幹事クリタのコーカイ日誌2009

[ 前日翌日最新今月 ]


 
4月25日 ● 本当に「酒癖」が悪い人とは?

 草なぎ「公然わいせつ」剛に関しては、どうやらおおむね同情的な見方が大半のようで、マスコミや鳩山ポッポ大臣(「最低な人間」発言は取り消したそうですが)のレベルの低さに比べて、世間はまだマシだったということのようで少し安心しました。きっとマスコミ、警察、総務省にもかなりの抗議がいったことでしょう。

 ところでネットでいろいろな意見を読んでいると、酒癖の悪さについて言及している人も結構いました。ひとつは「日本人は酒の上での醜態に甘い」という指摘と、もうひとつは「自分も人のことは言えない」という反省。どちらも酒は飲んだら酔っ払うのが当たり前という前提に立っていて、その上で醜態を晒さないようにしなければ、という話です。

 実は僕は酒を飲んで酔うのが嫌いです。酒の味は好きでも嫌いではないのですが、酔いたくないのであまり量を飲まないようにしています。もっと言えば、酔うくらいなら飲みたくないというのが基本姿勢でして、だから例え飲み会で一滴も飲まなくても全然平気です。僕に必要な酒量はテニスの後と、晩酌の時のグラス1杯のビールだけ。これなら全く素面同然。それ以上は全然不要です。もちろん、宴会などでもっと飲むこともありますが、そういう時でもできたらホロ酔い程度で止めておきたいと思っています。

 世の中には「酔うために飲んでいる」という人がたくさんいます。「酔わなくて何が楽しくて酒を飲んでいるだ!」と 叫ぶ人たちを見ていると、よほどストレスが溜まっているのかなぁと同情したくなります。日頃抑えている感情をアルコールの力を借りて解放しているんでしょう。逆に言えば、アルコールの力を借りなければ自分の気持ちを解放できないのだとしたら、その抑圧の強さは相当なものですし可哀想な人たちです。

 酔っ払って良いことなんて、僕にはひとつもありません。理性を失ってしまうと大抵ロクでもないことをします。人に暴言を吐いたり、大して好きでもない女の子にデレデレしたり、気が大きくなって大盤振る舞いをしてしまったり。僕は酔ってもやりませんが、人によっては喧嘩をしたりモノを壊したり、草なぎのように脱ぎ出す人もいます。挙げ句に二日酔いをして翌日夕方まで苦しむのですから、高いお金を払ってなぜこんなロクでもない目に遭わなければならないのかと思います。

 酔うことが好きな人たちは、そういうお互いに理性のタガが外れた解放感が好きなのでしょう。その気持ちも理解できないわけではないのですが、僕はそんな理性を失った自分が嫌いなのですから、相容れるわけがありません。飲み会の高揚した雰囲気は良いのですが、そこでとどまらずにすぐにグダグダになってしまいますから。せいぜい口説きたい女の子の理性のハードルが下がるくらいがメリットでしかありません。

 「飲まないと本音の話ができない」という人たちも多いですが、僕は素面でいつでも本音の話ができます。むしろ酔って理性を失っている時の方が、本心かどうかも怪しくなります。なにせ僕は作り話が大好きですから、理性のタガが外れると、どんどん好きなだけ適当な作り話を調子に乗って喋ったりします。「この辺でやめておかないと相手に悪い」とブレーキをかけずに、徹底的に騙し通してしまいます。だから本音は素面の時にちゃんと話します。

 まあそんな僕ですが、ちょっと距離を置いていられれば、酔っ払いのやらかす醜態もネタとしておいしいので、飲み会も嫌いじゃありません。これまでも数限りない面白エピソードを飲み会でいただきました。もちろん僕は大して酔っていないので、そういうネタをひとつずつ覚えてストックしていって、次の飲み会の席上で相手をいじり倒して遊びます。あー、なんだかこうやって書いていると、本当に「酒癖が悪い」というのは、実は僕のような人間のことを言うのかも知れませんね。まあその代わり会計をきちんと払ったり、タクシーを手配したり、送っていく順番を決めたりは完璧ですから、酔っ払いの人たちには勘弁してもらいたいと思っています。