幹事クリタのコーカイ日誌2011

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1月8日 ● 「生き様」という言葉は使いたくない。

 昨日ツイッターで「気づき」という言葉は気持ち悪い、ということを書いたら、結構同意の反応がありました。心強くなったので、さらに「生き様」も気持ち悪い、ということを書いたら、フォロワーの女性から「なぜ?」と聞かれてしまいました。

 「生き様」という言葉は1970年代後半から散見されるようになり1980年代に広がった新語です。それまで「死に様」という言葉はあり、もちろん良い意味では使われていなかったのですが(酷い死に様だ、みたいな)、そこから派生して「生き様」という言葉が作られたのだろうと思います。

 当初からこの「生き様」は評判が悪く、遠藤周作が「美しくない日本語」として批判しています。僕も良い意味には取れないと当時から思っていて、仕事でも決して「生き様」という単語を使うことはありませんでした。「生き方」と言えば済むし、その方がずっと日本語として美しいからです。

 ただそういう感覚を置き去りにするように「生き様」という言葉はどんどん日本語の中で広まり市民権を得ていきました。しかも、いつしか悪い意味合いは薄れていき、むしろカッコイイとプラスの意味で用いる場合さえある始末。「俺の生き様を見ろ!」というように自分で言うならまだしも、「あの人の生き様は素晴らしい」などという使い方はどう考えてもおかしいと思うのですが、今ではマスコミですら平気で使っています。特に週刊誌とテレビは酷いです。

 言葉は常に変化していきますし、言葉の持つ意味も変わっていきます。だから「生き様」という言葉が生まれ、その意味合いが変わっていくのも時代の流れなのですから仕方ないと思いますが、自分では使いたくないなぁというのが、ツイッターでの僕の感想でした。質問した女性の方にはわかっていただけたようで良かったです。




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