1999年1月中旬のコーカイ日誌



  知は力か?〜その2〜 (1999/1/20)
 昨日の続き。最近の若い奴は物を知らない、と単純に言っ切ってしまうのは簡単ですが、それは恐らく昔から変わっていない嘆きだとも言えます。普通に考えれば長く生きている年寄りの方が、いろいろ知っていて当たり前。それに年寄りの知らないことを実は若者が知っている場合も多いのですから、物を知らないという批判自体が正鵠を射ているかどうかはわかりません。今の20代が以前の20代より知識量が減っているかどうかなんて、データもないのですから実のところ証明もできないのですが、僕の勘で言えば、知識の総量は減少の一途を辿っている気がします。

 ただ僕が問題にしているのは、どうも最近の若い人(その区切りが大体30才以下なのです)が、ただ物を知らないということよりも、「知らない」ということに恥ずかしさも恐れも抱かないらしい、ということです。「そんなこと興味ないから」「知らなくても平気、生きていける」「学校でも習わないことをどうして知っているの?」などは彼からよく聞くセリフです。「知らなければ人に聞けばいいじゃないですか」「知っている人を知っていることが大事なんですよ」「必要になったら調べればいいんですから」。正直、僕もまったくその通りだと思います。自分の仕事でもそうやって知らないことを補ってなんとかしています。人間いくら頑張って勉強したって森羅万象あらゆることを覚えられるわけではありません。調べるにしても今はインターネットをはじめデジタルツールを使えば、ますます手軽に簡単に必要な知識が手に入るようになりました。「歩く百科事典」なんて呼ばれる人が尊敬された時代は終わったのです。知識なんて余計な重荷を降ろして、軽やかに自由に動き回る方が格好良い生き方のようです。

 知識よりも感性を。詰め込み教育を是正し、個性を大切に。思い出せば、今の30才以下が育ってきた80年代以降の学校教育はこうした合い言葉に溢れていました。いや、学校の外でも「これからはセンスの時代」「ビジネスは感性だ」「前例にとらわれない発想を」という掛け声が溢れていたのですから、世の中全体が知識を否定していたのです。知識よりも感性を大切にと教えられてきた子供たちが、今さら物を知らない、と言われてもそりゃ困るでしょう。そろばんなんてできなくても電卓がある、字が下手でもワープロがある、同様に知識を補うにはインターネットがあるというのが、かの世代の発想です。

 お金を蓄えることが大事なのではなく、いかに有用に使うかが大事なのだ、と言われた人間は、やはり貯めることより使うことに長けてくるでしょう。消費上手な学生やOL、若い主婦たちは、また知識についてもお金と同様のスタンスなのです。彼らは決して物知りではありませんが、情報の収集には実に長けています。どこに安いショップがあるか、どのお店のケーキが美味しいか、どんな映画が面白いか、コンサートのチケットを効率よく入手するルートは、デートスポットまでの渋滞しない抜け道は、等々。それが知識よりも感性を重視した教育の結果なのかどうかはわかりませんが、少なくとも時代はデジタルツールの発展もあって、知識という鎧を徐々に必要としなくなってきているようです。

 これからも「知は力」だとは思います。しかし、その知は、これまでと異なり過剰な知識を必要としない別の知へと変貌していくのでしょう。知識欲に欠けるようにみえる現代の若者は、それを敏感に感じ取っているだけなのかも知れません。もっとも、いくらPCが普及しても、ちょっとメモを取るときには紙と鉛筆のスピードと簡便さにはかなわないように、本当に知識の小回りが利くのはデジタルデータよりも自分の頭の中の記憶です。反射速度が全然違うからです。それに実用はともかく、人生を楽しむためには、やはり広い知識があった方が、幅が広がると思うのですが、これはもはや年寄りの繰り言なのでしょうかね。
●知は力か?〜その1〜 (1999/1/19)
 新聞に載っていたセンター試験に遊び半分で挑戦してみて「ああ、俺もバカになったなぁ」なんて思いましたが、もちろん受験用の知識は半減していても真面目に自分が馬鹿になったとは思っていません。無用の知識を忘れていく代わりに、生きていく上で役立ったり楽しめたりする知識をどんどん仕入れている訳ですからね。そして、いずれにしても僕の中では「知識を持つことは大事なこと」という価値観は変わってはいません。幼い頃から人間バカじゃダメだ、頭が良い奴が偉いんだ、と信じてきていますから。あ、だからと言って自分が偉いとか言っているわけじゃないですよ。頭の良い人を見て「ああ、この人は凄いな、偉いな、尊敬するなぁ」という感想を持つということです。例えば死んじゃったけど司馬遼太郎とかね。

