと。それよりも、人とつきあうにも手順があることを知ってください。また、その場にいる人たちの表情をよく観察してください。会話の流れもしっかりと意識してください。上手な会話ができる人がいたら、その人をとくにじっくり観察してください。そして、取り入れられるものを探してください。
 
 タイプ4の中には周囲の人たちを全く見ていない人がしばしばいます。見られている自分を意識しているだけで、実際には目の前にいる人を見ていないのです。それでは周囲の人たちとうまくつきあえるはずはありません。これは、タイプ1とタイプ2w1でウイング1の重い人たちにもよくあるケースで、周囲と違和感のある言動をしており、注意して欲しいことです。

 無口というだけで嫌われるということはありません。饒舌な人が嫌われることもあります。問題は、あなたが周囲の人たちに警戒心を強めすぎているのではないかということです。そんなあなたを見ると、怖くなって話し掛けられなくなるとは思いませんか。人はみな臆病で小心者なのです。だから、怖い人には話しかけられず敬遠してしまうのです。あなたは、人が怖いので、敬遠しており、人からも話し掛けられないようにしているのではありませんか。無意識にしていることで、意図していないかもしれませんが……。
 
 おしゃべりに興じている人が、孤独を感じていることもあります。表面的にうまくやれているように見えても、内心では戦々恐々としている人がいます。人それぞれなのです。

 J・F・ケネディの言葉として有名ですが、「国が自分に何をしてくれるのかではなく、自分が国に何ができるかを考えて欲しい」があります。「自分の様々な思いの内を伝えたい」とありますが、相手の思いをしっかりと受け止められる人に、まずあなたのほうがなってください。あなたが相手を理解したい、相手を知りたいという気持ちがあれば、やがて、相手のほうも、あなたを理解して受け入れてくれるのではないかと思います。無口であっても無くても、そんなことはどうでもいいことのように思いますが。 
回答に対する返事          みずほ先生より     2003/12/21

 回答ありがとうございました。私は、自分しか見ていない人間であることをよく知っています。自分をまず理解してほしいという欲求が強く、相手を理解したいという欲求は弱いことも自覚しています。やはり、それが問題なのですね。私は自分のことしか考えていません。他人を、まずは敵として見ています。そうなった要因は、過去の体験にもあるとは思います。ある時期はさらに他人を否定的に捉え、家族でさえ敵に見えたこともあるほどです。傷つけられるのが怖いのでしょう。人との関わりを断ち切っています。しかし、私も人を好きになりたいです。人と上手に付き合える人が羨ましいです。心のバリアーを取り除きたいのですが、それが何故か困難です。警戒心を無くすにも、順序は必要なのではないでしょうか。いつか、人を受け入れられる人間になりたい、そう思います。そのためにも、もっとエニアグラムを学ばねばならないのでしょう。
再回答〔りゅうとうまりこ〕        みずほ先生へ    2003/12/22         

 大変にありきたりの、あなたにとって既に分かっていることをアドバイスしたに過ぎないようです。失礼してしまってごめんなさい。そこで、あなたからの返事も考慮して、再回答したいと思います。

 過去の体験から、他人を全て敵として見ているとしたら、その苦い体験から学ぶ必要があるとは思いませんか。そのようにまで至った原因を知らないと、同じ辛さを味わう可能性があります。また、真の原因を知ると、心の傷も少し癒されるものです。できたら、そういうことを知らせてください。

 そして、生きている以上、人との関わりを完全断ち切ることはできません。また、全ての人を敵にしているという時ほど、本当は狂おしいほどに人を求めているのではないでしょうか。そのように心が激しくなると、ほんの少しの優しさに出会うだけで、その相手を全面的に信じ込んでしまい、同時に、そんな時ほど、その人物から少し注意されただけで、完璧に深く傷ついたりもします。実に、人とのつきあい方のバランスが悪くなってしまうのです。そして、歯車が悪い方向にズンズンと進んでしまうかもしれません。

