幹事クリタのコーカイ日誌2005

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12月20日 ● 58年ぶりの大雪。

 日曜日の朝にうっすら積もった雪を見て「大したことなかったな」と思いました。昼には青空が出てきたのですぐに溶けちゃうなと思ったのも束の間、2時頃から見たこともないような勢いで降りだした雪は、あっと言う間に名古屋の街を真っ白に染めてしまいました。

 月曜日の午前中まで降り続いた雪は1日で23センチの積雪を記録。これは名古屋では実に58年ぶりの記録的大雪ということで、そりゃ44年生きてきても見たことがなかったわけです。一面の雪景色はとても名古屋とは思えないような不思議な感じでした。

 太平洋側にも関わらず東海地方にたまに大雪が降るのは、ちょうどこのあたりが日本列島の「くびれ」にあたり、日本海と太平洋の距離が短いからです。若狭湾から伊勢湾に向けて寒気が流れ込み、しばしば米原から桑名にかけて結構な量の雪が降ります。名古屋もその余波でうっすらと積もるわけで、それが日曜日朝までの雪でした。

 ところが今回は少し風向きが東に変わり、日曜日午後は岐阜から一宮、名古屋を雪雲が直撃してしまいました。福井や金沢で降るような雪が美濃から尾張地方にかけて降り続けば、雪への備えがないこの地方ではひとたまりもありません。まあそれでもみんな日曜日から覚悟していたためか、58年ぶりにしては月曜朝の混乱は少なかった方だと思いました。

 温暖化が進み、ここのところ暖冬が当たり前だったので、この久々の大寒波は僕が子どもの頃の冬を思い出させてくれました。30数年前は12月ともなれば本格的に冬将軍が到来し恐ろしく寒かったものです。霜が降り氷が張った道を毎日通学していました。雪が降ればすぐに素手で雪合戦をして、そのせいもあって指はずっと霜焼け。今のように気密性が高い家ではなかったので、スースーする家の中でストーブにあたりコタツに埋もれてテレビを見ていました。

 受験勉強している頃は、勉強部屋の気温は氷点下。腰まで毛布をぐるぐる巻きつけて足にはアンカを置いて凍える指で鉛筆を握っていたものです。石油ストーブはしばしば一酸化炭素中毒を起こすので、部屋を少し暖めたら切っていました。それでも真夏よりは真冬の方が勉強ははかどりましたね。暑い時は頭の中まで茹だってしまって、とても難しいことは考えられませんでしたから。しゃきっと寒い冬の方がまだマシというものです。

 テニス愛好家としては、こうした寒波の襲来は勘弁して欲しいものですが、それでもたまに厳しい寒さを味わうと、冬あればこその春のありがたさ、四季のある日本に生まれて良かったなぁとしみじみ感じます。とは言え、早く暖かくなって思いっきりテニスしたいなと思いますけどね。


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