幹事クリタのコーカイ日誌2005

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5月10日 ● 「純愛」は本当に絶滅危惧種か?

 今さらなんですがDVDで『世界の中心で、愛をさけぶ』を見ました。この映画を中心に昨年は「純愛」ブームとかで、他にも『いま、会いにいきます』とか『電車男』とか韓流ドラマとか、とにかく世間には純愛が爆発的に流布したわけです。

 ただ、どれをとってみてもストレートに今の日本で純愛が描かれているわけではなく、時代が過去だったり、特殊な状況下だったり、外国だったり、どこかで設定を借りてきています。セカチューも今の日本の高校生の物語にしてしまってはリアリティが感じられません。いわば純愛は絶滅しかかっている希少なものだと考えられているからこそ、価値が高くなってヒットしたわけです。

 しかし、プラトニックなら純愛か、というと、それはまた別ではないかという気もします。もちろん小説や映画のような商品化された「純愛」の場合は、肉体的な関係はない方がわかりやすくなるのでプラトニックにならざるを得ないのも理解できますが、本当は肉体的に関係があるかどうかということと、精神的な愛情の純粋さは別の次元の話ではないかと思うのです。

 損得を考えず、相手の喜ぶ顔を見たいという思いだけで恋愛していれば、そこに肉体関係があろうがなかろうがそれは「純愛」ではないでしょうか?純愛は「カタチ」ではなく「思い」です。肉体関係があるとかないとかは、実は大した問題ではありません。そんなことは考え方ひとつでなんとでもなるのですから、したければすればいいんです。

 そう考えれば、今の日本にだってきっと純愛は生息していると思います。ただわかりやすいカタチで残っていないだけで。実は人々の心の奥に潜り込んでいる「純愛」がたくさんあって、それがセカチューのような映画で刺激されて表に顔を出してきているのだと思います。映画はご都合主義で突っ込みどころ満載でしたが、俳優陣の好演で救われていました。まあ日経で連載中の色ボケ小説よりはマシだと思います。


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