幹事クリタのコーカイ日誌2006

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3月21日 ● 商品としての「昭和」。

 ちょっと前の話になってしまいましたが、タイからの帰りの飛行機で『ALWAYS 三丁目の夕日』を見ました。先日の日本アカデミー賞で12部門を独占するという圧倒的な評価を得た作品です。僕はずっと原作を連載で読んでいますが、映画化についてもかなり期待していたので深夜便だというのに寝ないで徹夜で見てしまいました。

 いろいろな映画評などで言われているように、なかなかうまくできた映画でした。誰が主役というわけではなく、いわば群像劇なのですが、それぞれの人物にちゃんとスポットが当たっていて、全体として見ると「時代」そのものが主役になっています。これは何より監督と脚本家の手柄でしょう。

 CGを駆使した当時の風景を再現した映像もリアルで、日本映画もここまで作りこむことができるようになったんだなぁと感慨にふけってしまうほどでした。

 ただこれだけ良くできた映画でありながら、僕は見ていて奇妙な違和感をずっと抱いていました。それはちょうど『SAYURI』のようなハリウッドで作った日本を舞台にした映画に通じる違和感です。確かに舞台は昭和33年の日本かも知れませんが、それは平成17年から振り返りフィルターを通して見た当時の日本であって、決してそのままの日本でないということです。

 僕は昭和36年生まれですから、映画の時代よりも少し後に生まれていますが、それでもあの頃はあんなに街は小奇麗ではないし、あれほど人は優しかったわけでもなく、女性や子どもに対する人権意識はずっと低かったと思います。小雪のようにスタイルは良くないし、あれほどぽんぽんと早いテンポで会話もしていなかったでしょう。時代設定こそ昭和33年ですが、映画の中身はほとんど現代です。ちょうど大河ドラマが時代は戦国でも内容はまるで平成サラリーマン出世物語なのと同じことです。

 もちろんそれが悪いわけではありません。見るのはあくまでも平成の我々であり、昭和30年代の人たちではありません。映画は娯楽であり興行ですから、これはあくまでも平成向けにアレンジした商品としての「昭和」なのです。そしてこの作品に限らずそんなものは世の中にたくさん溢れています。今「昭和」はひとつのヒット商品コンテンツです。そう考えれば、この映画はドキュメンタリーではなくファンタジーなのですから、やはりよくできた作品なのだと思います。


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