1999年1月上旬のコーカイ日誌



  ●大雪とセンター試験。 (99/1/10)
 地球温暖化の話題の直後の大雪でした。名古屋でも久しぶりに10cm近い雪が積もり、折角楽しみにしていたテニスも中止。子どもたちはすぐに外に飛び出して雪合戦をしていましたが、こちらは一日中家の中でテレビと読書の日々でした。まあこんな日もたまにはいいもんです。

 もっともこんな呑気なことを言ってられるのも、特に出かけなければならない予定もない(テニスはともかくとして)休日だったからであって、これが結婚式があるとか重要な商談があるとかだったら、もう恨んでも恨みきれない大雪です。で、毎年この時期に思うのが大学入試。特にセンター試験は今年も来週の16〜17日に予定されているらしいですが、こんな季節にどうしてやらなければならないのか、合理性を感じられません。

 もちろんこれは4月に新学期を始めるために逆算してくるとこの時期になる、ということなんでしょうが、やはり寒冷地で大雪が降る地域の生徒には明らかに余計な負担をかけるわけですから、不公平なのは否めません。もちろん寒冷地だけではなく、太平洋岸の都市部でも雪で都市機能がマヒしてしまえば同じことです。僕の時は(共通一次試験の第1期生です)幸い寒かったけど天気は良かったのですが、その何回か後に大雪だった時があったと思います。試験会場までたどり着けない受験生や、ようやく苦労して到着しても試験前に消耗してしまった受験生がたくさんいたことでしょう。

 桜の舞う中の入学式、という季節感をかけがえない大事なものと感じるメンタリティも理解できないわけではないですが、そろそろ欧米への留学への対応も含めて、9月から新学期ということを考える時期にきているんじゃないでしょうかね。初夏の頃の入学試験なら、かなり条件は公平だと思いますが。
●最近若いと言われる。 (99/1/9)
 20才になる前から僕は「老けている」と言われ続けました。大学の入学式では「入社式?」と言われ、会社に入ったら「10年目のような顔をしている」と言われ、29才の時に一緒に飲みに行った女の子に「38才?」と言われました。もちろん女の子にももてませんし、恵まれない20代を送りました。せいぜい得したことと言えば、仕事先で年齢より上に思われる分、話を聞いてもらえることくらいですね。実は若造なんだけど、結構ベテランに思われるのは仕事上では得したと思います。

 当時は「ある程度の年齢になれば実年齢に追いついて、今度は若いと言われるようになるよ」と慰められていましたが、30才になっても35才になってもちっとも追いつきません。もう諦めていたところ、ようやくここ1年ほど「年齢より若く見えますね」なんて女の子から言われることが増えてきたのです。もちろん「もっと上かと思っていました」という声も相変わらずあるのですが、それはどちらかと言うと男性から言われることが多くて、女性からは「若く見える」と言われることの方が多いのです。ま、どうせ言われるなら男より女ですからね(笑)。

 年を重ねるほどに同じ年齢でも見た目には大きく差が出てきます。僕の年齢(37才)でも40代後半に見えるような人から30才くらいにしか見えない人までさまざまです。僕のことを「若い」と言う人も「老けている」と言う人も、それぞれが思っている30代後半像があって、それよりも若いかどうか、という基準で見ているんでしょうね。僕としては本当にこのまま老けないでいけるのかどうかが楽しみです。50才になっても30代後半に見えるのなら、そりゃ良いですよね。女の子にモテモテのバイアグラいらずの50代を夢見て、今のうちに体力をつけておかなくては(笑)。
消えゆくプリントゴッコ。(99/1/8)
 某国立大学の心理学の先生である長谷川さんが「じぶん更新日記」1月6日分で、今年の年賀状の制作方法の変化について触れています。その中の分類にはなかったのですが、実は僕はこの10数年ずっとプリントゴッコで年賀状を作っています。仕事柄、プロのデザイナーに(なんならプロのカメラマンやイラストレーターにも)お願いして美麗な年賀状を印刷して作ることは簡単なのですが、それではあまりにも出来映えが良すぎてDMにしか見えません。そこで敢えて手作り感を出すためにプリントゴッコで長年作ってきたのですが、この1〜2年、急速なパソコンの普及とプリンタの性能向上のためか、プリントゴッコで作られた年賀状が激減してしまいました。

