幹事クリタのコーカイ日誌2021

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10月14日 ● 親ガチャの話。

 最近になってマスメディアで取り上げられるようになった「親ガチャ」。ネットでは結構前から言われていたので、相変わらずテレビや新聞は飛びつくのが遅いなと思います。この言葉に反発する人もいれば納得する人もいますが、「家庭の事情」によってその後の人生に有利不利があることなど有史以来変わらないことなので、今さらという気はします。そんな今さらなことがこれだけ話題になるのはそれだけワードとしてインパクトがあるということでしょう。

 自分のことを振り返れば明らかに僕も「親ガチャ」はハズレだった部類に入ります。それほど家は貧乏でした。ただ貧乏ながらもハズレだったとは思っていませんでした。両親ともちゃんと愛情をもって育ててくれたことはわかっていましたし、自分も貧乏だからと言ってとりわけ不自由をしたとか引け目を感じたことなどありませんでした。

 ただそうは言っても、両親が貧乏を感じさせないように自分たちが我慢して子どものために教育費を惜しみなく払ったというわけでもありません。そういう家庭の話もよく聞きますが、うちの親は「金ならないから自分でしっかり考えて何とかせよ」という教育方針でした。「金は出すが口も出す」という親が多い中で「金は出さないが口も出さない」という姿勢なので、おのずと僕も弟も早くから自立していくことができました。

 なにせ僕の場合は高校からの学費すら親が負担をしてくれなかったくらいです。高校は奨学金をもらってそれを授業料に当てていましたし、大学にいたっては奨学金とバイトで学費から小遣い、自分の分の電話代やクリーニング代、自動車学校の費用も中古車の購入費まで全て自ら捻出していました。当然大学は経済的に浪人もできなければ下宿もできないので「地元・現役・国立」縛りで、そういう意味では「親ガチャ」がハズレだったために進学先がごく限られたということにはなりますが、自分としてはそれも当然だと受け入れていました。

 実は両親もそれぞれ「親ガチャ」はハズレだった人生です。父親は両親を幼くして亡くし、ひとまわり年上の兄夫婦に育てられ、早く手に職をつけるために工業高校に進学して就職しました。高校までいかせてもらえたことを伯父には感謝していたと思います。母親は戦前は地主の家で育ったのに、農地改革で一気に没落し、高校1年の5月に退学して働き始めました。工業高校卒の父も中卒の母も中学までの成績は優秀だったようですから、恐らく大学まで進学できなかったことを残念に思っていたはずですが、だからと言ってそれを僕や弟に押しつけることもなく淡々としていました。僕にとっては良い両親だったと思います。

 むろん経済的なことだけではなく、もっと人間的にダメな、いわゆる「毒親」も世の中にはいて、その「親ガチャ」がハズレの場合は子どもの苦労もより大変なことになりますし、子どもの力ではどうにもならないことも多いでしょう。なので安易に子どもの努力次第だということは僕も言いたくはありません。それに子どものうちから苦労などしない方が良いと思います。ひねくれている貧乏育ちに比べてお坊ちゃんお嬢ちゃん育ちの人の方が概して性格が素直で良い人が多いです。

 ただこの年齢になると周りでは親からそれなりの額の遺産をどーんと相続している人間もいて、それは本当に羨ましいです。億とは言わないまでも、せめて2〜3000万円でも相続できれば、これからの老後の生活資金にどれだけ余裕ができることか。まあ贅沢を言っても仕方ないので、借金さえ残さなければ良いやと思っています。幸いお金にはシビアな母ですからオレオレ詐欺にあったりはしないと思いますし。健康で頭もしっかりした高齢の母親というのは考えてみれば「親ガチャ」当たりでしょう。



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