幹事クリタのコーカイ日誌2009

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7月29日 ● ラグビーW杯招致決定。

 アジアで初となるラグビーW杯の日本開催が決定しました。2019年は日本ラグビー界にとって歴史的な年となります。

 と、言うのも虚しいほど、いま日本のラグビー熱は冷めています。これがサッカーのW杯なら大騒ぎです。オリンピックでも同様。なのにラグビーとなると「ふーん」ってなもんで、そもそも今の日本ラグビーってどうなっているのかさえ知らない人が大半でしょう。

 実は若い人はもう記憶にないかも知れませんが、日本でラグビーがサッカーよりもはるかに人気が高かった時代があったのです。それは新日鉄釜石が7連覇を遂げた後、神戸製鋼が黄金時代を築く1980年代〜90年代前半にかけて。ちょうど日本サッカーにJリーグが生まれる1993年の直前の数年がもっとも日本のラグビー人気が高かった時代です。

 その頃は真冬の国立競技場にラグビーを見に行くというデートが「素敵」と言われたのです。今ではそんなデートに誘ったら「バカか」という目で見られてしまうことでしょうが、当時は大学にも社会人にもスター選手が綺羅星の如く勢揃いしていて、早稲田vs明治、神戸製鋼vs三洋電機などは本当に黄金カードでした。

 早稲田の堀越正巳、明治の吉田義人、神戸製鋼の平尾誠二、大八木淳史などは、Jリーグ前夜のマイナーだった1980年代日本サッカーの中心選手であるラモスや水沼貴史、木村和司らをはるかに上回る知名度を誇っていました。サッカー選手が有名になるには三浦知良の登場とJリーグの誕生を待たなければなりません。

 1990年の社会人大会決勝、神戸製鋼vs三洋電機は未だに日本ラグビー界の歴史的一戦、伝説の一戦です。僕もテレビ中継にかじりついて見ていましたが、2年連続の王者神戸製鋼が序盤から三洋電機に押しまくられて圧倒的な劣勢。ロスタイムに入っても三洋のディフェンスを破れない神戸製鋼がついに負けるかと思った時に、平尾からイアン・ウィリアムスへのパスが決まり、ウィリアムスが50mを独走して同点トライ。さらに細川がGKを決めて逆転勝利。あの瞬間は本当にしびれました。

 今の日本ラグビー界に当時の熱気はありません。サッカーに比べてルールが難しくわかりにくいと言われるラグビーですが、細かいルールなどわからなくても、見ていて実に面白いスポーツなのに、何となく今はマイナー感が漂っていて、マニアだけが見ている印象になってしまいました。

 W杯開催に向けて、これから10年、ラグビー界がどれだけ世の中にアピールしていけるか、僕は注目していきたいと思います。まずは強くなることですよね。サッカーだって韓国はおろか北朝鮮やタイにも負けていた時代は誰も見向きもしませんでした。当時のサッカーに比べれば強く、アジア最強の日本ラグビーですが、ヨーロッパやオセアニアの強豪には相変わらず全く歯が立ちません。19年までには歯くらい立つように強くなって欲しいところです。