 試しに去年と今年来た個人的付き合いの年賀状のうち、プリントゴッコで作られたと思われるものと、パソコン+カラープリンタで作られたと思われるもの(中にはあまりにも良くてきていて判別しづらいものもありましたが)を数えてみました。去年は166枚中プリントゴッコ18枚、パソコン21枚。今年は154枚中プリントゴッコ11枚、パソコン28枚。90%以上は同じ人間が送ってきているわけですから、その変化は歴然です。一昨年、さらにその前と数えていけば、多分明らかにプリントゴッコがパソコンに置き換わっていく図式が見て取れることと思われます。

 プリントゴッコが登場したのは約20年ほど前だと思われますが、簡単に何色も使ったカラフルな年賀状がたくさん作れるとあって、大ヒットしました。僕もしばらくは様子を見ていたのですが、年々枚数が増えるにつれて手書きではとても追いつかなくなって、社会人1年目の1984年からプリントゴッコを使い始めました。手書き文字とイラストをそのままカラーで簡単に印刷できるプリントゴッコは、印刷の簡便さと手書きのぬくもり感を兼ね備えた大発明だと思います。しかし、それも今やカラープリンタの低価格化と高性能化で風前の灯火。果たして来年はプリントゴッコで制作された年賀状が果たして何枚来ることやら、と思います。これで一発当てた理想科学もいよいよ大変でしょうね。

 もっとも本当に激減しているのは手書きの年賀状ですけどね。10数年前の年賀状はまだ大半が手書きでした。今ではそんな年賀状、滅多に見ることがありません。その割には宛名は相変わらず手書きの人が多いのが不思議ですけどね。多分パソコン買っても住所録の整理ができていないんだろうなぁ。宛名書きこそ一番面倒でパソコンにやらせたいことなのにねぇ。
●暖かくなるのは悪いことか?(99/1/7)
 去年の平均気温が平年よりも1.3度も高かったということで話題になっています。西日本では2度以上も高かったところもあったそうで、エルニーニョ現象と温室効果がその原因だとされています。なにせ今や地球環境の変化は即、人類滅亡の原因かと騒がれるご時世だけに、単に「去年は暖かかったんだね」という暇ネタで収まらないところが1999年という年なのでしょう。

 まあ氷河期と言っても今より5度平均気温が低かっただけなのですから、2度も上がったらそりゃ確かに異常気象だとは思います。またずっと平均気温は上昇傾向にあることも確かでしょう。東京の冬日(最低気温が氷点下になった日)が戦前は年間平均50日以上あったのに、ここ10年ほどは平均4日程度ということですから、冷え込むような寒さも少なくなってきたということです。温暖化と言っても夏が暑くなったわけではありません。実際去年も夏は平年並みで、主に平均気温を引き上げたのは春秋シーズンでした。

 しかしだからと言ってそれはマスコミが大騒ぎするほどのニュースなのでしょうか?確かに南極の氷が溶けだして海面水位が1m以上も上がったりしたら大変なことです。海に沈む南太平洋の国々にはまさに国難でしょう。しかし、まだ地球環境はそこまで激変してはいません。単に日本の太平洋岸で冬日が少なくなったとか春秋も穏やかで暖かい日が続いたということなら、それは季節商売の人を除けば、一般の人には過ごしやすくなってどちらかと言うと朗報だとさえ言えるでしょう。冬が暖かければ暖房にかけるエネルギーも少なくて済みますからエコノミー&エコロジーですらあります。

 もちろん暖かいから嬉しいな、というだけでは済まない問題もあるのでしょうが、とりあえず気持ちよい天気が続くなら温暖化も悪くないなと思ってしまいますよね。それともそんな僕はエコな人から見たらとんでもないんでしょうか?
●フジテレビドラマの水戸黄門化。(99/1/6)
 フジテレビ系列1月3日放送のスペシャルドラマ『古畑任三郎vsSMAP』と、4日スタートの新ドラマ『OVER TIME』は、それぞれ三谷幸喜と北川枝吏子というスター脚本家に豪華キャストという、まさにフジテレビらしいドラマ作りで、冒険はしていませんが安心して見られる定番ならではの出来映えでした。どちらのドラマも結末は見えています。古畑はどんな犯罪でも解き明かし、決して犯人を取り逃がすことはありませんし、『OVER TIME』はどう転んだところで、最後は反町隆史と江角マキコがくっつくことは間違いないでしょう。いわば水戸黄門と同じです。ともにラストはわかっていて、そこに至るまでのプロセスを楽しむドラマなのです。