 で、この知識=パワーという考え方は、僕だけではなく、これまでの日本では(恐らく世界でも)比較的支持されてきた一種の思想だと思います。金や権力を持つことと同様に、頭が良くて物知りな奴は強い、偉い、と思われてきたわけです。ここで注意したいのは、知識がイコール教養や知性ではないことです。物知りがすなわち真に頭が良いと言うわけではありません。僕は自分で「自称クイズ王」なんて言っていますが、本当は雑学コレクターに過ぎないクイズ王なんてさして偉くもない、と思っています。本来は得た知識をきちんと統合し体系化し、そこから自分なりの哲学なり世界観・人生観なりを導き出してこそ、はじめてその人は真の「知識人」なんでしょう。ただ、そうは言っても知識は教養の基礎を成すものであり、教養のないところに知性は育ちにくい、というくらいの関係性は相互にあると思います。だからこそ「あの人は物を知らない」と言われるのは、かなり侮蔑的な言い方になるのです。

 「知っている=偉い」という図式の中では、ついつい知らなくても知ったかぶりをしてしまったり、それを見抜かれて恥ずかしい思いをしたりもします。だから「知らない」ということをスパッと認められる人は逆に尊敬されたりすることもあるわけです。また、本当に良く知っているのかもしれないけれど、それをひけらかすような真似をすると、これまた嫌われたりします。金持ちがいかにも成金趣味の持ち物を見せびらかすのと同じことで、知識の金持ちぶりも見せ方によっては、かなり嫌味だからです。今回芥川賞を受賞した『日蝕』の京大生・平野啓一郎も「知識のひけらかし」という様な指摘を受けているらしいですが、これも彼が若いゆえでしょう。60才を過ぎた作家が少々博学ぶりを示しても誰もそれを責めたりしません。年寄りが金持ちなことについては世間は寛容ですが、若者は貧乏でなければ人は落ち着かないのです。

 いずれにせよ、物を知らないのは恥ずかしい、という考え方はかなり広範に認められている価値観だと思っていたのですが、最近ちょっと僕はその価値観が特に若い世代で変わってきているような気がしています。12月の「コーカイ日誌」で「忠臣蔵」を知らない27才の話を書いたところ、かなり各所から反応がありました。大別すると「信じられない」派と「実は私も」派になるのですが、30才くらいから上は一部の例外を除いてほとんどが「信じられない」派です。対して20代には「実は私も」派が結構いるのですが、その彼らは恥ずかしそうに「実は私も」と言っているのではなく、堂々と「知らなーい」と言い放っているです。

 彼らに「そんなことも知らないの?」と、かなりきつく言っても平気で「だって学校で習っていないし、時代劇なんて興味ないもん」とのこと。僕には「忠臣蔵」の認知度の低さよりも、こうして平気な顔でこれまでの常識を無視し得るメンタリティの方が不思議でした。なぜ彼らは知らなくて平気なのか?知らないことに恐れはないのか?このテーマ、長くなりそうなので、続きは明日。
●センター試験の問題に挑戦。 (1999/1/18)
 この週末に行われたセンター試験の問題が新聞に載っていたので、ちょっとやってみようとチャレンジしてみました。いやぁ、忘れている忘れている。数学は全然歯が立ちません。なにせ因数分解くらいまでしか覚えていませんから、高校生の数学なんて完全にどこかへ行ってしまっています。辛うじて確率の問題だけできて、後は完全に白旗。ま、これは予想通り。英語。長文読解は何とかある程度できますが、文法は全く真っ白。予想を遥かに下回るひどさです。忘れていると言うよりも、果たしてこんなこと自分は知っていたんだろうか、と呆然とするようなレベルでした。

