1999年1月下旬のコーカイ日誌



  ●女子ダブルスを放送せよ。 (1999/1/31)
 女子シングルスでヒンギスが3連覇を達成した全豪オープン。ちょうどテニスをしていた時間だったので見損なってしまいましたが、女子ダブルスと合わせて2冠を達成したところをみると、ヒンギスはよほどメルボルンとは相性がいいのでしょう。今年はダベンポートから女王の座を奪還するという目標がありますから、ヒンギスはかなり意欲的だと思います。

 それにしても残念なのは、時差がほとんどない全豪オープンと言えども、相変わらず地上波ではほとんど放送されないこと。テレビ東京系が申し訳程度に男女シングルスを放送するくらいです。ウィークエンドプレーヤーには最も参考になる女子ダブルスはWOWWOW以外で見ることができません。特にこの全豪オープンではヒンギスが人気ナンバー1の美少女クルニコワとペアを組んだことで、女子ダブルスの注目度がかなり上がりました。上位シードがバタバタとこけてしまった男子シングルスなんかよりも、はるかにテニスファンは見たかったことでしょう。

 かつてのボルグやコナーズ、マッケンローの時代と比べて、今のテニスは「見る」スポーツから「する」スポーツへとかなりシフトしてしまいました。それゆえにテレビで放送しても視聴率が上がらないので、テレビ局からも冷遇され、ますます「見る」人が減っていく、という悪循環に陥っています。去年のスポーツ中継の視聴率を見ても、W杯のあったサッカーは別格としても、野球や相撲、マラソン、駅伝、ラグビー、バレーボールらと比べても視聴率が稼げていません。

 しかし、これだけプレーヤー人口があるスポーツは日本では数少ないのですから、きちんと試合を選べばまだまだ視聴率は上がると僕は思っています。特に先ほども触れた女子ダブルス。ふだんダブルス主体の草プレーヤーには、戦略性が高く身体能力も自分たちに一番近い女子ダブルスは本当に参考になります。しかもトップ選手がシングルスしか出ない傾向にある男子に比べて、女子はヒンギスやクルニコワら若くて華のある選手がダブルスにも登場しますし、日本選手も宮城ナナ、杉山愛、平木理化らダブルス上手なプレーヤーが多いのですから興味も湧くはず。試合を選びうまく宣伝すれば視聴率も上がると思います。視聴率が上がれば大会のスポンサードもしやすくなるでしょうしね。テニス協会にそれだけの智恵者はいないのでしょうか。
●TBSドラマ復活の兆し。 (1999/1/30)
 かつては「ドラマのTBS」と言われるほどにヒットドラマを連発していたTBS。僕も小学生の頃なら『ありがとう』、ハイティーンの頃なら『3年B組金八先生』、社会人になってからなら『金曜日の妻たちへ』など、思い入れの深いTBSドラマをいくつも思い出すことができます。ところが、ここ数年のTBSドラマは、その凋落ぶり激しく、特に去年などほとんどヒットらしいヒットはありませんでした。今やドラマと言えばフジ、たまに日テレという時代です。

 しかしこの冬は久々にTBSドラマが活気づいています。もちろん視聴率的には相変わらずフジが強く、『OVER TIME』を筆頭に『救命病棟24時』『リング・最終章』『お水の花道』あたりが手堅く数字を稼いでいますし、日テレも『夜逃げ屋本舗』が健闘しているようです。しかしTBSも『渡る世間は鬼ばかり』は別格としても、『サラリーマン金太郎』『天国に一番近い男』『ケイゾク』『ママチャリ刑事』といずれもそこそこの出来。特に昔からTBSドラマの王道である金曜夜の『天国〜』と『ケイゾク』が、ともに元気が良いのが目立ちます。

 この2本、ともにフジのドラマを良く研究して作っていると思います。『天国〜』は『GTO』的な一話完結のお説教つきコメディ。レギュラー陣にもゲストにもフジっぽいキャストが次々登場し、ボッーと見ていると思わずフジか、と思ってしまいます。そして『ケイゾク』も『きらきらひかる』+『ショムニ』というあからさまなフジ路線。とは言え、つまらないこてこてのTBSドラマを作るくらいなら、真似でもいいから面白いドラマを作ってノウハウを得た方がいいわけで、僕は悪くないと思っています。