 特に『OVER TIME』は、ここのところターゲットを若く設定し過ぎていた月9(『DAYS』『ボーイハント』はともに20才前後ですし、『じんべえ』に至っては一体誰を狙っているのかさえわかりませんでした)を、本来の主視聴者層である25〜34才あたりの独身OLを再び狙い直そうという意図がありありです。主役の江角をはじめ、石田ゆり子、西田尚美の3人娘は、いかにもいそうなタイプをそれぞれ揃えてみましたという感じだし、相手役の男性陣もエリートである医者の椎名桔平と、アウトロー系のカメラマン反町、若さの加藤晴彦。さらに田舎から出てきた純真系木村佳乃を加えた集団恋愛ドラマは、かつてのトレンディドラマを彷彿とさせるものがあります。北川脚本ですからストーリーは二転三転しても結末は予定調和から外れることなく収まるところに収まることでしょう。ロンバケ、ラブジェネにはまった女性なら必ずや盛り上がれること間違いなしです。

 前クール最大のヒットとなった『眠れる森』が野心的な冒険作だったのにも関わらず、ここまで保守的で定番な恋愛ドラマを敢えて作ってきたフジテレビには、かなり恋愛ドラマに対する危機意識があるのだと思います。最近は『ビーチボーイズ』『きらきらひかる』『ニュースの女』『ショムニ』『GTO』『タブロイド』そして『眠れる森』と非恋愛ドラマが立て続けにヒットしてはいますが(恋愛ドラマは変わり種の『with Love』と『神様、もう少しだけ』くらい)、やはりいざとなるとベタベタの恋愛ドラマこそ安定して力を発揮できる切り札であると考えているのでしょう。お約束の恋愛ドラマを時々きっちり作って見せておかないと、そのうち他局に一番美味しい視聴者をさらわれかねません。ま、1回目を見た限りでは安定感は抜群、商品としての完成度の高さはさすがという感じです。最終回25%は確実、もしかしたら30%もいけるかも、と思いましたが、果たしてどうでしょうか。
●web日記は「覗かれ趣味」。(99/1/5)
 今年も新旧とりまぜていろいろな友人から年賀状を貰いました。その中で数人が「ホームページ楽しみに見ています」「いつもコーカイ日誌読んでいますよ」などという一言を添えてくれました。もちろん見てくれていること自体は、とても嬉しいのですが、ちょっと変な感じがしたのは、向こうはこちらのことを良く知っているのに、こちらは全然向こうの状況を知らないということです。

 例えば僕が風邪を引いてダウンをした。例えばテニスの試合で負けた。例えばつまらないドラマを見て憤った。例えば出張で京都に行った。そういう日常のちょっとしたことを、ここに書いておくと、学生時代の友人で、もう10年以上も会っていないし電話で話したことすらないような奴が、ちゃんと読んでいて知っているわけです。ところが僕には彼の情報など全然入ってきません。知っているのは毎年来る年賀状に書いてあることだけ。後はごくたまに風の噂でちょっとしたことを聞く程度です。この極端な情報の偏りがマスメディアではなくごく狭い個人間で起こっているということが不思議な感じの原因です。タレントでも政治家でもない僕のような人間の日常を覗き見ている人間がいることの不思議さとでも言いましょうか。

 もちろんそうしてきたのは他ならぬ自分自身であって誰のせいでもありません。特に知られて困るようなことを書いているわけでもないですし。ただ、ホームページを作ることの魅力はやはりこの「覗かれ趣味」(情報発信というとカッコいいですけどね)にあるような気がします。特にこのweb日記というやつは、書いている人間が露出狂気味なくらいに覗かれたがっているような感じです。中には十分変態の域にまで到達しているような日記もあります(もちろんノーマルとアブノーマルの線引きって難しいですけどね。昨日のアブノーマルが今日のノーマルだったりするし)。

