幹事クリタのコーカイ日誌2007

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9月7日 ● トップ選手のインタビュー。

 全米オープンテニスの女子シングルス準々決勝で、優勝候補のエナンがセリーナ・ウィリアムズを見事なテニスで撃破しました。全仏、ウィンブルドンに続いて3大会連続で準々決勝でエナンに負けたセリーナは、記者会見で「エナンはラッキーショットがあったから勝てた」「罰金を払いたくないから会見をした」などと発言し、その言動に対し地元アメリカの新聞も「エレガンスとマナーを学ぶべきだ」と厳しく非難をしているそうです。

 テニスに限らずプロのアスリートはトップになればなるほど、マスコミへの真摯な対応を求められます。マスコミを通じてそのスポーツをファンにアピールするのは、選手として当然の責務であり、ましてトップ選手の言動は影響力が大きいのですから、記者に悪い印象を与えるようではトップ失格です。

 ところが日本では「プレーで示せば良い」とばかりに、マスコミ対応が下手というよりは「ひどい」トップ選手がゴロゴロいます。むしろマスコミに対してそういう態度を取ることが「大物」の証明だと勘違いしているのではないかと思えるほどです。

 特に近年ひどかったのがサッカーの中田英であり、野球のイチローであり、相撲の貴乃花でした。彼らのインタビューをテレビで見ていると、つくづくこいつらは何かを勘違いしているのではないかと腹立たしい思いがしました。また、それに輪をかけていたのが、一部のスポーツライターの連中で、こういう勘違いした選手と仲が良いことを売りにして、まるで彼らのスポークスマンの如き記事を垂れ流していました。

 「選手と仲良しであること」を自慢するジャーナリストって一体なに?と思います。そりゃ政治家と仲が良い政治記者もいることでしょうし、財界トップと気心の知れた経済記者もいるでしょうが、彼らがそんな「癒着」関係を得々と書いて偉そうにしているのは見たことがありません。一部の政治家の腰巾着記者だと思われたら、普通はむしろマイナスでしかないでしょう。

 ところがスポーツの世界だけでは、そういう「お気に入り」であることがステータスになるのです。大した記事は書いていない癖に、それだけでスポーツマスコミの世界で売れっ子になっているライターが何人もいます。彼らは自分の「手駒」の選手と仲が良いことは強調し、そのために時には苦言を呈しているようなポーズも取りますが、彼らを本当に非難するような記事は決して書きません。それで「ジャーナリストでござい」では呆れるしかありません。

 そんな勘違い記者が続出するのも、結局トップアスリートが悪いのです。彼らがどんな記者に対しても公平に、また愛想良く真面目に対応しさえしていれば、こんな悪しき風潮がスポーツマスコミに定着することもありませんでした。

 もちろん日本のアスリートでもきちんとマスコミ対応している立派な選手もいます。例えば松井秀であり、杉山愛であり、まだ若い石川遼も随分ときちんとしていると思います。スポーツマスコミもトップ選手におもねるばかりではなく、アメリカのマスコミが地元のセリーナに対しても厳しく批判するように、「是は是、非は非」ときちんと書いて欲しいものです。もっとも、それをするにはマスコミがもっときちんとプレーの本質を見抜く目を持ち合わせていないとダメですけどね。余計な人間ドラマばかり追いかけているようでは、まともなスポーツ記事なんて無理でしょう。