 さて問題は春。冬ドラマはキャスト的にも底なので、結構企画勝負でいけますが、春になるとまたSMAPをはじめ豪華キャストのドラマが次々と登場します。キャスティング力ではフジの独壇場だけに、TBSがどこまで頑張れるか、ちょっと見物です。
「みんな一緒」が協調性ではない。 (1999/1/29)
 子どもの貰ってくる学校や幼稚園からのプリントを読んでいると、やはり教育機関というのは協調性というものをとても重要視しているんだな、ということがわかります。個性を大切にし創造性を伸ばす、なんてお題目はあるにせよ、本音を言えばあんまり個性的じゃまとまらないから困るんだよね、という気持ちが垣間見えるようです。

 で、学校や幼稚園はとりあえず協調性を学ばせるために「みんなで一緒になにかをする」練習をさせます。集団行動でちゃんと言われたことを守って和を乱さないかどうか、という訓練がやたらと多くあるようです。自分の学校時代を振り返っても、遠足にしろ運動会にしろ、多くの年中行事がこの集団行動の訓練だったような気がします。「みんな一緒」に頑張ろう、というのが学校教育のテーゼでした。

 確かに会社でチーム作業をしていても、テニスサークルの運営をしていても、メンバーがあまりにも個性的過ぎると大変です。あっちへフラフラ、こっちでバラバラ。効率は悪いしイライラして精神衛生にも良くないし。しかし、時には個性的でも全体としてはまとまりがあって調和がとれている集団もあります。それはメンバーが基本的に大人であること、そしてお互いを信頼し仲が良いことがポイントです。そういう状態の時は、個性的であってもなんら問題はない、というより、個性的である方がよりパワーを発揮できる理想の状態になります。

 これを個人の立場から考えてみましょう。自分が属するある集団と言うのは、自分を殺し犠牲になるものではなく、自分を生かしやりたいことを実現する場だと思います。そのために大事なことは、まず自分が何をやりたいのかを自覚すること。次に自分がやりたいことを達成するためには、どうしたら集団から協力を得られるか考えること。すなわちギブ&テイクです。各人が自分の貢献できることはなにか、を考えていれば、おのずと集団としてのまとまりと信頼関係が生まれてくるはずです。

 なんでも「みんな一緒」である必要はないでしょう。我慢して人に合わせることが協調性を養うことだとは思いません。しかし、ただ自分を通そうとするだけでも周りは決して協力をしてくれません。協調性とは自己犠牲の「精神」ではなく、実は個人と集団のバランスの取り方という「技術」であることを、学校は子どもたちに教えて欲しいと思います。あ、ついでに会社の頭の古いオジサンたちにも。不況を乗り切るのに「一丸となって」という精神論だけ息巻いていては、ますます日本経済はパワーダウンして沈没するに違いありませんからね。
●インフルエンザ? (1999/1/28)
 日本全国でインフルエンザが猛威を振るっているようで、次々と老人が亡くなったりしているニュースを見ていると、ますます恐ろしさが増幅してきます。子どもが学校からインフルエンザについてのお知らせなんてものを貰ってきたりして、まるで台風が来る時みたいにインフルエンザがじわじわと押し寄せてくるような感じです。

 そう思っていたら昨日朝から調子が悪い。喉はやけつくように痛いし、関節は痛いし、寒気はするし。こりゃまずいなぁ、と思いつつ出社。会社の医務室で熱を測ったら37度。医者は「熱がこれから上がったらインフルエンザだから、その時はインフルエンザの薬を出しますから取りに来てください」と言って(でも高熱が出たら会社に薬なんか取りにこれないよな、と思いましたが)普通の風邪薬をくれただけ。でも夕方に近づくほどに、ますます体調は悪くなる一方。でも昨晩はまた会社の定年退職される方の送別会。もちろん幹事で司会の僕は帰るわけにもいきません。痛い喉を振り絞って司会をこなし、ヘロヘロになって帰宅。そのままリビングのソファに倒れ込んで寝てしまいました。