 本当は年賀状をやり取りしている友人には、お互いの情報のアンバランスを是正するために、みんなweb日記を書いてもらいたいんですけど、そう考えると、その趣味のない人にはちょっと勧めかねるかな、という気も最近してきました。変態は変態同士、というのが、どんな世界でも一番トラブルが少ないですからね。
●短い正月。(99/1/4)
 正月の3ヶ日が終わったらいきなり4日は月曜日。気分的にはもう正月は終わりです。メーカーなどではもう1日か2日休みはあるのでしょうが、官庁をはじめ非メーカー系企業は4日から仕事始めでいきなり一週間というところが多いでしょうね。まあ正月休みが短かっただけに正月ボケも大して重症ではないのかも知れませんが、それにしてもいきなり一週間。お仕事、きついですねぇ。

 短い正月の影響と言えば、デパートなどのバーゲンが早く始まるということもあります。もっとも年末からの消費税還元セールがどんどん拡大してきているので、実質的にはとっくにバーゲン体制に入っているかのような印象ですけどね。ただ堺屋長官が景気回復の胎動が感じられると言ってみたところで、実際の消費者感覚はまだまだ景気は悪くなるというところでしょうから、内需拡大に結びつくほどバーゲンで買い物をしてくれるかどうかは疑問です。

 さて、正月が終わったと言えば、テレビもいきなり通常編成という感じです。何と言っても月9『OVER TIME』がいきなりスタートします。この冬のドラマで一番の話題作。反町&江角に木村佳乃、石田ゆり子、椎名桔平というキャストは、最近不調の月9をテコ入れしようというフジテレビの意気込みが感じられます。もっとも他にあまり期待できそうなドラマがないだけに目立っているだけ、という気もしますけどね。
●大魔神はシーズンオフも登板過多。(99/1/3)
 正月のくだらないバラエティを「くだらねぇー」と言いながらぼんやり見ているんですが、やたらと出てくるお笑いタレントが大物では、さんまにウンナン、中堅ではナイナイ、松村、東野、若手では極楽とんぼ、ココリコ、山田花子。まあ彼らは売れているんだな、ということで良いのですが、それに混じってやたらと見かけるのがベイスターズの大魔神(良く大魔「人」と間違えているのを見かけますね)佐々木主浩。タレントの定岡やカズシゲよりも良く見かける気がします。

 確かに佐々木は'98年のスポーツ界の顔でしたし、横浜なので在京キー局も使いやすいし、何と言っても彼はアドリブが効くのでバラエティ向きだと言うのはよくわかります。しかし、それにしたってこのシーズンオフは出過ぎでしょう。引退間近で次の仕事を探しているような選手ならともかく、大リーグ入りも視野に入れているバリバリの現役選手が、こんなにお笑いタレントと一緒にテレビ局で遊んでいて(タレントは仕事ですが、本業ではない佐々木には遊びでしょう)大丈夫なんでしょうか。たださえここの2年ばかり横浜が強くて佐々木の登板機会も多かったのに、きちんとしたオフの過ごし方をしないでタレント活動ばかりしているようでは心配です。

 佐々木と並ぶ大スターであるイチローは確かにCMには出てきますが、オフシーズンと言えどもバラエティにはほとんど出演しません。このオフもとんねるずの番組で見たくらいです。年末年始、毎日のように見かける佐々木とは随分違います。スポーツ選手をちょっと毛色の違うタレントのように扱う芸能マスコミやミーハーファンはともかく、普通のスポーツファンは審査員をしている佐々木やカラオケを歌う佐々木ではなく、マウンドで豪快に三振の山を築く佐々木を見たいはずです。ま、野村監督や星野監督あたりは、そんな佐々木を見てほくそ笑んでいるかも知れませんがね。
正月の広告。(99/1/2)
 年が明けると新しいテレビCMが一斉にオンエアされます。単に新しいバージョンというだけではなく、タレントも変わっていたりして、つまらないおせち番組よりも見どころがあったりする場合もしばしばです。なかでも僕が注目したのは、村田製作所とサントリーBOSSでした。

