幹事クリタのコーカイ日誌2022

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9月18日 ● 不老不死より14歳に戻りたい。

 先日テレビ番組の中で「不老不死」になれるのと「14歳に戻れる」のと、どちらの希望が多いかというクイズをやっていました。僕は「14歳」だろうなと思って見ていて実際14歳だったわけですが、パネラーのハタチくらいの若いタレントは「絶対不老不死の方が良いじゃないですか」と発言して、年配のタレントたちに「いやいや」と否定されていました。

 まだ20代でそこそこ成功しているタレントが14歳に戻るメリットは少ないですが、40歳過ぎて「あれ、思っていた人生と違うかも」「あの時あちらの選択をしていたらどうなっていたのか」などと思いめぐらせるようになると、14歳に戻れるというのはかなり魅力的です。それに不老不死はしんどそうです。ずっと楽園にいられるならともかく、人類が絶滅して誰もいなくっても、地球が太陽に飲み込まれても生きているって、地獄の業火に永遠に焼き続けられているのと同じです。多分寿命が1000歳くらいまであればそれで十分生きることに飽きそうです。

 以前にも書きましたが、僕は14歳に戻ったら当時入部しなかった硬式テニス部に入りたいと思っています。今でもそうですが公立中学校は大抵軟式テニス部だけですが、うちは硬式テニス部がある珍しい学校でした。僕が中学2年生の時はまだテニスは上流社会のスポーツというか、「チャラチャラした金持ちの遊び」だと思われていました。ちょうど「エースを狙え!」がヒットし始めた頃で、女子の間ではテニスブームが到来しつつありましたが、男子はまだ野球に熱中していました。「女もすなるテニスを男もしてみむ」と男たちが思い始めたのは1978年頃からのテニスブーム到来以降です。

 僕は「エースを狙え」ブームよりも早く1973年頃からテニスをやってみたかったのですが、当時はラケット、ウエア、シューズを買い揃えるにはかなりの金額がかかったので、家の経済状態に配慮して親には言い出せず、テニスの次に流行し始めていたバスケットボール部に入りました。バスケはシューズさえ買えば何とかなりますからテニスよりは安上がりで親にも言いやすかったのです。

 結局僕がテニスを始められたのは、バイトして自分でラケットを買えるようになった大学入学後のことでした。とりあえず真面目にテニスを習おうとテニススクールに入りました。すでに世の中は一大テニスブームになっていて、いかにも流行りに乗って始めた感じになってしまいましたが、自分としてはそう思われるのはかなり遺憾でした。とは言え、現実にやっていることは周りのチャラチャラとブームに乗っかった連中と一緒でしたから、否定もできないし忸怩たる思いが残っていました。

 もし中学時代から硬式テニスをしていたら、初心者が大半だった高校のテニス部ですぐにレギュラーになって、さらに大学でもテニス部に入ってインカレを目指していたことでしょう。もともとコツコツと長く続けるのが得意なタイプですから、そのままずっと社会人の間もテニスに関わって、今頃はテニス界の大ベテランとして偉そうにしていたかも。まさかのスクール育ちのチャラチャラテニスからスタートしてしまったことで、未だにサークルの幹事としてチャラチャラとテニスをしています。まあそれはそれで長年にわたり楽しく続けてこられたので悪くはなかったのですが、やはりこの年になると選ばなかった違う人生に興味があるものです。



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