 今朝起きたら相変わらず喉は痛いし関節は痛いものの、体温は微熱のまま。どうやら本当にただの風邪のようです。インフルエンザの猛威を恐れて早めに医者の診察を受けて薬を飲み睡眠を取ったのが幸いしたのか、比較的症状は軽いようでホッとしました。今日1日ゆっくり寝れば多分大丈夫?でも、実はゆっくりできないんですよ。昨日水疱瘡にかかった幼稚園児の娘が家で同じようにごろごろしていますから。インフルエンザでもない単なる風邪の父よりも、水疱瘡の娘の方が大事にされるのは、当然の成り行き。間の悪い時に風邪を引いてしまいました。
●なければないで済んだのに。 (1999/1/27)
 正月休み、子どもたちが余りにもテレビゲームばかりやりたがるので、見かねて押し入れの奥から「人生ゲーム」を取り出して一緒にやりました。このゲームも今やプレステ版なんてものが出ていますが、取り出してきたのはもちろん昔ながらのボード版。こいつはまだ僕が結婚する前に買ったもので、すでに10数年前のものですが、あまり遊ばずにずっとしまってあったので保存状態は良好、北原照久(オモチャ鑑定士)に見せれば高値がつくこと間違いなし(嘘)という代物です。

 最初は「なんだこれ」という顔をしていた子どもたちも、ゲームが進むに連れて大喜び。結局その日だけで4回もやらされてしまいました。その後も、休日になると「お父さん、人生ゲームやろう!」とせがまれるので、ちょっと後悔しているくらいに彼らははまってくれています。

 考えてみれば僕は、結婚してファミコンを購入するまでは、こういうボードゲームやトランプ(特にナポレオン)、ウノ、麻雀、オセロ、ジグソーパズル、スクラブル(英単語を作っていくクロスワード的ゲーム)、トリビアルパスート(クイズと双六を組み合わせたゲーム)などの様々なゲームが大好きでよく人を家に呼んで遊んでいました。ところがファミコンを購入後はもうこれらのゲーム類には見向きもせず、やれマリオだ、ドラクエだ、ゼルダだ、ファミスタだ(初期ファミコンゲームソフトの話を書き出したら止まらなくなりそうだな)と熱中してしまい、全てこれらのゲーム類は押し入れの奥にしまったまま。今回この山から人生ゲームを発掘してきた時に、「ああ、本当はファミコンなんてなければないで済んでいたんだな」と改めて痛感しました。

 ファミコンに限らず世の中のほとんどの発明品はなければないで済んだかも知れないものだと思います。だって、それがなくても昔から人類は生きて暮らして楽しんでいたんですから。かつて柳田国男は汽車を見て「汽車がなければ出てこられない人と、汽車ができたから出てきた人がいる」(言葉は不正確ですが、だいたいそういう意味のこと)と喝破したそうですが、それは電話でもテレビでもクルマでもパソコンでも同じこと。必要が発明の母なのではなく、発明が必要を作ったのです。

 もちろんその便利さ楽しさを知ったからには、もう後戻りはできないのかも知れませんが、時には人生ゲームを押し入れの奥から取り出すように、原点(人生ゲームは双六が原点だからちょっと変かな)に戻ることを子どもたちに見せてやりたいと思います。いつでも元に戻れるという自信があってこそ、先へと進めるのではないかと思いますから。
●サマランチのお子さまランチ。 (1999/1/26)
 タイトルはちょっと意味不明、思いついただけのダジャレですが(「サマランチはタマランチ」ではマンガ「YAWARA!」の盗用になってしまいますので)、それにしてもIOCサマランチ会長の厚顔な政治家ぶりには恐れ入ります。さすが商業五輪をここまで育て上げた人物なだけのことはあります。

 だいたい、今回ソルトレークシティ疑惑が起きる前から、IOC委員がいろいろと接待を受けていることは知れ渡っていましたし、そもそも招致活動というのは、委員の買収工作に他ならないことなど子どもでもわかります。今さら疑惑だ、倫理だ、腐敗だなどと騒ぎ立てるマスコミの方がおかしいぞ、とサマランチは思っていることでしょう。

 僕が考えるに、近代オリンピックと言っても所詮はヨーロッパ貴族たちの暇つぶしが発端です。古代オリンピックのようなイベントを催せば、自分たちの貴族趣味が満たされると考えてクーベルタンが考案したものです。そこには一見アマチュア精神などという高貴そうな衣がかぶせてありますが、それは職業をもってあくせく働くような貧乏人を排除し、真の有閑階級のための催しであることが謳われているに過ぎません。