 良い方向へ進む歯車に乗るようにしてください。そのためにエニアグラムを活用するならば、タイプ9の人と友人になると、まず傷つけられるような出来事に出会わないでしょう。なぜなら、タイプ9はハト派タイプだからです。タイプ4も基本的にはハト派タイプです。性格がそうとうに違うので、理解し合うには難しい相手かもしれませが、傷つく心配だけはせずに済みそうです。暖かい心の通い合いができる友人が一人でもできると、あなたの心は安定するようになり、少しバランスがよくなるのではと思います。

 順序があるとしたら、やはり、付き合う人が安定型のほうがよいのであり、同じように激しい人たちと接すると、よけいに嵐を招きます。たとえば、タイプ4同士は最も理解し合える相手なのですが、どちらも激しくなりがちで、どちらも傷ついてしまうことがあるようです。むろん、精神状態の良いタイプ4同士はこのうえない親友にもなれる可能性があります。

 タイプ9を「オアシスの人」と当会では呼んでいますが、どのタイプの人たちにも、適度に合わせられる人たちで、安定型であり、安心してつきあえる人たちが多いのです。むろん、精神状態の良くないタイプ9は避けねばなりませんが。

 周囲にいる人たちを一括りにして、敵だとみなしているようですが、あなた自身、他の人たちと同じ人間には見られたくないはずで、一括りされるのは嫌だ思います。よく観察して欲しいと言ったのは、そんな意味もあります。精神状態の悪い人は、他人を傷つけやすくなっていますから、周囲にいる人たちの精神状態をできるだけ早い段階で察知して、できるだけ避ける必要があります。次に、タイプ判定できるようになれば、警戒心を抱く必要の無い相手なのか識別できるようになり、つきあいやすい相手なのかも早目に分かるようになるでしょう。

 あなた自身が楽になり安定するためには、まず周囲にいる人たちを、「よく観察することが最も必要不可欠なことである」とアドバイスしたいと思います。相手を知らない、よく理解できない人を相手にすると、恐怖心がでてきます。警戒心でバリアを硬く張ってしまい、緊張してしまうので、気楽に会話できにくくさせていると考えられます。

回答に対する返事              みずほ先生より  2003/12/23

 再回答していただき、ありがとうございます。他人を敵として見ていると言いましたが、
少し過剰な表現だったようです。今日、私用で数人の人と知り合ったのですが、意外と早く打ち解けることができました。りゅうとうさんの回答を読んでよく考えたことも、原因のひとつかも知れません。相手が自分を傷つける恐れがあまりないことがわかると、多少は気が楽になりました。どうもありがとうございました。

 

32  492    過去を乗り越えるには……、    質問者〔くろまる〕    2003/09/23  

 こんにちは。誰にも言えずにきたのですが、私は過去に、自分のせいで人が亡くなったことがありました。私を好きだと言ってくれていた人でしたが、応えることが出来ないと断った翌日、自殺をしたことを知りました。葬儀に行くと、彼の母親に「人殺し」と言われ叩かれ、ショックを受けました。このことは親にも友人にも言わずにきましたが、一生の傷になっています。お聞きしたいのは、タイプ4が自分の力でこの事を乗り越えられるかです。どのタイプでもショックな事だと思いますが…。この事があり、明るく元気になってはいけないと、どこかでずっと思ってきました。性格にあまり関係ないかもしれませんが、どうか少しでも乗り越えるためにアドバイスをよろしくお願いします。
回答者〔りゅうとうまりこ〕     くろまるさん、こんにちは!   2003/09/24

 交通事故で、子どもを死なせた親は、「あの子は行きたくないと言っていたのに、私が無理にも行かせたばかりに…行かせなければよかった」と後悔ばかりするでしょう。このように、不幸に出会うと、人は誰もが限りなく「仮に〜」を想像するものではないでしょうか。そうして、繰り返し自分を責めたり、幾度も不幸を嘆くのです。

 しかし、もっと別の「仮に」も考えられます。「あの時、私が反対したから、あの子は現在こんなに立派な仕事を得られたのだ」、「あの時、私が承諾していたから、彼は幸福になったに違いない」などです。でも、本当にそうなのでしょうか? 