 気を取り直して得意だった社会。かつての共通一次試験で選択したのは世界史と地理でしたが、日本史も含めてやってみると、意外や受験勉強した世界史よりも日本史の方ができるのです(世界史B・50点、日本史B・62点、地理B・82点)。地理はもともと好きで勉強せずとも興味を持っていたので、今でもある程度知識があるのはわかるのですが、あまり勉強しなかった日本史が一応受験時に選択した世界史よりできるのは不思議なことです。これは多分大学入学以降は世界史よりも日本史の方が触れる機会が多いからでしょうね。特にセンター試験で取り上げられているアジアの歴史など、ほとんど触れるチャンスはありません。それに比べて日本史は古代から近代まで小説や映画、ドラマ、マンガなどで折に触れて復習(?)しますからね。

 こうして改めて試験問題をやってみて思うのは、3日で覚えたことは所詮3日で忘れてしまうということです。受験から20年経った今でもちゃんと覚えていることは、一夜漬けで得た知識ではないですし、当時無理矢理詰め込んだことは、覚えたことすら忘れてしまっています。それにしても大学受験時に詰め込んだ知識量というのは半端じゃないですね。こんな僕だって共通一次試験では900点近い点を取れたのですから、これだけのことを詰め込んでおきながら、すっかり忘れてしまうというのも壮大なエネルギーの浪費です。もっとも当時は他に目標があったわけじゃないし、あれはあれで頭を鍛える良い訓練になったのかも知れませんけどね。結構パズル感覚で友人たちと一緒に楽しんでいましたから。あ、なんかこれって嫌味な感じ?でも勉強するしかなかった寂しい受験生とも言えるか。
●精神力なくしてスポーツは勝てない。 (1999/1/17)
 「精神力だけではテープは切れない。」という名コピーがあります。根性論だけではスポーツに勝つことは難しい。それは確かにそうです。精神力だけではなく、体力・技術・戦術をきちんとコントロールしていかなければ、なかなか勝利に結びつかないのは、どんなスポーツでも同じことでしょう。

 しかしまた、精神力に欠ければどんなに優れたアスリートもやはり勝てないのもスポーツです。16日、いつも交流のあるテニスサークルのエース級が集まって行うミックスダブルス大会に出場しました。このレベルの試合になると、サークルとは言え学生時代からきちんとテニスしてきたメンバーが多いので、技術的に劣っていることは戦前から予想がついていました。結果はやはり惨敗。もちろん敗因は体力・技術・戦術に不足があるわけですが、それだけで片づけてしまってはいけないとも思っています。

 先日会社のテニス部のエースでインカレ・ベスト8の実績を誇るT西くんと話していた時に「クリタさんはもっと攻撃的にいかなきゃ」と言われました。彼によればテニスは格闘技と思うくらいのアタッキング・スピリッツを持たなければ勝てないそうです。なるほど僕のテニスは攻撃的ではありません。攻守のバランスが取れた、と言えば聞こえは良いですが、単に中途半端なだけだと思います。T西くんにしてみれば見ていて歯痒いテニスなのかも知れません。攻めていくことで自分のテンションが上がって集中力を増しプレー自体も良くなってくる、という好循環を自ら導いてこなければならないのでしょう。

 で、自分のような遊びのスポーツ体験をプロスポーツマンに重ね合わせてはいけないのかも知れませんが、現在の大相撲で若乃花を除く上位陣のふがいなさは、体調がそれほど悪いようにも見えず、やはりどう考えても精神力の問題でしょう。特に武蔵丸、貴ノ浪の両大関は完全に現在の地位に満足しているとしか思えません。2場所連続で負け越さない限りは安泰なわけですから、恵まれた体力・素質に頼って稽古不足が見え見えです。スキャンダルを力でねじ伏せようとしている若乃花の鬼気迫る土俵ぶりを毎日白けた目で見ているのでしょうか?もっともっと攻める姿勢を見せて欲しいですね、プロだからこそ。
●雨にも負けて、雪にも負けて。 (1999/1/16)
 先週のテニスは大雪で中止。今度こそと思った成人の日は朝からパラパラ雨。ちょっと悩みましたが、天気予報では夕方まで雨ということだったので、断腸の思いで中止にしました。しかし、その決定から2時間後には雨は上がりはじめ「これなら待っていればできたのに」と、ますます悔しくなりました。