 かつて三田工業が正月になると集中的に変わった映像のCMを流しまくったものですが、今年の村田製作所はそれに代わったような印象です。パソコンの中の部品がユーザーに片思いしているという「恋する部品」というこのCMは、別に消費者に何かを売ろうとかいう意図があるものではなく、純粋な(?)企業広告です。つまり取引先や株主、そしてなによりも自社の社員のために知名度と好感度を上げようとしています。この不況で各企業が広告費を削減している折りに、こういうCMを流した村田製作所の決断に、広告業界の一員として感謝したいですね。

 サントリーのBOSSは過去の2バージョン(ホースト編、クリントン編)のバージョンアップ版ですが、なにせ今回出演しているのがあの貴乃花。しかも強いだけではダメだよ、というメッセージとともに出てくるのですから驚いてしまいました。確かにCMでは表面上特に貴乃花をバカにするような表現はありませんが、しかし全ての人に裏に込められたメッセージは伝わっています。「良く出たな、貴乃花」と誰もが思うことでしょうが、逆にこのCMに出たことは貴乃花にはプラスでしょうね。意外とシャレのわかる奴、というイメージが加わって好感度は上がると思います。貴乃花のイメージアップは相撲協会としても課題だったはずですし、誰がこういう手を考えたのかわかりませんが、なかなかの策士だと思いました。

 そうそう、通販生活の「無駄使いはさせません」というコピー。凄いですね。景気回復対策に明け暮れている政官財を敵に回してませんか?毒のあるCMが特色だけに、やはりこれくらいやってくれると気持ち良いです。あとプレイステーションの「今年ドラクエがプレステから出ます」というCMもインパクトがありました。これだけで十分ニュース価値がありますからね。シンプルにそのメッセージを伝えるだけで効果は期待できます。BOSSの計算し尽くした策士なCMに比べて、策を弄さないストレート勝負がさすが広告上手なプレステという感じです。
●あけましておめでとうございます。(99/1/1)
 いよいよ1999年が始まりました。驚きます。なにせあの荒唐無稽なヨタ話と思っていたノストラダムスの大予言の年が本当に現実となってやってきてしまうんですから。とうとうそんなところまで来てしまったのか、という感慨があります。ここはもはや未来です。SMAPの「夜空ノムコウ」の中の歌詞に「あの頃の未来に 僕らは立っているのかな」というフレーズがありますが、まさに子どもの頃に未来と思っていた時代に立ってしまったという気がします。

 1960年代、幼かった僕らの思い描く未来は月や宇宙空間にも人が住み、都会には何百メートルもの超高層ビルが林立し、その間を空を飛ぶ自動車が行き来していました。家の中には壁掛けの大型テレビとテレビ電話。食事はオートマチックで出来上がり、ロボットが主婦の代わりに家事を代行してくれます。そんな未来が21世紀には実現していると信じていましたが、科学技術はそこまで進歩しませんでした。もちろん携帯電話もインターネットもハイブリッドカーもデジタルカメラもレンジでチンのインスタント食品も、当時から思えばいかにも未来的ではありますが、しかし想像していたほどには世の中変わらなかったな、という印象がします。

 もちろんこれは1960年代に想像していなかった急激な地球環境の悪化と資源の枯渇というファクターが、それまでの科学技術の急速な進歩にブレーキをかけたことは間違いありません。それによって人々が科学万能信仰を捨て、もっとゆっくりと行こうと思い始めたからです。これは僕なりの解釈で言えば、外的要因が人々の心理を変えたと言うよりも、潜在的な人々の意識がそこまでドラスティックな変化を望んでいなかったから、ブレーキをかけるようなファクターを見出していったのではないか、と思っています。

 いずれにせよ僕らは「あの頃の未来」に立っています。ノストラダムスの大予言はいかにもヨタ話ではありますが、だからと言って全く人類滅亡の危機となる要因がないわけでもありません。例えば2000年問題によってどんな暴走をコンピュータがするかもわかりません。その危機はすでに今年起きるとも言われています。自ら何かできるわけではありませんが、とりあえずは今年を無事乗り切って来年2000年に平穏な正月を迎えられたらな、と思っています、って、おいもう来年の話かよ(笑)。ま、ともあれ今年も「コーカイ日誌」ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。


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