 自分のせいで、相手が不幸になった場合は、心の奥深くまで傷が残りますが、自分のせいで、相手が幸福になったとは考えにくいものです。どちらもあり、どちらでもないかもしれず、本当のことは分からないのではありませんか? どうも不幸な場合のみ、人は自分を責めてしまうようです。

 そうすると、あなたが、その人の求めに応じて、つきあったとしても、彼は自殺したかもしれない、という「仮に〜」も成り立ちます。死を選択した主な原因が、失恋ではないと考えることもできます。親とうまく行ってない・学校に行けない・友だちができない・うつ病に罹っていた・病気がちを苦にしていた・勉強ができない・仕事を辞めたいなど、幾つでも「仮に」ということを考え出すことができます。それらが重複していたので、耐えられず死を選んだのではというのが最も確率が高いと思われますが。

 いつかは死にいたるのが人間の定めです。明日にも事故に遭うかもしれず、予測不可能です。死因が不幸であると、人は涙したり後悔しますが、その死が不幸なのかどうかを決めるのはその本人です。100歳で自殺しても、誰も不幸であるとは見ないかもしれませんが、本人は人生に絶望して死を選んだのかもしれませんよ。

 死んだ人に訊ねられないことですが、自殺者を「不幸」と決め付けられるのでしょうか。この世に生きることのほうが、不幸だと言えないでしょうか。「死」が救いになっている場合もあると思います。

 死にたくない人が、戦争に狩りだされて死んでいます。イラク人ならば、寝ているうちに爆弾が投下されて、死んだと気づく間もなく逝ったかもしれません。こんな理不尽な死がいたるところにあります。戦争を阻止する行動を起こさなかった私たちのせいで、理不尽に殺された人たちのことを思い起こして欲しいのですが。

 多くの人たちの「死」を考えて欲しいのです。人間だけじゃありません。人間たちのせいで滅び行く生き物たちは数限りなくあります。そんな生き物たちのことは、考えなくてもよいのでしょうか? 自分のせいとは思わずに、平然としていてよいのでしょうか? 

 自殺者は、自分の死を自分で決められたのですから、そんな人たちよりも、ましなのかもしれないと思ってしまいますが。 しかし、自殺者を肯定的には見ていません。誰もが近いうちに死ぬ運命なのですから、どんな世界に生まれて来たのか、知るべきことは知って、見るべきものは見て、それから死んでも遅くないとは思いませんか。人生がどれほど短いものなのか、年寄りたちの話に耳を傾ければよかったと、私なども後悔ばかりしています。なお、自殺者を否定的にも見ていません。生者のなかにも、死者のなかにも、愚かな人とそうでない人がいると思っているだけです。

 このように、「仮に〜」と考えるならば、より多くの「仮に〜」を考え、彼の死から、もっと別の死も考えて欲しいと思います。

 エニアグラム理論から説明すると、タイプ4は細かい視点に目が利くタイプなので、視野狭窄になりやすい傾向はあると言えます。1点に集中して囚われてしまい、別の視点を失念してしまうのです。狭い世界に生きていると、どんどん自分を追い詰めてしまいますから、できるだけ別の角度を探して、できるだけ広い視野で物事を見る習慣をつけてください。

 さて、ここからが本題かもしれません。タイプ4は人間関係では受け身になりがちなせいか、多くのことで人のせいにする傾向はあります。「こんな自分に誰がした」式のことを言いますが、「人間一般しコンプレックス」から来ているものかもしれません。あるタイプ4は、「周囲の人たちの無理解に悩まされ傷つけられたから、周囲のみんながエニアグラムを学んで、自分を理解してくれるようになればよいのだ」と、そして、自分自身は学ぶ必要は無いと言うのです。

 さて、良い場合は、「あなたたちのお陰で今日の私がある…」と謙虚にもなり、それがタイプ4の良いところでしょう。しかし、もっと悪いところは、自分の不幸を人のせいにして、人の不幸も自分のせいにすることです。一方、自分の幸福は自分の努力のたまものだと思い、家族が幸せなのも、自分のお陰だと主張するタイプもありますが。

 よく回答していることのなかに、人間関係の大方の問題は、相手にあるのではなく、自分自身の問題であると書いてます。例えば、前の質問にもあるように、あなたが職場の人間関係に疎かったので、嫌なことに巻き込まれたのではありませんか。あなたが相手の気持ちがさっぱり分からなかったので、誤解していたこともあるのではないでしょうか。