 もう我々のサークルも14年目に入り、メンバーは大きく入れ替わり、通常の連絡方法も携帯電話やe-MAILへと変化してきましたが、こうして天気に振り回されることだけは全然変わりありません。毎回空を睨み天気予報を何度もチェックして中止にするか決行するか悩むわけですが、しばしば行ったら雨、やめたら晴れというパターンがあります。サッカーやラグビー、ゴルフなど英国生まれのスポーツは、少々の悪天候などものともしないという類が多いのですが、テニスだけはデリケートにできているようです。

 なにせ雨や雪はもちろん、強風も苦手ですし太陽も(眩しくて)嫌い。だったら全部室内でやればいいのですが、卓球やバドミントンとは違って、テニスはお天道様の下でやるもんだ、という意識だけはあります。実際陽気の良い春や秋は本当に気持ち良いですしね。雨にも負けて、雪にも負けて、夏の暑さにも冬の寒さにも挫けつつ、それでも僕たちは西へ東へとテニスをしに走るのでした。
●NBAはF1、テニスの二の舞か。 (1999/1/15)
 神様マイケル・ジョーダンが遂に引退を発表しました。NBA最大のスーパースターとして君臨した彼は、まだまだ体力的には余裕があるにも関わらず「チャレンジする気力がない」ということで引退を決めたようです。スポーツ選手の引き際には、まだ華があるうちにトップで引退するパターンと、ボロボロになるまでやって引退するパターンがありますが、今回のジョーダンの場合は明らかに前者でした。もちろん彼の年齢を考えればこの引退も無理ないことですが、ストライキの影響で人気が急降下したと言われるNBAに引導を渡すようなタイミングでの引退だとも言えます。

 ラリー・バード、マジック・ジョンソンと立て続けにスーパースターが引退したにも関わらずNBAがその人気を維持できたのは、ジョーダンと彼の属するスーパースター軍団シカゴ・ブルズのお陰でした。しかし、ブルズのヘッドコーチであるフィル・ジャクソンとジョーダンが消えたことで、この図式も完全に無に帰してしまいました。ロッドマンもピッペンも、あくまでもカリスマであるジョーダンあっての人気です。もはやNBAにとって人気を回復させる手だてがありません。これもジョーダンに頼りっきりで、後継者を育てられなかったNBAの見込みの甘さが原因です。ジョーダンとともに大きく成長したNBAビジネスは、ジョーダンの引退とともにその成長をマイナスへと転化させることでしょう。

 この状況はアイルトン・セナを失った後のF1界に似ています。セナを悲劇的な事故で失い、ライバルであるプロストも引退。F1界は一気にシューマッハーの時代へと移ったものの、スター不在で魅力は色褪せました。またかつてコナーズ、ボルグ、マッケンローの時代に人気を博した男子テニス界が、彼らの引退後に華のないレンドル、ビランデルの時代を迎えてそのまま凋落、今に至るまであの人気は帰ってきません。NBAもこのまま手をこまぬいていると、間違いなく「あの頃のバスケットは面白かったよね」なんて言われてしまうことでしょう。ビジネス上手なはずのNBAの今後の展開に注目したいと思います。
●3億円か名誉か。 (1999/1/14)
 なんとマグワイアの70号ホームランボールが競売で270万ドル(約3億円)で落札されたそうです。数10万ドルくらいは十分予想できましたが、まさかここまで高騰するとは思いも寄りませんでした。かつてバブル時代に大昭和製紙のじいさまが、とんでもない高値で絵画を買ったことがありましたが、アメリカ人は未だにバブルの夢を見ているのでしょうか?