 そういう意味では、最初からオリンピックとアメリカ的ピューリタニズムやフェアプレー精神などとは相容れないものなのです。だからこそソルトレークシティ発信でこういう疑惑が起きるわけで、長野をはじめ今後調査を拡大するとIOCが言っている6都市からは、そうそう簡単に買収を証明するような書類など出てこないことでしょう。長野なんて一切の書類を焼却してしまったそうですしね。あからさまな証拠隠滅工作ですが、バカ正直なアメリカ人と違って日本人(特にお役人)がすぐにやりそうなことです。さらに言えば、アフリカの各国などほとんどの発展途上国では買収や汚職など日常茶飯事でしょう。犯罪にもならないIOC委員が接待攻勢を受けることに罪の意識を感じるはずもないと思います。

 根が貴族の暇つぶしですから、腐敗なんてすぐにします。そもそも貴族なんて腐りかけた果実のような連中ですから、ちょっと余計に金を与えれば腐るのも当然。サマランチのような商売人がIOCを牛耳った時点で、このような疑惑は必然となっていたと考えて良いでしょう。今回は6人の委員を追放して見事とかげの尻尾切りを果たしたサマランチ。辞任なんて毛頭考えていない、と発言しているようです。それでこそサマランチ。オリンピックなんて所詮は民間の一スポーツイベント、サマランチにとっては大好きな美味しいお子さまランチ(いろいろ載っていてお得)に過ぎないのです。それがイヤなら見なきゃいいんだよ、見なきゃ。あれだけ勝て勝てとプレッシャーをかけ、感動をくださいと強請しておいて、今度は一転して鬼の首を取ったかのような正義の味方ぶり。ちょっとマスコミの頭の中も腐敗していないか、と思ってしまいます。
●千代大海と雅山。 (1999/1/25)
 初場所は久しぶりに相撲界に新旧交代の波を感じさせる激動の場所でした。ここ数年、相撲界は沈滞しきっていました。若貴兄弟を軸にした二子山勢と、曙・武蔵丸のハワイ勢の対決という、まるでかつての政界の55年体制のような図式が長らく続き、新しい力となるかと思われた大関候補も全て沈没。そうこうしている間に相撲人気はどんどん低迷していってしまいました。

 ところがここ数場所、その長期体制にも綻びが目立ち始めました。曙は怪我を繰り返して引退間近な上に、貴乃花もかつての強さは消え(それにしても某缶コーヒーのCMはバッドタイミングになってしまいましたね)、貴ノ浪・武蔵丸の両大関も横綱を目指す気概なく、唯一若乃花だけが強さを維持していました。それが端的に現れてしまったのが今場所の上位陣だったと思います。そこへ登場したのが千代大海をはじめ、栃東、出島ら20代前半の力士たちです。突き押しに徹する愚直なまでの元気の良さが取り柄の彼らも、ここのところ怪我に泣いて足踏みをしていましたが、今場所ついに千代大海がブレイク。若乃花相手に取り直しを含めて3番、ひとつも負けなかった強さは大したものでした。今場所の千代大海には、師匠の九重親方(元千代の富士)が関脇から横綱まで一気に駆け上がった頃の勢いと同じものを感じました。当時まだ元気だった大横綱北の湖を相手に頂点に登り詰めていったあの頃のウルフ千代の富士。弟子も負けずに一気に横綱を目指して欲しいものです。

 さて、この千代大海と共に21世紀の相撲界を支えるであろうもう一人の力士が雅山です。今の相撲を見ていると、すでに幕内上位の力は十分にありそうです。なにせ幕下付け出しでデビューし、2場所連続全勝優勝で関取に。先場所12勝3敗で十両優勝、今場所も14勝1敗で連続優勝。負けたのは幕内の旭豊だけでした。「平成の怪物」武双山も4場所で入幕しましたが、内容はそれを上回っています。この調子なら夏場所、いや来る春場所にも横綱と当たることもあり得ます。千代大海より1才年下の雅山が、崩れかかっている相撲界の55年体制を完全に崩壊させるきっかけになりそうな予感がします。今年の相撲界は激動の1年になりそうです。
●ATCポイントランキング。 (1999/1/24)
 今年からお遊びでサークル内でランキングをつけることにしました。もちろん「カラオケランキング」とか「ポケモンをどれだけ知っているかランキング」などではなく、テニスサークルですから、テニスのランキングです。正直に言えば「ATPランキング」をもじったダジャレをいつかやってみたいな、と思って作っただけ(笑)。詳しいことは「ランキングシステムの説明」(特にテニスに興味のない人は読みにいくほどのことはありません)を読んでいただければわかるのですが、内容を簡単に言うと、練習中にゲームをやって、その獲得ゲーム数をポイントにしていこう、ということです。もちろん普通にやってしまうと強いメンバーが上位になるに決まっているので、ハンデキャップをつけてその差を埋めることにしました。