 また、このサイトをよく読んでくれているようですが、「自分を変えた人だけが、相手を変えられる」などと述べています。

 自分が原因を作っていることを知ることが、エニアグラムを学ぶもう一つの目的で、隠されたプログラムです。こんなことをはっきりと告げるためか、自分は全然悪くないと思っていた人からは不評なサイトのようです。

 当会のエニアグラム講座は、自己変革プログラムが入っているのです。相手のことなど、問題ではないのです。むろん、相手のせいもありますが。自分のせいであると発見したり、自覚することが「成長する」ことなのではないでしょうか。すべてを相手のせいにする人には、人間的な成長はないと考えられますからね。それならば、自殺を選ぶのは、その人の弱さであり、その人自身に問題があるのではないでしょうか。

 また、かの母親はその時、激情的になって叫んでしまいましたが、現在ではそれを後悔しているかもしれませんよ。たまらなく辛くて哀しい時は、人は誰かのせいにしたくなります。一方、いろいろなことを誰かのせいにする人を、私たちはよく非難します。「人のせいにばっかりして、自分のせいだろう!」などと言うのです。それならば、こう言う人もいるでしょう。「自分の死は、君のせいではなく、自分のせいなんだ」と。たぶん、彼も死んだ後で、そんなことを考えて後悔ばかりしているかもしれませんよ。

 彼が「相手のせいにする人である」と、あなたは思いたくはないでしょう。彼自身のためにも、彼自身が「自分の問題だと自覚できる人である」と、あなたこそ、そう考えて欲しいものです。

 

33  428  自分の心を楽にする方法   質問者(なな)   2003/06/24

 こんにちは。わたしは精神的に弱くて困っています。追いつめられたらすごくしんどくなってパニックになることもあります。特に父に嫌なことを言われると、とても傷ついてもう自分はやっていけないんじゃないかと思ってしまうんです。父はわたしがしんどくなっているときに、よくよけいにしんどくなるようなことを言うんです。つい最近ちょっとしたことで追いつめられて、精神的にまいってしまって、壁に手を打ち付けてしまいました。痛かったし、今思うとバカなことをしたなあと思います。自分の心を楽にする方法はないでしょうか? 
回答者(りゅうとうまりこ)        ななさん、こんにちは!  2003/06/25

 まず、精神的に弱いタイプというものはありません。例えば、タイプ8は強い人間であると思っていたら、それは大きな間違いです。ある状況では弱く、別のある状況では強くなれるのであり、それはどのタイプであっても同じです。

 当会は、「タイプ1は父に意識が向くタイプ(261)」と分析していますが、それは父親との関係がアキレス腱になること、または弱点になることを意味しています。タイプ4なら母親で、タイプ8なら、母親や性のパートナーで、タイプ2なら父親と子どもで、その他のタイプにもあります。

 タイプ1は、父親の言動に過剰反応するというソフトがインストールされているタイプです。ですから、ちょっとしたことを父親に言われても追い詰められます。父親がいなくなれば、そんなことにはなりませんが、困ったことに懸命に勉強して良い成績を取ると、真っ先に報告して、ほめてもらいたいのも父親なのです。

 父という存在がいなくなれば、心は楽になるはずなのに、父という存在がいないと気力を無くしてしまいます。父に死なれたら一番のショックにもなるのです。このように複雑な心理に陥りやすい対象なのです。タイプ1にとっては父親がキーパーソンで、他は、タイプ2と6が、そのような傾向を持ちます。どのタイプも、対象こそ違え、過剰反応したり求めたりして、いらつき腹立たしくなる対象を持っています。これは、基本理論のD「9つのタイプは特定の対象に意識が向けられる」というタイトルにて公表しています。

   
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory5.htm

 タイプ1にとって、父親との関係での対処の仕方が一番に困ることで、助言するほうとしても、とても困難なことで、問題解決への道は険しいと思ってください。ただ、その事実を知るだけでも、少しは冷静になれるのではないでしょうか。

