幹事クリタのコーカイ日誌2019

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9月26日 ● スポーツ中継の古い記憶。

 ラグビーW杯を見ていて、ラグビーのライブ中継を見ていた記憶に残る古い試合は何だったのかと考えると、恐らく松尾雄治が明治大学時代に日本選手権を制覇した1975年のことだと思います。確か松尾が4年生で翌年には新日鉄釜石に入社して釜石の黄金時代を築くわけですが、のちに「ミスターラグビー」と呼ばれる松尾は大学時代にすでに日本代表の中心選手でした。

 ラグビーよりはメジャーだったサッカーは1968年メキシコ五輪の銅メダルは記憶にはありますが、試合中継を見ていたわけではありません。ただヤンマーの釜本邦茂のプレー自体は小学校の高学年の頃にはテレビで見た記憶があります。1970年の天皇杯あたりのことでしょう。70年代はヤンマーの黄金期でしたから。

 テニスはテレビ中継をしていた記憶があまりありません。大学生の頃にテニスブームが起きて、1979年のボルグvsタナーのウィンブルドン決勝を夜遅くにテレビで見たのが一番古い記憶だと思います。それ以前の選手は記録映像的なものでしか見たことがありません。テニスを生中継で見たのはボルグ、コナーズ、マッケンロー以降ということになります。

 野球となるとさすがに昔からテレビ中継をしていたので良く覚えています。しっかり覚えているのは1967年の巨人V3の頃です。高田繁が新人王を取った年でON砲の全盛時代。実は1964年の王貞治の4打席連続ホームランも3歳でしたが微かに記憶があります。父親が「なんでそんなに王にばかり打たれるんだ!」と怒っていたのを覚えているからです。3歳だったので何をそんなに怒っているのか全く理解してはいませんでしたが、一緒に巨人戦のテレビ中継を見ていたのでしょう。

 大相撲は1965年初場所の部屋別総当たり制となって初日に玉乃島が大鵬を破った歴史的な一番が記憶に残るもっとも古い取組です。当時3歳でしたが、特に大鵬と玉乃島のファンだったので、この2人の初対戦にワクワクドキドキしていました。野球よりは相撲が好きな幼稚園児で、明武谷、藤ノ川、二子岳といったソップ型の力士も贔屓にしていました。

 スポーツ中継なら何でも大好物なので、オリンピックなんて子どもの頃から鼻血ものの大興奮です。さすがに3歳だった東京五輪は微かな記憶しかありませんが、メキシコ五輪以降の夏季大会はもちろん、1972年の札幌以降の冬季大会も欠かさず見続けています。社会人になってからは仕事が邪魔でたっぷり観戦できないのが残念なので、早く定年退職してスポーツ観戦三昧になりたいものです。


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