 とりあえずまず1回やってみようということで、がんがん試合をしてみました。その結果がこちら(これもATCに全然関係ない人は見ても面白くないと思います)です。1日だけではその日の調子とかあって判断は難しいのですが、とりあえず結果からするとハンデキャップはかなり効いたように見えます。それにハンデ3(数字が大きいほど強いと思ってください)とハンデ1がペアを組んで、ハンデ2の2人とダブルスをやったら、ハンデ差はなくても実はハンデ2ペアの方が有利にできているのがテニスです。今後どうこの順位が変動するかわかりませんが、上位ハンデの人ほど多分きついと思います。それでこそハンデをつけた甲斐があるというものですが。

 ただ基本的には累計でランキングを出していくつもりなので、参加すればするほど有利ということは間違いありません。誰にでもチャンスがあることが大事ですからね。と言うことで、本当の狙いはサークルへの参加率のアップにあるわけで、このあたり幹事の策略がほの見えるなぁ。
●動くと太る。 (1999/1/23)
 昨年末に胃腸風邪にやられて体重が4kgほど減少。期せずしてダイエットができました。そのまま正月休みに突入しましたが、太ることもなく体重を維持。これはすごいぞ、と思っていたら、ここ2週間ほどテニスが天候不良で潰れていたら、あっという間に元の黙阿弥状態になってしまいました。でもテニスをやらなかったから太ったのか、というと、多分違います。週に1回程度のテニスは体調維持には大切ですが、体重維持にはあまり役に立っていません。ではどうして太ったか?僕はどうも会社に行くと太るようです。

 家にいる時というのは極端に怠惰です。朝ゆっくり起きるから食事は朝昼兼用で軽く済ませ、後は新聞や雑誌を読んだりテレビを眺めていたりしてぼんやりと過ごすことが多いです。当然動かないので夜になってもあまり空腹感を感じません。夕食も軽く済ませて寝てしまいますので、摂取カロリーが極端に少ないのです。ごろごろして1日2食なんて相撲取りのようですが、ちょっとだけしか食べなければ太ることはありません

 ところが会社に行くと、まず朝食をしっかり食べます。昼食もこってりとした食事をしっかり食べます。さらに遅い時間に帰ってきて、やっぱり夕食もビールを飲みながらしっかり食べます。仕事をしているとちょこまか動いているので空腹感は強く感じますが、実はデスクワーク主体なので消費カロリー自体はさほど大きくないことでしょう。結局家でごろごろしている方が、会社でバタバタ仕事しているより太ってしまうということになります。僕は筋肉質なので、じっとしていても基礎代謝量が多いはずです。中途半端に腹が減るだけでカロリー消費量が少ない動き方をするくらいなら、腹が減らないようにじっとしている方が痩せられるということになるわけですが、なかなかそういう楽な展開には人生ならないのが困りものですね。
●そう言えば最近ダイエーへ行ってない。 (1999/1/22)
 中内ダイエー社長が退くということで結構話題になっています。経営不振という話はかなり前から聞こえてきていましたから、とうとうその日が来たか、という感慨でしかありませんが、「安ければ売れる」というダイエー哲学が敗北した日として捉えると、商売というのはつくづく難しいものだと思います。

 僕は根っから貧乏性なせいか、昔からスーパーが大好きです。まだ20代で給料も安かった頃、会社の同僚たちはそれでも広告代理店の社員らしくみんな栄のデパートやブティックで高いブランドの服を買っていました。しかし、僕は同じ栄でもダイエー栄店をずっと愛用していたのです。当時、僕は服や靴に必要最低限な機能以上の金をかける気には到底なれませんでした。そんな金があれば旅行に行ったり映画を見たり本代にしたいと真剣に思っていたからです。あの頃の僕にはダイエーの9800円のジャケットや、1900円のシャツ、3800円の靴は、心情的にピッタリとくるものでした。服だけではありません。テレビもステレオも食器棚も(と言うことは結婚してからもだなぁ)全てダイエーの夏冬分割払い・金利なしで購入していました。それどころか新婚旅行も当時ダイエーの子会社であったアサヒトラベル(今はもうありません)に申し込んで格安ツアーでヨーロッパに行きました。まさに僕の20代は生活全てをダイエーに委ねていたようなものでした。