 ところが、誰もが、自分の反応はごく普通の当たり前の反応だと思っているのです。些細な批判なら、些細な反応になるものです。同じことを母親に言われても、あまり気になりませんが、父親から指摘されると、気になるどころか異様に腹立たしくなり、ショックともなります。タイプ4の人なら、父親に指摘されてもあまり苦になりませんが、母親に同じことを言われたら、理性的になれないだけでなく、むかつき反抗的にもなり、ショックなのです。タイプ2は、子どもの些細な問題行動に、カチンと来たり深刻に悩んでいます。タイプ8は配偶者の小さな批判にムッとして、いらだち腹を立てています。その他もです。

 そのタイプに生まれると、過剰反応する対象が運命的に定まっているのです。この運命に逆らえる人は希です。しかし、「自分というソフト」に、そこに至る回路があると分かっただけでも、客観的になれる可能性があり、冷静に自分を見つめられるのではないでしょうか。自分のうちにある「傾向」を受け入れられたなら、理性的に対処できるかもしれません。

 ただ、そこに至るまでには、「自分というソフト」を正確に知らねばならないでしょう。現実的な対処法としては、できるだけ父親と顔を合わせず、できるだ接触を避けたほうがよいでしょう。また、あなたのお父さんが上記の理論を理解したなら、娘への言動をもう少し慎むことができるのではないでしょうか。

 そして、自分の心を楽にできるのは、自分をよく知った場合です。自分を真によく知った人間は、自分に翻弄されなくなります。実は、相手に翻弄されないような人間になるのではなく、自分に翻弄されないことなのです。それを理解して悟れたなら、だいぶ楽に生きられると思いますよ。

 
回答に対する返事     ななさんより       2003/06/28

 質問に丁寧に答えて頂きありがとうございました。おっしゃるとうり私は父が苦手というか弱点です。母に言われても平気なことが父に言われると、とてもこたえることがあります。小さい頃から父は怖い存在でした。難しいかもしれませんが、エニアグラムを父に理解してもらえるように頑張ってみます。そして、アドバイスどうり父と少し距離をおいて接してみようと思います。

 

34    396     疲れを取る方法        質問者(勇)     2003/05/03

 僕は大学生で4月から、研究室に配属になりました。今までとは違い、毎日決まった時間に大学に行き、夜まで研究室にいるという生活をしています。今までとは比べ物にならないくらい拘束される時間が増えて、ちょっとまいってます。最初は新しい環境なので、大変なのかなと思ってましたが、1ヶ月過ぎた今でも、なかなか慣れず、毎日家に帰るとへとへとになってしまいます。研究室での勉強や研究には不満はないし、人間関係でも特に困ったことはないのに、なぜこんなに毎日疲れてしまうのか分かりません。どうにかしたいんですが、自分でも原因がよく分からないので、どうしていいか分かりません。よく分からないことを、質問するのもどうかと思いますが、よろしければ助言をお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)        勇さん、お久しぶり!    2003/05/04

 よく分からないどころか、すごくよく分かりますよ。新しい環境に入れば、誰もが緊張します。1ヶ月過ぎた頃が一番に、疲れがたまってくる時期です。

 子どもを持つ母親からの相談が多いのですが、5月頃には、確実に子どもたちは体調を崩したり、わがままになるだろうと話しています。チックが出るのもこの頃からです。ゆっくりと休養を取ること、遠出しないこと、わがままになっても子どもを叱らないようにと、母親たちに助言しています。

 まして、拘束時間が長いのは困ります。防御タイプ(714)は、優等生気質があり、新しい環境に入ると、いつもよりも優等生的に自然になってしまいます。緊張して神経を尖らせてしまい、無理をしているのです。新しい環境に入った全ての防御タイプが疲れてヘトヘトになっていると思ってください。むろん、他のタイプでも疲れています。他のタイプは、緊張を解くのが早いとか、気分転換が早いとか、場慣れしやすいので、比較すると少し早く疲れが取れるというに過ぎません。

 この場合は、疲れを取る方法を探してください。いろいろな方法があります。とりあえず、緊急用には、マッサージとか整体に行き、体の疲れをほぐしてもらうほうがよいと思います。その後で、アロマテラピーや散歩をする、ストレッチ体操をするなどがよいでしょう。

