幹事クリタのコーカイ日誌2018

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10月13日 ● 英語とテニスの「実用的」な話。

 日本人が学生時代に長年英語を学んでいても全然話せるようにならない、というのは、そもそも学校の英語の授業が読み書きに特化しているからです。それは元を辿れば明治以来欧米の進んだ学問や技術を導入するために英語の文献を読み解かねばならないという「実用主義」から発しているのだろうと考えられます。

 逆に言えば英会話は学術書や技術書などの文献を読むよりはずっと平易な英語が理解できれば良いわけですから、後から慣れで何とかなるだろうという割り切りが明治時代の人にはあったのでしょう。海外に遊びに行って、買い物やレストランで英語を話せない、などという「ちゃらけた」目的のために公教育の現場で税金を投入して英語を教えていたわけではないのです。もっと切実な理由で当時の人は英語を懸命に学んでいました。

 ところが現代では英語の文献を読み解くことよりも、外国人と自在に話すことができることの方が需要が高まってきました。「実用的な英語」の実用そのものが変わってしまったために、教科書の英語は古臭い、役に立たない、もっと英会話教育を、という話になってしまったのです。明治人は嘆くかも知れませんが、それこそが「時代が変わった」ということです。

 で、話はまた例によってテニスのことになるわけですが、どうも一般的なテニススクールで習っているテニスというのも、昔の英語の教科書のようなテニスが多い気がします。僕はもう数年前にスクールをやめてしまっていますが、サークルの仲間には今でもスクールに通っている人も多いので、話を聞いていると「うーん、それって古くないか?」と思ってしまうことも多々あります。

 英語と同じく、テニスも時代が変われば戦術が変わり、それに伴って必要な技術というのも変わってきます。特にラケットの進化によって、それまでは難しかった技術が楽にできるようになりました。「実用的」なテニスが変わってきているのです。

 ひとつの例を挙げればドライブボレーです。昔は浮いてきたチャンスボールをサービスライン内からボレーする時はスライス回転をかけながらハイボレーでコースを狙っていくものでした。相手から返ってきてもさらにネットに詰めてボレーで決めるというのが定石です。もちろん、この組み立ては今でも有効なのですが、最近ではスライスのハイボレーではなく、いきなりドライブボレーで一発で決めにいくというのが流行りです。

 ドライブボレーはあまり細かいコースを狙わずに、一撃必殺というショットです。破壊力はありますがミスも多いショットなので、プロやトップクラスのアマチュアの技術という認識でした。ところが今のラケットなら少々の当たり損ないでもお構いなしにラケットを振り切れば何とかなるようになりました。かつては「非実用的」な派手なショットが、今では「実用的」なショットに変貌したのです。

 ところが、ドライブボレーをスクールで教えているという話はあまり聞いたことがありません。ゼロではないでしょうが、多分まだ少数派だろうと思います。逆に言えば、ちゃんとドライブボレーを教えているスクールやコーチがいたら、試合に勝てる実用的なテニスを教えてくれる素晴らしいコーチだということです。


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