 そんな僕がいつの間にかダイエーから足が遠のいてしまったのは、別に給料が上がり余裕ができたからではありません。今だって僕はたまに松坂屋の紳士服フロアに立ち寄っては、20万円のスーツや3万円のシャツ、6万円の靴などを見て腹を立てています。絶対にそんな馬鹿馬鹿しい金額を払うものか、と悪態をつくので、一緒に買い物に行った人にたしなめられたりします。でも先日某ブランドの12万円のベルトを見たときには心底呆れてしまいましたね。12000円だって買わないのに、12万円なんて。たかがベルトですよ、ベルト。

 で、最近の僕が愛用しているスーパーは、イトーヨーカドー、ジャスコ、そしてユニー系のアピタ。ダイエーの服は安いだけですが、これらのスーパーは安くても、それほど安そうに見えません。最近良く僕のキャラクターをわかっていない女の子なんかに「クリタさんってお洒落ですよね」なんて誉められますが、本当はみんなスーパーで買っている安物ばかり。丹念に探せば、イトーヨーカドーにも決してパルコに置いてあるブランドに見劣りしない服があるのです。まあちょっと最近は年収に比べて被服費が安すぎるかなとも思っていますが(なにせ相変わらず19000円のジャケットや2900円のシャツ、5800円の靴を買い込んでいます。それでも本人としては大盤振る舞いのつもり)、すっかり趣味になってしまっているのでやめられません(笑)。

 で、スーパー大好き、スーパー通の僕が見ても、本当に最近のダイエーは買うものがありません。安くなければダメだけど、安いだけでもダメなのが最近のスーパーの客です。大阪のおばちゃん趣味から早く脱却しないと、イトーヨーカドーのような客のニーズを常に敏感にキャッチしているスーパーにはますます離されていくことでしょうね。でも今度の社長ってリストラは上手そうだけど、そういうセンスはあるのかなぁ。ただ規模を縮小していくだけでは決して勝てないと思うけど。
●ルールは万能ではない。 (1999/1/21)
 福岡ダイエーホークスのスパイ疑惑をうやむやにしたまま、パリーグは新たにコーチの球種合図の禁止などを監督会議で決めました。グランドの中にいる選手だけで戦うべきだ、というのは当然のことですが、ただ単にそれを明文化し、ルールとして決めるだけでいいのでしょうか?

 そもそもどんな世界のルールであっても、その元となる思想がなくてはなりません。目指すべき理想のカタチがあって、それを実現するためにルールを取り決めるわけです。しかし、今回の新しい取り決めは、単にスパイ疑惑があった、だから疑われるような行為はやめよう、それはここまでだからね、というだけの場当たり的お約束で、何とか取り繕おうとしているようにしか見えません。

 かつての江川事件や今回のダイエースパイ疑惑に限らず、毎年恒例シーズン終盤での醜いタイトル争い、野村監督の言動など、これまでの様々な事例を見るにつけ、日本のプロ野球界にはフェアプレーの精神、プロとしての志の高さ、そしてファンを第一と考える視点が欠落しているようにしか思えません。だからルールを決めれば決めたで、今度はそのルールに抵触しないギリギリの線を探ろうとしたり、ルールの裏をかくような抜け穴を研究するだけのような気がします。

 先ほども触れたように、まずプロ野球界はどんな野球をファンに見せようというのか、そしてフェアとはどういうことか、それをきちんと考え、選手監督コーチフロントが一体とならなければ、いつまでたってもルールは破るものでしかあり得ません。日本の野球とアメリカのベースボールの違いはまさにそこにあるのです。もっとも今の日本でフェアプレーの精神を失い、ルールの裏を探っているのは野球界だけではないですけどね。特に国民の代表である政治家が揃って腹黒い寝技師集団なのですから、これはもう一種の文化なのかも知れません。その割にはそういう文化の中のスポーツであるサッカーは弱いですけどね。ブラジル人に指摘される「マリーシア(ズル賢さ)」不足、十分土壌はあるはずなんですがねぇ。


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