 疲れを取る方法を自分なりに工夫したり、自分に合っているもの、効果のあるものを探してください。たとえば、朝には散歩やストレッチをして、それから大学に行きます。昼食を摂ったら、その後どこかで仮眠を取ると、とても効果的です。食事の後は眠くなりますからね。

 帰りは一駅前で降りて、家まで歩くようにするとよいのでは。お風呂にラベンダーオイルを入れて、かぐわしい香りをかぐのも効果的です。臭いは、脳に直接に行くので意外に癒し効果があります。前日、グレープフルーツを15個も頂いたので、バソコンの周りに並べて匂いをかいで楽しみました。柑橘類のフレッシュな匂いは、気分を爽やかにしてくれ、とても効果がありました。また、楽しい笑いのある気楽なビデオを観るのもよいと思います。

 このような方法は一般にもよく知られていますが、あなたにとって、一番に効果があるものを探す必要があります。人によって違いが大きいからです。疲れたら寝るとか休養するだけでは、疲れは取れません。散歩やストレッチなど積極的に体の調子を整える運動が要ります。

上記は、私自身が取り入れているものです。それでこれまで、なんとかやりくりして過ごせて来ました。とくに散歩は夜遅くでもすることがあります。森や林、公園や緑の多い小道などです。そのほうが安眠できるからです。参考にしてください。

 

35   344   人とうまく付き合うコツを教えて 質問者(ミレー)   2003/02/06
 
 はじめまして。以前、受講していましたがすっかりとご無沙汰しています。はじめの頃、簡単にタイプ判定していましたが、教えられてやっと大変に難しいものだと悟らされるばかりでした。現在も、早く決めないようにして、教えられたとおりに消去法を守っています。また早とちりしないようにと自戒しながらも、芸能人のタイプ判定をしてテレビを見ながら楽しんでいます。ところで質問したいのは、エニアグラムを学んでも身近な人たちとの関係に役立てられません。私の学び方が足りないせいで私自身の問題なのですが、竜頭さんはエニアグラムを活用する場合、具体的に付き合うコツとしては、どんなふうな感じで役立てているのでしょうか。一言で「こうすると良い」というものはないのでしょうか。済みませんわがまま勝手な質問なんですがよろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)      ミレーさん、ここでは、はじめまして。 2003/02/07

 タイプ判定が難しいと知るのに、一年以上は受講しないと分からないかもしれませんね。もっと学べば、さらに難しくなるはずです。

 さて、一言でとなると困りますが、強いて言えるとしたら、最近よく使う、「タイプ9の人に接するときは、自分もタイプ9になる。タイプ6に接するときはタイプ6になる」かもしれませんね。例えば、夫がタイプ9だと分かったなら、タイプ9の性格は元々だいぶ分かっています。エニアグラムを受講して、さらに深層の動機まで分かるようになったと思います。また、日常的にも、どのように接したらよいのかも分かっていることでしょう。すると、友人のタイプ9と接するときも、接し方の注意点はあらかじめ分かっているはずです。

 母親がタイプ4だと分かり、つきあい方の注意点が分かれば、友だちのタイプ4にも応用できます。そのタイプへの理解が進めば、確実に、そのタイプの心に近づけます。そして、次第に、そのタイプにも成りきれるようになるのではないでしょうか。

 「今日は、他人に負けられない日だ」というならば、「今日、自分はタイプ8になろう」と決意したら、案外、がんばれるかもしれません。タイプをよく理解できるようになったら、一度、トライしてみてください。

回答に対する返事      ミレーさんより      2003/02/09
 
 とても分かりやすい回答をありがとうございました。これからも、受講を続けたいと思っています。物分りが悪くて良い生徒ではありませんが、よろしくお願いします。

 

36  240   過剰に心配してしまう傾向について    質問者(勇)      2002/09/01


 
以前も同じような質問をしたかもしれませんが、僕は過剰なほどたくさんのことを心配してしまいます。例えば、家の鍵はかけたのか? 火の元は確認したのか? テストの答案用紙に名前は書いたのか?…etc、この性格が自分の身を守るものだとはわかってますが、あまりに心配が増大してしまうことがあります。他のことが手につかないこともあります。もう少し心配する程度をなんとか下げたいと思うのですが、よい方法はないのでしょうか?