 それにしてもバカバカしいことです。絵画と違ってホームランボールは芸術品でもなんでもありません。芸術であるのはあくまでもマグワイアのホームランそのものであって、ボールはその痕跡にしか過ぎません。なのにそれに3億円もの値をつけるなんて愚行です。

 それに比べてマグワイアが新記録を作った62号のホームランボールは、拾った青年があっさりとボールを返したことで、野球の殿堂入りをしました。このボールだって競売にかければ100万ドルくらいはいったでしょう。それをあっさりと投げ返した青年こそ、本当の野球好きだと僕は思います。彼は一躍有名人となり、マグワイア本人はもとより、クリントン大統領とも会ったとか。野球のボールに3億円もの値段をつけるのもアメリカなら、この青年を茶化すこともなく素直に称賛することのできるメンタリティもまたアメリカだなぁ、と思います。
●「殿様商売」とは誰のことか。 (1999/1/13)
 ついにキリンビールがアサヒビールにシェアで逆転されたそうです。スーパードライ発売以降の急激なシェアの変化が、ここまでになるとは僕も予想していませんでした。かつてはガリバーと呼ばれたキリンビールにもはや往時の面影はありません。CMでは断然アサヒビールに勝っているとは思うのですが、やはりビールは料飲店への営業力が問題なんでしょうね。

 ただこのシェアには発泡酒は入っていません。発泡酒を出していないアサヒに対して、キリンは昨年爆発的に売れた「淡麗生」があります。ビール党がかなりこの発泡酒へ移行していることを合わせて考えれば、実質的にはまだキリンがトップだとも考えられます。とは言えキリンにとっては、そういうことは単なる慰めにしかならないでしょうし、そんなことを言って安心しているようでは、この先も危ないことでしょう。

 ところでこのニュースを1面トップで報道した12日の朝日新聞夕刊の見出し。「キリン王座転落 殿様商法災い?」だそうです。いくらなんでも「殿様商法」は悪く言い過ぎじゃないのかなぁ。不祥事とかを引き起こしたのなら、これくらい強い調子で書いてもいいけど、シェアが2位になったくらいのことでつける見出しじゃないですよね。今頃広告担当者はキリンに謝りに言ってるんじゃないのかなぁ。どうせ記事は広告におもねる気はない、と編集サイドは威張っているんだろうけど、果たして本当に「殿様商法」なのはどこでしょうかね?
●思わず突っ込みを入れたくなる『元禄繚乱』。 (1999/1/12)
 NHKの大河ドラマ『元禄繚乱』。四十七士の討ち入りだけでどうやって50回近く話をもたせる気か、と思って見てみましたが、かなり脇のキャラクターを描き込んで元禄時代という時代そのものを浮き彫りにしようとする狙いのようですね。登場人物紹介編とでも言うべき第1回を見ているだけで、はっきりそれを感じました。

 忠臣蔵ということなら徳川綱吉を巡るストーリーは大して関係ないはずなのに、第1回は赤穂藩よりもほとんど綱吉が主人公。これを萩原健一が実にエキセントリックに演じています。同じ萩原でも萩原流行ならこれくらい病的な演技は得意そうですが、最近朴訥な中年ばかりやっていたショーケン久しぶりの怪演となりそうです。

 それにしても相変わらず大河ドラマのキャストは無駄に豪華です。どうでも良いような端役でも一応名の売れた俳優が出てきます。今回笑ったのは高知東生と吉田栄作の兄弟。この2人、綱吉の愛妾となる鈴木保奈美の婚約者とその兄という役どころ。忠臣蔵からは遠い遠いところにいます。そんな端役にもこれだけの役者、と言えるかも知れませんが、兄弟で剣術の稽古をしているシーンなど、なんだかコントのようでした。

 コントと言えば、主役の勘九郎が20才とか、東山紀之が12才の元服前とか、舞台じゃないんだから、いくらなんでも設定に無理があり過ぎ(配役としては2人とも正解だと思いますが)。宮沢りえがいくら少女ぶっても痩せすぎていて怖いし、鈴木保奈美が田舎のおぼこくさい純真な娘役というのも似つかわしくありません。それにあんな三白眼の保奈美よりも、正室役の涼風真世の方がずっと妖艶で綺麗じゃないかしらん。それと先ほどの東生&栄作のような訳のわからないキャストに加え、松平健、宅麻伸、村上弘明、夏木マリと言った妙に濃いキャストも胃にもたれそうです。

