幹事クリタのコーカイ日誌2014

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1月24日 ● ボランティアとプロフェッショナル。

 こちらのブログ(「『ボランティア演奏』ということ)を読んで、いろいろと考えるところがありました。ブログの内容はプロの演奏家をボランティアという美名の下に経費削減でタダ働きさせるってどうなのよ、ということなのですが(かなりかいつまんでいますので元ブログとそのコメント欄もお読みいただけると嬉しいです)、特に音楽演奏のような「技術料」はタダにさせても良心が痛まない、むしろ頼んだらタダでやってもらえるからお金払うのがもったいない、という意識の人が世の中にはたくさんいるということで、それは僕の仕事にも通じる話でした。

 我々のような企画とかアイデアを捻り出す仕事も音楽演奏と同じように考えられています。むしろ研鑽を長らく積んできたということは理解されている演奏家よりもさらに簡単で適当な仕事だと軽く見られているかも知れません。なにせコピーライターの書くコピーなんて原価ゼロなんだし、ちょいちょいと思いついたことで、それほど苦労も努力もしてないでしょ、そんなものに高い金は払えないよ、という対応にこれまでどれだけ遭遇してきたことか。その「ちょいちょい」かも知れないアイデアを利用して自分たちは結構な商売をする癖に、それにお金を払わないなら仕事を頼むな、てめえで「ちょいちょい」と考えてみろよとついつい思ってしまいます。もちろん思うだけで口には出しませんが。

 テニスの山本麻友美プロと話していても彼女はよく「タダ働きはしない」と言います。僕たちにとってテニスはあくまでも趣味であり楽しみですが、山本プロにとってテニスは仕事です。だからアマチュアに「一緒にテニスしましょうよ」と言われても「タダでテニスはできない」と基本的には断るそうです。僕にはその感覚はよく理解できますが、きっと中には「なんでコーチするわけでもなく単に一緒にテニスするだけなのにお金を取るんだ?」と思う人もいることでしょう。そういう人が『無料で演奏してくださる方を募集しています。プロに限ります。』なんて文言を書いてしまうのかも知れません。演奏もテニスもアマチュアには楽しみ、でもプロには仕事なのに。

 それにしても最近は「ボランティア」が本当に難しいことになっているなと思います。心からの善意で無償奉仕を始めたのに、それを受け取る側が「タダでやってもらって当たり前」という感覚になってしまうと、経済的に続かず持続的な活動ができません。また本当に技術を持ったプロフェッショナルがやるべきことを、素人に毛が生えた程度の人がタダでやることでプロの活躍する場を奪ってしまい全体のレベルが著しく低下します。英語の観光ガイドがそうなっているという話を以前聞いたことがあります。

 「それは需要と供給の問題であって、金を払うほどの価値が認められないのだから仕方ない」という人がいますが、ボランティアは不当なダンピングのようなもので、決して適正な需要と供給のバランスの上に成り立っているものではありません。そして、そういうことを続けていくと、本当に価値の高いプロは仕事の数が減るので単価を引き上げざるを得なくなり、それを払える一部の金持ちだけが独占します。そして一般の人は低レベルのサービスしか受けられなくなります。本当は妥当な対価をプロに支払うことでプロの技術が適正価格に落ち着き、誰でもそれを享受できるはずなのに。

 ボランティアの精神は素晴らしいものですし、東日本大震災のようなことが起きると復興への力となります。しかし、それはあくまでも何かきっかけがあって困っている人のために自発的にやるものであって、強要されるものではないはず。本来は払うべきお金を払わずにプロにタダ働きを強いるのは、モノを買ってお金を払わない泥棒とかゆすりたかりと一緒です。


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