回答者(りゅうとうまりこ)       勇さん、こんにちわ!   2002/09/02


 とても容易に答えられない質問ですね。ところで、アップしている「仲間たちのつぶやき」は、タイプ1の姑の心配性の性格がよく書き表されています。心配性は防御タイプ(714)によくある傾向ですが、調和タイプ(369)にも結構います。そして、攻撃タイプ(825)でも、不安神経症に罹る人たちがいるのですから、タイプに関係のないもので、人類普遍の困った傾向ですね。

 さまざまな報告によると、サルやゴリラなどは、ヒトより「不安」も少ないが、「笑い(楽しみ)」も少ないようです。ですから、人類は楽しめる性格を得た分だけ、不安も多く背負い込む性格になったと考えられなくもありません。

 また、大人と子どもを比較すると、「不安と笑い」が少ないのは大人で、なかでも年寄りがそうで、子どもは、「不安と笑い」のどちらも多いと考えられます。

 さて、エニアグラムで観ると、「不安と笑い」が少ないのはタイプ9や5で、「不安と笑い」が多いのは、タイプ4と7です。そして、好奇心も、サルよりヒトに多く、大人より子どものほうが多いと言えます。次に、タイプ9や5より、タイプ4と7のほうが、好奇心は強いと見ています。

 あなたは自分の性格をもっと違う面から見つめる必要があると思います。あなたは好奇心が強く、その好奇心を満足させられたなら、強い充実感に浸れる可能性があります。実際、そんなタイプ4はかなりのハイ状態となり、本人も収拾がつかないほどでしょう。また、周囲の目を気にせず、うれしそうな様子で、天真爛漫に楽しみを楽しめます。

 仮に、「心配する程度」を下げるとしたら、もう一方のもの、笑い度とか楽しみ度、充実度などの程度も下がるかもしれませんよ。例えば、タイプ9、なかでも、9w9から9w8にかけては、あまり心配事を思いつかない性格です。若い時期は別として、成人して普通の暮らしをしていれば、死と病気か、失業と経済不安くらいなもので、その他のことはほとんど不安にならないような人たちです。身近にいれば分かると思いますが、いつも淡々として落ち着いているように見えます。

 しかし、タイプ4が味わうようなナチュラルハイ状態は、まず体験していないでしょう。少し興奮してもすぐに収まります。ですから、就寝時間が来れば、すぐに寝つくこともできます。9w8は「腹を立てる」とか「負けるもんか」などという怒りの興奮状態は比較的よくあります。しかし、タイプ4のような、ある1つの言葉で大笑いしたり、ほんの少しの心の触れ合いで幸福感に浸れたり、美しい詩や音楽に感激して涙するなどの傾向はかなり少ないのです。タイプ4がいったん興奮したら就寝できず、翌日どころか、1週間も続くなどもあります。

 つまり、タイプ4は、1つの不幸が10の不幸になってしまう傾向がありますが、1つの幸福が10の幸福にもなります。一方、タイプ9は1つの不幸は1つの不幸でしかないのですが、1つの幸福も、やはり1つで、10に膨らんだりはしにくいのです。

 また、タイプ4に、1つ教えると10の理解ができる人がしばしばいます。しかし、タイプ
は1つ教えると、1つしか理解しない傾向がありますが、誤解もしにくいのです。タイプ4は誤解が多いだけでなく、歪曲したり、とんでもなく荒唐無稽なことまで考え出す人が結構いることも事実です。

 タイプ4は、何でも過剰になりやすく、それはタイプ7にもよくあることです。タイプ9と5は、小事が大事にはなりません。タイプ4から見れば、彼らは大事でも小事になってしまい、何にでも反応が鈍いとか過少な人に見えます。それらの人たちと比較して、自分の性格を振りかえってください。 何か見えてくるものがあるのではないでしょうか。

 つぎに、
「心配が増大して他のことが手につかない」とありますが、それで、不都合なことが起きたとしたら、それを書き出してみては如何でしょうか? 具体的に困ったことが発生しましたか? 手につかなかったために、大きな取り返しのつかない過失をしたことがあるのでしょうか? それを調べてください。少しくらいの過失や損失、迷惑をかけるなどはあったかもしれませんね。それならば、その程度のことは、どの人も、どのタイプでも、やっているとは思いませんか? 手がつかず、困ったりできなかったことがあったとしたら、それは些細なことかもしれませんよ。
 
