幹事クリタのコーカイ日誌2016

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3月17日 ● 秩序と自由のバランス。

 森友学園の件で教育勅語にまたスポットが当たっていますが、教育勅語というのは戦後の国会で「排除決議」「失効決議」が採択されたものです。天皇中心の中央集権国家を作るために明治政府が考えた教育勅語は、歴史的に見れば当時はそうしないと日本が「国家」として成り立たず、江戸時代の「藩」に人々が戻っていってしまうので、それを教育現場から何とか防ごうとしたものだと考えられます。

 そのために教育勅語では「公」の下にひとつにまとまることを何より重視しています。親には孝行し、兄弟は仲良く、夫婦は仲睦まじく、友達とは信じ合い、という昔からある儒教的な徳目を前面に押し出して口当たりを柔らかくし、最終的には天皇のために一致団結して国を守ろうという方向に導いています。いまの流行りの言葉風にいえば「チームジャパン」です。WBCの侍ジャパンと言っていることは同じで、個ではなくチームとしてまとまって勝とう、です。そう、当時の日本は西欧列強の侵略に対して戦って勝ち抜くために、国民の個人の幸せよりも国家の強化を必要としていたのです。

 排除され失効したにも関わらず、教育勅語を好きな政治家がたくさんいて、さらにそれを支持する人たちがたくさんいるのは、この「チームの一体感」「フォア・ザ・チーム」が大好きな人がたくさんいるからだと思います。「チームのまとまりが大事」「和を乱すような人間は最低」「空気を読めよバカ」となるわけです。勝つための組織にとって一番大事なのは組織が生き残ることであり、そのためには秩序を守り個人は時に組織のために犠牲にならなくてはなりません。「個人の幸せ」を優先する考え方はそこには存在しません。軍隊や体育会系部活や任侠の世界との親和性が高いのも当然です。

 未だに教育勅語を支持している人たち、またシンパシーを感じている人たちは、秩序ある集団としてのまとまりや一体感、帰属意識を大事にする人たちなのかなと思います。逆にそうした集団への帰属を強要されることを好まず、個人として生きる自由を求める人たちは反発を感じることでしょう。ただこれは二項対立ではなく秩序と自由の間でどうバランスを取るかという問題であり、それを行うのが政治でしょう。もし必要なら教育勅語なんて亡霊のようなものを持ち出さなくても21世紀に相応しいものを作ればいいと思いますが、まあそれがまた揉めるので手っ取り早く教育勅語を持ち出すんでしょうけどね。


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