 とは言え、忠臣蔵を縦糸にしながら、江戸期のバブル時代と言うべき元禄時代を横糸に展開しようとするドラマの企画自体はなかなか面白そうです。今後も多分元禄文化の華を咲かせた様々な文化人が登場してくることでしょう。民放各局のドラマが全然面白くないだけに、歴史エンターテイメントとして大河ドラマに少し期待してみようかと思っています。
●大相撲初場所と女子テニス。 (1999/1/11)
 若乃花の離婚騒動の中、初場所が始まりました。ここのところ曙は休場続き、貴乃花もずっと不調、両大関はパッとせず、これで若乃花もダメとなっては、ますます人気が落ちている大相撲が心配です。そもそも数年前の相撲人気は結局若貴人気であり、底の浅いものでした。だから貴乃花がちょっとしたことでヒールになったり、今度のように若乃花の家庭問題が表面化しただけで、若乃花の人気ががた落ちしたりするのです。相撲自体ではなくキャラクターとしての人気でしかないわけですから、当たり前と言えば当たり前の結果です。ただそれを本来の人気だと相撲協会が勘違いしていたからこそ、現在の凋落ぶりを招いてしまったのだと思います。

 ですが、実を言うと本当の相撲好きなら、現状の相撲界は結構面白い状況だと思います。よく関脇の強い場所は面白い、と言われます。実際、今場所ほど関脇を始め幕内上位陣が充実している場所も珍しいと思います。新旧の大関候補がずらりと顔を並べ、横綱大関といえど全く気を抜けません。栃東、千代大海、出島ら若手伸び盛り派と、復活してきた琴錦、琴乃若、武双山、魁皇、土佐の海、貴闘力、安芸乃島ら中堅ベテラン勢が競い合っていますから、上位との対戦だけではなく、お互いの対戦も火花が散って好取組の連続で、まさに戦国時代です。

 この相撲界の状況と似ていて今年やっぱり大変面白そうなのが女子テニス界。去年からグラフとヒンギスの新旧女王を軸に、若手ベテラン中堅がお互いに競い合っています。驚異の10代、ヒンギス、ウィリアムス姉妹、クルニコワ、ルチッチらに対して、かつての女王グラフをはじめ、セレス、サンチェス、ノボトナら旧勢力も決して負けてはいません。そして現女王は、このどちらの世代でもない20代前半のダベンポート。恵まれた体を生かした心優しい大女が、少しずつ女王としての風格を身につけてきました。誰が勝つのかわからない戦国時代は、だからこそ見る者を興奮させます。

 さて、ここで年の始めに相応しく予想をしてみましょう。まず大相撲初場所ですが、優勝争いは本命若乃花、対抗貴ノ浪、貴乃花。なんだかんだ言っても二子山勢がこのピンチに奮い立つと見ています。もともと東京場所には強いし。ただ栃東と千代大海も10勝以上して台風の目となるでしょう。穴は武双山。先場所あたりからかなり復活してきた印象です。で、平幕下位の大穴は栃乃洋と小城錦。怪我に泣いた両者ですが、下位なら実力は十分。先場所の琴錦、土佐の海のような活躍が期待できます。

 女子テニスは全豪オープンが近づいていますが、本命は思い切ってグラフ復活でいきましょう。少し願望が入っていますが。対抗はダベンポートとセレス。穴がウィリアムス姉。ヒンギスの不調はもう少し続くんじゃないのかなぁ。グラフは今年いっぱい頑張って、来シーズンいっぱいで引退と予想しています。10年以上前にグラフがナブラチロワと死闘を繰り広げながら女王交代を果たしたような、あんな緊張感ある戦いを今年グラフとヒンギスの間で期待したいのですが、ヒンギスの元気の無さがちょっと心配ですね。


1999年1月上旬のコーカイ日誌へ