幹事クリタのコーカイ日誌2019

[ 前日翌日最新今月 ]

5月22日 ● 天皇制を支えるもの。

 令和になって再浮上したのが「女性天皇」「女系天皇」を認めるかどうかの論議です。上皇が退位のコメントを出した時にも、もっとも気にかけていたのが「皇統の安定的継続性」についてであり、このまま「男系男子」にこだわっていたら早々に天皇家は断絶せざるを得ないことを憂慮していたからこそのコメントでした。

 この継承者が断絶することを回避する手段として、男系男子論者は旧宮家の復活を主張しています。しかし彼らは何百年も前に枝分かれした家系であり「男系」として遡るにはかなり遠く、血縁的に本当に皇族として遇していいのかという問題があります。旧宮家が皇籍離脱したのは戦後のことですが、そこからでもすでに70年以上の時間が経過していて、すっかり代替わりをしています。皇籍離脱後に生まれた男子は民間人であるとする論者もいますし、実際当該世代は一般人として生まれ育った人たちなのです。

 それでも「血統」こそが一番大事なんだと言うのだとしたら、そこには皇族や旧宮家の人たちを生きた「人間」として敬い扱う気持ちが感じられません。単なる「血統」の運搬者として捉えているように思えます。旧宮家の人たちはまさに血の通った人間なのです。生きていて、それぞれの人生があり、意志があるのです。その人たちの人生の行く先を勝手に捻じ曲げてしまって許されることなのでしょうか。

 僕は昔から書いていますが、本来なら血統だけで受け継がれていく「王様」はもう現代社会には似つかわしくないと思っています。完全にその人たちの人権を無視しているし、彼らが自由に生きることを放棄した犠牲の上に成り立っている制度だからです。だから「血統」さえ良ければ誰でも良いという考え方にはどうしても与することができません。何よりも本人たちの気持ちと覚悟が優先されるべきですし、その上でその制度を支える国民の広い合意が必要です。

 日本の天皇制を支えているのは憲法や皇室典範ではなく、男系男子という血統でもなく、天皇家の人々の献身的な振る舞いと、それを見守る国民の声、国民の支持です。それが失われてしまったなら血統だけの天皇制は現代において意味を持たず、遠からず瓦解することでしょう。国民の声は果たして本当に「男系男子」にはあるのでしょうか?

 僕は現在の天皇の長子である愛子内親王が女性天皇になるのが一番素直で国民感情に受け入れられるだろうと思いますし、もし彼女に子どもが生まれたらその子が男であれ女であれ、次の天皇になれば良いと思います。もちろん悠仁親王が天皇になっても良いのですが、そうなると男系男子にこだわることになり、「世継ぎ」問題で相当のプレッシャーがかかります。それよりは女性宮家の創設と女系天皇を認めて、皇統の幅を広げておいた方が「安定的な皇統の継続」という意味では安心でしょう。

 もちろん、男系男子こそ守るべき伝統であるという主張もNGだとは思いません。意見はいろいろあっても良いですが、いずれにしても早く決めないと、皇族、旧宮家それぞれの次世代もすぐに成人して結婚する年頃になってしまいます。残された時間はありません。いつまでも議論を先延ばしにして、結果的に天皇制維持の危機を招いている安倍政権の対応は保守でもなんでもないと思います。


gooブログでも読めます「幹事クリタのコーカイブログ」

テニス好きなら「幹事クリタのテニス日誌」