 淡々と生きられる人がいますが、それは努力して、そうなったのでなく、性格がそうさせているだけです。淡々とは生きられない人がいますが、そのために、さまざまなことに注意が行き、さまざまなことに気づくのです。従って、心配性も努力して直せるものではありません。あなたがこれまで気づいたことの中には、良いこと楽しいことも一杯にあるはずです。心配事だけ、よく思いついたのではないと思います。

 人類がよく気のつく人たちばかりだと、大騒動になって困りますが、気のつかない鈍い人たちばかりだと、危険が迫っても気づかず、大事に至るかもしれません。どちらも必要な人たちで、どちらもいるので、なんとかバランスがとれているのかもしれませんよ。「性格は一種の役割」を果していますから、あなたの、そのような性格が果すべき役割というものもあるはずです。

 また、性格は「セットとしてある」と、ここでもよく書いてますが、セットになっているもう一方の性格を発見してください。否定的な困った一面は変えられませんが、別の良い一面を見出してください。

 

37  180  精神的に悪い状態から抜けたいが      質問者(勇)       2002/05/13

 
僕はしばしば自分が自分でコントロールできないような状態になってしまいます。そうなってしまうと意識が自分のほうばかりに向いてしまい、人を傷つけたり、人を避けたり、やる気をなくしたり、頭の中ばかりで考え、実際の行動ができなくなったり、視野が狭くなったりしてしまいます。しかも、一度そういう状態になるとなかなか抜け出せません。どうすれば、そういう状態にならずにすんだり、そういう状態から早く抜け出したりできますか?
回答者(りゅうとうまりこ)        勇さん、こんにちは!    2002/05/14

 タイプ4は元々自分のことばかり考えている傾向はあります。次に、制御不能になる「きっかけ」は、やっぱりあると思われます。何かにつまずいたり、体調が良くないとか、誰かに非難されたりなどです。具体的なことが書いてないので、こちらも具体的な助言ができませんから、その原因について、自分なりに整理する必要もあります。自分の置かれている状況を客観的に見て、打開策はあるのか考えてみてください。

 防御タイプ(7・1・4)は、即座に動ける態勢にある性格ですから、安定型ではありません。バランスを壊しやすく、瑣末なことまで神経を使い、恐怖心も強いタイプです。そうなると、ネガティブなことばかり思い浮かび、自己嫌悪ばかりするのかもしれません。そんな状態の時は、神経伝達物質が過剰に出ているので、頭は使いっぱなしとなり、休養させられません。熟睡できず、昼間の意識はもうろうとして、行動力は落ちます。そして、確実に無気力になります。 

 あなたの告げていることは、軽いうつ症状があるのかもしれません。うつ病ではないのですが、医師の診察を受けて、坑うつ剤を服用したほうがよいのかもしれません。次に、適切な軽い運動をするのは、気分転換となり、頭を休養させられます。とくに、朝や午前中の運動をすると効果があります。林や森を散歩するなどは特によいでしょう。

 誰にとっても、そうですが、適切な休養が必要です。タイプ4は頭の休養の仕方がへたなのかもしれません。精神安定剤や睡眠剤などを医師に処方してもらうのもよい方法です。アメリカや欧州、アジアでも、うつ病は、ほとんど薬の治療で治すものだと考えられています。しかし、日本では、まだ、精神的な療法が主流で、考え方がかなり遅れています。

 そして、あなたの訴えや悩みは精神的なことなので、自分の気持ちの持ち方とか、考え方いかんであると思うのかもしれませんが、単に体の疲れが溜まっているとも考えられます。心配事やストレスで、神経が昂ぶって身体を休ませられないせいかもしれません。一人になれる時間を取り、ゆっくりと静養してください。

 また、「笑い」は癒し効果があるそうですから、コメディを観たり面白い本を読むのも効果があります。癒し系ミュージックを聴いたり、アロマテラピーもよいでしょう。よくある一般的な方法を取り入れてください。そして、キチンとした休養を取っていないと、誰もがネガティプになりますから、性格やタイプの問題ではありません。