幹事クリタのコーカイ日誌2009

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6月27日 ● マイケル・ジャクソンの死は80年代の死か。

 ファラ・フォーセットとマイケル・ジャクソンが同じ日に亡くなりました。ファラ・フォーセットについても思い出はありますが、やはり思い入れの深さではマイケル・ジャクソンが圧倒的です。享年50歳。2才年上ですが、ほぼ同世代という感覚があります。

 なにせマイケルのことはジャクソン5の頃から知っています。小学生の頃に知っていた多分唯一の現役洋楽アーティストです(フィンガー5との混同がありますが)。「Beat It」「Thriller」の大ヒットの頃はちょうど大学卒業から新入社員時代。カフェバーが流行り、たくさんのモニターに囲まれてカクテルを飲みながらMTVを見ていたあの頃。スーパースターとは、まさにマイケルのことでした。

 50年代はプレスリー、60年代はビートルズ、そして空白の70年代を経て、80年代を象徴するスーパースターがマイケルでした。音楽にダンスを融合しただけではなく、ポップカルチャーの象徴としてのマイケル。整形を含む彼の奇矯な振る舞いすべてがニュースであり、事件でした。

 まだ入社して2年目の1984年に、会社の忘年会の出し物として若手の同僚4人で「Thriller」を踊りました。毎日ミュージックビデオを見て研究し、衣装を作り、昼休みや残業時間に練習しました。ダンス経験のない我々のダンスは盆踊りに毛の生えたような出来栄えで、それゆえにかえって爆笑を呼びました。あの頃ムーン・ウォークを練習した若者はどれくらいいたでしょう?みんな滑る床の上で真似したものです。

 その次の1985年には会社のファミリーデーで「We are the world」を歌いました。僕はスティービー・ワンダーのコスプレをしましたが、ボーカル担当は4人しかいなかったので、パートを割り振るときにはスティービー以外のパートも歌いました。残念ながらマイケルのパートはファルセットでも苦しく他の人に譲りましたが。「Thriller」と「We are the world」のビデオは今でも家に保存してあります。

 結局やらずに終わってしまいましたが、その後には「BAD」のパロディのアル・ヤンコビックの「Fat」のさらにパロディをする企画もありました。なぜやらなかったのか、その理由はもはや記憶の彼方になってしまいましたが、当時めきめきと太りつつあった僕としてはやれば爆笑間違いなしだったのに残念です。

 マイケルとともに駆け抜けた80年代は、僕の20代に当たります。そして日本はバブルに向かってまっしぐらに突っ走っていた10年でもありました。むやみと明るく、やたらと元気で、どこか空虚でした。でも今の40代半ば以上の人はみんな「楽しかったよな〜」と思い出すような時代でした。

 マイケルの死は、80年代の死であり、あの頃の僕たちの思い出の終焉のような気がします。