幹事クリタのコーカイ日誌1999

 
 10月28日 ● いつまでもサバイバル。

 人類がまだ大した文明も持たなかった原始の時代。凶暴な獣や飢え、そして天災との戦いはまさにサバイバルだったことでしょう。狩猟の時代を経て農耕文明を築いても、ちょっとした天候の異変で簡単に飢えは訪れたはずですし、飢饉があれば食料を強奪するための戦争も起こったに違いありません。

 しかし徐々に文明は発展し社会制度も整備され豊かになってくれば、人類の生活基盤も安定してきます。食料は足り天災からも守られ娯楽は多く寿命は長く子孫は増える。そうして、安心して豊かに心安らかにみんなが暮らせる世の中を夢見て、営々と努力し続けてきたご先祖様たちは、2000年を迎えようという現代を見てなんと思うことでしょうか?これこそ人類が到達し得たパラダイスかと感動するのでしょうか。

 確かに我々は遂に安全で安定した生活を手にしました。それが実は世界人口60億の全てではなく、先進国と呼ばれる一部の国の人間だけが手にした果実だとしても。ところが、これらの先進的資本主義国では、いま猛烈な企業間の生き残り競争が勃発しています。先日の日産のゴーンCOOが発表したリストラ策にしても、また昨今の急激な金融機関の大型合併にしても、国際的な競争を勝ち抜きサバイバルするためです。

 業種を超えて、今や日本経済はグローバル化の波に飲み込まれ、激しい競争の嵐に直面しています。安定した終身雇用と定期的ベースアップは、もはや過去の夢。働く人は皆、この激しい競争社会の中で生き残っていくために、企業に頼らず常に自己啓発に努めスキルを身につけ個人の能力でサバイバルしていくことが必要だと言われています。怠惰に過ごしていたら、いつリストラの対象となって路頭に迷うかもわからないのだと。

 でも、これって、なんかおかしくないですか?原始時代、ぼんやりした奴、足手まといになるような奴は、凶暴な獣にやられたり崖から落ちたり川で溺れたりして死んでしまったかも知れません。しかし、文明というのは、そういうサバイバル能力に劣る人間も優しく包み込んで、一緒に生きていけるように助けてくれるものではなかったのでしょうか?そのために人類は営々たる努力を積み重ねてきたのではないのでしょうか?

 努力もしない人間が、はるかに能力もあり努力もした人間と同じ扱いを受けるなど、それは平等とは呼ばない、と考えるのもわかります。競争に勝ったらそれだけ報われるべきだというのが資本主義の原則なのですから。しかし、それが行き過ぎると、結局原始時代と同じように、生きるか死ぬかの激しい生き残り競争へと時代を逆行してしまうような気がします。

 恐らくはソ連の崩壊を代表とする社会主義の現実的敗北が、現在の経済界の過当とも思われるサバイバルレースを生み出したのでしょう。でも人類はいつまでこんなサバイバルを続けていかなければならないのでしょうか?いい加減、のんびりと落ち着いた暮らしを志向しても良さそうなものなのに。21世紀を前にして、すっかりみんなくたびれてしまうのでは、と僕は心配しています。
 

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